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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
六章 途絶神話の再生露呈

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血塗れの戦乙女と木偶人形2

ティダの高笑いでカールは我に返った。


「何があったか知らんが随分(ずいぶん)と毒気抜かれたな忠犬。このパストュム、喋れぬし動かんから単に監視よりは将棋でもと思ったら飲み込み早く強い。グルド帝国はこのパストュムとかいう一族を奴隷(どれい)にでもしてるのか?お前、何処にいてどうしてこいつに助けられた」


 愉快(ゆかい)愉快(ゆかい)とティダがハクの頭を撫でた。


 誰だこの男。


 一瞬そう感じる程にティダは別人に見えた。豪胆(ごうたん)で懐深い。ゼロースの強化版。ティダは全くもってそんな男ではなかった。


「ティダ様は心開けばあのような方だった。シュナをすっかり気に入ってくれて、愛娘だと」


 ゼロースの発言にティダが肩を(すく)めた。愛娘?


「本物の妻が欲しいので偽りの誓いを互いに白紙にした。しかし休戦は続けないとならない。よって親子の、それも真の誓い交わした。あいつが愛娘だとお前ら二人も子候補。シャルルが息子候補だからゼロースだと大賛成せざるを得ない。しかしお前もとは荷が増えて最悪だ。帰ってくるんじゃねぇよ忠犬」


 悪態(あくたい)の内容が信じられない。おまけにティダが破顔した。親しげな笑顔にカールは固まったまま動けなかった。


 ハクが立ち上がった。ティダは観察しているだけで動かない、しかし眼光は鋭い。ハクがカールとゼロースに近寄ってきた。


「まあ!カールの恩人様も元気になられたのですね!お名前は何と申します?パストュムという一族だと聞きました。(わたくし)はシュナです。助けていただいたカールの妹です」


 少し息切れしたシュナの声で振り返った。アシタカがシュナのすぐ隣に立っている。シュナは泣き笑いしながら、親しげにハクに微笑みかけた。それから真紅の簡素なドレスの裾を指でつまんで深く会釈した。


 ハクがジッとシュナを見つめている。


 シュナがチラリと将棋盤に目を止めた。流石(さすが)目ざとい。


「ティダ、大狼や蟲一族のように会話できたの?」


 目が覚めてから、もう何度目かの驚愕(きょうがく)でカールはまた目を丸めた。


 大狼や蟲一族のように会話?


「いや。てんで」


 ティダがそう告げるとシュナがハクをまた見上げた。


「紙とペンがあればお話できるのでしょうか?」


 少し間をおいてからハクは頭部を縦に振った。それから横にも振った。シュナは推し量るようにハクを見つめている。シュナが右手を差し出した。ハクは黙って見ているだけ。


「貴方様に敬意を示します。人は手と手を(つな)ぐと挨拶(あいさつ)になります。もう一度、いえ何度でも口にします。姉のカールを助けていただきありがとうございました」


 ハクがそっとシュナの右手に自分の右手を伸ばした。しかし触れないで近付けただけ。シュナが一歩前に出てハクの手を握った。


 シュナが歯を見せて笑った。見たことが無い笑顔だが、屈託無(くったくな)くて愛らしかった。


 即座に化物ではないと判断した観察力、信頼、ハクの瞳が何処となく(うる)んでいるように見えた。カールの目頭も熱くなった。守り続けてきた主の素晴らしさ、シュナならばハクを無下にしないという信頼にきちんと応えてくれたことの何たる誇らしさ。


「教えれば動いた。覚えも早い。こちらの言葉を理解しているのかいないのかは不明瞭(ふめいりょう)。シュナ、お前が文字を教えれば話せるかもな。カール、お前が恩人と言うからシュナがペットに欲しいと我儘(わがまま)。おかげで俺は成人してから初の顔傷。ったくパストュムって何なんだよ。カール、話せ」


 シュナがティダに向かって腰に手を当てて仁王立ちした。まだ顔や姿に全く慣れないが、仕草がよく知るシュナなので時期に慣れるだろう。


「ペットだなんて何たる侮辱(ぶじょく)。カールの恩人様よ。ティダ、貴方がグルド帝国兵の連れだと決めつけて追い立てたから殴られたのです」


 ティダが肩を(すく)めた。


「蟲を庇ったら次は蛇に好かれ、今度はこのパストュム。お前は本当にヴァナルガンドに似てきた。ラステルのせいだな。シッダルタと三人、このパストュムについて張り切って図書室で調べている。ヴァナルガンドなどまた新しい一族だと大喜び」


 知らぬ三名の名前にカールは思考張り巡らせてみたが、思い当たる人物はいなかった。シュナが蟲を庇った、蛇に好かれている。カールはシュナを見つめた。本当に、約半月で何が起こったのだろう。


「セリム様の弟子になりましたから、似てきたのならば嬉しいです。してカール姉上、この恩人様とはどこでどう知り合いになられたのです?お礼をしたいですが何が相応しいのでしょう」


 セリム。あの青年の弟子?


「このカール、不覚にもグルド帝国兵のタルウィとかいう者に捕縛されました。鎧義手(アルフィシャル)義足(アーマー)に以前から目をつけていらしいです。それで……」


 ハクが膝をついた。短足で関節がないので、足の半分の位置というのが正しいか。


 シュナがしゃがんでハクの頭部を覗き込んだ。シュナは心配そうにハクの右手を取ると、小さな両手でハクの右手を優しく包んだ。シュナがカールを悲しげに見上げた。


「妙な施設でまあ少々。逃げ出す時に何故か助けてもらい、そのまま共に。話せぬし、何なのかも分かりませんが恩人。このカール、シュナ様ならばこの妙な生物を受け入れてくれると思いまして。この者、熱発した私をずっと運んでくれました」


 まあ、とシュナが泣き出しそうな顔付きになった。それからハクに抱きついた。


「恐ろしい目に()われたのですね。なのにカールを助けていただき、何て慈悲深い方。何でも手助けしますので安心して下さいね」


 ハクが体を(ふる)わせた。元に戻るのか分からないが、これで生きてはいけるだろう。


「このカールも恩には恩を返します。それがナーナ様とシュナ様の教え。決して裏切りません。この者、力が強いので役立つでしょう。我が騎士団員として世話します」


 カールはハクに右手を差し出した。旅の途中、筆談で伝えた通りだろう。いや、それ以上だろうと目で訴えた。


 ハクがシュナの体を離してから、シュナの頭を撫でた。それから立ち上がってシュナを立たせた。カールの手を握り、カールの頭も撫でようとしてきた。驚いたが素直に受けた。


「お名前はございます?」


 シュナがハクに問いかけた。


(わたくし)はシュナ。助けていただいたのはカール」


 シュナがカールの腕をそっと両手で掴んだ。


「あちらはアシタカ様。隣のあちらの者は兄のゼロース」


 シュナがアシタカとゼロースを掌で示した。


「それから怖い目に合わせてしまったのはティダ。心根は優しいです。もう打ち解けたようなので誤解はないでしょうね」


 シュナが可憐に微笑んだ。今の姿だと本当に愛くるしい。シュナがもう一度、掌で示しながら全員の名前を口にした。ハクが大きく頭部を揺らした。腕で胸を叩くと、シュナが小首を傾げた。


「声が出せないのならば蟲一族や蛇一族と同じなのかしら。やはりお名前があるのですね。ティダの言った通り人の文字を覚えてみます?」


 ティダが立ち上がった。


「違えだろ。お前に仕えるって意思表示だ。伝心術は蟲とも狼とも、蟲とも違う。まあ、色々試してみるか。おいパストュムよ、俺達と同じように名前が欲しいか?」


 ハクが大きく頭部を揺らした。瞳が濡れたようにキラキラとしている。涙は流れないらしく、濡れたようになっただけだったが安堵が伝わってくる。


「こっちの言葉は伝わっている風なんだよな。まあ、グルド帝国兵が命令して使っているのを見たし飛行機まで操縦していたからそういう賢い生物なんだろう。シュナ、名を付けてやれ。そいつ、お前を主にするみたいだからな」


 シュナが困惑したようにハクを見上げた。


(わたくし)が主?逆ですよ。カールと共に目一杯、お礼し続けます。しばらくの仮の名、何が良いかしら」


 カールはシュナの隣に並んだ。


「メルビン。それかラーハルト。どうでしょうシュナ様」


 シュナが苦笑い浮かべた。


(わたくし)、いつか貴方ともっと姉妹らしくなりたいわ。メルビンかラーハルト、選ばなかった方があの世で悔しがるかもしれませんね。オルゴー。オルゴーはどうです?意味は誇り。そしてこの国の救世主様の祖先の名前です。セリム様の祖先なのよカール。どうかしら?」


 カールは思わず泣きそうになった。シュナにそんな気がなくても、ハクには最高の名前だろう。カールは大きく首を縦に振った。声を出すと泣きそうだった。


「オルゴーとは良い名。真の名前分かった(あかつき)には組み合わせても良いかもしれないなシュナ。カール、身体がもう大丈夫ならば紅旗の騎士達に姿を少し見せて欲しい。このオルゴーも紹介しよう」


 ゼロースの親しげな様子に、カールの頬は自然と引きつった。出自明らかになって急にこのような態度。完全に浮かれきっている様子にげんなりした。ゼロースと双子。シュナと姉妹なのは知っていたが、予想外過ぎる。


「姉上、ゼロース兄上とは元々ずっと一緒だったではないですか。何事も慣れですよカール姉上」


 シュナが愉快(ゆかい)そうに微笑んでハクの手を引いた。


「ではオルゴー様。カール姉上の恩人様として皆に紹介します。この城ではカール姉上かゼロース兄上、それか(わたくし)と共に居てくださいね。城から離れたら、一緒に暮らしましょう。カール姉上、まだ色々と状況が分からないでしょう。それに顔色も悪い。休んでいて下さい。アシタカ様とティダから聞いて下さい。(わたくし)、食事の用意もしてきます」


 そう言い残してシュナはゼロースとハクと部屋から出て行った。


 残ったのは敵国皇子ティダ。


 侵略しに行った国の御曹司アシタカ。


 カールはティダの前に両膝をついて体を折った。それから首を差し出すように前に出した。


「本当に忠犬だな。お前の首なんざ興味ねえ」


 ティダの声と鼻を鳴らす音に少し苛立った。


「カール殿、話すのが嫌でしょうが少し聞きたいです。何がありました?」


「いやアシタカ、お前も席を外せ」


 気配がしたがカールは動かずにいた。腕を掴まれて立たされた。しぶしぶ立つとやはりティダだった。ティダはカールをソファに放り投げた。


「ティダ・ベルセルグ、女性にそのような乱暴な扱い」


「そんな扱いしたら本人が屈辱で死ぬかもな。それはそれで愉快(ゆかい)だ。で、アシタカ、お前も聞くか?こいつの俺への言葉。悪趣味なお前なら聞きたいだろう」


 アシタカが眉根を寄せた。


「そこまで言うのならば席を外そう」


 ティダが呆れ顔で手をひらひらさせた。アシタカがカールに一礼してから部屋を出て行った。ティダが床に腰を下ろした。


「まず()びよう」


 どんな言葉が出てくるのかと思ったら、予想だにしなかった単語にカールは言葉を失った。


「軍事力が欲しかった。成したいことの為に最大限利用しようとシュナを手篭(てご)めにしようとした。安易に惚れさせて駒として利用しようとしたことを俺は悔いている。見る目が無さ過ぎた。しかし、非礼分は全力で返した」


 精悍(せいかん)な顔付き、殺気が全くない鋭い眼光。見知っているティダとはあまりに別人で驚いた。カールはまた「誰だこいつ?」と思いながら目を細めた。


「正直何があったのか知りたい。しかしシュナ様から聞く。私はシュナ様を守る者は無条件で受け入れる。逆なら首を()ねる。それだけだ。()びるのはこちらの方だ。すみませんでした」


 口にしてから少し迷った。尻尾を掴んで殺してやろうと思っていたティダ、長年手を差し伸べずにいた上にカールを姫だと祭り上げそうだったアシタカ。どちらとも、カールが手を出していたら今のシュナは居ない。ティダはシュナが一旦掌乗せて見定めるというので、そして単に力量及ばないので殺せなかった。しかしアシタカ。今までシュナには従い独断で行動は控えてきたが、ペジテ大工房での独断は誤りだったと身に染みる。


 シュナが信頼するならば無条件で信じてきて、今まで間違いはなかった。今回もそういうこと。二度とあのような独断はしない。


「俺は非礼分を返しただけだ。一点、純潔奪ったのだけは一生返せねえかもな。まあ、あいつも女としての自尊心育っただろう。この様子だとアシタカにはもう()び入れたようだな」


 探るような目にカールは小さく(うなず)いた。


「意識混沌としていたが、(ちか)い合うのを聞いた。そしてシュナ様のあの姿。アシタカ殿が恩人以外の何者でもないとは、犬でも分かる」


 カールの皮肉にティダがくすくすと笑い声を立てた。嫌な感じがかなり減っている。こんな男だったのかとつい眺めていると、ティダは頭を掻いて肩を(すく)めた。


「俺のことはいい。アシタカとシュナ、基本的にその通りだ。アシタカは俺達を捕虜(ほりょ)なのに手厚く庇護(ひご)、この地に平和をとシュナとこの地へ降り立った。侵略行為を許せと国に訴えている。ペジテ大工房では独裁の罰則が死刑。それを逆手に取ってやりたい放題。シュナと共に大陸中の諸外国と和平交渉を推し進めるとよ。しかし、アシタカは俺と同じくシュナと打算で婚姻したぜ。あとシュナを治したのは蟲だ」


 ティダが大きくため息を吐いた。


「打算?あのような方が?蟲?」


 自分は見る目がないが、シュナは別。信じられなかった。


「蟲の件はシュナから聞け。俺は別件だ。お前が誰よりも知るように、シュナは恋に(おぼ)れて判断力鈍る女じゃねえ。しかし、あいつはこれからどうしょうもない孤独を歩む。報復しにグルド帝国に戻るなどするな。二度と離れるな」


 ティダが申し訳なさそうに眉尻を下げた。それから軽く頭を下げた。シュナはここまでティダの懐に入ったということだ。


「何故私が報復しにグルド帝国へ戻ると?」


 ティダの視線がカールを刺した。


「カール。俺はあのパストュムについてこう推測している。お前と一緒に消えたハクという崖の国の兵士。セリム王子の従者。パストュムは人から作ると一度耳にしたことがある」


 隠そうにも動揺を隠せなかった。手も微かに震えた。ティダの目が嘘をついても無駄だと訴えている。


 ティダはカールから目を離さない。カールは首を横に振った。


「目だ。数度見たパストュムとは目が違う。まず、あの目に覚えがある。それに人から作るというパストュム。セリムが、俺はヴァナルガンドと呼んでいる。ヴァナルガンドがハクからチェスを教えてもらったと言っていた。お前を追ったハクは、国の信念的にお前を殺しにではなく単に連れ戻そうとしただろう。グルド兵の目的のおまけがカール、お前の方だろう」


 ティダがハクと将棋を指していたのは観察する為か。動揺したカールで、チェックメイト。真実見抜いたのに大嘘ついたのは、ハクの為。その後ろのセリムの為。シュナさえ(だま)される演技力。カールは大きく息を吐いた。


「博識。そして驚くべき洞察力と推察力だな」


「やはりな。何があったか話せ。場合によっては俺がグルド帝国に乗り込んでやる。カール、お前はシュナに絶対的に必要だ」


「蟲を操る女について聞かれていた。飛行船で共に連行されている間にそこそこ拷問(ごうもん)された。その後は離れたので知らない。まあさらに続いたんだろう。で、喋らんから実験材料らしい。本人が語らないから私も詳細知らないし知りたくもない。主を守りきり、おまけに何故か私も助けた。筆談出来る。主には絶対に知られたくないというのでシュナ様ならば何も伝えなくても保護してくれると思った。恩には恩を返す」


 ティダが顎に手を当てた。考えるように床を見つめている。


「相当手酷くやられただろうな。ハクは単なる実験体ではなく、いざという時に人質代わりの駒。そんなところか。お前は見た目的にはあまり手荒なことをされなかったようだな。よく逃げてきた。で、相手は誰だ?」


 ティダがまたカールを見た。何を考えているのか分からない、底が見えない黒い瞳。アシタカと同じ黒色なのに全く光が違う。しかし、もう嫌悪感は無かった。


ーー場合によっては俺がグルド帝国に乗り込んでやる


 嘘とは感じられなかった。


「私は何やら血を調べられていた。助けてもらわなかったら同じ道だっただろう。逃げるが先と連れられたので情報が(ほとん)どない。私達を捕縛した兵はタルウィと呼ばれていた」


 酒臭さが蘇る。ハクは飛行船内だけでも手の指を全て折られ、手も足の爪も全て(はが)された。その後のことなど想像もしたくない。タルウィの顔は全面兜(フルメット)で見てないが、声は覚えた。脳みそに刻み込んだ。


 大酒飲んで楽しそうな、ジョンより(ひど)そうな嗜虐(しぎゃく)的な男。絶対に首を()ねてやる。


「タルウィ。不老帝王、その弟、帝弟(ていてい)タルウィか。死んだと聞いたが生きていたのか。この件誰にも話すな。グルド帝国は俺が探る。どこから逃げてきたのか教えろ。ちょっと視察してくる。いいかカール、お前はシュナの側近。報復ではなく守護を選べ。いくらシュナがいてもあんな姿の恩人をこの国に一人置いていくな。この件は俺が預かる」


「何故お前……貴方が?」


 言い直した時、扉が開いた。すっとアシタカが入ってきて扉を閉めた。アシタカが扉に背を向けて腕を組んだ。


「指摘したいことが山程あるが、まずはこう言おう。ティダ・ベルセルグ、その件は僕が預かる」


 ティダが立ち上がってアシタカを(にら)んだ。


「また盗聴か。気づかなかったとは不覚」


 アシタカが口角を上げてソファを指差した。


「何やらパストュムに思うところがあるようだから仕掛けておいた。そしてカール殿。シュナからほぼシュナしか慕っていないと聞いている。部下にも興味なさそうだと。それなのにあのパストュムへの強烈な思慕と敬意の目。シュナが即座にパストュムを恩人として受け入れたのはカール殿の様子あったからだ。そしてティダ、君なら僕と同じように疑って探り入れる」


「妻の寝室に盗聴器とは全く穏やかではないな」


 今にも血管が切れそうな程、アシタカのこめかみに血管が浮いている。全身から発っせられるアシタカの怒りに対し、ティダは涼しい顔をしている。


「そのような侮辱(ぶじょく)、もう気にもしない。お陰で有意義な話を聞けた」


 どこからどう見ても気にしている、という雰囲気。ペジテ大工房で相対したときと似ている。穏やかなだけの男ではないのは知っているが、ここから無風というまで凪いだ様子になれるということに驚く。不思議な男だ。


「グルド帝国、乗り込んでやるつもりだが、あの国は広くて中々不透明。包囲してやろうと思ったが早める。大陸全土、必ずや僕の下につけて命の尊厳を守らせる。ティダ、君はセリムを守る約束だ。いや、(ちか)いだ。この件を隠し、セリムが勝手に動かないように見張っていろ。セリムはグルド帝国のキナ臭い噂だけでも飛び出すぞ。止められそうなのは君だけだ。ちょっと視察というのも却下だ。ティダ、君の性格だとそれだけでは済まない。この話、アンリとヴィトニル殿に伝える」


 ティダが頭を掻いた。


「本当に腹立たしい程俺の扱い覚えやがったな」


 その時、天井が開いてスルリと人が降りてきた。この緊急避難用の隠し通路を知る者は限られている。今はもうシュナとカールしか知らない筈。ということはシュナが教えたのだろう。


 軽やかな身のこなしで降りてきたのは、小柄なペジテ人女性。涼しげな目元にホクロが印象的だった。シュナの部屋着を身につけている。アシタカが呆れたように現れた女性を見つめていた。


「はじめましてカール殿。私はペジテ大工房の治安維持部隊に属するアンリと申します。この度は随分と辛い目に合ったのと、我が国の救世国の民を保護するように手配した件で全てを不問とします。シュナの友人ですので、どうぞよろしくお願いします」


 にこりと爽やかな笑顔を浮かべたアンリに、何て返事をして良いのか分からなかった。目に宿る光が春の陽だまりのよう。まるでナーナ。カールが知る中で一番ナーナに似ている。シュナよりもアシタカよりも。アシタカからでさえ感じたのに、アンリからは敵意を一粒も感じない。


 シュナの友人。嘘偽りないような気がした。


「アンリ、気配もだが匂い消しまで完璧だな」


 ティダの口が「最悪だ」と小さな声を出した。しかしアンリを見つめる視線は見たこともないような温かみのあるものだった。今日、一番驚いたかもしれない。


「ええ、ティダがすぐに単独行動するからヴィトニルさんから色々教わったの」


 アンリの発言にカールは更にギョッとした。あの凶暴獰猛(どうもう)な大狼に教わった?アンリが一歩カールに近寄った。


「カール殿、憎いでしょう。許せとは言いません。なので高らかに宣言して報復です。但しなるだけ平和的に。アシタカ様の巨大権力にシュナ様の知恵、そして我が国とドメキア王国。我が国の至宝と、支える紅の宝石がグルド帝国の性根を叩き直します。ティダ、アシタカに色々任せると決めたのでしょう?大人しくしていなさい。私だけでセリムさんを抑えるのは無理。というか私だと一緒に飛び出すわよ」


 アンリの笑顔にティダが降参というように軽く両手を挙げた。


「劇薬と猛毒め。その目を止めてくれアンリ。おいカール、お前もシュナから離れるなよ。ったく人里とは本当に厄介だな。最悪だ。最悪だアンリ。どれだけ俺に毒を食らわせるつもりだ」


 ティダがアンリに近づいて手を伸ばそうとした。色気ある所作で、そういうことかと察しがついた。アンリがティダの手をヒラリと避けてカールの前まで移動してきた。カールはソファから立ち上がった。


「まだ状況掴めないがこの場の全員、シュナ様の恩人だということは分かっています。ありがとうございま……」


 アンリが突然顔面に拳を突き出してきた。思わず避けた。アンリの拳は避ける前にカールの顔があった位置の、少しだけ前で静止していた。アンリの黒くて澄んだ瞳が爛々(らんらん)としている。


「そういうの良いのよ。シュナこそ我が国の恩人だもの。これで終わり。体の調子が良くなったら是非手合わせと指南お願いします。あと騎士団の視察もしたい。同じ長なのにあまりに格が違う。悔しくてならないの。さあ行きましょう。シュナ、あの子が張り切って料理して両手が血塗れにならないように見張らないと。多分ラステル達の所へ行って、それから台所。貴方の食事が終わったら騎士団。ゼロースさんとそういう会話をしていたわ」


 毒気抜かれるとはまさにこのこと。アンリの笑みにカールは逆らえなかった。チラリとティダを見ると、顔に「だろう?」と描いてある。アンリに手を引かれて数歩進むと、アンリが手を離した。そのまま振り返らずに歩いてアシタカを押しのけて扉を開いた。振り返らない背中は無防備。貴方はついてくる、そう言わんばかりの空気。


 アンリがアシタカを見上げた。


「アシタカ、いい加減にしなさい。貴方、本気でシュナを孤独に追いやるわよ。私もラステルも離れるし、カールさんが戻ってきてくれて良かったわね」


 アシタカが大きく目を丸めた。それから思いっきり顔をしかめた。


「アンリ、君の指摘は大抵有益だが今の発言は承服しかねる。ティダ、貴様もだ。支える者は大勢必要だが、シュナには僕がいるので孤独とは無縁。()()()()()


 激怒という様子のアシタカに対して、アンリは何も言わずにアシタカの横を通り過ぎて部屋の外へ出た。去り際アシタカの腹に拳を突き立てて三回軽く殴った。そのままスタスタと廊下を進んでいくので、カールは後を追った。アンリが速度を落としてカールの隣に並んだ。


「アシタカはシュナに惚れ込んだの。支えたいと国務背負ったままこの国まで背負いに飛んできた」


 発言内容と、憤慨(ふんがい)しながらもカールに親しげに話しかけてきたアンリに面食らった。カールにこのように接する者は今やシュナしか居ない。


「打算でシュナ様と婚姻したと聞きましたが」


「堅苦しいのはいいわ。シュナもその方が喜ぶ。アシタカ本人は打算のつもりみたいだけど本気よ本気。あの人がそんなこと出来ないのは私が保証する。でもアシタカは今までの経験とか、初めて本物の恋に落ちたからとか、シュナが大事過ぎるから、何か(ねじ)くれておかしくなってる。無意識みたいなんだけどシュナへの気持ちに背を向けているわ。シュナは立ち向かう気満々」


 心配だというようにアンリが悲しげな表情でため息を吐いた。


「どういうことだ?シュナ様の側を離れて、状況も人間関係も変わり過ぎて何もかも分からない」


「ああ、そうよね。半月程であまりにも色々あったもの。シュナが貴方に話すわ。私がカールさんに教えておきたいのはアシタカはいつかちゃんとシュナへの気持ちに気づいて受け止める。私はアシタカとシュナの両方の為になるから、シュナには辛くても逃げないで欲しいの。でも、この地から離れるから全力では支えてあげられない。それで貴方にお願いしておこうかと。貴方がシュナを一番支えるのは明らかだもの」


 アンリが足を止めた。それからカールに向き合った。すっと左手を差し出した。アンリは手を握ってから薬指だけを伸ばした。


「子蟲を利用して我が国を(ほろ)ぼそうとした。正直、複雑よ。でも憎まれるには理由がある。ペジテ大工房はアシタカと共に変わるわ。一人で空回りしていたようなアシタカにシュナは太くて強い芯を与えてくれて、それが我が国の誇りを築く。カールさん、貴方がシュナを誰より愛し、大切にしていたと聞いているわ。私は貴方を国民から全力で庇う。代わりにアシタカを信じて欲しい。アシタカは絶対にシュナを幸せする」


 真心しかないような視線にカールはたじろいだ。このような人種、周りにはいなかった。ふとセリムの姿が脳裏によぎった。雰囲気が似ているかもしれない。


「恩には恩を返す。決して裏切らない。それが我が唯一の人間らしい感情。シュナ様の様子から見ても、アシタカ殿は私にとって決して裏切ってはならない者だ」


「違うわ。シュナよりもアシタカを信じてということよ。友人の国ではとても大切なことは薬指と薬指で心臓に誓うそうなの。これはそういう意味。それからカールさんって優劣がはっきりしているだけで、とても人間らしいわ。じゃなきゃシュナは貴方をこの世で一番の宝だなんて言わない」


 アンリの瞳が真っ直ぐにカールを突き刺してきた。貴方なら応える。そう言わんばかりで背筋がむず(かゆ)くなった。許しとシュナの幸福を盾にした脅迫(きょうはく)。こんな面白い手があるのかと唇が(ほころ)んだ。


 歩けば血溜まりだったのは、信頼に値する者が少なかったから。ハクやアンリのような者がこの国には少な過ぎる。単に、それだけの話。しかしすぐに殺すのは改めようと思った。殺せなかったティダ、たまたま殺さなかったアシタカ、それに恐らくセリム。見る目があると自負していたが、そうでもないかったらしい。


 カールはアンリの薬指に薬指を絡ませた。


(ちか)おう。貴方のような女性がシュナ様の側女にいれば良かったと心底思う。感謝しかない」


「騎士の人達から聞くのと、シュナの口振りとが随分乖離(かいり)しているから人物像が掴めなかったけど貴方ティダに似ているのね。私、貴方のような人、好きだわ。但しこれからは即殺は(つつし)んで。というか、戦場以外では人を殺さないで。ボコボコにしてもいいけどアシタカとシュナが歩く道は許しの道だから」


 アンリが歯を見せて笑った。シュナが見せた屈託の無い笑顔はこの表情の真似かと腑に落ちた。アンリとカールは自然と指を離した。


「言われなくてもそのつもりだ。人を見る目がまだまだ足りなかったと痛感している。独断でとんだ目にも合ったので、シュナ様の指示からも外れない。しかしティダと同じとは撤回してもらおう。私はあの男が生理的に嫌いだ」


 単に自分よりも強く、悔しい思いばかりさせられたからだがやはり腹は立つ。カールは思わず舌打ちした。


「好き嫌い激しくて、好きだと真っしぐら。守るなら手段は問わない。そっくりよ。でも同族嫌悪のようで良かったわ。ティダも貴方も主体性とか自尊心が足りないからね。私、あの人の妻なの。取ろうとしたら残力で戦うわ。シュナの一番は貴方だから大丈夫ね」


 あはは、と呑気そうに笑いながらアンリが足を動かしはじめた。カールも歩き出した。


「貴方は不思議な方だな」


「そう?変だとはよく言われるわ。自分なりに折り合いつけているだけ。いくら罪人と言えども人殺しは人殺し。その分気高くいたいという自己満足よ」


 アンリが悲しそうに笑った。人を殺したことがあるというのは意外だった。一点のシミ一つないように見えるのに、やはり見る目があるというのは(おご)り。単なる偽善者ではなさそうなところに好感を持った。


(ろく)でもない奴を殺して心痛めるとは私には理解出来ん。他者の領域犯す者、恩を仇で返すような者、万死匹敵。力があるものが正しいのに弱く殺されてしまうような者を守らねば世の中もっと生き辛くなる。地獄がさらに地獄へと変わる」


 アンリがカールを見上げた。それから寂しそうに微笑んだ。


「やはり似てるわよティダとカールさん。私は恵まれて育った。同じ境遇で貴方達のように育つ自信はないわ」


 カールはアンリの前に進み出た。


「そのような人に救われる者は多い。私にとってのシュナ様。そのシュナ様はアシタカ殿やアンリ、貴方のような人に救われる。手を汚したくなければいつでも私を使え。(しがばね)の上が好きだ。戦う高揚感、勝利の優越感。私はそういう人種。一生、人殺しを続けるだろう」


 アンリがカールの前に進み出た。


「これでも部下がいた長官。大狼にも(きた)えてもらうので遠慮するわ。なるべく手を汚したくないから圧倒的実力を身に付ける。我が国では毎年治安維持部隊が武道等の競技を行うの。戦う高揚感も勝利の優越感も得られるわ。各国が(まと)まったら国で対抗戦とかしたいわね。国の威信をかけて規則に乗っとって争う。きっと楽しいわ。アシタカとシュナに提案しておく」


 アンリの案だと生温そうだが、悪くないなと思ってしまった。今までの自分と何かが違う。変わっていると感じた。グルド帝国の施設破壊よりもシュナの元へ帰り守りたいと思ったあの瞬間、カールの中身は大きく変化した。そう思う。


 シュナと離れなければ良かった。


 嗜虐的で自分を人の皮を被った獣だと思っていたのに、あの時感じたのは実に人間臭い感情だった。


 憎しみなど捨てて、シュナと二人で手を取り合って城から逃げてれば良かった。


 シュナがこの城からなんだかんだ出ていかないのは、カールがナーナや盟友の死に関与した者を激しく憎みシュナを王にしたかったから。分かっていてもずっと止められなかった。


 カールが前に出ようとするとアンリが歩く速度を上げた。人の後ろは落ち着かない。歩幅が大きいのですぐに追いついた。なのにアンリはさらに早くなった。


「前を歩くな落ち着かん。それにここは我が住処」


 カールは思わず軽く走って前に出た。アンリが抜かした。


「あら右も左も状況が分からないカールさんよりも私の方が案内に適しているわ。今シュナが何処にいるか分かる?それにこの城の道は隅から隅まで、隠し通路まで頭に叩き込んだから心配無用」


 自分も変だろうが、変な女。


 カールは舌打ちしてから走り出した。


「客人は大人しく後ろを歩いてもらおう。厨房(ちゅうぼう)で待ち構えていれば良い話だ」


 アンリが追いかけてきて並走する形になった。


「何で走るのよ!」


「貴方こそ何で前に出る!人の後ろは落ち着かんと言っただろう!」


「私も人の後ろは落ち着かないのよ!」


 腕で払おうとすると避けられ、足払いもかわされ、カールはアンリと睨み合いながら厨房(ちゅうぼう)に向かって駆けた。


 正面、廊下の角からシュナが現れた。シュナの背後にハクとゼロース。シュナと腕を組んでいる若い女がいた。茶色い髪に緑色の目でグルド人だとすぐ分かる。まだあどけない、幼い女。シュナを見ながらニコニコしている。


 グルド人が何故?


 グルド人がカールとアンリに気がついて、ゆっくりとこちらに顔を移動させた。


 雪のように白い肌。大人しそうで、シュナ程ではないが整った顔立ち。大きめでエメラルドのようなタレ目が印象的だった。もしやあれが、ラステル?今日まで一度も聞いたことがない名前だったので、何者かも検討がつかない。シュナと親しいというのだけは理解している。


 目と目がぶつかった瞬間、カールの背筋が凍った。


 少女の瞳がさあっと変色した。


 血のような赤。


 途端に吐き気がして口元を手で抑えた。


「走ったりするからよ」


 アンリが背中に手を当てた。カールの目は少女から離れなかった。離せない。


 何だあの女、この気持ち。殺される。途轍(とてつ)もない殺気に気圧される。


「カール!」


 シュナの声がしてもカールは少女から視線を外せなかった。全身に鳥肌が立っている。


 逃げろという警告が身体中を駆け巡った。


「まあ大変!無理をしたのね」


 少女が心底心配だというように走ってくる。一歩、一歩がスローモーションに見えた。


〈子蟲殺し。許さん〉


 幻聴に目眩(めまい)、そして吐き気でカールは崩れるように膝をついた。


〈姫は人の王が好き〉


 近寄ってくる少女から逃げないと殺される。無防備であどけなく、非力そうな少女に人生で一番の恐怖を感じるという違和感。体が上手く動かない。


〈人の王は人が好き〉


 カールは顔を上げた。


 人形のように表情がない深紅の瞳をした少女がカールを見下ろした。


〈愛するものの愛するものは大切にしましょうね。祈りと願いだけを受け継いでいくのよ〉


 幻聴の声とは違う声色だった。


 少女の瞳が徐々に変化していく。


 化物。


 化物なのか?


 少女の瞳が若草色に戻ると、少女が心の底から心配だというように顔を(くも)らせた。


「大丈夫ですか?」


 カールの顔を覗き込んできた少女を突き飛ばしたかった。しかし、力が出ない。


「私のせいだ。ムキになったせいで走らせたせいだ。ラステル、肩を貸してくれ」


 ラステル。やはりこの少女がラステルというのか。何者だ?


 おかしい。


 この女はおかしい。


「嫌よ。この人嫌な感じがするもの。触りたくないわ」


 ラステルが思いっきり顔をしかめた。


「ラステル?どうした?」


 アンリの言葉とほぼ同時にラステルが泣き出した。ポロポロと涙が床に落下していく。


「でもシュナのお姉様だから肩を貸すわ。美味しく滋養のあるものもシュナとこの大親友のラステルが用意しますね。大丈夫ですよ。歩けるなら食べればもっと元気になるわ」


 無理矢理というようにラステルが笑った。酷く青ざめている。唇が真っ青に変色し震え出した。なのに可憐な笑顔を浮かべた。


 処刑執行日のナーナの笑顔を想起させた笑顔に、得体の知れない衝動が込み上げてきた。


〈憎い〉


〈憎い〉


〈なんて憎い〉


 また幻聴が押し寄せてきた。昼間、起きている時なのは久々だった。


〈そっちじゃないわ。さあ美しい流星を思い出して。返ってきたわ〉


 一種類だけ違う声はラステルの声だった。胸に直接響くような音。


「大きくなって空を自由に飛びたかった……」


 嗚咽(おえつ)しだしたラステルに、カールは絶句した。


ーー大きくなった空を自由に飛びたかった


 ラステルがまるで自分のことのように話したからだけではない。押し寄せてくる苦痛。無念。恐怖。絶望。


 これは、これはカールが利用した、槍で突き刺してペジテ大工房に投げ入れた子蟲の感情。本能がそう叫んでいる。今まで幻聴の正体は脳の病気だろうと、頭がイカれているのだと思っていたが違う。


 ストンと穴に物が落ちるように、理解した。このような理屈のない理解をしたことがない。しかし確信がある。

 

 ラステルがカールを抱き締めた。シュナとは違う。懐かしいナーナの温もりに似ていた。先程までの恐怖は真逆になっている。魂が揺さぶられるというのは、まさにこのこと。


〈許せば返ってくる。返ってきた。そこは見ないで。さあ行きましょう〉


 慈愛(あふ)れる、胸の奥で木霊するラステルの声。


「酷い目に合ったかもってシュナが言っていたわ。泣きたいのは私じゃないのにごめんなさいね。急に悲しかったの。私、時々とても変なの。セリムが()めてくれたミルクスープを作るのよ。ミルクは好きかしら?」


 体を離したラステルがカールに微笑みかけた。カールの目の前にいるのは殺意なし、敵意なし、無防備であどけない、そこら辺にいる可愛らしい少女。嵐のような激しさはもう全くない。


 アンリがラステルを尊敬こもった視線で、燃えるなように熱い目で見据えている。


「彼女がラステル。セリムさんのお妃様です。カールさんはセリムさんには会ったことがあると聞いています」


 セリム。


 ハクが守り通した男。そしてタルウィがしきりに知りたがっている「蟲を操る女」の正体。


 殺戮(さつりく)兵器蟲の女王。


 このラステルのことだ。


 アンリが今度は同じ目でハクを見つめた。アンリの目の熱量でハクが守りたかった者がセリムとラステル、二人だったのだと伝わってくる。カールもハクを見上げた。


 ハクが前に出てきてラステルの頭を撫でた。それからカールの頭にも手を乗せた。ハクがシュナの横に立って、シュナの体に腕を回し、反対側の手で自分の胸部を叩いた。


 ハクがまた近寄ってきてカールを横抱きに抱えた。


「まあ、運んでくれるの?ゼロース兄上、オルゴーとカール姉上を宜しくね」


 シュナが「ありがとう」といいながらラステルの濡れた頬をハンカチで()いた。


 (うる)むハクの大空色の瞳から何が言いたいのか伝ってきた。


「嫌な感じがするなんて言ってごめんなさい。何だか怖かったの。でも誤解ね。とても優しい目をしているもの」


 ラステルが花が咲いたように、美しく笑った。目の前にいる、蟲の憎悪蹴散(けち)らした慈愛に満ちているラステルは化物ではない。変だが、蟲を操るのかもしれないが、決して悪行は出来ないだろう。


 この少女は少し前のシュナだ。


 化物に間違えられて刺されてしまう、非力で優しい娘。力があるからと利用され、狙われる(あわ)れな娘。


 ハクは正体を知られたくないからこの地に留まる。


 ならば、カールがこの地を離れる。


 身が割かれるようなこの気持ちは罰、そしてセリムとラステルを命懸(いのちが)けで守るのが子蟲への贖罪(しょくざい)、何よりも崖の国の者全員への恩返しになる。


「その役、私とティダと大狼がすると決まっているから貴方はこの地よ。ハクさんに居場所を作り、シュナをしかと守って。貴方が積み上げてきたものを最大限に使うの。ドメキア王国とペジテ大工房の連合で崖の国そのものを守る」


 アンリがカールを労わる振りをして、耳打ちした。カールは(うなず)いた。カールの短絡的(たんらくてき)な考えよりも、きっと役に立つ。素直にそう思えた。こんなに素直になれることなど長年無かった。やはり不思議な女性だ。


 まだ状況掴めないが、カールには予感がした。


 あらゆる激変をセリムとラステル、全て二人に起因している。

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