帰国前の交流2
今朝の厨房には昨日よりも人が増えた。ラステルは張り切ってエプロンをつけた。足元で月狼が眠っている。寝るのが好きらしい。
まずハンナ。貧乏貴族の末っ子らしい。シュナの侍女になる予定だと紹介された。赤みがかった金髪をおさげにしていて、鼻周りにそばかす多めの肌。日焼けはしていないが、テトに少し雰囲気が似ている気がした。見た目も今の態度からして大人しそうだが、顔立ちや雰囲気的に何となく気が強そうな感じがする。
次にカール。シュナの姉はもう元気一杯のよう。無表情どころか周囲を睨むように眉根を寄せているので美人が台無し。パッと見は義姉ケチャだが、義姉クイにも似ていて、よく見ると全然違う気もしてくる。何だか不思議だ。カールは扉の前に陣取って部屋全体を監視するように見つめている。
妹のシュナとは美人という以外は似ていない。目の色はシュナとそっくりだが、光が違う。怖くてギラギラしている。怖い時のティダを思い出す。姉妹と聞いていなければ、シュナとカールが血縁とはとても思えない。
そして扉の前に並ぶ騎士。カールの隣にオルゴー、続いてパズー、マルク。あと何故かマルクの隣にフォン。三人揃ってシュナを見ながら鼻の下を伸ばしている。
「今日は卵料理と果物を綺麗に剥く練習ね。外界の卵ってなんか変なのよね。味は好きだわ」
白くて小さくい楕円形の卵をラステルはしげしげと眺めた。
「外界の卵?」
ハンナの問いかけにラステルはしまったと慌てて口を閉じた。
「ペジテ大工房は国の外をそう呼ぶのよハンナ。ラステルはアシタカ様の妹です」
シュナがラステルの背中を軽く撫でてくれた。そうだ、その設定をすっかりと忘れていた。ハンナが驚いてラステルから少し離れた。少し、いやかなり寂しい。
「二人とも年が同じくらいよ。歌が好きなのも似ているしきっと仲良くなるわ」
シュナがハンナに微笑みかけると、ハンナは縮こまってしまった。挨拶した時もビクビクしていたので、人見知りなのだろう。
「妹といっても殆ど知らないの。離れて育ったのよ。田舎で川の側。私、こんな大きなお城って建物自体知らなかったわ。世界って広いのね」
セリムの笑顔を思い浮かべながら、目一杯親しみを込めて笑ってみたがどうだろう。ハンナはぎこちなく笑ってくれた。
「あの、私、まだ夢を見ているようで落ち着かないのです」
「それは私の方よハンナ。この姿、皆様そんなに見たいのかしら。以前は随分な仕打ちでしたのにねえ。まあ、私はよくよく覚えているのでハンナのような娘を雇うの。気が楽ですもの」
シュナが妖しい笑みを厨房中に投げた。料理人達にパズー、マルク、フォンが気まずそうな顔になった。しかしシュナが軽くウインクして微笑すると全員もれなくデレデレした顔になった。男って単純。ラステルはハンナと顔を見合わせて苦笑いした。アンリは涼しい表情だが、フォンのことだけは睨んだ。フォンは気がついていない。
「あの、シュナ様。突然城に呼ばれてまだ混乱しております。侍女とは大変光栄ですが私めなど……」
「怪我の介抱。その他もろもろ。晩餐会での言動。その他もろもろ。野戦病院での活動。その他もろもろ。周囲の評判。まあそんなところね」
ラステルはハンナが一気に好きになった。緑気味の深い青の瞳が澄んでいるのは気のせいではなかった。ハンナが泣きそうな顔になった。
「私、教養も知識も申し分ありませんが普通の生活をする能力が皆無です。貴方は気立てよく働き者と聞いております。没落気味とはいえ旧家で父上、母上も貴族本来の教養を有する。私の侍女候補として胸を張りなさい。貴方は過去の生き様で今ここにいるのよ」
ハンナが涙ぐむとシュナが卵を一個摘んだ。
「ではハンナ。そしてラステル、アンリ。この卵を割れば良いのね」
止める前にシュナが卵を深皿の中に落とした。
「そんなことをしたら殻まみれよシュナ!考えれば分かるでしょう?」
「それは分かるわよ。ここから殻を取り除いていくのでしょう?」
シュナが意気揚々とフォークを掴んだ。全く違う。賢いのにどうしてそんな発想が出てくるのか分からない。
「大変よハンナ。私はもうすぐ帰国するから少ししか教えられないけど貴方はずっと教えるのよ。遠慮していたらアシタカさんやカールさんの口の中がジャリジャリ。卵一つでこれならどんどん出てくるわ」
ラステルは持っている卵をハンナに渡した。ハンナはぶんぶんと顔を横に振った。
「シュナ様、恐れ多くも……」
ラステルはハンナの体に軽く体当たりした。
「料理、洗濯、掃除に裁縫。他にも家事というのは多いのでしょう?是非、私を蹴飛ばしてくださいませハンナ。鼻持ちならない貴族の淑女を追い払ったように」
シュナがハンナに悪戯っぽく笑いかけた。
「シュナ、そのようなことは私がします」
「あらカール。私、アシタカ様と二人暮らしをするのよ。しかしすぐには無理そうなのでハンナに教わります。貴方は貴方の人生を歩むの。貴方に良い人が現れるまで夕食は共にします。お互いに作り合うの」
カールの顔がひきつった。
「ご冗談を。この私に包丁を握れと?」
突然アンリがカールに包丁を投げた。驚いたことにカールは指で包丁を挟んで止めた。アンリが別の包丁を握り、オラジュの実に似た橙色の果物を切った。半分に切ったと思ったら、包丁を華麗に使用。あっという間に中身が花びらみたいな飾り切りに変わった。アンリは今度はそれをカールにふんわりと投げた。
カールが果物を片手で受け取り、チラリと眺めた。顔色は変えないで果物の飾り切りのところを丸齧り。皮をアンリに投げ返した。アンリの顔目掛けて飛んでいった果物の皮が、アンリの包丁で細かくされた。いつの間にかアンリは皿を持っていて、空中で刻んだ果物の皮を全部皿で受け止めた。
「握れば良いじゃない。姉妹仲良く並んで料理。良いことよ」
カールが今度は包丁をアンリ目掛けて投げつけた。アンリが手首だけで投げたのと同じ投げ方。包丁がアンリの上、天井に刺さった。
「何かあった時、いつでもどこでも暮らせる能力と知恵は必要だわ。料理以外でも、包丁の扱い方というものもあるわよ」
カールがつかつかとアンリに近寄った。カールが跳ねて、天井の包丁を引き抜く。そんなに高くない天井だが、カールの跳躍力にラステルはびっくりした。あんなところ届かない。
カールがアンリの首に包丁の刃を向けた。アンリは素知らぬ顔。アンリらしからぬ行動にラステルはハラハラした。シュナはジッと二人を見つめて、止めない。
「そのような扱い方はありません!包丁をそんな風に使わないで下さい!人の口に入るものに触れるものです!食べ物も投げたりしてはなりません!」
真っ赤な顔で眉毛をハの字にしたハンナが叫んだ。スカートの裾をギュッと掴んでいる。
「そのくらい威勢が良ければシュナを嗜められるわね。手先が不器用そうだから誰かが止めないと大変なことになる。これ以上包帯が増えるとかね」
アンリがハンナの背中を強めに叩いた。そのあと優しく二回軽く叩いた。三回なのはティダの真似だろう。ハンナがポカンと口を開いてからシュナを見た。シュナは知らぬ存ぜぬという様子で、自分が割った卵から殻を除いている。シュナの指には、昨日自分で握る包丁が襲撃したので包帯が巻いてある。シュナはアンリが何をしたいのか分かっていて放置したようだ。
「ッチ!こんなことに私を使うな。女狐め」
アンリが面食らったようにカールに視線を投げた。カールはもう元の位置に戻っている。
「今のはやり過ぎだと思うわアンリ。ティダ師匠がうつったのかしら。まあシュナ、巣ごもりの目玉焼きにしようと思ったのに目を潰しちゃったのね。卵包みに変更かしら」
ラステルはシュナの手元の深皿を覗き込んだ。ほとんど白身と黄身が混ざっている。殻も全部は救出できていなさそう。
「そうね、やり過ぎたわごめんなさい。しかし女狐。久々に聞いたわその単語。私ってやっぱりそう思われるのね。今のは反面教師になさいフォン副長官」
アンリがラステル達から離れてカールの前で頭を下げた。それからフォンに敬礼してからカールの隣に並んだ。アンリは素知らぬ顔だが、カールはアンリを鬼のような目つきで睨んでいる。厨房の空気が一気に寒くなった。
「この悲惨な卵は私の朝食用にします」
シュナが深皿の中を憎らしそうに見つめた。よく通る綺麗な声なので場の空気が少し和んだ気がする。
「貸して下さいシュナ様」
ハンナが卵をフォークで軽く混ぜた。それから目が細かい網のような金属の籠に卵液を流した。その下のお皿に卵液が流れて、上の籠には殻が残っていた。
「まあ便利だわ。これはなんていうのハンナさん」
ラステルはしげしげと籠を見つめた。
「濾し器ですラステル様」
「ラステルでいいわ。そう呼ばれたいの。濾し器。お義姉様は持っているのかしら」
「後で色々な調理器具をハンナに聞いて、欲しいものがあれば教えてラステル。用意するわ」
シュナの提案にラステルは大きく頷いた。
「台所に乗り込む口実が出来るわ!女の戦場だから入るのが大変だって聞いたのよ。ハンナさん、よろしくお願いします」
返事をする前にシュナがハンナの袖をそっと引っ張った。
「アシタカ様のお腹と背中がくっついてしまいます。こんなことも出来ないと呆れられてしまうわ。正しい卵の割り方を教えて頂戴。先程のは内緒ですよ」
シュナが困ったように新しい卵を手に取ると、ハンナからようやく緊張感が消えた。
「はいシュナ様。ではまず平らな所に軽くぶつけます。ヒビが入るのであとはこのように」
ハンナの手つきをシュナが真剣な眼差しで観察した。今のうちにサラダを作ろう。ラステルは葉っぱの野菜に手を伸ばした。名前は確かレタス。蟲森には無い、瑞々しくてシャキシャキとした食感のレタスは美味しいので気に入っている。
シュナの指が卵を不格好に潰してまた殻入りになった。
「関節痛であまり動かなかったから、指先の感覚というのが分からないのだわ」
シュナが恨めしそうに自分の指をかざした。
「誰でも最初はこんなものです。料理は慣れですシュナ様」
「そうよシュナ。誰にでも第一歩というのがあるの。病気はもう治ったのだからそのせいにしてはいけないわ」
シュナが卵の殻を濾し器で除いた。
「分かっているわよ。私、自分は器用だと思っていたから貴方達が妬ましいだけ」
シュナが新しい卵に挑戦した。そしてまて失敗。また次も失敗。この調子だといつまで経っても朝食が準備出来なさそうだ。
「この調子だと皆の分は大変。冷める前に食べてもらいたいから忙しいわよシュナ。欲張らないで家族分にするべきね」
シュナは集中しているのか返事が無かった。
「ラステル様、何人分のオムレツを作れば良いでしょう?」
「オムレツ?卵包みのことね。家族分だとシュナとアシタカさん。カールさん、ゼロースさん。ハンナね。オルゴーさんは食べれないもの。五人分よ。大きなものを作って分ける方が良いかもしれないけど、それはそれでシュナには難題だわ」
ハンナが少し驚いたが理由が分からなかったので気にしないことにした。
「五人分。あの、ラステル様やアンリ様は?」
「私がサッと作るわ」
セリム、シッダルタ、ラステル、ティダ、アンリ、あとフォン?。パズーとマルクは騎士宿舎で朝食のはずだから六人分。ハンナがシュナに手取り足取り教えている間にラステルはサラダとタレを準備した。それから果物。オラジュの実もどき、それからポムの実もどきの皮も剥いた。外界の果物の正式名称が分からない。他の果物は見たことがなくて何だか分からないので手を出し辛い。
アンリがさり気なく横に立っていた。それから無言でラステルが手をつけていない果物を切ったり、皮を剥いてくれた。
「ありがとうアンリ」
「シュナはそんなに料理上手にならなくても良いのよ。アシタカの奴、本当は何でも出来るくせに楽をするのに爽やかに女を道具にしていた。そのくせシュナに手取り足取り教えるのは嬉々としてデレデレ。あいつ、ティダよりもタチが悪いかも」
アンリがラステルに小さな声で耳打ちした。呆れたような顔をした後にクスクスと笑い声を出した。ラステルがアンリの顔を見るとニコリと爽やかな笑顔になった。
「パズーがアシタカさんは卑怯者って言っていたわ。シュナとお似合いなの。シュナがアシタカさんと料理をした時に同じことを言っていたわ。アシタカ様は奉仕が好きそうだから有能になれても隠すの、だって」
ラステルとアンリは二人で一緒に肩を揺らした。
船の上でもシュナとアンリと一緒に料理をしたが、こんな雰囲気が訪れるなんて想像もしていなかった。これからドメキア王国に乗り込むというところだったから、あの時はもっと殺伐としていた。
「ラステル、ティダには話していないのだけど私この国に残るか悩んでいるの」
アンリがチラリとカールに視線を送った。気がついたカールが顔をしかめ、アンリがにこやかに手を振った。それからアンリはまた手元に目線を戻した。
「ティダに良く似てる。家族だけでは大変だと思うわ。それにこの国の騎士にも勝てない状態だといつかティダが一番嫌がる結果になる」
アンリの黒い瞳が轟々と燃えるように揺れている。アンリは時々全くの別人のように激しさを見せる。
「パズーがね、帰らないって。セリムも私もとても心配なの。見張りが必要よ」
シュナがアンリの名前を呼んだ。
「救世主なのに恩賞がまだだったパズー様にアシタカ様が飛行機を贈るそうです。どうです?私が二十五年も相手をしていてもあれが精一杯なの。助けて欲しいわ」
アンリが決意したというように胸を張った。
「その飛行機には誰が乗るのかしらね。そういう職権乱用大好きよ。私のこと計算していた訳?」
「二人もいっぺんに大親友が去ると寂しくてならないもの。セリム様は大恩人。でもティダはそこそこの恩人。むしろアンリを奪うのは胸がすくわ」
アンリが愉快だと言うように大きな声で笑った。
「カール!貴方はルイ国王戴冠に伴い本日正午をもって騎士を解雇。ペジテ大工房へのケジメです」
シュナがカールの前に移動した。手に卵の入った深皿。この状況で重要な話をしだすなんて思わなかった。カールは特に気にする訳でもなく涼しい顔をしている。
「騎士などシュナの手足となるための手段。問題ありません」
シュナが妖しい笑みを浮かべた。カールが少したじろいだ。
「私の護衛でしたら足りているので雇いませんよ。侍女も見つけましたしね」
カールが大きく目を見開いた。それから口角を上げてシュナを見下ろした。
「逃がしたいならその手で絞め殺せ」
「まさか!姉上とは死ぬまで離れません」
シュナがカールに親愛の眼差しを向けた。目が潤んでいる。カールが動揺を見せた。シュナがアンリに目配せした。今度はアンリがカールの前に立った。シュナの隣。
「アシタカ様は大陸和平という苦難に飛び出すにあたり新たな職を作ります。仮称は名誉護衛人。主な予定職務は各国要人の警護と異文化交流。自国では足りない知識、戦闘能力の向上。その他もろもろ。この職、私が立ち上げるの。ドメキア王国騎士からも選出したいという案が出ています。候補としては転落したアシタカ様の命を助けた方。アシタカ様の伴侶の姉ですね。しかし国を侵害した方。でも処刑するとアシタカ様の伴侶まで失われ、おまけに蛇一族と決裂してしまいます。妥協点が必要です」
ラステルはポカンと口を開いた。アンリとシュナがカールを脅迫している。難しいことは分からないが多分そういうことだ。転落したアシタカ様、そんな話は聞いていない。嘘の匂いがする。
「アンリ長官および大技師ティダ様の盟友ヴィトニル様の監視下でしたらある程度の自由を与える。軍法会議に備えての提案です。アンリ長官はかねてより密入国と非人道的人体実験について調べていました。この件を明るみにしてカール殿の盾にするでしょう。我が国への侵害は許されることではありません。しかし互いに譲歩。カール殿の過去の実績、アンリ長官の過去の実績を踏まえるとそれなりに手打ちになる筈です」
突然フォンがアンリに敬礼した。パズーとマルクはひたすら驚いている。ラステルと同じ気持ちだろう。
「あらカール、仕事先がもう見つかりそうよ。役職はきっとアンリの下。名誉護衛人としてアシタカ様など要人の警護に当たるのでしょう。多分、私ではありません。検診も必要なので定期的にペジテ大工房を訪れられるのは良いことだわ。この件、既にヤン長官の推薦状付きで議論されているそうです。情状酌量の材料はカール、貴方への非人道的な実験への賠償。あれがなければ貴方は独断を行わなかった、ということです。私やアシタカ様ではなくこのフォン様の提案です」
難しい話が始まると逃げたくなる。ラステルは必死に頭の中で考えた。つまり、どういうこと?
「このフォン。アンリ長官の右腕になろうと考えました!」
鼻高々というようにフォンが胸を張った。敬礼は続けている。フォンが一瞬シュナを見てだらしがない顔になった。すぐキリッとしたが分かりやすい。フォンはシュナに頼まれたのだろう。
「あら、ヤン長官よりも私を選んでくれるの」
アンリがフォンに敬礼を返した。フォンのシュナへの表情は咎めなかった。
「大自然付きならば当然そうなります!カール殿を処刑するよりも騎士とのパイプにする方が有意義です。処刑となると暴動が起きるかもしれません。例の件で亡くなった護衛人の遺族には申し訳ないがその辺りは本人からしかと謝罪と誠意を見せていただけるでしょう。突然我ら護衛人が乗り込んでも反発の元ですが、カール殿が間に入れば接着剤となります」
「アンリ、フォン様、カールは騎士団に出向という形かもしれません。ゼロース兄上も相談を受けているらしいのです。この件、ヤン長官からあちこちに手配が回っています。カール、私は乗っかっただけよ」
シュナがハンナの隣に戻ってきた。
「ヤン長官、世話係にされる私を除け者って訳。自分から言い出すって見抜かれているのね」
アンリもラステルの隣に戻ってきた。
「きっと信頼でしょうアンリ」
シュナがアンリに微笑みかけた。
「いや、ヤン長官からの嫌がらせです。アンリ長官にフラれた腹いせですね。飲んで管を巻いてました」
フォンがしれっと告げた。アンリが振り返ってフォンを見つめた。それから眉間に皺を寄せた。
「まさか!そんなこと……あー、映画がどうとか言っていたわね。まあいいわ。このくらいなら可愛い嫌がらせで済むもの。仕事を餌にティダと私を離れ離れにすれば入り込む隙があるとでも思ったのかしら。その考え自体が全く好みじゃないわ。上司に是非、興味無いと伝えて頂戴。フォン副長官、貴方は優秀だけど仕事にこういう話を持ち出すところが玉に瑕です」
アンリに睨まれてフォンが「やらかした」というように苦笑いした。パズーとマルクが顔を見合わせてニヤニヤ笑いをしたのでアンリに睨まれた。特にパズー。
「噂するんじゃないわよ貴方達。特にパズー君。貴方は騎士ではなくこちら側の可能性が高いわ。つまり、どういうことか分かるわね?」
パズーが引きつった顔になった。ラステルはアンリに向かってブンブンと顔を縦に振った。アンリに見張ってもらいつつ、育ててもらう。セリムは大賛成だろう。
「アンリ長官、軽口を失礼しました。アシタカ様は勝手過ぎるので進言できる者に監視させろとハンネル裁判長や長老会から議会に苦言がありまして。ヤン長官は間に挟まれて大変なのです」
フォンが謝罪するとアンリは「いつも私が監視役なのよね」と呟いて体の向きを戻した。シュナがフライパンを手にしてアンリに笑いかけた。それからカールにも笑いかけた。
「そういう話が進んでいるのよカール。アンリと仲良くしてね。休日は姉妹仲良く、そして友人や侍女とも仲良く。皆で街へ散策などしたいですね。異国の地を観光するのも大歓迎です。ねえ、ラステル」
ラステルが賛同しようとするとカールがシュナの隣に移動してきた。雰囲気が怖い。怖過ぎる。
「謀ったのですね。私はシュナの為にしか働きません。仲良く?シュナとのみで結構」
「私の夫を守ると私は世界で一番幸福かつ名誉を賜ります。断るの?私は貴方を雇いませんからね。この譲歩でないとカールと離れて暮らさないとならないかもしれません。ペジテ大工房が貴方に友好的なうちに手を組んだ方が良いです。あとアシタカ様と二人きりになる時間が欲しいので姉上も世界を広げてください」
シュナがツンとカールから顔を背けた。
「あー、あのー。俺はゼロースさんの下で……」
「王国騎士になりたいのでしたらまずは試験を突破して下さいませパズー様。次は出世。私の護衛親衛隊への入隊希望は殺到しております。騎士としてかなりの実績や実力が無いと難しいです。ゼロースはその辺り手厳しいわよ。私、王国騎士への権限は元々ありません。それにこの国は激変する予定ですので、カールの件一つ取っても何があるか分かりません」
パズーがうな垂れた。騎士になれると嬉しそうにしていたが、世の中そこまで上手くいかないらしい。
「我が国でも名誉護衛人の希望者は大勢となるでしょう。今のうちに密約交わしておく方が得策ですよパズー君。今なら貴方には多くのツテがある。この国で貴方は何もしていないも同然ですが、ペジテ大工房では恩人、救世主。利用出来るのがどちらの国か分かるわね?」
パズーが「あー」と目を彷徨わせた。ラステルはパズーが「怖そうだからアンリ長官からは離れておこう」と言っていたのを思い出した。
「俺と一緒に頑張ろうパズー。マルクも希望があればヤン長官やアンリ長官に推薦しよう。マルクは新人騎士の中でもかなりの出世候補と聞いたからこちら側に欲しいですアンリ長官」
ラステルはしげしげとフォンを眺めた。出世候補はフォンだと聞いている。シュナと年が同じか一つ上かそんな程度で護衛人長官候補らしい。最年少記録を塗り替えそうとか、無理そうとか誰かに聞いた。
「ではフォン副長官、ヤン長官に報告をお願いします。アンリ・スペスは暫くの間はこの国で新たな職を一から築き、その地位をしかと確立するように励みます。セリムさん、シッダルタさん、ラステルの護衛には私の班から誰か一人か二人選出するとも伝えて。それであとはヤン長官が手配するでしょう」
フォンは「はい!」と返事をしたが動かない。アンリが「私の班から誰か」と言うのでラステルは勢いよく手を挙げた。
「アンリ、ダンさんはどう?」
崖の国に一時帰国した際にアンリと共に飛行機を操縦してくれたダンは帰国をかなり嫌がってくれた。
「公私混同ねラステル。では、本人が希望した場合優先しましょう。運と人脈も実力のうちだもの。フォン副長官、貴方は私の下で良いの?」
アンリがニヤリと口角を上げた。
「ラステル妃様。セリム様に口添えをお願いしたいです」
フォンが熱い眼差しをラステルに投げた。フォンは崖の国に来たかったのか。知らなかった。
「セリムさんに有能な人材ばかり奪われるわね」
アンリがため息を吐いた。
「まあフォン様。アシタカ様が秘書に考えているそうですよ」
フォンがバッとシュナに顔を向けた。敬礼は続けている。
「シュナ様、カール様、このマルクはその名誉護衛人という役職に就くのならばセリム様達の護衛になりたいです。ティダ皇子に直接指南して貰います」
パズーが驚いたようにマルクの顔を見た。
「嘘だろ?いきなりティダ⁈お別れだマルク。俺は絶対にまだ帰らない。セリムにティダ、ウールヴ、蹴り上げる奴が増えたところに帰るか!」
「シュナ様、このフォンはアシタカ様の秘書を熱望します。上司に任せますが是非口添えをお願いします。苦言も呈せますし、軽口で和ませることも出来ます」
「あー、俺もアシタカに頼もうかな……。大狼とも蛇一族と話せるから重宝される」
フォンがパズーを睨んだ。パズーが負けじと胸を張ったが、パズーの顔は青い。
ハンナが茫然としている。ラステルはハンナの隣に移動した。
「皆、言いたい放題よ。誰でも、自由に、がペジテ流らしいの。言わないと置いてきぼりか損をするかもしれないわ」
ラステルはハンナに小声で告げた。それからハンナの背中を軽く押した。
「厨房は会議室ではないわ!それにシュナは今日、休暇というものなのよ。朝食の後は一緒に刺繍をするの。あと馬に乗る練習にお姉様やお兄様とお茶会。その為の準備もあるの。忙しいのだから仕事は明日にして!働き過ぎ死してしまうわ!」
ラステルは腰に手を当てて全員を見渡した。フォンが軽く会釈して素早く厨房から去った。アシタカに直訴しに行ったのかもしれない。
「シュナ様、旦那様が朝食を待っておられるでしょう?続きを教えてもよろしいでしょうか」
ハンナが恐る恐るといった様子でシュナに問いかけた。
「まあ大変。休むというのは大変だわ。よろしくハンナ」
シュナがフライパンを顔の前で揺らした。シュナの可愛らしくて楽しそうな笑顔にハンナがつられるように笑った。
「シュナ。好きにして下さい。離れずに貴方の身を守れる立場なら何でも良いです」
カールが頭を掻いて大きなため息を吐いた。それからアンリにしたり顔を向けた。
「軟弱な貴方なんかに護衛なぞ務まるか。生き様ですぐに足元に置いてやる」
「お生憎様。私、ゼロースさんとヴィトニルさんに指南を受けるのであっという間に貴方を超えるわ。それに剣技では劣ったけど、弓、射撃では私が優れていたじゃない」
「剣技と体術では劣っていた、だろう。見栄っ張りの子狐め」
アンリがツンとそっぽを向いた。人懐こいアンリにしては珍しい態度。カールも顔を背けた。昨日、ティダが「自称自分の部下」の実力を確認したらしいが、アンリとカールが一番激しく争ったという。しかもアンリは勝手に参戦したと聞いている。
パズーから聞いたところによるとティダの次はゼロース、続いてオルゴー。その下がカール。その後は確かビアー、ベルなんとか。その後ろにアンリ。五十人以上いるのにアンリは上から数えた方が早い。アンリがそんなに強いとは知らなかった。全然そんな風には見えない。パズーが「信じられない」と怯えていた。
「うへー、血塗れの戦乙女に赤い鷹と過ごすなんて……絶対にアシタカに頼もう」
パズーが呻いた。アンリは白真珠とは別に「赤い鷹」とも呼ばれているとか。狙撃の名手だとフォンがセリムに自慢していた。正確にはフォンがアンリに続いて国内の大会とやらで二位だと自慢していた。
ラステルはパズーを睨んだ。立派な男になってテトを迎えに行くと言っていたのに、立派になれそうな所から逃げるなんて許せない。セリムとアシタカにパズーがアンリに鍛えて貰えるように頼もう。
「まあシュナ様!だからそんなに火に近づけると丸焦げです!」
ハンナが大きめの声を出すと、シュナがビックリしたのかフライパンを勢いよく持ち上げた。フライパンから天井の方に飛び出した焦げた卵包みがシュナの頭の上に落ちてくる。
シュナの頭と卵包みの間に月狼の尾が入っていた。アンリが身を乗り出して布を持った手でフライパンを抑えていた。カールもアンリ同様フライパンを義手で抑えていた。そうしないと顔にフライパンが当たるような角度になっている。
「シュナ!料理など危険な行為は禁止します!」
「伝熱して危ないわカール!」
カールがシュナを叱り、アンリがカールに向かって叫んでフライパンを掴む義手を手で払った。アンリはそのまま月狼の尾から卵包みを皿に移動させた。月狼は欠伸をしてからラステルの脇に移動してきた。
「とても素晴らしい働きだったわスコール君」
ラステルが褒めても月狼は興味ないというように座ってしまった。そして目を瞑った。
「世の女性がしていることくらい出来るわカール。私だけでなくカールの心配までありがとうアンリ。スコールさん、ありがとうございます。助かりました。熱くないようで良かったです」
アンリとカール、スコールに礼を言うと、シュナは恨めしそうにフライパンを睨んだ。
「フライパンのせいではありませんシュナ様。このように危険ですので指示をきちんと聞いて下さい。出来るという自信は持たないように、勝手をしないようにお願いします」
ハンナがシュナからフライパンを取り上げた。シュナが萎れた。ラステルが手を出す前にアンリが焦げた卵包みから月狼の毛を取り除き始めた。
「焦げを落として続きです。そこそこ急がないと冷めてしまいます。頑張りましょうシュナ様。あちらのものはご自分で召し上がってもらいます」
シュナの顔が明るくなった。カールの顔が引きつった。
「無礼な侍女め!首を刎ねっ……⁉︎」
アンリがカールの口にトマトを突っ込んだ。
「姉上は心配症なのハンナ。口癖なので気にしないで。私を大事にする侍女に手は出せないわ。私が選んだのに逃げられたら恥よカール」
「味見をありがとう、カール。妹が大事なら、その大事な者まで守らないと。咄嗟にフライパンを掴もうとする娘はシュナを大切にすると思うわ」
トマトを嚙み潰したカールがアンリの一言でハンナを観察するように眺めた。ハンナはカールの迫力のせいで真っ青だ。
「口が滑りましたシュナ。国境線の天使。シュナが選んだのでしたら貧乏貴族の点数稼ぎでは無いのでしょう?その卵は私が食べます」
何の話だろう。
「ダメよ。姉上に失敗作だなんて。一番上手に出来たものがハンナで、その次が姉上よ。さあハンナ。今度は貴方の言いつけを守るわ」
カールは大きくため息を吐いて扉脇まで移動した。不機嫌そうに厨房にいる料理人を一人ずつ睨み始めた。
「誰ももう毒なんて入れないわよカール。ラステル、そろそろアシタカやセリムさん達を呼んでおくわね。残りはよろしく」
アンリが厨房から出ていった。いつの間にか残りの果物が切り終わっていた。シュナはハンナに教わりながら悪戦苦闘しつつも卵を包み焼きにしている。次のは焦げが少なそうだ。
「スコール君。今日もお魚を食べるかしら?」
月狼の尾がラステルの腰を撫でた。食べると言うことだろう。用意はしてあるので魚を焼き始めた。果物はアンリが粗方準備してくれたし、サラダも大丈夫。ラステルは予定通り巣ごもりの目玉焼き。大きいフライパンがあるので一気に焼けた。
朝食が完成し、食堂に移動した。自分の分が無いと文句を言うパズーをマルクが「騎士食堂へ行こう」と引きずっていった。
食堂にはもうセリム達が座っていた。セリムを挟んで左右に座るアシタカとティダが身を乗り出して笑顔で嫌味を言い合っている。アシタカのの隣の隣の席でシッダルタがセリムに気の毒そうな顔を向けていて、セリムは目を閉じてアシタカとティダを拒否するという顔をしていた。
ティダの隣で呆れたような表情をしていたアンリが立ち上がって、シュナが押す台から皿を持って配りはじめた。ラステルとシュナもすぐに料理を机に運んだ。ハンナも手伝おうとしたが、シュナが手を引いて席に連れて行った。シッダルタの前。
「いい加減にしなさいティダ、アシタカ。セリムさんが可哀想よ」
「アンリさん。僕は今、忍耐の修業中なので大丈夫です。無心の練習」
セリムの言葉でティダとアシタカの顔が引きつった。セリムは澄ました顔をしている。
シュナが今度はカールを席に案内した。カールはアシタカの向かい側。オルゴーがシュナに連れられてカールの隣の席に座った。食事の代わりなのか、シュナが暖炉上のガラスで作られている鳥の形の置物をオルゴーの前に置いた。
「ハンナとカールの間は私よ。ラステルはシッダルタ様のお隣ね。ゼロース兄上を呼んで……」
月狼とゼロースが入り口に立っていた。
「スコール様はいつも気配り上手ですね。ゼロース兄上、夜勤ご苦労様でした。自宅に帰宅する前にシュナの料理をお召し上がり下さい」
「シュナ、俺は落ち着くまで帰らない。昨日も今日も手料理とはなんという幸福だ」
「では家が建つまで、城にマリアンヌ達も呼ばねばなりませんね。家族仲良くが私の目標です」
シュナが楽しいというような満面の笑顔でゼロースをオルゴーの隣に案内した。ラステルは月狼の焼き魚が乗った皿をセリムの後ろに置いてから自分の席に腰を下ろした。
「アシタカ様、セリム様、ティダ皇子、おはようございます。恵みに感謝していただきましょう」
シュナが華麗に会釈してから着席した。
「良かったなアシタカ。妻の手料理なら黒コゲもスパイスだろう」
アンリがサッと立ち上がってティダの皿を持って移動した。シュナの皿とティダの皿を交換してから着席した。
「アンリ?これはどういうことだ?」
ティダがアシタカの卵包み以上に焦げた目の前の料理を爽やかな笑顔で指差した。一番焦げて、そして下手すると月狼の毛がまだついている卵包み。
「貴方の愛娘が不慣れながらに懸命に作ったの。頭に火傷を負うところだったのを貴方の部下が尻尾で守ったのよ。食べたいでしょう?」
アンリが素知らぬ顔で巣ごもりの目玉焼きを半分にした。それからティダの丸焦げ卵包みも半分にして、自分の目玉焼きの半分と交換した。
「それなら僕がいただこう」
アシタカが立つ前にティダが卵包みを口に放り込んだ。
「ッチ。んだよシュナ。どれだけ不器用なんだお前は。切り傷の次は火傷。先が思いやられるな。気をつけろよ」
ティダは卵包みを二口でペロリ。アンリが持っていった分もサッと口に入れた。ティダが口から月狼の毛を指で出した。アンリがティダに飲み物を注いで労う。パンも渡していた。
「自分で食べると言ったのに」
シュナが申し訳さそうにティダを見つめた。ティダはシュナを無視してアンリにちょっかいを出している。
「次の失敗作は僕が食べよう。食材を無駄にするのは良くないが躊躇う必要はない。慣れるには経験が必要だ。初めての料理、五人分も大変だっただろう」
アシタカがシュナの皿と自分の皿を交換した。焦げた卵包みがアシタカの前に移動する。それをカールが更に交換した。アシタカの卵包みがこれでハンナと同じく美味しそうな焼き加減のものになった。
「まあ姉上……」
カールは無言で料理を食べていく。アシタカからの御礼の言葉も無視した。アシタカは特に気にしていないようにシュナに話しかけた。シュナがいかに料理が大変なのかと、やり甲斐があるかと、それからハンナの良いところの話をしていく。
ラステルはシッダルタにハンナを紹介し、厨房が如何に危険か話した。それからシュナが頑張り屋だが不器用で、ハンナが教え上手なことも教えた。
セリムがオルゴーを質問責めにしてティダとゼロースに叱られた。
ラステルが大家族になったみたいで楽しいとシッダルタに耳打ちすると、シッダルタが「この面子で楽しめる君は変だな」と苦笑いした。
そうだろうか?
ラステルには皆も、シッダルタも楽しそうに見える。カールは一人だけつまらなそう。というより興味が無さそう。
「まあ俺も変だけどな。昨日に今日、こんな朝食は今までなかった」
シッダルタが嬉しそうに笑った。セリムが少し身を乗り出した。
「崖の国でも毎日だシッダルタ。きっと楽しいよ」
シュナがシッダルタにウインクした。
「明日と明後日もシュナにお任せください」
シッダルタが真っ赤になって俯むいた。アシタカは嫌そうな顔をしないで穏やかに微笑むだけだった。昨日までは不機嫌になっていたのに。
「用事があるので今日の夜、崖の国へ発つ。今日もだけど明日も妻をよろしくお願いしますラステルさん。シッダルタも拙いが真心こもったシュナの料理を食べて欲しい」
シュナが嬉しそうにはにかんだ。シッダルタがシュナの幸せそうな表情に釘付けになった。それからアシタカに尊敬の眼差しを向け「むしろ光栄です」と会釈した。
セリムが何故かアシタカをジッと見つめている。
今夜帰国する。
もうすぐシュナと離れ離れだと突きつけられて急に寂しくなった。
「名残惜しいので別々の生活が始まるまではうんと共に過ごしてねラステル。それまではアシタカ様よりもラステルが優先よ」
「私もセリムよりもシュナと過ごすわ」
セリムはいつものように拗ねたりしなかった。むしろ「是非妻を頼みます」とシュナへ笑顔を投げてくれた。
ラステルはセリムに後でうんと感謝しようと心の中で決意した。それから義理の家族にセリムがいかにラステルを大事にしてくれるかを話す。父ヴァルに会えた時もだ。
毎日こんな風に楽しく朝ご飯が食べれたら幸せだ。誰もが手に入れたい幸せを、ラステルも作る手伝いをしたいのでうんとセリムを支えよう。セリムがアシタカやシュナを助ける時があるはずだ。ラステルも当然手助けする。
ラステルは伝わるようにセリムに笑顔を向けた。以心伝心なのかセリムもにこやかに応えてくれた。




