蛇を睨んだ大狼
紅旗飛行船の操舵室。ティダは前方の唐紅の激情に燃える瞳が並ぶ第一境界線を眺め続けていた。それから、あちこち潜れるだけ潜った扉からの情報をまとめる。
完全に固く閉ざされているヴァナルガンド。本人ではなく別の者が関与している。蟲の王だろう。子蟲アピを通すと大蜂蟲の子が「遊べ、ヘトム」の大嵐で煩いだけ。こちらからもヴァナルガンドへの意識への干渉不可能。同時には無理だろうから、蟲の王以外に阻害者がいる。大蜂蟲の成蟲だろう。
そして突如現れた知らぬ扉。一瞬だったので潜入しそびれた。バジリスコス、ココトリス。名と声は覚えた。今まで読んだ書物で蛇神話のバジリスクとコカトリスという名を見た記憶がある。大蛇と小蛇が海を統べているという子供向けのおとぎ話だと頭に叩き込まなかった。ドメキア王国が「毒蛇の巣」と呼ばれる由縁、蛇の由来が蛇神話関連なのかもしれない。始祖の双子神のうち男神が蛇の姿をしていたというのは実話なのかもしれない。
何が起ころうとしている?
「ティダ様、本当にあれの前に並ぶんです?」
飛行船を操縦するベルマーレの腕が微かに震えている。革命でも不安作戦しか提唱できずにいたので当然か。信用失墜もいいところだ。
「まあな。臆しても許そうベルマーレ。俺が足りんからだ。ビアー、全員は無理だろうが出来るだけ集めてこい。あとの奴には後で伝言して欲しい」
ティダの隣に控えるビアーの肩を叩いた。それからバースに向き合う。
「バース、この船とベルセルグ皇国兵はお前に頼む。シッダルタ不在でもまとめてくれていたからだ。シッダルタの次の器の選抜も的確。ビアー、ゼロースもだが良い上官に恵まれている。とっとと俺の真横まで来いよ」
紅旗の騎馬隊と親衛騎士団の騎士達は重圧かける程闘志に燃える者が多い。第四軍師団長の方が余程出来が悪いとまで思わせる。ビアーが大張り切りという様子で「御意」と操舵室から出て行った。シュナを最初に気に入った次に、そこそこ手を貸すかとなったのもこのシュナの忠臣の二大騎士団の存在。
「バース。どうやって育てたんだか、と悔しくなる。倍まではいかないがその歳までに俺はここまでの駒を揃えられるかね。生きてる間に語ってもらうからな。そういや殴って悪かったな。まあ、お前は身辺警護にしては弱すぎだ。しかし後方支援にはお前のような者が必要だ。前線を若者に譲れ」
バースが目を丸めた。それから子を見るような目つきで微笑した。自然と口が曲がる。痒くてならない。しかし生き方を修正すると決めたのなら進むしかない。
「光栄です。私は今の貴方の年の時なんて全然でしたよ。時間や経験はとても大切なものです。それから我が王にとってのヴィトニル様。あのような者がもう何人かいるだけで大きく違うでしょう。この騎士団、先に死んでいった盟友が残したものも多いです」
バースが遠い目をした。想いを馳せているのは、時折名前が出るメルビン、ラーハルトという二名のことだろう。
「そうか。ならばやはり俺は大狼にまでしたヴァナルガンドを蟲から取り返す。あれは俺のだ。あとゼロースか。俺はあいつが気に入ったから連れ歩く。餌はシュナだな。そのうち向こうも俺を気にいるだろう。ベルセルグ皇国を革命で火の海にしてやるつもりが、劇薬の矜持に捕まったからな。俺の計画はどんどん変更させられている。生きるというのは思い通りにならず愉快だな」
またバースが目を丸めた。さっきよりも驚きが大きい。
「随分変わりましたね。というか隠すのを止めたのですね。今のティダ様の方が良いですな」
バースが歯を見せて笑った。ティダは肩を竦めた。
「ヴィトニルにフルボッコにされたから改めた。俺としては最悪最低な生き方になるだろう。地獄だ。まあ妙なことに妻が付いてくるというので何とか歩くさ」
バースは理解不能というように眉根を寄せた。
「地獄?」
「右を見ても死体。左を見ても死体。そこに俺の身内が転がる。俺が育て、大事にした奴が転がっていく。これぞ地獄だろ。俺の手足は合計四本。一本は蟲のせいで調子が悪い。目と耳は二つ。鼻は一つ。ふんっ、守りきれるか」
抑えようとしても頬が引きつる。
「そうですか。ではこのバース、なるだけ自分の身は自分で守れるように若きを心身共に鍛えましょう。やはり今の方が良いですよ」
着いて行く。この目が嫌だ。どっかに去っていって欲しい。意識してないと、何故かどんどんこういう男が周りに増えていく。素直に嫌だという顔をすると、バースは悲しそうに笑ってくれた。少し胸がすいた。このように心配されることなど、今までなら王狼だけだった。幼き時は母親。もう随分と顔が朧げ。死んでいるかもしれないなと、珍しく郷愁が湧いた。
「まあ命短し、されど尊い。眩しく生きる。俺は俺の好きに生きるから、お前も好きに生きろ。んで、アシタカにあんな革命見せつけられて、あれより下など許せん。しかし俺には権力も実力も足りねえ。戦闘は得意なんだがな。大勢背負うより好きなものだけ囲ってきたしっぺ返し。だが黙って降参するものか。バースよ、俺の通り名は何だ?」
バースが悩んだように顔をしかめたから口を開いた。
「ハイエナから生まれた犬皇子ですね」
不敗神話の方ではなかった。臆せずよく言い切ったとティダはバースの肩を抱いた。自然と高笑いが込み上げる。
「そうだ。俺は手段を選ばねえ。足りないものは他所から奪う。忠犬の振りしてな。アシタカに俺の目的をやらせる。で、最後は俺が持っていく。一度ベルセルグ皇国に帰るか思案中だ。ドメキア王国に連れて来た元奴隷兵は今後もお前に任せる。アシタカの名でも使え。是非ビアー達のように育ててくれ。返さなくていい。逃げたら放置で構わん。自由に生きさせたい」
「仰せのままに。我が王よ」
バースの無表情からは、感情がいまいち読み取れなかった。自ら選んだので刺されても文句は言わない。ティダはバースの肩を軽く三回叩いてから、腕を離した。
人の気配がかなりしたので振り返った。あっという間に集まったものだ。ティダは操舵席にもたれかかった。
「ベルマーレ、今お前は俺の背中だ。この意味分かるな?剣技でいえばビアーより上。お前の根元を気に入っている」
ベルマーレから返事はなかった。水の匂いがしたので、感極まって泣きそうなのだろう。この感激屋なのが全くもって気に入らない。しかし他は概ね気に入っているので無視した。紅の騎馬隊隊長となったビアーより上というのが、嬉しいのは分からなくもない。しかしそんなことで感激するとは器が小さ過ぎる。
ビアーを先頭に騎士達が並んだ。ベルセルグ皇国兵もきちんと混じっている。ビアーに目で良くやったと伝えた。無表情だが、唇の端がピクピクとしているのでこちらも嬉しいのだろう。どいつもこいつも、もう少し感情を隠す鍛錬をさせるか。
不在者は操縦関連だろう。ビアーに伝達させ、ベルセルグ皇国兵にはバースからも二重に話させる。
「さすが素早い。大体全員揃ったな。迷わぬように状況提示しておく。グスタフが蟲森で蟲の民狩りをして殺戮したので蟲どもが怒った。蟲の民などヴァナルガンドしかいないのに大きな誤解だ。ベルセルグ皇国がもつ蟲を操る秘術が欲しかったらしい。そんなもの無いのだがな。蟲は高らかに宣言しドメキア王国を焼け野原にするつもりだった。そこで聖人の子孫アシタカと蟲の民ヴァナルガンドが蟲との交渉に打って出た。蟲の王より二日猶予を得たのが今だ。王同士で会談という実に平和的な状況に変わっている。あの二列の境界線はこれ以上侵略するなという意思表示らしい。ここまでで質問あるか?」
もたれるのをやめて直立した。間違えればこの中の誰かが死ぬ。ドメキア王国滅ぼうと、連れて来た者達は死なせるかと背負ってきた。抑えないと震えそうだ。だからむやみに他人に関与したり、気持ちを寄せたりなどしたくない。
概要を説明してあるバースは黙っている。他も同様。信じたらとことん付いてくるという潔さ、逆を言えば盲目。ティダはため息を吐いた。何か言え。
「こんな訳が分からない状況、何も聞かないとはお前達は阿呆か。生き残る為に最善を尽くすのを放棄するな。ったくだから俺に騙され、俺の矜持に殺されかけるんだ。ベルセルク皇国兵よ、見習うなよ」
即座にビアーが剣を天井高く掲げた。
「阿呆ではありません。何度、命を救っていただいたのか。信頼すれば背を無防備に預ける。それが紅旗の真の騎士。私は私の矜持に従います。騎士たるもの命を盾にするのに、主は選びます」
ティダは鼻を鳴らした。
「男たるもの自らと囲う者、弱きの為に死ね。しかし死ねば弱きも死ぬ。だから這いつくばっても死ぬな。だから人など嫌なんだ。しかし許そう。俺の背中がみっともないからだ。勝算なしの作戦ばかりに付き合わせる俺のせいだ。さて、蟲の王と交渉したヴァナルガンドは人も蟲もどちらも好きだ。色々思うところがあるらしい。今回の件、恩を仇で返したと、人を裁くと怒っている。本人に聞いてないから本心は分からん」
ベルセルグ皇国兵から動揺が漏れた。騎士団は冷静。優劣を決める差が出たかと、ティダは全員を見渡した。顔色見ても、国で分けても良いだろう。
「育ちが違います。我が王は内に入れるのも捨てるのも判断が早過ぎです。説明不足なだけです」
バースに小声で告げられてティダは肩を竦めた。自覚している痛いところを的確に突かれた。バースに目配せした。礼が通じるか不明。後で仕切り直すか。
ティダは軽く髪を掻きあげた。一から十まで話さないと信じる相手も決められないとは、目が悪過ぎる。
「ヴァナルガンドを信じないと、この世の何も信じられんぞ。蟲を全面的に肯定するなんざ大陸中探してもいない」
ヴァナルガンドへの不信感が消えない者は誰かとざっと眺める。ヴァナルガンドを信じないのにティダは信じるという様子の者。ちらほらいる。頭が痛くなる。ここまで言ってダメなら船から追い出すか。人を見る目も実はないのかもしれない。
「このバース、ヴァル殿は西で争い起きれば自身の家族に被害が及ぶというだけで、単身旅に出たと聞いています。我等をノアグレス平野での惨劇から救い出し、無血革命の立役者でもある。アシタカ様に助言し、ベルセルグ皇国の奴隷兵解放にも噛んでいると聞きました。恩赦求めず、手柄も他人に譲る。だから気づきにくい。まあ、知らぬとも我が王がここまで肩入れする、それだけでこのバースはヴァル殿を信頼します。そうでない者はこの船から降りてもらおう」
不審そうな目の者の顔付きが少し変わった。説明不足か。何をどこまで語れば良いのかは判断し難い。そこまで言わないとならないという時点で気に食わない。バースに苦笑いを浮かべられた。ティダが間違いということだ。
「人を裁くと言ってもヴァナルガンドは争いが相当嫌いだ。アシタカがドメキア王国に要求したような回答を求めている。というか、あの案はそもそもがヴァナルガンドの案だ。アシタカは大陸和平などという大望叶えに奮い立った。元々胸に大志を抱いていてもアシタカは自己不信の塊で実行に移せるような男ではなかった。俺が蟲を使って第二軍を殲滅する作戦を変更したのも、シュナが血みどろの革命止め恨み飲み込み全てを許し捨てたい国に人生捧げる茨道決意したのも、アシタカの行動も何もかもヴァナルガンドの影響だ。見聞きしててヴァナルガンドへ不信とは生存本能が無いのか。そんな奴を俺は背負わん。お前らを選んだ己の見る目が悪いと思い知らされて、腹立たしくてならない」
ヴァナルガンドを不審者扱いしている気配の者を順番に見据えてから、ベルマーレが座る操舵席の背もたれをへし折った。場の空気が凍りついたが、無視した。
「ドメキア王国としての交渉はアシタカとシュナがいれば良いかと俺は部下だけ連れて逃げようとした。俺は個別にヴァナルガンドや蟲と交渉するつもりだった。この国には駒を置いたから、俺ではなく下の仕事だ。しかし至宝アシタカにしてやられた。俺にも手伝わせたいと捕まった。それでお前達を連れてきた。身内が知らぬ間に死ぬなど不本意だからだ。この飛行船にいる者及び大狼に託した妻と友は俺が死なせん。しかし優劣というものがある。俺は器小さく権力も小さい。背負うにも守るにも全力尽くしても死ぬ者が出るなら、俺は俺の好みで差をつける」
ティダは兵士達の間を歩いた。刺すなら刺せ。返り討ちにしてやる。
「妻、大狼、そして友ヴァナルガンドと妻ラステル。次は愛娘シュナ。その次はムカつくが劇薬至宝。それから俺の矜持。それからまあ幾つかある。それが上だ。ここにいる者はもっと下。しかしそこらの人間とは別格。だからやれることはしてやる。しかし俺が上に決めてる者を刺したら捨てる。恨むなら俺の好き嫌いと、俺に好かれない不運を恨め。故に逃げたいなら逃げろ。刺したいなら刺せ。罵倒し、罵り、歯向かってこい。俺はそんなことに頓着しない。俺が選んだ。俺に対することなら何をしても許す。俺の身の内に手を出すと容赦しない。お前らに誰かが何かされてもそうだ。それを覚えておけ」
誰も何も言わない。何か言え!死ねと言われて黙っているとは家畜だ。こんな奴ら抱えるとはまた気が狂った。だから人里など嫌だ。
「蟲の大群の二列。うち一列を俺達が任された。俺はヴァナルガンドより学び蟲と会話する。黙って後ろで守られてろ。それが嫌なら逃げろ。逃亡も生存本能だ。俺の邪魔をするなよ。何が邪魔か分からないなら聞け。きちんと声を出せ。全く、家畜のような阿呆共め。いいか、騎士の精鋭は正真正銘俺の身内。しかしベルセルグの奴隷よ、お前らなんざ俺は興味ねえ。シッダルタがいるから庇護に置いてるだけだ。ようやく自由へと踏み出したシッダルタを刺してみろ。それこそ奴隷層全員を喰い殺すからな」
元の位置まで戻ると、折れ曲がった金属製の操舵席が目障りだったので踏んで折った。こんな明け透けなのは最悪だ。顔色を変えない者は少ない。これでより優劣つけやすい。
「奥方様達と大狼様達が不在なのはどうしてですか?それからゼロース様もいません。いざという時の逃亡関連を任せたのでしょうか?奥方様を一番安全な場所に残してこられると思いますので、このビアーそうだと考えています」
ビアーが無表情で口を開いた。ビアーしか声を上げない。こいつは不出来だったのに中々よく育ったものだ。苛立ちが少し減った。
逆に背中に怒りを発した。ティダはベルマーレの髪を軽く引っ張った。期待込めたのに、全然変わらないとは期待外れにも程がある。伝わったか知らないがベルマーレの髪から手を離した。あれこれ当たり前のことを言葉にするなど面倒でならない。
「ヴィトニル達には後方二列目を任せた。必要だがら不本意ながら妻を向こうにやった。俺の妻は守られたくない、前線に立ちたいという困った我儘だ。お前達とは格が違う。妻が最前線に行って俺がその後ろというのに心底苛立っている。ヴァナルガンドのせいだ。しかしあれは俺の身内の筆頭。何もかも許す。いいか、この中からグスタフと同じ真似をする奴が出たら俺が殺す!それからヴァナルガンドを刺したら背中の国土、全部焼け野原にするからな!俺のものに手を出すな。嬲り殺すじゃ済まねえからな!」
苛々してきて怒声が出た。その時、気を張り巡らせていたところに、いきなりヴァナルガンドの扉が開け放たれた。
〈蛇の子?死ぬかもってアンリさんはどうなってる?アングイスとセルペンスの子よ、遊ぶと騒ぐのを止めて少し話をしてくれないか?〉
--死ぬかもってアンリさんはどうなってる?
扉は一瞬だった。慌てて拒否したというようにブツリと途切れた伝心の輪。ヴァナルガンドの意志ではなさそう。誰かが何か噛んでる。バジリスコスとココトリスとかいう奴だろう。
--死ぬかもってアンリさんはどうなってる?
大狼三頭は完全拒否していて、何も状況が掴めない。答えは明白。絶対にアンリに何かあった。心臓を鷲掴みにされたように全身から血の気が引いた。
「作戦変更だ。俺はバジリスコス、ココトリス、及びその下のアングイスとセルペンスとかいう奴らと話す。ドメキア王国も蟲も知らん。ヴァナルガンドめ、何か知っていそうだから、蟲との交渉など捨てさせてやる。誰もついてこなくて構わん。見知らぬ生物が俺の一番に手を出したようなのでその件が最優先。内容次第で滅ぼしてやる。お前達は蟲の前に立っとけ。前にアシタカとシュナが立つから従え。嫌なら逃げろ。最優先案件が出来たのでこれより俺はお前らを捨てる。アシタカとシュナがいるから悪くはなるまい。生存本能研ぎ澄まし、死ぬなよ。自由に、そして好きに生きろ。もしまた会えれば再び直々に囲おう」
軽く手を振って見張り台へ続く梯子を上った。バジリスコスとココトリスとかいう得体知れぬ何某か。
ぶっ潰す!
バースとビアーも狼狽したようだが無視した。間も無く大地に降り立とうとしている紅旗飛行船。高度的には飛び降りられる。
あまりにも無責任だと思ったので、それではアンリにも逃げられるのでティダは手足を止めた。それからバースとビアーを見た。
「次から次へと問題ばかりで訳が分からん。アンリに手を出した奴がいるので潰す。とりあえず取りいる。犬の振りしたハイエナが大狼とは不運だったと死ぬ間際に絶望させてやる。ビアーとバース両名は俺の代理。何もかも任せた。全員好きに生きよ。命は短い。自由に好きに生きろ。気に入っている矜持があるから、俺の身内の身内だから囲ってやってただけだ。蟲を鎮めた騎士団という誉れ、子々孫々残る神話になれるのを放棄しようが死のうが知らん。しかしこの俺が選んだんだから、俺が守り通してきた紅の宝石と共に至宝アシタカの周りに飾られとけ!永劫語り継がれ、敬われ、名が残る!何が大事か己で決めろ!」
見張り台への扉を引き剥がして、床に投げ捨てた。優劣つけた結果捨てるので振り返らなかった。こんな風だからアシタカと違って権力が無いのだと思い知らされる。生き方を変えるとは難し過ぎる。
簡単には人里でなど生きれない。王狼め、飲まないというが酒を飲ませてやる。こんなの愚痴らずにやってられるか!
ティダは見張り台へと飛び出した。ガビから望遠鏡を奪い取り地上を見渡す。邪魔なのでガビを操舵室に突き落とした。
数列横並びの大蜂蟲の大群。ざっと三百程度。思ったより少ない。三つ目は激怒の真紅。ほぼ中央の位置の地上に人影。周囲にわらわらと大蜂蟲の子らしき飛行生物。金髪に見える。
どう考えてもヴァナルガンドだ。
最終境界線に居るのかと思ったら違うらしい。一人だけなのでラステルとシッダルタは不在の様子。人影の周りに蠢く地を這う生物。
〈中蟲よ、ドメキア王国ごとこの俺の部下を殺そうとしたな。ドメキア王国の民でなく帝狼フェンリスの身内なのに敵意向けたと知っている。お前らを止めたヴァナルガンドに免じて許してやろうと言いたいが足りん。子蟲を連れてきてやった。迎えに来い。来なきゃ俺への侵略の代償払わせるぞ〉
背中の子蟲アピを服から引き剥がした。こいつを殺すぞと訴える。
〈子蟲殺しは最も重い!〉
〈なら俺に従え〉
動く気配なし。どう手篭めにするか。
服越しならまだしも素手で子蟲アピを触ると、全身に鳥肌立って、冷汗が止まらない。何で拒絶したい蟲なんぞに好かれたのか意味不明。遊べと喧しいので無視しているが、子蟲アピの目は緑色なので恐れも警戒もない様子。
〈ヘトムはセリムと遊ぶ。セリムはおこりんぼ止める。中蟲も助かる〉
楽しそうな子蟲アピにティダは思いっきり舌打ちした。殺気無視して呑気な子供だ。こんなの殺したらそれこそ万死。
〈俺はお前を殺すつもりだぞ〉
〈嘘だ!嘘だ!嘘だ!ヘトムはセリムと遊ぶ。ヘトムはやっぱりバヘトム!嘘つき!〉
惜しみない信頼にほくそ笑んだ。中蟲からも同じような感情を感じる。押し入られるかと扉閉ざすも漏れている。
これは使える。出来るか?と自己不信ながらも伝心を二手に分けた。子蟲には親しげに「遊ぼう」で中蟲には敵意。上手くいきそうだ。中蟲はまだ子供の領域なのか隙だらけ。なのに子蟲と違って守護がなさそう。子蟲の方はヴァナルガンドを通して侵入楽々。
ヴァナルガンドは他者の領域にズカズカと君臨しているらしい。蟲の王や成蟲の気配がするがヴァナルガンドと拮抗しているような感じがする。何て奇想天外な男。珍妙過ぎる。
〈中蟲よ、来なきゃこの子蟲は死ぬぞ。この下の子蟲達もだ。俺は少々腹を立てている。報復に、ドメキア王国の民ではない俺の部下を巻き添えにしようとした。弟分を身内に奪おうとしている。バジリスコスとココトリスとかいう奴は誰だ?俺の妻に手を出しやがった。ぶっ潰したい。俺の部下に手を出さないと誓い、それから俺に手を貸すなら何もかも許そう〉
バジリスコスとココトリスとかいう奴の気配は相変わらずしない。
この高度なら着地には十分。ティダは紅旗飛行船から飛び降りた。体を回転させて思いっきり地面に踵を落とす。柔そうな土地だという見極めは合っていた。
いい具合に地面が陥没した。
〈子蟲達よ。花火になりたいのだろう?花火というのは筒から打ち上がる。この穴は筒のようだ。楽しいことをしようではないか!〉
かなり遠い位置にヴァナルガンドがいる。話すものか、侵入させるかと伝心の扉を固く閉ざす。鍛錬してないヴァナルガンドには何も出来ないようだ。圧迫感が全くしない。
何も疑わない子蟲達がこちらへと楽しそうに飛んできた。よくよく見ると、後ろの地面に何かがいる。子蟲についてくる。
〈子蟲よ、あの地にいるのは?〉
蛇だ。蛇の群れ。鉛色で鱗は大きめ。蟲と同じ殻が鱗を形成している見たこともない蛇。二種類いる。角あり蛇と、頭部の口元が鋭い蛇。遠目だが、特徴だけは分かる。
〈アングイスとセルペンスの子。海から遊びに来たって。セリムが蛇の子になったから海から遊びにきた。大蜂蟲の子とアングイスとセルペンスの子はセリムがいるから兄弟〉
海からきた?海蛇なのか?
セリムが蛇の子になった。
本当に訳が分からない状況だ。蛇の子の親玉がバジリスコスとココトリスか?で、何かあってアンリに手を出した。
セリムがいるから蟲と蛇が兄弟とはとんでもない発言。
ティダは一旦陥没した地面を見下ろした。この穴に子蟲も蛇の子とやらも集めて人質にする。中蟲には作戦が伝わるようにした。子蟲アピを風に乗るように穴に投げ捨てた。回るように投げた。楽しい!と落下してから飛びはじめた。
〈ふむ。俺にはさっぱり分からん。ヴァナルガンドが蛇の子になった?〉
わらわらと子蟲が集まってきて、蛇達もついてきている。次々と穴へと降りていく。可哀想なくらい一途。中蟲が必死に子蟲の行動を非難して止めようとしているが、その意識の途中にヴァナルガンドがいるので阻害が容易い。
〈俺に手を貸さないとどうなる?〉
〈そんなことしないと知っている〉
中蟲の反論に対して、ティダは近くの地面を軽く蹴った。パラパラと土が落ちる。
〈さて中蟲達よ。この穴を作った俺が本気を出すとこの穴はどうなる?バジリスコスとココトリスとやらを連れてこい。無理なら蟲の王に泣きつけ。俺は本気だ〉
今度は強めに地面を蹴って土を多く落とした。
〈飛ぶのが上手くて避けるのが上手いな。大蜂蟲の子は見事な飛行をするのだな。素晴らしい。もう少し土を増やすか?〉
子蟲が「もっと」とはしゃいだ。子供というより赤ん坊のようだ。
純情無垢な子蟲殺しをするつもりは毛頭ないが、それを絶対に気取られてはいけない。駒が動かない。
〈この信頼討つのは辛いので、殺すなら即殺しよう。中蟲達よ、実力は見てたな?そしてこのように意識を分けて使っている、このフェンリスの行動の意味も分かるな?信じていた者に裏切られて殺される。これ程の悲劇はない。手を貸さないと子蟲はこの世で最も不幸となるだろう。俺は本能的に蟲が嫌いだ。蟲が子を守ろうともしない下等生物のようだからだ。尚、牙を剥いた瞬間交渉決裂と判断しよう〉
中蟲の意識から押し出された。蟲の王の仕業か?出てくるかと思ったが反応なし。大蜂蟲は激しい鳴き声をあげたが移動はしなかった。これではバジリスコスやココトリスの情報が手に入らない。何も知らないから守られたのか?
〈バムバムも蛇の子になった。あと孤高ロトワ龍の皇子の妃もなったって。大蜂蟲の子があげた毒消しで元気一杯。蛇の子アンリが後で遊んでくれるって言ってる。アングイスとセルペンスの末蛇はもう脱皮するかもしれないって〉
子蟲と蛇の群れに囲まれてティダは放心した。意味不明で理解しきれない。
しかし一点、確認出来た。蛇がアンリに手を出した。蛇の誰かが毒を盛った。
あまりの激怒で吠えそうになったその時、地面が盛り上がった。割れた大地から巨大な蛇と、それよりは遥かに小さい蛇が現れた。小さいといっても三十メートルはありそう。巨大蛇はその倍かそれ以上。
角が背中にいくつも生えた巨大蛇。それから頭部が鷲に似ていて嘴があるように見える小蛇。みるみる近づいて来た。
〈孤高ロトワ龍の皇子。妃に友好を示し我等の身内にした。会談を求めている。しかし我等の子に何をしている?〉
伝心術を使えるのか。話が早い。ティダは巨大蛇に飛びかかった。背に乗って駆け上がる。
〈おい。何をする?〉
身を捩られたが甘い。嬉しいことに角が掴みやすい。ティダは角を掴んで飛び降りた。思いっきり地面に叩きつけるように背負い投げた。大地が大きく揺れる。岩が多そうなところに振り下ろしたので、地面が割れた。
穴からかなり離しておいたので、穴の内部にいる子蟲と子蛇は問題ないだろう。
〈バジリスコス⁈〉
小さい方の蛇が叫んだ。巨大蛇がバジリスコスで鷲のようなのがココトリスか。蛇と鷲、ドメキア王族と関連する生き物か?
〈孤高ロトワ龍の皇子⁈そんな肩書き知らん!我が名は帝狼フェンリスまたはベルセルグ皇国皇子ティダ・ベルセルグ也。呼ぶならティダと呼べ。名も名乗らぬ礼節知らずの無礼者。我が妃に友好示したと言ったな?その過程で害したというのも知っている。即座に謝罪しないとは不信もいいところ。しかし治したのか、治させたか知らんが死んでないようなのでこれにて手打ち。勿論説明を求めるがな。はっきり言って妻に手を出した奴は殺してやりたいが、これでも小さな群れを囲う身。俺が守る者の為に勝手は出来ない。だからこれで手打ちだ。襲いかかってこないならば会談の要求を飲もう〉
バジリスコスがゆっくりと起き上がった。青い体液があちこちから流れている。蟲の体液とは色が違う。別の生物か?大咆哮され、牙を向けられた。ビリビリと殺気が伝わってくる。
〈バジリスコス落ち着け!〉
シュルシュルとココトリスがバジリスコスに近寄った。
〈大蜂蟲達よ一気に直線状に飛んで穴より高く飛んだ後に霧散しろ。強風に負けないように飛んでみよ。花火にみえる楽しい遊びだ。アングイスとセルペンスの子は飛べないから別のを考えてある。しばし待てと伝えよ〉
デタラメ告げたのに穴から次々と大蜂蟲が飛び出した。本当に信頼されきっている。ティダの指示通り方々へ広がって飛んでいく。これでバジリスコスの視界の邪魔になるだろう。
〈楽しそうな大蜂蟲の子を巻き込むとどうなるだろうな?バジリスコス〉
〈貴様、何ていう卑怯者也〉
無視して全力で走って穴まで戻った。
〈卑怯者?たかが人間一匹に巨大蛇二匹。妻を人質にとっている。俺から見たらお前らこそが卑怯者だ。この通り小さな体なので知恵を絞る。でないと滅ぼされる。戦に必要なのは貪欲な勝利への執念。俺には俺以外の命が乗る。何でもするさ〉
荒々しい息を吐くバジリスコスの前にココトリスが移動した。
〈たかが人間一匹?孤高ロトワ龍の皇子ティダよ、どう見ても人間ではない。人間がバジリスコスを投げ飛ばすなど無理だ。貴方の妃を人質になどしていない。蛇の子は我らの宝。蛇の子とした。友好の提示である〉
孤高ロトワ龍の皇子。これで二度目だ。何か勘違いされているか、ベルセルグ皇国の異名か。何かあって利用されたいと思われたらしい。ティダは返答しなかった。立場的に優位なのは自分。
〈大蜂蟲の子達よ、アングイスとセルペンスの親玉が迎えに来たようだ。残念ながらアングイスとセルペンスの子とは遊べないようだ〉
ティダは即座に子蟲達の意識から離れた。アングイスとセルペンスの子とは阻害強く話が出来ない。大蜂蟲の子とそんなに変わらないという勘が働いている。ティダは穴のへりの大地を軽く蹴った。またパラパラと土が落ちた。
大蜂蟲の子が若草色の瞳で大空を飛び回る。夕焼けが産毛に乱反射して、大地を美しく照らす。
〈バジリスコスよ。この意味分かるな?手打ちにしないなら俺は容赦しない。手を組みたいから我が妃に牙を剥いたというなら、手打ちにしろ。蛇の子というのに敬意を示すべきだと俺の勘が言っている。俺はこの穴を埋めたい程怒っている。それほど妃が大切だ。しかしそれでも許す。我が妃に蛇の子という特別そうな地位を与えた上で会談を要求した相手には一旦敬意を示すべきだからだ。話くらいする。バジリスコスよ、ココトリスとやらの進言通り怒りをおさめよ〉
ティダは思いっきりバジリスコスに微笑みかけた。バジリスコスが口を閉じた。真っ赤な疑心の瞳が青く変色した。この目の変色は蟲の仲間か?バジリスコスの瞳から疑心は消えてない。
〈バジリスコスもこのココトリスも争うつもりはない。貴方の妃、蛇の子になれると見極めたつもりが爪が甘く辛い思いをさせた。すまない。謝罪が遅れたことも謝ろう。しかし今はとても元気である。心配なら連れてこよう〉
ココトリスの方が話が通じるのかとティダは首を横に振った。それから軽く会釈した。
〈誰にでも過ちはある。俺も怒りで判断を間違えた。いきなり襲いかかって申し訳ありませんでした〉
ティダは胡座をかいて頭を地面につけるくらい下げた。バジリスコスから殺気が消えてもそのまま頭を下げておいた。
〈分かった。手打ちにしよう〉
バジリスコスが頭部を下げた。中々話が通じそうだ。あと騙しやすそう。勘がそう告げている。
「ティダ!何をしている⁈」
走って来ているなと思ったが、やはり向かってきている。ヴァナルガンドが前までやってくるのを待った。到着したヴァナルガンドが息を切らしながらもう一度「何をしている」と問いかけてきた。
「何を?突然色々あって混乱している。ヴァナルガンド何もかも許すがこれは何なんだ?何が起こってる⁈俺のアンリに手を出させたのなら、それなりの代償払ってもらうぞ?蟲と人との案件はどうした。蛇と何している?俺はこれからこの蛇達バジリスコスとココトリスと会談する」
内容も要求不明。ヴァナルガンドも途方に暮れたような様子なので何も知らないのだろう。
ティダはもう一度バジリスコスとココトリスに微笑みかけた。人間一匹と思ってるなら大間違い。歯向かってくるなら本気の全力で潰してやる。
蟲との問題が片付いてないのに今度は蛇。権力がなくて何も成せなさそうなので、ここらで権力を手に入れるか。身内が死ぬと辛いので人も大狼も手足代わりにしようにもいつも上手くいかない。結局単身になってしまう。
使えそうだが蟲は本能が拒絶している。しかも、もうヴァナルガンドに奪われている陣営。
その点この蛇一族は手付かずそう。ドメキア王族と何かしら因縁ありそうだが、守護神の由来そうだから良い意味でだろう。ドメキア王族の命の恩人ティダ。手を出させない交渉材料がある。
このバジリスコスとココトリスを支配下にする。
駒はいくつあってもいい。それも特大の大駒。絶対に身の内に取り込んでやる。




