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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
六章 途絶神話の再生露呈

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帰国前の交流1

 山積みになった本を(なが)めながら、セリムは大きく伸びた。


「お腹減ったなシッダルタ」


 シッダルタが「ん?」と顔を上げた。それから大きく欠伸(あくび)した。


「俺は眠いの方が強いよ。セリムはタフだな。ソファで軽く寝ただけなのに元気そうだ」


「もうすぐ帰国するから無理してでも色々と読んでみたくて」


 セリムは立ち上がって軽く体をほぐした。座りっぱなしで体が固まっている。


「それは俺も同じだ。世の中にはこんなにも本があるんだな。歴史や知識の積み重ねとは(すご)いな」


 シッダルタがキラキラした楽しそうな瞳で本棚を見渡した。


「僕はいつも一日が倍の時間あれば良いのにと思っていた。仕事をして調べ物をして、全然足りない。でも、二人だと倍だな」


 セリムが屈伸するとシッダルタも立ち上がった。


「そうだな、倍になる。それにしてもやっと落ち着いたように見えるよ。いつ様子が変わるか気がかりだったがもう大丈夫そうだな。俺は君のことをもっと深く知らないと手助けしてやれないと感じた。まあ、話すようになってそんなに経ってないからな。参考になりそうな法律書と歴史書を借りれるかシュナ姫に相談しよう」


 セリムが手招きするとシッダルタが拳を突き出してきた。共に調べ、考えるだけでなく鍛錬(たんれん)の相手にもなるとはシッダルタはやはり風の神からの贈り物だ。ティダも、アシタカも、シュナも、とても偉大な三人がセリム達の理想を()めてくれた。


 一方で気がはやり過ぎ。もっと肩の力を抜け、そう言ってくれた。皆が手伝ってくれる。


「怒りに飲まれていきなり高い所を目指して大恥かいた。子らに悪影響と言われ、子蟲にはバリム。嘘つきバリム。真心には真心しか返ってこない。そんなこと教えたことないのにどういうことなんだろう。真心込めても返ってこない時は返ってこない。これだけ大蜂蟲(アピス)(つな)がる僕でさえ理解出来ないのに、他の人に価値観を押し付けようとしたのが間違いだった。蟲のではない、僕個人の考えを押し付けた」


 シッダルタが回し蹴りしてきた。ティダの蹴り方に似ている。セリムも形を真似した。


「そうか?押し付けで変わることもある。アシタカ様はその最たる見本じゃないか。今回はいきなり問題が起きて、ぐちゃぐちゃになった。結局アシタカ様がおさめてくれた。あの方は偉大だ。何もかもを背負っていこうとしている。頼まれたようにホルフル蟲森から始めよう。あとオルゴー国の定義、目的、それを行う方法。蟲と人との法律の下地。具体的に指示されて道が開けたな」


 今度はセリムがティダの(かかと)落としを真似した。体をほぐす軽い運動なのでシッダルタは楽々と()けた。それからまた真似してきた。


「僕は昔から直動的だと注意されてきた。まだ治っていない。ティダに意思疎通の輪への触れ方も教わるんだ。僕は未熟過ぎて蟲でも見たくないところ、忘れようと無視しているところまでいくらしい。自由自在になれば憎悪の本能の所は無視して、古い記憶を掘り起こせると言われた。彼らが捨て去った願いを見つけられる。どうやって折り合いをつけてきたかも分かる」


 気配がしたのでセリムは体を止めた。シッダルタもセリムを見て止まった。(うるさ)くしていたのでソファからラステルが起きてきている。ラステルが目をこすりながらセリムの隣まで移動してきた。


「おはようございます。セリム様、シッダルタ様、朝から元気ですね。ふふっ、ラステルはボサボサ。治しましょうか」


 開け放たれた扉の前に現れたのはシュナだった。それからカール。そしてパストュムのオルゴー。オルゴーは昨日はしてなかった黒い眼帯をつけていて右目が隠れている。


 セリムが青い目のパストュムを最初に見たのは顔に(あざ)と傷を作ったティダが小脇にパストュムを抱えて「カールの恩人らしい。シュナがペットに欲しいと言うのでとりあえず捕まえた」と言った時。次は二日後、シュナがカールの恩人様と紹介しにきた。そして今日。


「お願いシュナ。この部屋、鏡がないの」


 ラステルが脱兎のごとくシュナの前に駆けていった。シュナの前にしゃがんだラステルはまるで子供のようだ。ラステルがパストュムを怖がる様子はない。


 三日前、ティダの腕の中でパストュムは大人しかった。グルド帝国兵と共に飛行機に乗っていた赤い三つ目のパストュムとは違い、大空色の二つ目。パストュム、どんな一族なのだろう。ティダがグルド帝国が奴隷にしてるのではないかと推測している。目の色が違うのは個体差だとセリムは思っている。ラステルを(さら)おうとしたパストュムは別個体だと感じる。ラステルも、だから怖がらないのだろう。オルゴーは柔らかい雰囲気の生物だ。


「おはようございますシュナ姫。シッダルタ様はやめて下さい」


 シッダルタが照れたようにしながらシュナへ近寄っていく。シュナがラステルの髪を手櫛(てぐし)で整えながら微笑んだ。ラステルはとても嬉しそうにしている。それにしても最近のラステルはかなり幼く見える。どうしたのだろう。


「何度も申しておりますが、シュナと呼んでくださいましたらやめますよ。もう姫は辞めましたもの。セリム様もですよ。親しみ込めてシュナと呼んで欲しいのです」


 そう言われてもシュナは蛇一族にこの国唯一の良心と認められた聖女「蛇の女王」


 おとぎ話に因んで「星姫様」や「流れ星愛するお姫様」とも呼ばれ始めている。ドメキア王国の姫を辞めたが、結局蟲の民及び蛇一族を含めたアシタバ半島全体の「姫」と認識されている。


 シュナは信仰復活を蛇一族と誓い、その中心になるという。夫のアシタカは大陸和平を目指す。アシタカは文明築くあらゆる生物を対象にすると宣言し、蟲一族にも蛇一族にも認められた。二人揃って、セリムが目指したい世界の先頭に立つ。


 二人の隣には蟲の王(レークス)大蛇蟲の王(バジリスコス)小蛇蟲の王(ココトリス)、そしてルイ国王にティダ、ペジテ大工房の後ろ盾。アシタカが兄ユパに預けたボブル国への親書が受け入れられれば、ボブル国もアシタカ側。ボブル国が賛同すればエルバ連合は右に倣うだろう。既に早々たる顔触れ。


 アシタカもシュナも気軽に名前を呼んで良いとは思えない。目上の人にとても失礼だ。しかし頼まれれると無下にも出来ない。


「シュナが様付けを止めれば呼んでくれるわ」


「あら、(わたくし)は道しるべになったセリム様とシッダルタ様を敬愛しております。他の者にお二人が(わたくし)の特別な方だと見せつけたいのです」


 シュナが今度はセリムに微笑みかけた。愛くるしい笑顔にはどうも「いいえ」と言いにくい。道しるべになったとは大袈裟なのに、何とも(あらが)い難い。


 シュナがラステルから離れてパストュムの横に移動した。


「オルゴー様、やはりティダでも語れません。しかし少し意思疎通が出来るようなのです。将棋はメキメキ上達中。聡明(そうめい)なのですが、人の言葉や文字は苦手なようです。しかし、いつかパストュム一族のお話を聞けるでしょう」


 シュナがオルゴーの腕をそっと撫でて親しみこもった笑顔を向けた。セリムはラステルとシッダルタと並んだ。


「オルゴーさん、僕も君と将棋を指したい」


 セリムは意気揚々と右手を差し出した。パストュムは動かなかった。シュナの後ろに引っ込んでしまった。


「オルゴー様、恥ずかしがり屋のようなのです。オルゴー様、セリム様は(わたくし)の師匠です。きっと仲良くなれますわ」


 さあ、とシュナがオルゴーの隣に並んでセリムを(てのひら)で示した。


「隣の女性はラステル。男性はシッダルタ様です。何度でも紹介しますね」


 オルゴーは頭部を縦に揺らし、横に揺らし、それからまたシュナの後ろに移動した。シュナの言葉が伝わっているのか判断しかねる。


「セリム、シッダルタ、ラステル」


 シュナがオルゴーの手を取り、セリム達を一人一人掌で示した。その時セリムの腹が鳴った。恥かしくてセリムは(うつむ)いた。


「あらセリム。大きな音ね」


 ラステルが笑うと何故かオルゴーが前に出てきた。オルゴーはセリム、ラステル、シッダルタの頭に順番に手を乗せて、それからシュナの頭の上にも手を乗せた。カールだけは何故か三つ指を握った拳で胸を軽く叩かれた。パストュムの三つの指がどういう構造なのか気になるが、失礼なので見るだけにしておいた。


「敬称をつけるとややこしいのかしら。それにこれがパストュムのご挨拶(あいさつ)でしょうか。少しづつお互いの事を覚えていきましょうねオルゴー様。ラステル、(わたくし)、今日もアシタカ様やカール、それに皆様の為に料理をしたいの。また教えてくれる?残念ながらオルゴー様はお食事要らないようなの」


 頼まれたラステルが満面の笑みでシュナと腕を組んだ。


「もちろんよ!アンリも呼びましょう!急がないとセリムのお腹が鳴ってしまうわ。待っててねセリム」


「セリム様、シッダルタ様、支度出来ましたらお呼びしますね」


 シュナがセリムにくすくす笑いを投げた。それからクルリと体を回して去っていった。シッダルタがボーッとしている。


「シッダルタ、しっかりしろ。その顔をアシタカに見られると恐ろしい。いや、昨日からいきなり様子が変わったから大丈夫か?」


「へ?ああ、いや。あまりにも美しいのでつい……。胞子病とは恐ろしいな。あのような絶世の美女が悲惨なことに……。長年辛かっただろう……」


 セリムもそれは同感だった。


「そうだな。あの毒消しをペジテ大工房が分析すると言っていた。入手先は隠匿して、らしい。新しい薬が出来れば大勢の者が救われる。シュナ姫……シュナさんが言っていた。あの姿は便利だった。阿呆の振りして情報を入手し人となりも見定めるのにはもってこい。強い女性だ」


「パズーから、パズーはゼロースさんから聞いたらしいんだが、長年演技してたのは生き延びる為だけではない。見た目悪くて人前に出たくないが国は変えたい。自分は表に出なくて済むように裏から手を回し続けていたらしい。暗殺され続けてよく、あのような方に育った……」


 苦しみながらも許しを選ぶ。セリムが目指す人柄の筆頭は今やシュナだ。あれ程与える側に立てる者、会った事がない。シュナはオルゴーの事を姉の恩人、ただそれだけで受け入れた。既にオルゴーがシュナに心開いている様子なのは今の丁重で優しい扱い故だろう。


 ラステルをすんなり受け入れるどころか、ラステルが好きなので蟲ももう好きだと言う。アピとも遊んでくれている。ペジテ大工房や船の上ではアピに嫌悪(けんお)を向けていたのに、蟲の本質を知ってあっという間に受け入れた。船で蟲を庇った、そうも聞いている。


「俺は中々不幸な人生だと思っていたがそんなことはなかった。話したっけ?十八の時雇用主が変わった。とても良い方で学を与え、人として扱ってくれた。だから張り切って働いた。皆の為になろうと動けた。今思えばティダの手回しだろう。恩には恩と言うが、しかしシュナ様は違うな。アシタカ様やティダやセリムもそう。先に与える方だ……。そうだ、セリムそれを盛り込もう」


 シッダルタがセリムに向き合った。何を言い出したのだろう。


「先に与えよ?当たり前のことだ」


「違うセリム。そこからだ。君にとっての当たり前だ!それが出来ない。難しいんだ。船に乗った時の俺やベルセルグ皇国兵の態度。疑心に不信感。ティダに助けてもらってもまだそれだ。当たり前のことと、その結果何が起こったかは絶対に残そう。まず崖の国を拠点にするのはやはり正解だ。セリムが育った国。俺が祖国にはないものを掘り起こす」


 セリムは首を(かし)げた。


「それならこの国だってシュナさんを育てた。ペジテ大工房なんてアシタカだ。ティダだって……」


 シッダルタがセリムの両腕を掴んだ。


「その三人がセリム、君を尊敬している。君のおかげだとこぞって言う。だから崖の国も相応しい。セリムはもっと自己評価を上げた方が良い。まあ君の良い所だと思うけどな。アシタカ様やティダみたいに遠い存在じゃなくて身近に感じる。君が言うと自分にも出来る気がしてくる。一番難しい事を言い出すのにな!」


 あはは、とシッダルタがセリムの肩を叩いた。


「そうだ。三人とも僕を()めてくれる。(はげ)んでいるから当然だ。しかし横並びになろうとすると置いていかれるんだ。アシタカなんて、僕に背中を押してもらいに崖の国にきたのに、人類の至宝になるって言い出した。もう前に進んでる。僕は人を鼓舞するのが上手いようだが、どれだけ素晴らしい人になるかはその人の素質とか今までの努力の結果だよ。自分は置いてかれる」


 嬉しいが悔しい。悔しくてならない。


「大技師教義も教えてもらおう。正しい教わり方をすれば俺もセリムもどんどん変わる。シュナ様からも母親のことを聞きたいな」


 セリムはシッダルタの背中を押して机へと向かった。書き留めないと話だけ進んで残せない。議論方法と(まと)め方もアシタカに教わった。


「よしシッダルタ。真心には真心、恩には恩、先に与える。次のテーマはこれだ。参考になるのは大技師教義、シュナさんを育てた教え」


 セリムは紙に羽根ペンを走らせて「当たり前の確認」と記入した。


「あとセリムの家族の教育方針もな」


「大狼もだ」


 セリムが書こうとすると止められた。


「ごちゃ混ぜにするなセリム。人としての当たり前の確認だ。大狼は根本も違うだろうから分けよう」


「なら蟲一族と蛇一族とパストュムも別か?」


「色んな国の人の当たり前を確認して、他の種族はどういう思考なのか教えてもらおう。違いが浮き彫りになれば譲歩が見える」


 シッダルタがメモをジッと見つめた。


「どうした?」


「他の一族は統率取れていて、俺達人が出来ない当たり前をきちんと行えている。そりゃあ下等生物と言われるな、と」


蟲の王(レークス)が人は個々が違い過ぎるからとんでもない発想が出てくるって言っていたよ。それが僕達の良い所だって。そして激変する生物だって。誇らしいじゃないか」

 

 シッダルタが目を丸めてから破顔した。


「君の体を借りた蟲の王(レークス)にも似たような事を言われた。テルムは火炙(ひあぶ)りか……俺は同じことが起きるなら君と燃えよう。裏切らないというのはそういうことだ……」


 突然暗い顔になったシッダルタにセリムは驚いた。シッダルタという男はどうも悲観的だ。


「僕は火炙(ひあぶ)りにはならない。すたこら逃げるからだ。ラステルとシッダルタを連れてな。その為に(きた)えている。もしも、僕が燃えるなら君はラステルと逃げろ。そして続けろ。仲間を増やして続けるんだ。仲間が戦おうとしても逃げろと叫べ。テルムの子供達がそうしたように。この仕事は僕達の一生なんかじゃ終わらない」


 シッダルタが大きく(うなず)いた。


「それだ。それも入れないとな。とても難しいことだ。死んでも、殺されても終わらせない。セリムがラステルに支えられて蟲一族や蛇一族から人の善行を記憶を掘り起こす。これはセリムにしか出来ない。君は難しいことをひょいっと飛び越えていくよな」


「難しい難しいって子蟲達みたいだな。バリムかあ……。おバカなセリム。まったく、悪い言葉は使うなと言ったのに」


 途端に強い圧迫感がした。


〈ヘトムが使ってる!古いテルムの子も使う!バリム!バリム!バリム‼︎〉


 突然始まったバリムの大合唱からセリムは逃げた。


「ティダとアシタカのせいか。ラステルを子蟲じゃないと言ったからまだ怒ってる」


「また子蟲と話したのか?」


「いや突然(おそ)ってくるんだ。この間から、こちらから話しかけても無視されている。ラステルを子蟲じゃないと言ったから、ラステルは兄弟だって激怒している。バカと言う言葉は良くないと言ったらアシタカやティダが使うってさ。バリム、バリムと(やかま)しいよ」


 自然と唇が尖った。


「不思議な体だよな。セリムの体を借りた蟲の王(レークス)なんて、そんなことしなくても人に語りかけてきた。度肝抜かれたよ。知らなかったら俺も神の声だと信じる。蟲の王(レークス)はなんでまた……」


「人と人ならルイさんも話しやすいかと思って練習だったんだ。意識を共有出来るかと思ったけど、僕の意識は無くなった。人形人間(プーパ)もどき。アモレの血を引く人間は蟲の仲間となれる。僕はその中でも奇天烈(きてれつ)だって言ってた。僕は変だというのをいよいよ受け入れないとならない。ラステルがグルド帝国で造られたなら探りたいがアシタカが(あぶ)り出すって言ってくれたしな」


 一度に何でもは出来ないのでアシタカに(さと)され、ティダも見習い、優劣を決めた。ラステルの件は後回し。限りなく蟲に近いがもう人であることは分かっている。それにグルド帝国兵が(さら)おうとしたということは代わりがいないことの証。ラステルの安全の為にも、グルド帝国と縁のない、むしろ認知もされていないだろう崖の国で(つつ)ましく暮らす。そのうちにアシタカの手がグルド帝国に伸びる。


「アシタカ様か、俺はあの方のようになりたいよ。穏やかで優しくて、なのに決断力や行動力がある。同年代なのにこんなにも違う。聞けば昼も夜も働き詰めらだったらしいじゃないか。ラステルから聞いたんだけど、仕事を詰め込んでシュナ様を大事にする時間も確保すると言ったそうだ。あんな美しくて優しい奥さんなら頑張るよなあ。しかも頭も良くて公私ともに支えてくれる」


 昨日からアシタカの中で何か変わったらしく、無自覚で妙ちくりんなアシタカはいなくなった。するとアシタカはセリムの一番の手本のように思えるようになった。シュナを(うやうや)しく宝物のように扱うも、堂々としていて何をするもシュナの手を引く側。


 元々セリムもアシタカの穏やかさにとても憧れているので、大きく(うなず)いた。


「ああ、アシタカの穏やかさは僕も見習いたい。働き詰めだったと言ってもアシタカは仕事が趣味だからな。自分のことを承認欲求が強いのだろうって言ってた。娯楽に大して興味が無いと。ああ、音楽は安らぐから好きらしい」


 手回し蓄音機が兄クワトロの部屋にあるから貸してもらおう。優雅に飲み物を(たしな)みながら書類仕事。


 絶対今よりも立派で偉大な大人の男性になれる。ラステルの尻にも敷かれない。


「この国もあと少しか。ペジテ大工房の飛行機が到着したら発つんだもんな」


「朝食が終わったら海辺へ行こう。大蛇蟲(アングイス)小蛇蟲(セルペンス)の子と遊ぶ約束をしている。無視して帰ったらダメだ。あと、グスタフさんも連れて行く」


 シッダルタが羽根ペンを机に置いた。


「グスタフ元王は崖の国ではなく、アシタカ様の父上と暮らすのだろう?連れて行ってどうする」


「別に。ずっと何も語らないから本心を見抜いてもらおうかと。僕は彼に安易な死を与えなかった。アシタバの民が激怒していたけれど必死に止めた。見る目があったのか、僕の裁断は過不足ないのか、それをもう一度確かめたい。シュナさんが、ありがとうとだけ言ってくれたけれど知りたいんだ」


 シッダルタはそうか、としか言わなかった。自分の想像以上に喉から冷たい声が出たので驚いた。シッダルタは気にしない振りをしてくれたようで、顔色を変えなかった。


「俺に付き合え、付き合うな、どっちだ?ラステルだけは連れて行けよ」


「何を言っているんだ。話したのだから連れて行く」


「なら、思い付いた時に話せ。決定事項じゃ議論にならない。セリムは話すのが遅い」


 シッダルタがセリムに拳を伸ばして肩に当てた。それからセリムの髪をぐしゃぐしゃにしてくれた。


「そうだな、よし議論だ議論!」


 議題と時間を決めて話し合う。(まと)める。次への課題を決めて次の話し。いつも一人で考え決めてきた事が多いので楽しい。しばらく当たり前のことに関することを話し合った。その次は崖の国に帰国したら、どういう風に過ごすかの最終確認。


 風詠(かぜよみ)の仕事はリノを育てるだけにする。午前中のみ。緊急時は別。シッダルタは午前中、国の為に働く。牛飼いだったので畜産関係、もしくは少し知識があるのでケチャ姉と薬師。働いて民に人柄を知ってもらい、崖の国の中での信頼を得ていく。昼間に鍛錬(たんれん)。午後から夜はホルフル蟲森で調査や研究棟での情報整理、書類作成。セリムが途中にしている研究書をまず完成させる。


 ホルフル蟲森の民との交渉も並行して行う。


「日曜は休もう。好きに過ごす。アシタカも休むと言うから見習わないと。励みすぎると誰もついてこないと言われた」


「俺もセリムも働きそうだけどな。俺、受け入れられるのかな……」


 シッダルタがまた悲観的になったのでセリムは手を三回叩いた。


「僕はこれでも崖の国の王子。末っ子で皆が弟のように思ってくれている。シッダルタは僕の友達、しかも仕事の相棒だから大歓迎さ。むしろ帰国したら宴会だ。飲まされるし、殴られ、蹴られ、腕相撲して、踊って、ぐちゃぐちゃにされる」


 セリムはラステルと一度帰国した時の話を披露(ひろう)した。シッダルタは不安そうながらも「楽しみだ」と笑ってくれた。


 またセリムの腹が鳴った。


「大分経つがラステル、まだかな?」


 口にしたと同時に図書室に人が入ってきた。


「アシタカ様、おはようございます」


「おはよう、アシタカ」


 髪は整っていて、無精髭(ぶしょうひげ)もないがまた目の下に(くま)が出来ている。疲れた顔色なのに、アシタカはそれを吹き飛ばすような(さわ)やかな笑顔を浮かべた。


「ペジテ大工房から飛行船が着いた。いつでも崖の国へ送ろう、と言いたいところだが僕とシュナも顔を出したい。セリムが一度帰国した際にボブル国の王宛の親書を託しただろう?非公式会談を頼んでいて、崖の国でとお願いしてあるんだ」


 父ジークと兄ユパに、アシタカは大量の手紙を渡すようにセリムに頼んだ。ペジテ大工房からこの国に来る前からアシタカはもう動き出していたのか。


「本日深夜にこの国を発とうと提案に来たんだ。昼間だと騒がれる。今日は一日休み。僕はセリム達、シュナはラステルやアンリと過ごすと二人で決めた。今日は何でも付き合う」


「いや、ドメキア王国とペジテ大工房が正式に協定締結したら帰国する。見届けるんだ」


「それなら延期になった。僕とシュナの結婚式典で高らかに締結(ていけつ)する。各国の代表を招いてだ。今日の正午、ルイ国王戴冠(たいかん)とその件が国中に知らされる。ちなみに戴冠式(たいかんしき)はなし、らしい。その辺りは僕は知らない。仕事の範囲外だ」


 アシタカがセリムとシッダルタに近寄ってきて右手を差し出した。


「結婚式典は八日後。ラステルさんは僕の妹となっているので親族側に列席。セリム、君は伴侶なのでラステルさんの隣。僕とセリムは表向き義理の兄弟ということになる。二人の付き人としてシッダルタも隣。永遠の愛と僕達夫婦が平和への道に乗り出すという宣誓を行う歴史的な日。最高の席だとおもうが出席してくれるかい?君達の立場は危うさもあるので大陸がもっと平和になるまでは崖の国ごと庇護したい。その辺り、ジーク様やユパ様も含めて詳細を崖の国で話し合いたいのだがどうだろう」


 セリムはシッダルタと顔を見合わせた。シッダルタが固まっている。セリムは両手でアシタカの手を握った。


「アシタカ!当然出席だ!父上や兄上、いや姉上だって()めてくれる!崖の国ごと庇護(ひご)?そんな大層なこと……しかし僕は故郷が蟲の国と誤解されて侵略されないか、不安だった。不安だったのに手を貸してくれるのか!」


「ならそう言え。僕を誰だと思っている?」


 アシタカが左手の拳を握ってセリムの胸に当てた。軽く三回殴られた。アシタカがティダの真似をするとは驚きだ。


「誰ってペジテ大工房の……」


「人類の至宝になる男だ。君の(おとうと)弟子。そして世間的には義理の兄。使えるものは何でも使え。セリム、君は肝心なことを語らない。声に出して助けてと言え。僕は勘が悪く人の心中を察するのも下手だ。なにせ自分が誰を好きなのかも、かなり指摘されないと分からないくらいだ」


 あはは、とアシタカが呑気な笑い声を上げた。アシタカはシッダルタにも右手を差し出した。シッダルタが慌ててアシタカの手を両手で握り、深々と頭を下げた。


「こ、こ、光栄、光栄過ぎます」


「シッダルタ、セリムを頼む。僕を後押しして蹴り上げた男だ。大変だろうが崖の国ならセリムの家族がいるので相談出来るだろう。ラステルさんもいる。大丈夫だ。あと、将棋が得意と聞いたので僕にも教えて欲しい。僕は戦闘以外のあらゆる手段でティダを負かす。あー、酒も無理かもな」


 アシタカがシッダルタを軽く抱きしめて背中を強く三回叩いた。アシタカとセリムの目が合うとアシタカはニヤリと笑った。アシタカがシッダルタから離れた。


「僕は変わり続ける。良いものは吸収し、悪いものは捨てる。シッダルタ君、僕は友がほとんどいない。休んでこなかったので、仕事仲間には恵まれているのに私生活では実に孤独。妻が出来るので変わりたい。セリムと共に仲良くして欲しい。浮世離れすると民もついてこないしな」


 アシタカが歯を見せて思いっきり笑った。偽りの庭のアシタカの子供部屋を思い出した。趣味が無いと言っていたが、雑貨などもあった。アシタカは仕事の為に本当は欲しいものを無理やり捨ててきただけかもしれない。


「アシタカ、朝食が終わったら僕とシッダルタ、あとラステルも誘って蛇一族のところに行くんだ。グスタフと共に。ついてきてくれるか?」


「そうか。しかしセリム、その件は時間が掛かる。父上がきっと良くしてくれる。父上ならば君の父ジーク様とも会わせるかもしれない。僕達は親になってからグスタフと語り合おう。適任というものがあるしあれだけ年を重ねると急には変われない」


 アシタカに首を横に振られてセリムは考えてみた。父によく人のペースを乱すなと注意されていることを思い出した。またやらかすところだった。


「分かった。父上にも注意されているのに僕は早急さを求める。ありがとうアシタカ。なら単純に蛇一族の子と遊びに行く」


 シッダルタが申し訳なさそうに俯いた。アシタカがシッダルタに向かって首を横に振った。


「セリムには、いいえと言いにくい。セリムの良いところにして欠点。だからラステルさんとシッダルタにはセリムの家族が必要だ。あとティダもか。あいつ、パズーの代わりにセリムの目付らしいな」


「僕はそんなに脅迫的なのか。無意識ならどんどん指摘してもらわないと直らないな……ティダが目付?パズーと目付を交換したのはシッダルタだ。ティダは目指すべき背中だし注意もしてくれるが僕にはシッダルタがいるので十分。二人も目付がいる成人なんて恥だ恥」


 シッダルタが大きく目を見開いた。どうしたのだろうか。


「ほらな、大変だ。セリム、シッダルタは君の相棒になるんだろう?目付だと横並びではないと思う。どう思っているんだい、シッダルタ」


「ティダが目付をするなら俺は不要。崖の国の王が俺とティダを比べてそう判断すると思う。セリムに二人も目付は要らない」


 セリムの頬が自然と引きつった。


「そりゃあ父上や兄上達はティダを目付にと言うだろう。しかし僕には遠すぎる。追いかけているのに離れるんだ!大変なんだ。シッダルタ、君はいきなりアシタカになれと言われてなれるか?僕にはシッダルタからだ。君の良いところを学びきってから次」


 アシタカがシッダルタの肩に手を回した。


「セリム、ラステルはティダの弟子。背伸びしてティダに目付になってもらわないと妻に置いてきぼりだ。妻よりも偉大でいれば自ずと尻には敷かれない」


「そうだセリム!それに俺は崖の国に慣れるのに精一杯。崖の国の民もお前は誰だ?になる。ティダならああいう男だし肩書きもある」


 セリムはアシタカとシッダルタを(にら)んだ。長年ティダを見て成長したシッダルタ、初対面からティダと横並びで競い合っているアシタカ。セリムとは違うのにお前なら出来るという見誤りと重責。酷い。


「二人は偉大だからそう言えるんだ。僕はこれ以上情けなさを実感したくない。蟲一族にさんざん怒られて、何も成せず、ペチャンコなんだ」


 図書室の扉がまた開いた。


「誰が目付なんてするか。俺は縛られるのが大嫌いだ。というかお前に目付は要らねえヴァナルガンド。大蜂蟲(アピス)がいるだろう?世間からは一人前の男に見られ、裏では育ててもらう。見栄えが良い。偉大で立派な男というのはハリボテから始まる。そこの劇薬のようにな」


 ティダが扉脇の壁にもたれかかった。立ち姿だけでも絵になるのはどうしてなのだろう。セリムはティダの前に移動した。体の各部位の角度か?


「劇薬の次はハリボテか。お前は比喩(ひゆ)が好きだなティダ」


「たまには名前で呼んでやるよアシタカ。俺が嘘偽りで使う予定だった大駒を、正反対の方法でぶんどった奴にはそこそこ敬意を示す」


 ティダがサッとアシタカに近寄りアシタカの髪をぐしゃぐしゃにした。アシタカが「やめろ」とティダの腕を払ったがビクともしない。ティダがセリムを睨んだ。しかしすぐに愉快そうに笑った。


「おいヴァナルガンド、お前の妻に朝餉(あさげ)がもうすぐ出来るからお前らを呼んでこいと命令された。師匠に対してなんて上から目線。妻をきちんと教育しろ」


 師匠なら自ら注意すれば良いのではとセリムが口にする前に、「行くぞ」とティダが扉を開いた。


「ならアンリに進言しないとな。夫に己に相応しい言動を伴わせろって」


 アシタカの軽口にティダが鼻を鳴らした。


「アンリの奴、お前が言わなくても俺を蹴り上げる。崖の国には俺の好みの女が多いらしいが遊べん。最悪だな」


「最高だとなぜ言えん。妻がいる男が遊ばないのは至極当然。アンリを泣かせたらシュナとラステルさんに恐ろしい目に合わされるぞ。勿論、僕も参加する。僕としては蹴られるお前を見たいのでどちらでも構わないが」


「減らず口が。アシタカ、お前まだシュナの匂いがしないから何もしてねえんだろう。女はすぐ逃げるぞ。あいつらは気まぐれで我儘(わがまま)。恥じらうかと思えば手を出せとねだる。本来、遊ぶくらいが丁度良い。自分の子孫も多く残せる。強きものが多く残すことこそ自然摂理だしな」


 アシタカとティダが並んで廊下を歩いて行く。シッダルタと共に後ろについていった。多分、ここから喧嘩になる。巻き込まれないように口を閉じていよう。流れ弾がきたら、避ける練習。


 それにしても二人の考えは正反対過ぎる。


「たった八日だ。さすがに逃げられたりしない筈……。いや……いや問題無い。自覚して高らかに宣誓してからが夫婦。そう約束した。シュナの生誕日だし良い日取りだ」


「ふーん。ならお前、アンリに手を出してねえのかよ。律儀な男だな」


「さあ?それとこれとは話が別だ。共に暮らすということは結婚を覚悟した上での話しだからな。僕は紳士で民の見本だから、()()()()手を出さなかった」


「憎まれ口ばかり叩きやがって。俺はお前じゃなきゃいいんだ。よし、お前の犬を辞めよう」


「君が知るアンリはどういう女性かな。まあ、その件がなくても無理だ。十年以上の友。そしてアンリは信心深い。僕を誰だと思っている?大技師教義の中心だ。噂も流したい放題。ふははははは!」


 アシタカが楽しそうに高笑いした。わざとらしいティダの真似。一瞬青くなったティダがすぐに涼しい顔に戻った。


「てめえ、八日後を覚えてろ」


「ん?君はシュナに真心を込めたのに(そで)にされた。これはもう仕方のないことだ」


 どう見てもティダ劣勢。ティダは目を軽く細めただけで堂々たる様子で髪を掻き上げた。アシタカはにこやかだが、目が笑っていない。あと顔が赤めで、こめかみに血管も浮いている。


「そこまでにしておけアシタカ。潰そうと思えば潰せる材料がある。血管浮いてるぞ。この話は今後互いに触れない。互いに自滅するだけだ」


「そっちこそ真っ青じゃないか。しかし、そうだ。女性の名誉を守らないとならない」


 アシタカとティダが同時に振り返った。


「二人とも使うなよ」

「二人とも使わないでくれ」


 アシタカとティダの声が被った。二人が目を合わせた。


「別の方法で犬にしてやる」

「別の方法で犬にしてやろう」


 また被った。


「何をしているの貴方達。()()()()


 廊下の向こうからアンリが手を振ってやってくる。アシタカがしめた、という顔で歩き出した。ティダが軽く体当たりしてアシタカの前に出た。アシタカが涼しい表情ながら早足で前に出る。ティダが同じように追い越そうとした。


 途端にアンリが腰に手を当てて仁王立ちした。


「いい加減にして。アシタカ、私をダシにしたらシュナに嫌われるわよ。ティダ、終わったことを気にするような男、好みじゃないわ。以上」


 セリムとシッダルタが追いつくとアシタカとティダが似たような、爽やかなのに嘘くさい笑顔を見せた。


「アシタカよりも先に妻の食事を口にしようと思っただけだ」

「ティダよりも先に愛する女性の食事を口にしたいと思っただけだ」


 ほぼ同じ内容。ティダとアシタカが睨み合う。仲が良いのか悪いのかさっぱり分からない。アンリが呆れたように肩を(すく)めた。


「そう。もう止めたならいいわ。遅いから呼びにきたの」


 セリムはシッダルタに耳打ちした。


「僕はああなりたくない。妻にぺしゃんこにされる二人はまるで見本にならない」


 セリムはティダに腕を小突かれた。一方、アシタカは楽しそうに笑った。


「いやセリム。君は僕を手本にすると思うよ。ラステルさんから僕がシュナをどう扱うのかよく聞くといい。ティダは反面教師にするといい」


 アシタカがティダにしたり顔をした。


「今度はそういう手か。ヴィトニルと大駒をくれてやったんだから奪うな。それに俺はもう己に相応しい言動を伴っている。お前は本当に最悪だな」


 ティダが今度はアシタカの腕を小突いた。


 二人が睨み合い、(おとし)め合い、高笑いをし合い、愉快(ゆかい)そうに歩いていく。


「休戦しよう。次回僕は君を将棋で負かす」

「休戦だな。次回俺はお前を提案で負かす」


 食堂に入っていく二人がまた同じような台詞(セリフ)を吐いた。セリムとシッダルタは顔を見合わせて吹き出した。


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