三つ子の誓い
アシタカには今の状況が全く分からなかった。泣きそうなセリムを見て余程頑張っていたのだろうということと、何かもう成しているのに何も出来てないと勘違いしているのは明白だった。
ティダと並んで王狼に座ったセリムは楽しげに見えた。ラステルがセリム膝の上に座っている。ラステルがセリムの首に手を回している姿は、守っているようにも感じられた。隣のティダはアンリを抱えているがセリムとは逆にアンリを守るように抱えている。
王狼のとなりに誠狼とゼロースが並び、後ろにルイ、シッダルタ、パズーが立った。
「この状況、どういうことでしょうね?城の方面に蛇が現れた時は肝が冷えました」
シュナが蛇が柱のように現れた国土の方面を見つめた。
「セリムとティ……セリムがどうにか話をつけたのだろう」
前方に巨大蛇が二匹。巨大といっても片方は一方の倍以上の大きさ。大型の蛇は角が生えていて、小型の蛇は鷲のような頭部、それに逆立った羽のような体をしている。
「名前を呼ぶのも嫌なのですね。二人して敵対心剥き出し。仲良くするべき二人なのですけどね。困った殿方達ですこと。蛇と大鷲ですねアシタカ様。立派な姿、きっとバジリスコス様とココトリス様でしょう。ご挨拶しましょうか」
シュナの右手がアシタカの左手に触れた。小刻みに震えている。アシタカはシュナの手を握りしめた。ティダの件は無視した。仲良くなど、向こうがする気がないのだからニコニコと歩み寄りたくない。絶対に。
「大蛇蟲の王と小蛇蟲の王とお見受けします。我が名はアシタカ・サングリアル。この地の南、ペジテ大工房の大技師名代にして大総統代理。現行、代表のような者です。隣に居るドメキア王国元姫君シュナ・エリニュスの従兄弟でもあります。初めまして」
アシタカは敬礼してから深く頭を下げた。理由はないが、伝わるという妙な自信があった。
〈人の言葉なのに伝わってくるとは蟲の王の通訳か。人語を覚えているのは知っているが、このような器用な真似まで出来るとは驚きだな。初めましてアシタカ・サングリアル。我は大蛇蟲の王である。我等の姫と親しいようだな。敬意を示そう〉
大きい方が大蛇蟲の王か。大蛇蟲の王が頭部を軽く下げた。
〈初めましてアシタカ・サングリアル。我は小蛇蟲の王である。大技師ヌーフとは会談したことがある。しかし後継は息子ではなく娘ではなかったか?名代ということは大技師後継のヌーフの娘の代理であるか?それともヌーフの代理か?〉
鷲蛇が小蛇蟲の王か。アシタカは目を丸めそうになるのを堪えた。
「失礼しました。我が父ヌーフは人の世では亡くなったことになっています。僕が大技師名代を名乗ったのは人の世での話です。父ヌーフは未だ大技師。僕は大志を抱き、人の世で権力振りかざそうとしています。父はその後押しをしてくれ人の世からは姿を消しました」
大蛇蟲の王が体制を下げて顔を近づけてきた。それから牙をむき出しにされた。シュナの手に力が入ったので、逆にアシタカは冷静になれた。突然襲ってくるような相手ではない。試されている。
〈知っている。どう出るかと思ってな。中身を覗けないのも蟲の王の仕業であろう?人柄と嘘を見抜くのに試させてもらった〉
「ええ、幾らでもどうぞ。蟲の王が僕を覗かせないようにしているのを止めた場合、どうかこの言葉を思い出して下さい。僕は未熟でよく迷う。声に出した言葉こそが意志です。迷いに迷い、疑いながらも決意した言葉が最終決断。嘘だと思っても生き様で判断願いたい。この世は因縁因果、生き様こそが全て也と我が従兄弟シュナが申していますので見習うつもりです」
さあ、とアシタカはシュナを誘導した。アシタカを探るような目をしているので、シュナには二匹の王の言葉は聞こえていないのだろう。
「シュナ・エリニュス。ドメキア王国元姫にして現国王ルイの宰相です。そしてアシタカ様の右腕。選択が必要な際はアシタカ様を優先します。よろしくお願いいたします」
シュナが優雅に会釈した。
〈アシタカ・サングリアルよ、我等は姫と話せない。まあ、挨拶されたというのは想像がつく〉
小蛇蟲の王も頭部を下げた。アシタカとシュナの前に二匹の蛇王の顔が並んだ。
「シュナ・エリニュス。ドメキア王国元姫にして現国王ルイの宰相です。そしてアシタカ様の右腕。選択が必要な際はアシタカ様を優先します。よろしくお願いいたします。彼女はそう申しました。大変光栄なことに、シュナは僕に力添えをしてくれる予定です」
大蛇蟲の王が目を細めてアシタカを見つめてくる。深い青い色はセリムの瞳の色と良く似ていた。
〈アシタカ・サングリアルよ、蟲の王と結託して何を考えている?要件を述べよ〉
アシタカは大きく深呼吸した。言葉にしたら後戻り出来ない。身の丈に合わない野望抱いて故郷を飛び出した。今から踏み出そうとしているのはその更に先。アシタカはシュナの手を強く握りしめた。それからチラリとセリムを見た。ラステルとシッダルタしか賛同者がいないセリム。ラステルとシッダルタはセリムを支えはしても、足りな過ぎる。
崖の国からセリムを連れ出したのはアシタカだ。自信がなく、不安で、随分と年下のセリムに背中を押してもらった。
ーー謀ったなアシタカ。1人は心細いから僕を道連れにというわけか
道連れにしたのだから、逆も付き合う。恩には恩を返すべきだ。
「順に話しましょう。先日、我が国はこのドメキア王国に侵略戦争を仕掛けられました。ベルセルグ皇国と共にです。僕は現在この国に賠償を要求しています。ペジテ大工房は大掟を守るために侵略も先制攻撃もしません。報復するなら高らかに宣言し、ドメキア王国領土を焼け野原にします。我が国は豊かで欲しいものは殆無い。領土を増やす気もない。それを踏まえて、建設的な提案を考えてもらっています。国民に伝え、誰でも、自由に提案して欲しいと告げてあります」
二匹の蛇王が顔を見合わせた。
〈何を要求したのでしょう?〉
小蛇蟲の王の問いかけにアシタカは首を横に振った。
「要求なんてしません。提案をしてもらい、僕は提案が相応かどうか判断する。こちらから賠償を提示するとあからさまな脅迫になるからです」
大蛇蟲の王が大口開けて笑い出した。
〈難題突きつけたな。しかも貴方は答えを持っている。不正解ならば殲滅も辞さないのだろう。ふむ、小蛇蟲の王よお前ならどうする?我なら不可侵の誓いだな。次に同じ過ちを犯した場合、焼け野原で構わない。しかし誓うと言っても人は恩を忘れて、仇で返すから不足か。まあ、我等はそもそも侵略などしないし誓いも破らないがな。面白い人間だなアシタカ・サングリアル〉
〈要求は誠意だな大蛇蟲の王よ。不可侵を続ける方法を提案せねばならん。手厳しい難題だが平和的で建設的だ。理由は何です?〉
グスタフとの大蛇の間での会談とは真逆でなんて話が通るのか。アシタカは蛇の柱を思い出して苦笑しそうになった。あれは侵略ではないということだ。脅しか何かだろう。侵略はしなくても脅迫はする。対人にだからなのか、他の種族にもなのかは測りかねる。
この一族、そして蟲一族と人では意識の高さが違う。味方につければ強力な後ろ盾となる。
「他国の戦に関与するべからず。侵略するべからず。先制攻撃するべからず。それが我が国の大掟。守ってきたので二千年滅ばなかった。高潔な一族だと自負しています。しかし、そろそろより高みにと思いましてね。僕は祖国が虐殺するなんて大恥を許さない。今の大掟だと高らかに宣言してからなら報復戦争が許されてしまう。争わないようにと考えるのが何が悪い。血が流れないようにと願う事が悪い筈がない。裕福に溺れて高みの見物も嫌悪を感じる」
大蛇蟲の王が大咆哮した。それから高笑いした。ティダのようだなと、思わず顔をしかめてしまった。
〈罪まみれのペジテ人が高潔な一族?笑わせる。しかし貴方は大技師一族。ペジテ人とは一線を画す。むしろ尊敬に値する一族也。ペジテ人を引き上げようというその志こそがその証。気にいってきた。では尋ねよう。他国の王を引きずり下ろすのは恥ではないのか?〉
「我が民は古き時代から二千年かけて変わった。僕はそう信じています。違くても我が一族が導く。知らないようなので話しますが、僕は交渉相手がグスタフでも構わない。欲しいのは回答ですからね。まあ権力を振りかざして国民に新たな王を選ばせようと思っていました。現国王が最適であれば望まれる。偶然にも内乱が起こって王交代となっただけです」
小蛇蟲の王がアシタカに頭部を近づけた。
〈いや、後押ししただろう。でなければ隣にシュナ・エリニュスは居ない。どんな策だったか興味があるが今はやめておこう。それで何故王がシュナ・エリニュスではない?それに蛇の子ルイ。あれは下等生物ではマシな方だが器小さい。アシタカ・サングリアルよ、貴方は見る目が無い人間には見えない〉
鋭い。アシタカは胸を張った。ここからが本題だ。
「シュナの意志を尊重しました。ちっぽけな国の王は至宝に飾られる紅の宝石の足下にも及ばない。僕は人類の至宝を目指しています。その僕の右腕。それから彼女の人を見る目を信頼してます。人は他人に影響を受けて変わる。良くも悪くも何度でも変わる。今は小さな器だと言われるルイ国王も成長します。支える者も見本も抑止力も大勢いますからね。蟲の王、大蛇蟲の王、小蛇蟲の王。僕にシュナ。セリム・ヴァナルガンド。更には大狼。それから、器が小さいのなら沢山用意すれば良いだけです」
大蛇蟲の王も小蛇蟲の王も無言だった。沈黙が横たわる。
〈人類の至宝。アシタカ・サングリアル何を成す?〉
大蛇蟲の王の声は低く唸るようだった。
「ベルセルグ皇国にもドメキア王国と類似した要求をします。あの国は侵略してきました。そしてグルド帝国。我が国の姫を攫おうとした。僕は武力、権力を振りかざして和平交渉を重ねる。弱きの味方となり他国に後ろ盾作る。僕は鮮やかな未来が欲しくてならない。そして誰よりも輝きたい。我が国の始祖聖人テルム、その隣に並ぶんですよ。それだと交渉相手は人だけでは足りない。さて、貴方達は僕に賛同します?今僕が欲しいのは巨大武力と、ペジテ大工房の抑止力。愚かな人間の暴走を止められる偉大な一族」
敵意はないと笑みを浮かべても大蛇蟲の王の雰囲気は険悪。小蛇蟲の王も同様だった。
〈嘘臭い笑みだな。愚かな人間の暴走を止められる偉大な一族。先程自ら高潔な一族と言わなかったか?〉
大蛇蟲の王がぐるりとアシタカとシュナを取り囲んだ。頭部がアシタカの横に並ぶ。
「蟲の王より貴方達はドメキア王国を守護する誓いを終えると聞きました。ペジテ大工房は蟲一族と二千年も不可侵を守り続けている。守護の誓い、次は我が国とどうです?ドメキア王国からの対価以上のものを差し上げます。そして欲しいのは守護ではない。監視と抑制。蟲一族は我がペジテ大工房を本能レベルで嫌悪していて不安定。ここに蛇一族が加われば三竦み。ついでにドメキア王国は今僕と交渉中。蛇一族が手を汚さなくても我が国が高らかに焼け野原にする。まあこのアシタカが手を汚す必要があると判断したら、ですがね」
アシタカはもう一度微笑みかけた。嘘偽りはない。向こうには不利益はない。乗ってこい。
「そんな必要はありません。この国は大陸で真っ先に大陸和平に賛同する国となります。蛇一族はこの地の神の化身として君臨。醜く阿呆な姫を美しく聡明にして至宝アシタカをこの地に招いた。素敵な神話となりましょう。そして新国王ルイは神の啓示を受けた時代の夜明けを齎した王として後世に残る。我が醜さに隠された美を見抜けぬとも、一度足りとも化物扱いしなかった方はそういう真心を受けます」
シュナは蛇の王二匹を無視してルイを見つめた。大蛇蟲の王と小蛇蟲の王の言葉が分からないのに、交渉に応じるのは決定事項というような信頼。
ルイが畏れ多いというような視線でシュナを見つめ返す。何か通じ合うように熱視線で見つめ合う二人。シュナが心に決めたというのはルイか。
また体調不良なのか息苦しかった。帰国したら肺疾患の精密検査を受けるべきだろう。
大蛇蟲の王が体を起こして移動した。アシタカではなくセリム達に向き合った。小蛇蟲の王も並んだ。
〈姫がアシタカ・サングリアルを後押しするのならば無下に出来ない。ティダ皇子の妃にして蛇の子アンリ。ペジテ人として主への意見を願おうか〉
蛇の子アンリ?
〈我が国は豊かです。足りぬものもありますが領土内で励むだけです。ペジテ大工房が燦々《さんさん》と輝き、感謝され、敬われ、大陸覇王はいつか大陸至宝と呼ばれるかもしれない。是非呼ばれたい。我が民はそういう理想論が好きです。かつて大陸を破壊した国などという看板を捨てたい。アシタカ様は本来許されない独裁に踏み出た。しかし誰も止められない。我が国の民が平和と誇りを求めているからです。子孫の為にペジテ人は嘘つき、怖い、酷い、嫌いと言われた汚名返上をしないとならない〉
アンリの声は蟲一族や蛇一族と同じもの。ティダが教えたのか?アンリがティダの膝から降りて背筋を伸ばして歩いてくる。隣は誠狼。
ペジテ人は嘘つき、怖い、酷い、嫌い。二千年消えていない汚名。確かに不名誉にも程がある。
周囲の蛇一族がアンリに威嚇して、その後戸惑ったように体を揺らしている。
〈本心だな。しかしペジテ人代表としては不適。貴方はペジテ人の匂いで消えているだけだが人の王。気づくのが遅くなったが、ペジテ人は本当に嫌な匂いがする。蛇の子になれるという我等の判断は正しかった。このアシタカ・サングリアルを暗殺しようとした民とは下等にも程があるな。我等と誓いを交わし、ついにペジテ大工房が滅ぶのか。恩人テルムの国は残したいので悩ましいな。してアンリよ、辛い思いをさせたことは謝ろう。ティダ皇子には謝罪したがまだであったな。すまなかった〉
大蛇蟲の王が深く頭部を下げた。
〈筒抜けなので分かりやすい。この妃がいるから蟲の王はティダ皇子と会談せよと進言したのか。ティダ皇子本人は底が見えぬ。アシタカ・サングリアルの人柄承知した。検討しようではないか大蛇蟲の王〉
アンリはまだ歩いて近寄ってくる。顔色が酷く悪い。
〈人の王?何か分かりませんが敬意をありがとうございます。誓い交わしても滅ぼされるような愚かな民ではありません。この国にはペジテ大工房の民から選ばれた議会議員である護衛人が幾人かおります。まず全員と話して下さい。個別面談、それから全員と議論。僭越ながら私が仲立ちします。祖国にも持ち帰ってもらいます。筒抜けならば私はお二人の王に嘘をつけないということでしょう。有意義な議論が出来ると考えます。このような大切な話、アシタカ様の独断では許しません。我等民にも選び決定する権利がある。二匹の王にもしかと見定めてもらいたいです〉
アンリがアシタカに敬礼した。それからシュナ。大蛇蟲の王と小蛇蟲の王と続けた。
〈かつてドメキア王族の始祖エリニースは蛇一族と誓い交わし、ペジテ大工房大技師一族の始祖テルムが蟲一族と誓い交わした。我等は人の王としか交渉しない。しかし、アシタカ・サングリアルが筆頭として罪深きペジテ人を正しく導くというのならば、交渉議論に値しそうだ。我は人間がどういう存在かもう少し知りたい。我は飲む大蛇蟲の王〉
小蛇蟲の王が告げると大蛇蟲の王が大笑いした。
〈わざわざ人の王ではない意見を率直に伝えようなどとは愉快な案だ。我も飲む。即座にではなくまずは議論というのが良い。大蛇蟲の王の即決即断は羨ましいが、我は熟考する方が好きだ。交渉の前に議論。人間は思考回路が個体で異なり過ぎるというので、我もそれを学びたい〉
大蛇蟲の王が小蛇蟲の王に軽く体当たりした。それだけで空気が震えた。
大蛇蟲の王がティダに視線を向けた。
〈これにて手打ちでどうでしょう?〉
〈手打ちどころか過多。この借り、孤高ロトワとの交渉材料か?孤高ロトワなんて俺は何も知らねえからな。他の要求を考えておけ。教えよう大蛇蟲の王、小蛇蟲の王よ、その人類の至宝を目指すというアシタカ・サングリアルは人の世では俺の名代だ。それから奮い立った理由も俺。その俺を正すのはセリム・ヴァナルガンド。これも三竦みである。ふむ、ペジテ大工房に二度と踏み入れまいと思ったが逆だな〉
ティダの発言に大蛇蟲の王が大爆笑した。
〈借り?固く閉ざして腹の底が全く読めない。孤高ロトワと同じだな。それに手柄を全て奪おうというのだけ伝えてくるとは奇妙だな。欲深い。なんと欲深い!俺はお前のような者がとても好きだ!人類の至宝?そんなちっぽけな座などくれてやる。頂点に君臨し最も偉大な王だと残るのはこの大蛇蟲の王!我はかつてエリニースと誓いを立てて、一族に二千年もの繁栄を残し、ドメキア王族への忠義を貫いている我等の始祖大蛇蟲の王を受け継ぐ者である!〉
大蛇蟲の王の対抗心に火をつけたらしい。睨むようだったのはこれか。大蛇蟲の王が空を見上げて大きく咆哮した。天上の雲に穴が空く。一瞬放心してしまった。
ティダがアシタカに向かって「小せえな」という口を作ったので我に返った。何なんだあの男は!
「ティダはアシタカ様が大好きなのですよ。素知らぬ顔をしているとよいですよ」
シュナに手を引かれた。大好き?真逆だ。シュナは人を見る目はあるが時折おかしい。
〈ふむ、俺は矜持を好む。大蛇蟲の王の壮大な野望はそれに値する。このティダは大狼、蛇一族、蟲一族と語れる。人の世ではペジテ大工房大技師の肩書き。ドメキア王国国王宰相シュナの真の父。そしてベルセルグ皇国皇子。知らんが孤高ロトワ龍の皇子の肩書きもある。偉大な王に是非とも利用してもらいたい〉
大蛇蟲の王が疑心の目でティダを見つめた。しかしどことなく楽しそうにみえる。
〈そうやって俺の手柄を奪おうという訳だ。やはり強欲だな〉
〈大蛇蟲の王よ俺は群れを守れるだけの力が欲しい。妃と友と部下。少々守るべき者が増え過ぎて手足が足りな過ぎる。この世の頂点を諦め人の世の頂点となることにしようかと。俺はそこそこ地位があり、武力でも大変役に立つ。どうだろうか?〉
ティダがこちらに向かってしたり顔を向けた。簒奪なんてしていないのに、シュナと王狼を奪ったという勘違いからくるアシタカへの怒り。その腹いせか。
アシタカはため息を吐きそうになった。王狼はティダを乗せている。シュナは元々ティダのものでも何でもない。シュナも王狼も自己意識ある立派な者。ハイエナなのはティダの方だ。ハイエナになる気満々とは最悪な男め。
人類の至宝の座、絶対に渡すものか。
〈有益な働きをする間は我が一族がティダ皇子の群れとやらを囲おうではないか。民の中には人里で人の王の護衛になりたいという者がいるので、許可してティダ皇子に一任しよう。屈強な戦士を選ぶ。反目し裏切れば背中を討つ。我が上なら下には頓着しない〉
〈疑われようが何をされようが構わん。俺はそんなことに頓着しない。妃アンリエッタと弟分ヴァナルガンド。この両名俺の特別中の特別だ。それからヴァナルガンドの妃ラステルは弟分に絶対に必要。この三者死なせたら一族郎党可能な限り滅する。逆なら永劫仕える。決して裏切らない。人の世の頂点に立つなら有能な護衛がいないと恐ろしくて進めんわ!アシタカとシュナとは別に誓うだろうから俺は多くを望まない〉
大蛇蟲の王とティダが互いに高笑いを響かせた。場の雰囲気を完全にもっていかれた。
〈ティダ!アシタカ!僕は二人の背中を追う。それに偉大な蛇の王!今日のような大恥晒しは許されない〉
セリムの突然の発言に、ティダがセリムの頭を強めに撫でた。
〈してヴァナルガンド、大狼には鰓が退化したようなところがある〉
何の話だ?
〈何だって⁈〉
〈ウールヴ、見せてやれ〉
ティダがセリムの膝の上からラステルをそっと抱き上げた。セリムが元気よく王狼の背中から飛び降りて誠狼とアンリの方へと駆けていく。ティダがアンリに目配せした。
するとアンリがセリムに敬礼した。
「セリム様、ラステル様。そもそもは貴方達が我らの国を救ってくれたからです。それより以前、既に我等の至宝アシタカ様を導いていたセリム様。我が夫と酒盛りの際にこのアンリともお話ししましょう。酒は好きで得意です。三竦みなどという恐怖政治、私は好きではありません。セリム様とならより良い案を考えられるでしょう。この名誉護衛人アンリ・スペスはお二人の護衛人として励みます。人里でお二人の護衛をする蛇一族も守らねばなりません」
面食らったセリムが足を止めた。
〈我が国の救世主セリム様とラステル様に牙を剥くのならばこのアンリ、巨大蛇であろうと蟲の大群だろうと容赦しません。どんな卑怯な手を使っても守ります。弱すぎますので大狼に鍛えてもらう予定です。逆に大蛇蟲の王様に小蛇蟲の王様、そして不在の蟲の王様、一番相応しい者の側近となります。一先ずは大陸の至宝目指す大蛇蟲の王様です。夫までとはいかなくとも役に立つと思います〉
アシタカからではアンリがどんな表情をしているのか見えない。しかしいつもの花が咲いたような満面の笑みだろう。
シュナにいきなり手の甲を抓られた。シュナに目線を向けると苛立ったような笑顔があった。
「アシタカ様、何やらやられたい放題されていませんか?このシュナも会話が全て聞こえれば良いのですがね。私、アシタカ様を一等にしたいので共に頑張りましょうね。ティダは貴方の真下です」
かなり機嫌が悪そう。何故だ?シュナが大きく息を吸った。
「セリム様!私、蛇の女王なるとても名誉な地位を得られると聞きました!快く戴冠しますので伝えてくださる?そして国民に披露したいです!蟲一族に祝われたいです!それを伝えられるのはセリム様だけだと思いますがどうでしょう?国民に蟲一族はこの地の神である蛇一族と盟友だと見せつける!神の遣い!それこそ我が国が奪った命に対する贖罪となりましょう!ルイ!時は金なり!民をあしらい扇動せよ!」
セリムが脱兎のごとく駆けてきた。ゼロースがもうルイを引きずっていっていた。紅旗飛行船へ向かっていく。パズーが慌てて追いかけていた。
「シュナ姫。僕は……」
「私だとすぐに解答を出すからルイから遠ざようとしたのでしょうが、足りぬ器に注いで溢れさせてはなりません。それからいきなり壁も破壊できません。セリム様、人を見る目はありますが使う技術が足りない。もう許している相手に価値観を押し付けるのも良くない。人種どころか国や種族を越えるのは大変です。共に頑張りましょう。ティダやアシタカ様を見習いラステルに相応しい伴侶になってくださいね。人生は長い。焦らなくとも時間はたっぷりありますよ」
シュナがセリムの両手をとった。それからとても優しい微笑みを浮かべた。
「シュナ姫、僕は変わる!アシタカが言う通り人は何度でも変わる!変わってみせる。僕は必ずティダやアシタカの隣に並びます。勿論シュナ姫やアンリさんやラステル……あげたらキリがない!世界はとても広いです!大狼にも鰓があったかもしれなくて、蛇一族や蟲一族は昔は人と仲良くしていて、この大陸には沢山の伝承もあるはずで、足りない。全然足りません!アシタバアピスの子にアングイスとセルペンスの子よ!僕と遊ぼう!僕が間違っていた!君達の親に注意された!怒りで我を忘れていたのを止めようとしてくれていたのを無下にしようとした僕を許してくれ!」
またセリムが走り出した。今度は若草色の瞳をしている蟲の大群へと向かっていく。
「試してみただけなのに、褒められるよりも叱られて、さあ頑張りましょうの方が働くとは変な方。ああ、隣にいる兄に似たのですね。セリム様は今からどのような神話を作って下さいますかね。セリム様なら交渉も議論も終わってないのにこの場にいる全員が手を取り合ったと勘違いしているでしょう。このシュナ、必ずやセリム様が作る神話の中心にアシタカ様を置きます。隣は私ですからね。ティダとアンリに横取りされないようにしますよ!」
シュナがティダを睨みつけた。機嫌の悪さはティダに対してだったのか。
「違います!アシタカ様はもっと女心というものを学んで下さい!」
シュナが頬を膨らませてそっぽを向いた。ティダがアシタカに向かって「阿呆」という口を作った。
何度も何度も苛々する。セリムがアシタカとティダを並べて兄貴分ならどちらが兄だ?絶対に上に立ってやる。ついでにセリムの兄貴分の座から蹴落としてやる。
〈遊ぼうセリム!〉
〈おこりんぼバリムが居なくなった。遊ぼうセリム〉
〈姫も遊んでくれる。遊ぼうセリム〉
〈セルペンスも遊ぶ!小蛇蟲の王は立派で思慮深いからお祝いする!先にお祝いするのは偉い子!〉
〈大蛇蟲の王が大陸の至宝になる!アングイスもお祝いする!〉
〈そうだ亡くなった命は平和への礎になったと残すんだ!必死に耐えた中蟲を見習え!どんどん学べ!偉い子は偉大になるんだ!僕と共に学ぼう!必ず罪に相応の罰を考える!僕はあちこちの国で法律を学び大陸のあらゆる種族共通認識を作るんだ!人と蟲じゃなかった!蛇一族もいて大狼もいる!やり甲斐が増えた!〉
縦横無尽に空を飛ぶ大蜂蟲の子、大地を駆け回り飛び跳ねる蛇達。蛇も子供なのか。セリムと彼等の会話は全く噛み合っていない。
セリムがシッダルタへ飛びかかっていた。
--あちこちの国で法律を学び大陸のあらゆる種族共通認識を作るんだ。
--やり甲斐が増えた
アシタカはセリムの発言に茫然とした。
「シッダルタ!仲間が増えて夢も大きくなった!僕と一つずつ前へ進んでくれ!ラステル!僕は君に相応しい男に必ず成長する!ラステル!シッダルタ!国の名は誇りだ!領土も城も何もいらない!身一つだ!それでも付いてきてくれ!僕は自分の事が分からない!大陸中を渡り歩くぞ!仲間が大勢いる!もっと増える!絶対増える!だって世界は広かった!尊敬する者が沢山現れて僕を導いてくれる!」
セリムと組手するシッダルタは、船で見た悲痛と絶望見え隠れする男には全く見えない。真逆の幸福そうな笑顔をセリムに向けている。ラステルがこの世で一番幸せというように二人へ向かって走っていく。
「セリム!セリムなら大丈夫よ!セリムだもの!」
両腕を広げたラステルが、同じく両腕を大きく広がるセリムの胸に飛び込んだ。抱き上げられたラステルが高々と掲げられた。
ラステルは深い、深い紅の瞳をしている。
セリムの瞳はラステルそっくりの若草色。
何だ?どういうことだ?
「シュナ姫!偉大な王が君と話したいという!僕が仲立ちしよう!」
「セリム様には悪いですが上手く転がしてきますねアシタカ様。まあセリム様が世界の中心でしょうけどね」
呼ばれたシュナが意気揚々とセリムに向かって走り出した。その途中でティダに頭をぐしゃぐしゃに撫でられた。アシタカは「死ね」と言いそうになって口を閉ざした。固く唇を結んだ。人類の至宝は口の悪さを治さないとならない。
ーーセリムの愛するものを愛し信じるものを信じる。殺されても許す。それが本当の誇りよ。例え死んでも想いは消えない。決して失われない。
ラステルの声?直接胸に響いてくる。
巡り巡って命を照らす。
祈りと願いだけを受け継いで待ってる。
ずっと待ってる。
待ってた。
さあ空を自由に飛ぼう。
地を何処までも進もう。
許し続けて返ってきた。
テルムが帰ってきた。
私たちの家族が帰ってきた。
何度でも帰ってくる。
その度に思い出せる。
歌だ。
これはまるで歌だ。
懐かしくてならない。
--姿形変わろうと、何もかも忘れても、どれだけ時間が過ぎようと僕のような者は必ず生まれる。どうか忘れないでくれ!アモレ!この地を守れ!何もかもを守ってくれ!絶対にいつか理解する!僕は間違っていない!絶対に続く!僕の意志は決して消えない!
熱い。
恨むな。
殺すな。
生きろ。
その先にまた幸せが待ってる。
熱い。
熱い?
知らぬ男の声。これは誰の記憶だ?
熱くないが熱い。一面火の海。アシタカはぐるりと体を回したが炎しかない。
〈我に託された記憶だ。この深淵に耐えるのが蟲の王である。人形人間アモレを愛し、蟲を愛したテルムは悪魔の遣いと言われて磔にされ炎で炭にされた。救おうとする我が一族をアモレは女王に君臨して止めた。故に簡単に人間を殺してはならない。我等は積み重ねられてきた人への憎悪に突き動かされるがこの王の記憶で止まれる。理解出来ない記憶。人とは不思議な生物也〉
蟲の王の発言にアシタカは身震いした。
磔にされ炎で炭にされた。
--アモレ。この地を守れ!何もかもを守ってくれ!
残された蟲の女王アモレはどうした?何処に消えた?
--人形人間六番なんて酷すぎる名だ。一生懸命考えた。アモレ。君はアモレだ。愛の名前が相応しい
--化物ではない。俺の子供たち。流れ星に願うと叶うと聞いた。何度も何度もお願いした。幸せになって欲しい。さあ、今日もお願いしよう。とても美しい夜だなアモレ、アピス。大自然とは何て綺麗なのだろう
--子供達と家族が全員殺されてしまう。一方的に虐げられている
--願っても祈っても何も叶わない。ならば、ならばこの手で作り上げる。
--必ず復讐する。永遠に続ける。愚かな人など死ぬがよい。決して許さない。俺の子供達に近寄らせない
〈我等の父。名をサングリアル。何をしたのかは辛くて覗けぬ。血に残る正反対の思想。我等は見ないふりをして均衡を保っていた。奔走していたら見事に破壊された。ホルフルの民と大蜂蟲はセリムを王代理とするそうだ。王位空席にし話し合いで生活し、王戴冠を待つという。孤高ロトワ以来の一族分離。父の意志を強く受け継ぐ大蜘蛛が大激怒している。覇王を名乗るならこの激動の大嵐終わらせるのに付き合い続けてもらうからな〉
困ったような蟲の王の声にアシタカは眉根を寄せた。
セリムが蟲の王代理?
〈王の名が破壊として続くのか、それとも一代限りか。とんでもない生物が生まれたものだ〉
セリムが大蛇蟲の王と小蛇蟲の王と何か話しているが分からない。聞こえない。
〈残念だったな俺が捩じ切ってやった。蟲の王よ、確かに殆ど覗けねえな。気分最悪。倒れそうだ。父の名を語り、生き返った振りをしたとは、きっとその後もド派手なパフォーマンスをしたんだろうな。アシタカ・サングリアル。ヌーフ殿は愛する息子にとんでもない名前を付けたものだ。アシタカ、先日不敗神話に傷をつけられた借りを一生涯かけて返すから覚悟してろよ〉
炎の向こうでティダが倒れるのが見えた。
「何の話だ?こっちが一生働かせる。おいティダ、お前は人間なのか?熱い。熱過ぎる……まだ交渉途中……」
頭痛に悪寒に吐き気に何よりも目眩と全身を襲う熱感。アシタカもティダと反対側に向かって体が倒れていった。
小さな声が聞こえた。
--遠く離れても家族は共にある。それぞれが鮮やかな未来を作ろう。いつか交わる。そう信じて強く生きていこう。憎悪と諦めを決して許すな。それが三つ子の誓いだ




