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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
外伝

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222/316

外伝【ティダとソアレ 2 】

【激情に燃える太陽 4話:皇子逃亡】


 春霞局の(かずら)姫。両親と、ごく少数の者が知る本名はソアレ。古語で太陽の意味を有する、高貴な名を与えられた娘である。


 名に込められた願い通り、妃がねに選出された。両親と彼等の背後にいる権力者の思惑通りに、本日初指南の夜を迎える。


 出征したティダ皇子は、皇居を経った日から二十七日経つのに、未だ帰らない。私の所へは、戦況について、そもそもどの国と何処での戦なのかさえ、届いてこない。皇妃になれば、そういった政治の話を耳にする機会があるだろうか。


 夕暮れ時に、父の屋敷へテュール皇子が現れる。年に数度しか訪れた事のない私の部屋。


 間も無く御簾があげられ、皇子に披露する教養を他の殿にも途中まで見せる。琴、龍笛、舞までである。それに何の意味があるのかと問えば、殿の優越感だそう。父の考えは分からない。


 私は操り人形よろしく、従うだけ。左様でございますか、そう首を縦に振るだけである。


 見せびらかしを行った後、御簾が下げられ、テュール皇子を部屋に迎える。そこから私とテュール皇子は二人きり。但し、隣室で父の側近と母の側女が交代で見張りをする。


 寝所を飾る屏風は、岩窟龍神話の梅園祝いを基にした絵柄のものにした。


 梅は、私の初恋の象徴。それを眺めながら、一生に一度の花を散らすのだ。我ながら、皮肉めいた性格である。


 身を清め、髪を梳かしに梳かし、木蓮(マグノリア)の香料でほんのり香り付け。


 端麗な顔なので、化粧は薄く。


 テュール皇子より贈られた、唐紅の織物で仕立てた着物を纏い、臨戦態勢。


 私の支度をした側女達が下がる。私は陰鬱な気分に笑顔を貼り付けて、背筋を伸ばした。龍笛に口を付ける。


 歓迎の意味を込めて、春芽吹きの唄を選んだ。龍笛で前奏。その後、琴に変える。一通り弾き終わったら、部屋の前にある廊下で演奏した唄に合う舞を踊る。


 この日の為に、美しく整えられた庭。白い小石を敷き詰めた、名のある庭師が造形したという庭園。そこに私を照らす篝火。屋敷の囲いの向こうから私を眺めると、まるで天女に見えるだろう。


 天女と皇子の恋物語。後世に残る絵や文学にしやすい。そんな風な意味を込めて、今回の演出を考えたのは私の父らしい。


 馬鹿馬鹿しい。金の無駄。その金を家臣の給与にしたり、食べ物を買って、祝いだと配れ。そう、言いたくて仕方なかった。


 苛々しても、体に染み込むまで励んできた舞は完璧。微笑む美しい乙女は、見事な舞を披露。先月の、ナナリー様の誕生式典と同様である。


 さて、ここでテュール皇子が現れる。廊下の向こうから、私に近寄ってくる。彼は私の手を引いて、部屋に入る。それで、側女が御簾を下げる手筈。


 しかし、来ない。


 廊下の向こうには誰も居ない。


 何故?


 屋敷の囲いの向こうで、大勢の殿が私を見ている。早くこの視線から逃げたい。テュール皇子が現れないと、何も始まらない。


 えっ……私……テュール皇子の正妃として育てられたのに……袖にされた?


 今頃、戦場にいるティダ皇子への恋心を封印してここに居るのに、何の為に自分を押し殺して生きてきたのか……。


「天津風 雲の通ひ路吹き閉ぢよ をとめの姿しばしとどめむ」


 古い龍詩。扇で顔を隠す殿が近寄ってくる。


 室内で行う筈の龍歌の読み合わせをここで?


 それにしても、自ら創作した龍歌ではないばかりか、古い龍歌そのまま。何の捻りも加えられていない。おまけに恋の龍歌でさえない。天女の姿を見たいから、通り道を塞いでくれなんて言われても困る。


 テュール皇子は、相当私に対する思い入れも感慨もないようである。


「龍山の峰より落つる天の川 恋ぞつもりて淵となりぬる」


 この返歌。テュール皇子の龍歌とまるで対を成さない。長年恋い慕ってきましたよ。そういう歌を考えていたのに……と、やけっぱちで披露した。適当だ適当。何せ、テュール皇子にその気がない。


 これは、幸先不安。正妃になった瞬間から放置なのだろう。好きでもない殿に抱かれる日々より気が楽? いや、わずか一六歳にて女として終了とは悲しい人生だ。皇妃は他の殿に抱かれることは許されない。


 禁断の恋をして、死ぬのも一興という皇妃もいるらしい。私がそういう性格なら、ティダ皇子の胸に飛び込めていた。


 テュール皇子の足取りは、ゆっくりとしていて、じれったい。彼が私の前まで来ると、ふわりと木蓮(マグノリア)の香りが広がった。


 テュール皇子にそうっと手を取られる。ティダ皇子の、肉厚で硬い、豆まである手とは違う。骨ばっているが、すらりと滑らかな手。少し震えている。


 何故?


 今夜、テュール皇子は好き勝手に過ごせる。皇族による初指南とは、そういうものだ。普通の初指南のように、あれこれ取り決めがある訳ではない。


 一応、龍歌の読み合わせと、碁か将棋の手合わせに、それから雅楽か舞を披露するのは決まっている。ほぼ、もう終わった。


 後は食事、囲碁か将棋。私が嫌なら会話しなくて良いし、抱かなくたって良い。私としても、テュール皇子が現れて朝まで共にいたという事実があれば、とりあえず役目を果たしたことになる。


 テュール皇子が現れたということは、おざなりにするつもりでも、とりあえず正妃に迎えるつもりがあるという意味。ナナリー様や、下手したらレオン宰相に命じられているのだろう。父の派閥はかなり大きいし勢いがある。


 屈辱的な扱いだが、仕方ない。蝶よ花よと育てられて、いくら磨きに磨いてきても、結局選ぶのは相手だ。


 彼に手を引かれ、部屋に入る。側女が御簾下げ、部屋から出て行った。


 テュール皇子は動かない。扇で顔を隠したまま。殿が顔を隠し、女の私が明け透けなく素顔を披露しているとは、とても滑稽な状況。


「テュール皇子様。名をソアレと申します。今夜は長年励んで参りました成果を見ていただきとうございます」


 私が挨拶をすると、テュール皇子が扇を下ろした。


 そこにあったのは、真っ赤な顔で困り笑いをしている姿。予想外の事態に、私は言葉を失った。テュール皇子が、私に赤面。こんなの、想像していなかった。


 遠目だと気がつかなかったが、従兄弟だけあってティダ皇子とどことなく似ている。口周りが特にそっくり。


 目は似てない。ナナリー様に似た形。瞳の色は薄紫がかった黒。全然、目が合わない。


「噂で……それに先日行われた母の祝いの席にて……色々と見聞きしている」


 やっと目が合ったと思ったら、テュール皇子は直ぐに下を向いてしまった。


「こういう事は、朝から支度しているのだろう? 疲れているだろう。ゆっくりとしなさい。隣で少しばかり、食事をしてくれれば……退がって構わない」


 退がって構わない⁈


 動揺していたら、テュール皇子は扇を懐に入れた。空いた手が私の空いている手を取る。テュール皇子の両手が、私の手をギュッと握りしめた。


「少々期待していたが、顔を見て即座に分かった。その日に会った男と、義務感で契る必要は無い。そうかそうか、私の文や贈り物、噂などでは好いてくれなかったか」


 衝撃的な発言。顔を上げて私を見据えたテュール皇子の寂しげな困り笑いに、私は放心した。テュール皇子は直ぐに俯いてしまった。


「明日、予定を空けてある。以前、文に氷洞を見てみたいと綴っていたであろう? 出征した皇太子が無事に帰国するように、龍王神社へ参拝に行くから付き合って欲しい。そうしたら、帰りに氷洞へ寄る」


 氷洞? そんな事、書いたっけ? 毎日のように、とりとめのない文を認めてきたので記憶が曖昧。


 私から手を離すと、テュール皇子は用意してある座椅子に腰を下ろした。私は慌てて隣へと移動して、七輪で温めている酒入り薬缶に手を伸ばした。


「酒を飲むと自制が効かなくなるので、今夜は飲まん」


 手で静止される。


「あ、あの……(わたくし)は……」


「私も華族の娘の立場くらい分かっている。文や龍歌に偽りは無いと感じていたが、盲目であったな。私の隣で落ち着かんだろうが我慢してくれ。んー、そうだな……こう言うべきか。座りなさい」


 命じられたら断れない。はい、と返事をして腰を下ろす。


「いえ……単に緊張しているのでございます……」


「そうは見えん。あれこれ教えてくる世話焼きがいて、目が肥えてしまってな。一目で分かった。君を取り巻く環境を考えれば分かるというのに……浮かれて……阿呆だな……」


 赤面。少々期待していた。浮かれていた。そして、書いた本人が忘れた文の内容を覚えている。つまり、テュール皇子は私の事を気にかけてくれていた。そういうこと……。


 贈与物から彼の気持ちを感じたことは無かったが、春霞局の女官達はうっとりしていた。単に、私の琴線が頑なだっただけなのだろう。


 長年お慕い申し上げておりました。そう、嘘をつくべきか……本音を話すべきなのか……。流石に、他の殿に恋い焦がれていますとは言えない。


(わたくし)も阿呆娘でございますテュール様。多くの娘と同じように、恋に憧れているのです。しかし、顔も分からない方に恋心など抱けません。あの……これからは、違います……」


 えっ……とテュール皇子が私を見た。ここは、笑うべきだが止める。私の本心を見抜いて、優しい言葉をかけてくれた方。一生を捧げる相手。決められた運命に嘆くよりも、この方に恋をする努力が必要。一先ず、なるべく嘘をつかないようにしよう。


 私は感じたままの表情を浮かべた。多分、ぎこちない困り笑い。何せ、眉尻が下がっているのが自分で分かる。


「付き合えではなく、付き合って欲しいとは、私を慮って下さるのですね。それに氷洞。おそらく、紅葉草子に感激して文に認めたのでしょう。自分が覚えていないことを、覚えて下さっているのは、大変嬉しいです」


 テュール皇子の良いところ探し。自分の五感で接したら、ティダ皇子に恋をしたように、この方とも恋に落ちれるだろう。私にとって、それが最善。


 世の中には、もっと大きな悩みを抱えている者ばかり。私は果報者であるのだから、初恋が叶わない事くらいで、死にたいと嘆き続けていてはいけない。


 浅漬けを口に運ぼうとしていた、 テュール皇子が、手を止めた。箸からポロリと浅漬けが落下する。


 落下した浅漬けを拾おうとしたら、手を握られた。テュール皇子が反対の手で浅漬けを掴んで、口にいれた。しばらくそのまま。


 不意に私から手を離し、ポリポリと浅漬けを噛む。その後、彼は少しずつ、他の料理にも箸をつけた。


 何か話さなければ。そう思って唇を動かした時、テュール皇子が私を見た。

 

 私を見つめて、ジイッと見つめ続けて、何か言うのかと思ったら……何も言わなかった。


 彼はまた私から顔を背けて、食事を続ける。


「冷めるので……食べなさい」


 促され、私も箸を手にした。


「はい」


 食事をしながら喋る事は、ごく親しい家族との時のみ。


 最初に殿が食べ、その間は琴や琵琶、舞などで楽しませる。その後、殿の話を聞きながら食事をする。普通の初指南はそういう流れらしいが……二人で無言の食事。何これ。


 時折、テュール皇子の視線を感じた。しかし、私が彼を見ると、俯いている。


 あらかた食事が終わると、側女と側近が膳を下げた。代わりに用意された、清め水と歯磨き用具。


 まずは手水の器に手拭いを入れて、濡らし、テュール皇子の手を拭く。そうしようとしたら、テュール皇子はバッと立ち上がった。


「明日の朝、迎えに来る……」


 ……はい?


「明日、迎え? テュール様?」


「手間をかけさせるが、帰るので手筈を頼む」


 サッと立ち上がったテュール皇子は、もう隣室への襖を開けている。見張りの側近へ声を掛けている内容は……聞こえない。


 困る。こんなの困る。


「膳の内容や、味付けに不満がございましたか? それとも(わたくし)……」


「いいえ。嫌われたくないのです。出直します」


 言うやいなや、テュール皇子は隣室へ移動して、廊下へ出てしまった。


 出直す?


 出直すとはどういうこと?


 初指南の夜に、何もされずに去られるとは最低の烙印。


 嫌われたく無い。もしそれが建前であったなら——……。明日、彼が会いに来なかったら——……。


 足元がガラガラと崩れていく。そういう、錯覚がした。




【激情に燃える太陽 5話:梅愛菜哀】


 初指南の夜、になるはずだった日の翌日。


 昨夜、父から「お前は何も心配しなくて良い。皇子に昨夜の事を質問するな」と言われた。


 何だか良く分からない態度を取って、おまけに帰ってしまったテュール皇子。彼は本当に出直してきた。


 朝餉後、父の指示の元、私が身支度を済ませた時である。私の部屋の襖が開かれ、そこにテュール皇子が居たのである。頬が赤く、視線は斜め下。私を見ていない。渋い表情である。


 昨晩は皇族のみが着れる黒装束だったが、今朝は白装束。帯は赤。これは参拝用の衣服だ。昨夜、龍王神社へ詣でると話していたので、正解だろう。


 それで、手には菜の花。


 何故、菜の花?


「おはようございます太陽の君」


 顔を真っ赤にさせて、ぎこちない笑顔を浮かべて、私の目の前にしゃがんだテュール皇子。やはり、目線は畳である。私を見ない。


 私に菜の花が差し出された。


「おはようございます……月の君」


 月と太陽は一緒には並ばない。貴方と並びたくないです。思わず心に浮かんだ皮肉が「月の君」という単語として飛び出していた。


 ティダ皇子になら、私は迷わず梅の君と告げる。我ながら……馬鹿、阿呆。私はこの皇子の妻になるのだ。


 菜の花……菜の花……好きだけど……以前、何か文に書いただろうか?


 素敵な皇子様が、花を持って現れて……とても照れている。神聖さ醸し出す衣装に、凛々しい整ったお顔。


 さあ、ときめけ私!


 ちっとも胸が鳴らない。困った心である。しかし、この方に恋をしないと生き地獄になる。私は死ぬまで、この人だけの女になるのだから。


「月の君?」


 テュール皇子の問いかけに、私は言い訳を考えた。


「月は太陽の光で輝くそうですテュール様。(わたくし)、名に恥じぬように内助の功を尽くしとうございます」


 もう既に赤いのに、テュール皇子は更に赤くなった。どうやら、私はナナリー様や両親の望み通りの娘に育ったらしい。テュール皇子は私を好んでくれている。


 そして、この人は女性にそんなに慣れていない。胸がほんのり温かくなり、自然と笑えた。この人を傷つけたりしなければ、きっと優しく、大切にしてもらえるだろう。そういう予感がする。


 なので、月の君、その言葉の裏の皮肉や私の本音は決して伝えてはいけない。


 私はそっと、菜の花を彼の手から受け取った。


「参拝へ行く前に、飾らせて下さい」


 部屋に……と思ったが、今日は多分この部屋には戻らない。きっと、春霞局の部屋へと帰る。


「ミンメイ。これを春霞局の私の部屋へお願い」


 隣室に控えている側女を呼んで、菜の花を手渡した。母の叔母であるミンメイは、テュール皇子をチラリと見て、微笑ましそうに肩を揺らした。


「……一晩、頭を冷やしたのだが……。この体たらくでして……。それに梅と迷った……。梅は……春霞局の庭にも梅はある。あれより見事な梅園に……共に行く方が良いかと……」


 懐から出した扇で顔を隠しながら、テュール皇子が私の耳元に顔を寄せた。囁かれた台詞に、私の気持ちは沈んだ。


 梅は……梅園だけはこの人と見るのは嫌だ。いや、どんな殿とも嫌。私の聖域を、踏み躙られたくない。


「梅は見慣れていますので、菜の花畑を見とうございます。そうしたら、部屋に飾るこの花を眺めながら……」


 貴方様を思い出せます。いつでも。毎日。


 そう、言うべきなのに、喉に言葉がつっかえた。


「眺めま……す……」


 何が、なるべく嘘はつかないようにしようだ。私は大嘘つき娘だ。


「そう……努めたいのです……。心踊らぬ方と、一生添い遂げるなど……」


 これなら、まあ、割と本当である。しかし、テュール皇子に対して悪い。しかし、無理だ。抑えられない。


 情緒不安定。


 私はほろりと涙を流した。胸が痛い。痛すぎる。しかし、母だってこんな風に父と結ばれたのだ。いや、私の方が幸せな娘に違いない。何せ、このテュール皇子は私を好いてくれている。


 父は母に対してどうだったのだろう? 何にせよ、母は親に指示された相手と契り、兄や私を産んだ。華族の娘は皆そう。自由なんてない。


 私はテュール皇子の扇をそっと奪った。心を痛めたというような、苦しそうな表情。頬はまだ赤い。何か言おうとして、迷っている様子。怒ったり、罵ったりしてこない、優しいこの人を傷つけて良い道理はない。


「時間が掛かるとは思いますが……真心には真心を持って歩み寄りとうございます。私は貴方様の為だけにこの世に生まれたのです……」


 そっと、彼の身体に体を預けた。ティダ皇子と会った回数、時間。それを超えた時に、きっとテュール皇子との間にも何かが芽生える。自分の人生を彩る為に、この人の気持ちから逃げては駄目だ。


「宝だと大事にする。なるべく不自由がないようにするし、不安を与えないように他の誰も囲わない。そう、約束しよう」


 抱きしめられるかと思ったが、テュール皇子は私の肩に手を乗せて、すぐに離した。もう、彼の顔は赤く無い。凛々しい表情に、真摯な光を帯びた瞳。穏やかな笑みは春の陽射しみたい。


 嫁ぐ相手がこのような誠実そうな人で良かった……。素直に好きになろう、大事にしようと思える。


 次の瞬間、テュール皇子の顔は、ボッと火がついたように真っ赤になった。


「そ……そなたの笑顔は……本当に……愛くるしいな……」


 絞り出すような声。私から目を逸らすと、テュール皇子は立ち上がった。左手が私の右手を掴む。かなり、熱を帯びた手。かなり緩く握られている。


 私は繋いでいる手を、ギュッと握った。少し、胸が弾んでいる。貴女を好きですという態度を取られるのは、心地良いものらしい。


 私は歩み寄る姿勢を、常に見せるべきだ。


「人目がないところではソアレとお呼び下さいませテュール様。褒められて、嬉しいです。私は、テュール様の優しい眼差しをとても気に入りました」


 彼の顔を覗き込んだ。


 テュール皇子はゆで蛸みたいに赤い。自分の発言に、こんな風に一挙一動反応するなんて……嬉しい。



 ∞ ∞ ∞



 さて、私は夫となるテュール皇子に恋されているよう。


 初夜も済んでいないのに、初めてのお出掛けをする。薄桃色に桜柄の打掛、それから白詰草と四つ葉を模した冠垂れ衣を贈られた。


 今朝の支度、テュール皇子の迎えを待つというのに、やけに地味な薄着にされたと思っていた。この打掛に合わせる為だったらしい。


 今まで贈られた、高級志向で大人びた品とは違い、私の趣味に合った打掛。冠垂れ衣もそう。この方向転換は正直嬉しい。


 誰かに私の好みを聞いたのだろうか? それなら、今までは何だったのだろう? とても謎である。


 行き先は本当に龍王神社だという。皇族同伴でしか参拝できない、霊峰ユルルングル山脈にある神社。


 皇居から少し離れた、旧皇居から石段で続く龍王神社。旧皇居自体が参拝地となっている。


 旧皇居は、毎年年始に一族総出で詣でている。この旧皇居は遠い。牛車や馬車で二日はかかる。しかし、テュール皇子は昨日、一日予定を空けたと言っていた。一日で、どうやって旧皇居まで行くのだろう?


 屋敷から籠で移動。一人、籠の中でテュール皇子の手の感触に気持ちを集中させる。それから、目を瞑って、菜の花を思い浮かべる。


 チラチラ、チラチラ、美しい梅園の景色が私を襲ってくる。それに、力強くて大きな手の感触。


 ティダ皇子は元気だろうか……。死んだと思い込もうとしても、あの堂々たる姿で帰国する場面ばかりが頭に浮かぶ。


 私は目を開いた。両目を閉じて内にこもると、現実逃避ばかりしてしまう。


 籠の中を観察して、現実を受け入れる。今の私に必要なことは、テュール皇子の恋心と真剣に向き合って、恋に落ちること。


 籠の中の飾りは、ベルセルグ皇国の皇族紋、三頭(みつあたま)ハイエナが刺繍された織物。意識していなかったが、これは皇族用の籠。


 何故、ベルセルグ皇国の紋様はこの異形のハイエナなのだろう? 三は神聖な数だと言われているが……。


 わあああああああ!


 籠の外で、大歓声がして、私は小窓から外を覗き見た。


 何?


「よう、テュール! 馬くらい乗れるようになったか!」


 この声!


 私は小窓な掛かっている衣を思いっきり開き、小窓の格子に頬をつけた。


「ティダ! おい、止めろ。馬くらい以前から乗れる。おい、人前でこのような……止めろ!」


「ふははははは! 参拝服とは、俺の帰国祈願か。先週も見たぞ。お前はかわゆい男だな」


「だ、だから止めろ! さ、酒臭い! 先週も見たとは、何処かで油を売っていたんだな? どれだけ心配したと……」


「やる事が色々あったんだよ! 心配してくれたのか。そうか、そうか」


 ティダ皇子とテュール皇子の声はするが、籠の隣を歩く馬の脚、籠の前を歩く馬の脚しか見えない。


 ティダ皇子とテュール皇子は政敵側なのに、かなり親しいと聞いていたけれど、本当に仲が良さそう。


 見たい。ティダ皇子を見たいし、テュール皇子の素も知りたい。


 思わず格子を掴んで揺らしたら……あっ……え? 外れ……外れた! 皇族の籠を壊した! そんなに力を入れてないのに!


「き、きゃあ!」


 私は両手が掴む格子をぼんやりと眺めた。これは、手打ちになる案件ではないだろうか。淑女のしの字もない行為。


 ここは、たぶん市街地。


 テュール皇子の籠に乗る華族のお嬢様は、籠を破壊する豪傑。そんな噂になるのは最悪の事態。テュール皇子の顔に泥を塗る。


 怯えて固まっていたが、大歓声とティダ皇子の名の合唱が猛風のように飛び込んでくる。それで、私は外れた格子を籠の中に放り投げて、小窓から顔を出した。丁度、頭が出るくらいの大きさ。


 籠を壊した事実は消えないので、もう野となれ山となれ。


 体が勝手に動いて、止められない。冠垂れ衣がひらひら、ひらひらと視界の邪魔をする。


「ぶっ、ぶわっはっはっはっ!」


 不意に、目の前に黒い影が落ちた。見上げた先には、ティダ皇子。途端に顔が歪む。一気に、涙が込み上げてきて、風に雫が飛んでいった。籠の壁がなければ、抱きつきたい。


 ティダ皇子は微笑みながら、私の額を揃えた指で押した。


「ソアレ。庇ってやるから酒の酌をしろよ」


 小さな声だった。あっと思ったら、籠の扉が引き剥がされた。開けたのではなく、破壊された。


 庇うって……代わりに壊して……。


「ん? わざわざ初指南の夜の後に帰国したのに……。まだ手を出されてないのか。テュールは変人か?」


 しげしげと私を眺めるティダ皇子に、私はポカンと口を開いた。


 まだ、手を出されていないのかって……どうしてそんなことが分かる。


「テュールを焦らして、更に夢中にさせるつもりか。既に骨抜きなのに、更に何を抜くつもりだ。流石、唯一の大華を目指す女。男を振り回す魔性の女め」


 何ですって⁈ それは貴方だ! と叫びたかったが、私は口を貝のように閉ざした。公の場で、妙な事を口走ってはいけない。


 既に骨抜き? テュール皇子が? まあ……そうかもしれない。昨日と今朝の態度。骨抜きとまでは思えないが、テュール皇子は確かに私を好んでいる。


「お前の天女、見せびらかせテュール」


「おい、何をするティダ!」


 ティダ皇子が私の腕を掴み、籠から出した。とても優しい手付き。このまま、攫って欲しい。私の腕は無意識にティダ皇子の首へと伸びた。


 抱きつく前に、ティダ皇子は私を持ち上げて、テュール皇子の馬に乗せた。最悪な事に、顔を隠す冠垂れ衣を奪った。体がぐらぐらと揺れる。テュール皇子が慌てて私の体に腕を回した。


「噂のテュール皇子の天女、(かずら)姫。この皇太子をつれなく振る娘はこの国でそなたくらい。一度くらい天女と遊んでみたいのに、酷い話だ」


 ティダ皇子がトンッと跳ねた時、黒い影が降ってきた。黒狼が着地し、ティダ皇子はその上に仁王立ちした。


 何処から手に入れたのか、国旗を右手に掴み、空へ高々と掲げる。黒地に銀刺繍の三頭(みつあたま)ハイエナが、風に翻り、生き物のように動いて見える。


 光り輝くような、凛然とした立ち姿。見つめていたいが……また、遊びたいなどと……私の純粋な恋心を踏みにじくる台詞。腹が立って仕方がない。


 しかし、眼前に群衆。大勢の者が私を注視している。怒りを露わにした表情を見せてはならない。そもそも、顔を見られる事は、はしたない。


(わたくし)以外の女性を誰も愛でない。そのように約束してくれる方の、永遠かつ唯一の華となるのです……」


 私はテュール皇子の胸に手を添え、彼の胸に顔を埋めた。


 絶対に、私はこのテュール皇子に恋してみせる。そして、それこそ彼を虜にする。それを、女を渡り歩くティダ皇子に見せつけてやる。


 口が裂けようとも、貴方に恋してやまなくて、愛しています。そんなこと言うものか!


「さあ、祝いだ! 我等ベルセルグ皇国皇族の祝言に歓喜せよ! 我が友と永華に幸あらんことを!」


 龍王神社への参拝は中止。


 ティダ皇子は、黒狼に立ったまま、テュール皇子と私が乗る馬の手綱を引いて、市街地中を移動した。


 初夜もまだ、婚姻の儀式の日取りも決まっていないのに、こうして私はテュール皇子の妃だと国中に披露された。




【激情に燃える太陽 6話:禁秘恋慕】


 市街地中を連れ回されて、昼になった。ティダ皇子は皇居へ戻り、私を女官に預けた。それで、テュール皇子を連れて、また市街地方面へ消えていった。


 私は、それはもう複雑な気持ちで春霞局へ戻った。ティダ皇子が息災だったことへの安堵。テュール皇子との婚姻を心から祝福されたことへの絶望、悲壮。むしろ、恨めしい。千本針を飲まされた気分。血を吐きそうな程辛い。恋い慕う相手に、婚姻を大祝福されるなんて、灼熱地獄へ放り投げられた気分。


 ナナリー様と母、乳母ルールーに何があったかを、サラリと説明して、疲れましたと部屋に閉じこもった。


 身が入らないけれど、琴を弾く。曲は、唐紅の唄。ゆったりとした旋律で心を落ち着けたい。


(かずら)姫様、失礼します」


 この声、側女のネージュ。


「しつれいします」


 あどけない声は、いとこ姪のアルセ。


「はい、何ですか?」


 声を掛けると、仕切屏風の向こうからネージュとアルセが現れた。ネージュは手に畳んだ打掛を持っている。


(かずら)姫様。先日貸して下さった打掛を返しにきました。それから、雪姫様をお連れしました」


 琴を弾くのを止めて、二人を座らせる。私はネージュから打掛を受け取った。ネージュの隣に座るアルセは、何故か後ろに手を回している。


「龍詩講義にて、恥をかかなくてすみました。ありがとうございます」


 ネージュからの感謝の言葉に、私は曖昧に微笑んだ。


「肝心の講義は? 少しは学びました?」


 ネージュが苦笑すると、アルセが手を前に出した。冊子を持っている。


「おばさま! アルセは妃がねになりたいです! 龍詩を教えて下さい!」


(かずら)姫様! ティダ皇子が帰ってきたら、確認すると申していたのです。次も失態だと愛でてもらえません」


 ネージュが袖に縋り付いてきて、アルセは私の膝の上に座った。


「ですから、励みなさいと言ったではないですか」


 怖くて聞けなかったが、ネージュがティダ皇子に連れていかれた日、何も無かったのか。それに、失態……。ネージュは何をしたのだろう? ここで、ほくそ笑んではいけない。


「毎度、手厳しいです(かずら)姫様。まあ……苦手だからと、いつも課題を代わりにしていただいていた……しっぺ返しです……」


「はいはい。断って、自分でと言っても聞かないからですよ。好機を逃すのは、それまでの努力の……」


 言いかけて、私は口を閉じた。努力したから何になる。朝から晩まで、それこそ早朝から夜更けまで、私は努力を積み重ねてきた。顔だけ姫と、一族の恥晒しと呼ばれたくない一心で。


 それで、私は好きでもない殿のものになる。


「おばさま。アルセはネージュのようにはなりません。おばさまのように励み、素敵な殿に好かれます」


 雪のように白い頬を、ほんのり桃色に染めて、気合いたっぷりというアルセ。六歳にして、あれこれと話を耳にしているらしい。アルセの手に持つ冊子は、古典龍詩講義用のもののよう。ネージュの物だろう。


「雪姫様……手厳しいことを……。(かずら)姫様が、テュール皇子への文と共に、私に歌を与えてくれなければ、悲惨でした。遅くなりましたが、ありがとうございます」


「いえ……また随分前の事を……」


 膝の上で、アルセが早く早くと私を急かす。しかし、私はネージュの話が気になる。


「随分前? まだ、一月半しか経っておりません。嫌味を言ったのに、助け舟を送ってくれるとは流石、(かずら)姫様。いつも、何だかんだお優しいです。お披露目前で、神経が尖っていたでしょうに、ありがとうございました」


 聞きたい話から、逸れてしまった。私はアルセが手に持つ冊子を開いて、視線を落とした。私がティダ皇子のことを、あれこれ聞くのはおかしな話。


「何だかんだは余計ですよ、ネージュ。さて、アルセ。妃がねなどより、素敵な官吏の奥様の方が良いですよ。一夫一妻ですし、実家の権力が強ければ浮気もされません」


 え? とアルセが振り返った。


「でも、おばさまは妃がねになられたのですよね?」


「そうよ。それが(わたくし)が生まれた理由ですもの。でも、叔母様は美貌とあらゆる教養で一夫一妻を目指します。泣き寝入りしません。では、アルセ。まずは自分をアルセと呼ばないようにしなさい」


 ハッとした顔をしてから、アルセは両手で自分の口を隠した。しまった、というように赤くなっている。


「はい、おばさま。アル……えっと……わたしも、がんばります!」


 元気一杯な声で宣言すると、アルセは龍詩を真剣な目で見た。可愛い。この頃に戻りたい。まだ、ティダ皇子に出会っていなかった頃。未来の夫である、テュール皇子の幻影に、憧れを抱けていた頃。


 私はアルセの烏の濡れ羽色の髪を撫でた。彼女の未来が、どうか明るいようにと祈りを込めて。


「今日も強気ですね、(かずら)姫様」


「ええ。それが(わたくし)の長所にして短所です。殿の前では、なるべく抑えます。では、ネージュ。この、春眠不覚暁は分かるわね?」


 問いかけに、ネージュが目を泳がせた。


「はい! おばさま! 春は眠くて、起きたら夕焼けでした! です!」


 自信たっぷり、褒めて下さいという、キラキラおめめのアルセ。しかし、違う。


「ネージュ、正解……は分からないのですね」


 ネージュはアルセに小さな拍手を送っていた。


「まあ、ネージュ。講義で何を聞いてきたのですか」


 私の問いかけに、ネージュは肩を揺らして苦笑いした。


「こう、漢字だけなので目がチカチカするのです。それに……これが、どういう時に役に立つのでしょう?」


「どんな時って……ネージュ、あなたさっき龍詩の教養が足りなくてティダ皇子の気を惹けなかったと言っていたではないですか」


「そうでした! 再度、好機があるそうなのです。また見かけたら、声を掛ける。楽しく話せるようになっていてくれと、申してくれました」


 背筋を伸ばしたネージュが、前のめりになる。そのティダ皇子の発言は、建前なのか本気なのか……。建前なら良いのに。


「難しいことは覚えなくて良いのですよ。このように、講義に出される有名な龍詩さえ理解していれば良いのです」


 私は冊子をネージュへ渡した。それから、机に手を伸ばして、筆も渡す。以前、テュール皇子から贈られた墨が仕込まれている筆はとても便利。蓋を開けたら、すぐに文字が書ける。


「春眠は分かりますね。暁は夜明けです。暁を覚えず。覚えずは知らず知らずのうちに。そういう意味です。要は春は気持ちが良いので、朝寝坊してしまいます。そういう詩ですよ」


 私が話したことを、ネージュが冊子へと書き込むのを確認。物凄く、興味無さそう。アルセも眠そう。私は懐から扇を取り出した。


 ペシリと畳を叩く。それから、扇を広げて、ネージュに流し目した。儚げに見えるだろう姿を演じる。多分、上手く出来ている。


(わたくし)……春をとても好んでおります。貴方様と長く共にいられますもの。春眠……暁を……。ずっと春ならば良いのに……」


 これなら、ネージュは興味を持つだろう。私の意図はネージュに伝わったみたい。ネージュが目を輝かせた。


「きゃあ、(かずら)姫様。その台詞……誰に言うのですか?」


「テュール皇子ですよ。講義中ですから、テュール皇子の事は話しませんからね」


 ネージュの目の輝きが、一気に消えた。多分、ネージュが私を訪ねてきた目的は、テュール皇子との話を聞きたいからか。まあ、予想通りである。


「知識を役に立てる方法は色々とあるものですよ。春を気のある方に関する文字に変えても良いです。例えば……」


 梅。そう言いそうになり、私は口を閉ざした。


「月とかですね」


 冬であれ……月と眠れば……暁を……。


 一句出来た。冬であっても、月の君と眠れれば、暁を覚えず。何とも微妙な句。テュール皇子がティダ皇子に、何処へ連れていかれたのか分からないけれど、文にして東狼御所へ送るか。戻られたら、渡して下さいと伝えれば良い。


 一応、今晩は二晩目。待っていますというような、文を認めないとならない。しかし、これでは違う。まだ共に朝まで過ごしていないからこの句では悪い。


(かずら)姫様? 月? 月とは何です?」


「月の君。穏やかで、優しい光の皇子様をそう呼んだので……。月眠不覚暁。本人が見た時と、他人が見た時で印象が違いすよね? ネージュ、基本あっての応用です。しかし、逆覚えでも良いのですよ。好きなものや人と結びつけると覚えられたりします」


「おばさま! アル……わたしは、秋が好きです! 秋はご飯がおいしくて、つい寝てしまいます! 紅葉も好きです!」


「雪姫様。秋や紅葉よりも、月の君という皇子様のお話しを聞きたくないです?」


 興味津々そうなネージュ。アルセは「んー」と唸って、首を横に振った。


「アルセはおばさまの、流星の祈り唄を聞きたいです!」


「まあまあ。雪姫は、その唄が本当に好きね」


 子供というのは、直ぐに興味の矛先が変わる。頑張っていたが、また「アルセ」と口にしているのも微笑ましい。


 ネージュはがっくりと肩を落としている。


「机の上に飾ってある菜の花。月の君が(わたくし)のようだと、贈って下さいました。ネージュ、今日から菜花姫と呼んで下さいませ」


 え? とネージュが顔を上げる。もっと話せという眼差し。私は避けるように目を閉じた。


 瞼の裏には、春霞の中に浮かぶ梅の海。


 テュール皇子の茹でたこみたいな顔を思い浮かべようとしても、菜の花畑を想像しようとしても無理みたい。


 まあ、心の中だけは自由だ。


 けれども、私は膝の上の可愛いアルセや、私を慕ってくれるネージュみたいな、身内を守らなければならない。守りたい。いや、守るのだ。


 私は、絶対に皇妃にならないといけない。小娘一人の初恋くらい、実に小さな犠牲ではないか。


「流れて輝く星は、叶えてくれる」


 私の歌に合わせて、アルセが楽しそうに歌う。


「わたしの願い、あなたの想い」


 いつ探しても、流星を見つけられたことはない。だから、自分の幸せは自分で作るしかない。私は誰よりも努力できる娘。初恋を忘れて、新しい恋をする事だって、きっと出来る筈だ。相手が……あのような殿ならきっと、大丈夫。


 いつか……菜の花畑の夢を見たい……。今夜テュール皇子に抱かれることで、その日に近づくようにと、今歌う流星の祈り唄に願いを込める。


 閉じた目の内側は、眩しく煌めくティダ皇子の笑顔と、満開の梅の映像。初恋前よりも、あの日に戻りたい。あの桃源郷の中に永遠に閉じ込めて欲しい。


 私はいつの間にか、祈り唄に願う想いを変えていた。


「祈って欲しい その為に輝くのが流れ星」


 幸福を作る流星は、闇夜に散って消える。その流れ星は誰が幸せにするのだろうか? ただ消えていく流星は何を思っているのだろう?


「おばさま?」


「あら……雪姫があまりに上手に歌うので、感激してしまったわ。この歳で、素晴らしいことよ」


 振り返ったアルセが、私の頬に流れる雫を袖で拭ってくれた。泣いて、アルセの首に涙が落ちていたようだ。アルセの首が濡れている。


 照れたように、はにかみ笑いをしたアルセを、私はギュッと抱きしめた。


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