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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
六章 途絶神話の再生露呈

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蟲の民セリムの激昂5

 目元の涙を拭いながら語っていたアシタカが口を閉ざした。ティダは大きくため息を吐いた。


「人として人を裁く。何を今更。アピスの憎悪と絶望の根幹に触れているのは前からの筈。何に怒ったんだか。変な男で理解出来ん。怒ってもヴァナルガンドは妙に冷静。境界線に俺やシュナを立たせて何をさせたいのか。全く、作戦があるなら言えよ。しかしお互い様か」


 青々とした空が無性に腹立たしい。入り込んだ中蟲(なかむし)の意識から、二日の猶予と王同士の交渉の件も知った。後はセリム達とアシタカが上手くルイを導くだろうというのは軽率だったか。


 行く道が違うからと無闇に手を差し伸べるのを止めた。ティダはアシタカを(にら)みつけた。信頼して任せようとしたら、これだ。役立たずめ。


 しかし、何よりも自分に腹が立つ。


「セリムが怒ったのは、二千年もの間に人が蟲にしてきた仕打ちに対する認識の違いだろう。それこそシュナへ対する二十五年間の仕打ちの比ではない。もしかしたら、重ねたのかもな……。二千年分の罪に相応しく、命の尊厳も守る解答。セリムからの難題。牙には牙か……」


 ティダの(にら)みを無視して、精悍(せいかん)な顔付きになったアシタカが顎をさすった。取り乱したことをあっという間に消化し終わったようだ。早い。早過ぎる。


「あの、アシタカ様それはどういう意味です?二千年分?」


「セリムはそういう男だ。恐らくだが、もう蟲はドメキア王国をほぼ許したのかもしれない。セリムはそれを()としなかった。人よりも優しいのに、化物だと責めて殺してきた。それがセリムの言い分。何もしないで許されてきたのは終わりだ。蟲を理解する自分がいるから、不平等は終了。歩み寄れ、そういうことだろう」


 ティダは立ち上がった。ここまで考察しているのならば自分は不必要。要求通り第一境界線に立ち、中蟲(なかむし)を批難するだけだ。ティダに謝罪など求められていないだろう。船でのやり取りを知っているヴァナルガンドならば、己の道を貫くティダに言付けなり推察材料を置いていく。


「待てティダ。僕の勘の悪さと人を動かすのが下手なところを補って貰わないと困る。蟲に恐怖を抱いて出撃しようとする者を第四軍に抑えてもらう。それにも君が必要だ。第一境界線へはまだ行くな。セリムのことだ、そこが一番安全……いやそこだけは絶対に戦場にしないつもりだろう」


 明け透けない助力の要求に虚を突かれた。こんな男だっただろうか。やはり変わった。なんていう勢いで己を食らって、伸びていくのか。アシタカはティダの反応を別段気にするようでもなく、ルイへ笑いかけた。


「ルイ、セリムは耐えきれなくて怒りを爆発させてしまった。蟲と心繋げてから一人で悩み、律していたのだろう。助けてやりたい。セリムが冷静な間、交渉相手に相応しい者を見定めていた。ルイ、君はセリムに選ばれた。セリムを理解している僕達が支えるという前提でだが、セリムは交渉相手に相応しくないヴラドやリチャードは追い出した。だから大丈夫だ。セリムは二日も時間をくれた。材料も多く残してくれた。共に悩み考えよう」


 始終青ざめているルイの背中を、アシタカが優しく叩いた。笑みも真似出来ない程に穏やか。ルイがあっという間に気力を取り戻し、血色の良い表情になった。


 パズーが声を上げて泣き出すと、アシタカがさっと立ち上がってパズーの肩を優しく撫でた。ついでなのか胸に張り付いている子蟲の産毛も撫でている。子蟲がパズーの頭に移動して、まるで兜のように張り付いた。子蟲の目はラステルそっくりな新緑色。


「パズー。君が何より必要だ。セリムのことを一番理解している。だから残された。大切な子蟲のアピ君を置いていった。この子が一番懐いている人間だって聞いているよ。セリムはグスタフに生涯を通して他者や弱者の気持ちが分かるような裁断をした。命を差し出せという安易な回答は求めていない。平和的かつ、険しい道の要求。それも自らで考えろという要求だ。僕がドメキア王国に求めた内容をセリムは吸収したんだろう。共に悩んで欲しい」


 パズーがしゃくりあげながら、ぶんぶんと首を縦に振った。


「シャルルもそうだ。セリムは君をとても()めていた。僕ははっきり言って君を蹴落とす気でいたんだがな。しかし、僕が見誤った。僕は他者を信じるというのが苦手で、先程ティダに頼んだ通り勘も悪い。だから人を見る能力に長けたセリムに任せた。それで一杯一杯のセリムを潰してしまった……。シャルル、君がルイの力添えをするとセリムは信頼しているようだった。王族ならば何かしら伝承など残っているだろう。知恵を貸して欲しい」


 立ち上がったアシタカが今度はシャルルの背中をそっと撫でた。波が(ほとん)どない海ような静かな微笑み。シャルルはまだ青白いが、紫色の唇には血の気が戻った。


「いえ、あの。ヴァナルガンド殿は過大評価……。王族……。王位継承者へ伝わる書物があると父上から聞いたことがあります。ああ、昔はそういう語り聞かせもしてくれていた……。グルド帝国やベルセルグ皇国からの年々激しくなる侵略に貴族からの圧力。シュナの母の謀殺も止められず……父上は随分と変わってしまった……。そうだ、そうだ……昔は……」


 両手で顔を覆って泣き出したシャルルに、全員が目を丸めた。ティダも愕然(がくぜん)とした。ヴァナルガンドはグスタフの底をきちんと見抜いていた。いや、誰もが色々な面を持っている。ヴァナルガンドは小さくなり隠れていてる長所も見つけるのかもしれない。そして表に引っ張り出す。


 アシタカが気まずそうに(うつむ)いた。しかしすぐに顔を上げて、シャルルの肩を三回優しく叩いた。しゃがんで、目線を合わせて穏やかに微笑む。


「セリムはシャルルとシュナがグスタフと向き合う時間も用意してくれた。グスタフから書物の件を聞いてきてくれるかい?誰か共にが良いだろうが、僕には分からない。君には判断できるかい?」


「辛いだろうがシュナだ。私は口が下手だし、臣下などに父上は絶対に心開かない。シュナも父上に怒りを投げても良いと思うし、ナーナ妃のことを父上が気落ちしていたことは知った方が……。私なら橋渡し出来……してみたい……あとヴァナルガンド殿と共にいた護衛の女性。あの方はヴァナルガンド殿とどこか似ている。シュナとも親しそうで……」


 弱々しく途切れ途切れだが、適切な判断をしていくシャルル。こんな男ではなかった。シュナとの祝言後の晩餐会(ばんさんかい)で、こちらを小馬鹿にした態度。短いながらも共に城で過ごした期間での太々しく、踏ん反りかえった態度。歩き方に話し方、何もかも酷かった。


 半信半疑ながらヴァナルガンドに任せれば、何かが変わるかと任せたがまさかここまで変わるとは。いや、シャルルのような男はこれ程急に変化など出来ない。本当に隠れていただけだ。よくこんなのを見つけ出した。


 しかし、アシタカはやはり変わった。このように弱いところを見せて人に頼みごとをするような男ではなかった。夜な夜なシュナと語り合っていたというが、その影響か。ヴァナルガンドとも何かあっただろう。ペジテ大工房にはヌーフもいる。


 腹の底から煮えくり返るような嫉妬(しっと)が渦巻いて突き上がってくる。


 覇王。


 アシタカは本当に大陸覇王となる。巨大国家の御曹司なのに、怠慢(たいまん)どころか誰よりも努めてきたという。故に今のこの能力。長年積み上げてきた信頼に裏打ちされた、大勢の支援者。正しさだけでは成せないと変わり、自身に足りないものを見極めて、采配することまで覚えた。的確な采配も今まで培ってきた経験や他者との多くの交流があってこそ。


 ティダでは何もかもが劣る。いや、個人的な戦闘力は勝るか。それしかない。


 生き様こそが全て也、シュナの(りん)とした声が蘇る。


--頼まれたように"気の迷いと勘違い"と忘れる


 自覚しているのか、していないのかは別にしてシュナは単にティダよりもアシタカを上だと見抜いた。うっかり惚れられて、自分には手に余ると野に放ったつもりがとんだ道化。このままでは何も成せないし、シュナから逃げたのに結局捕まったアンリにも捨てられる。


 何より、アシタカの犬から脱却出来ない。


 やはり史上最悪最低な男。なんていう劇薬。このような男が居るとは世界は広い。完全に自惚(うぬぼ)れていた。


「アンリ長官か。彼女なら喜んでシュナの手伝いをするだろう。二人には僕から頼む。しかし、今の言葉は君からきちんと伝えるように。シュナは君を許すのに必死だ。そうだ、セリムも許すのには理由が必要だと言っていた。シャルル、君のこの後悔や悲痛がシュナに届き、きっと彼女の棘を抜く」


 にこり、とシャルルに笑いかけたアシタカの笑みはヴァナルガンドそっくりな親しみと尊敬こもった笑顔だった。


 これだ、この包容力には絶対に勝てない。ヴァナルガンドとは違い、アシタカは意識して己の雰囲気を使い分けはじめた。


 他者を絶対的安心感へ導くアシタカの雰囲気。生来の性質もあるだろうが、ヴァナルガンド同様、国民に愛される御曹司として育ったからこそ手に入れた力。根っこに人間好きと、人への信頼が埋まっているからこその能力。欲しくても手に入らない力に、思わず舌打ちしそうになった。


 アシタカが立ち上がって全員を見渡した。ティダにだけは何故か苦笑いを浮かべた。この、お前には敵わないという自己認識の低さが憎々しい。


「シュナの代わりをしろということだな。どうせアンリもシュナと居るだろうから、玉座の間へ戻るように言っておく。この部屋を使う意味はねえだろう?パズー、アシタカを、いやヴァナルガンドを頼んだからな」


「いや、ここだと蟲の様子が見える。一応確認していたい」


 アシタカが元の席に戻った。ティダはまだ泣いているパズーの脇に移動した。それから子蟲を引き剥がして髪を強めに撫でた。このくらいしか出来ないとは、なんとも情けない。


 ついでなので、子蟲も顔の高さに持ってきて反対側の手で産毛をパズーと同じように撫でた。全身がザワザワして気持ち悪い。


〈幼いのに良く残った。パズーの護衛だろう?〉


〈ヘトムはやっぱり変。こんなに嫌いなのにアピスの子を可愛がる。格好良い中蟲(なかむし)が尊敬している。憎み続けても己の矜持に従い仕方なく許してやったと誇るという教えに助けられた。ヘトムとまた話すまで我慢している。セリムの教えは難しくて虚しいから嫌だって。もう聞こえない。ホルフルアピスの子は親が守ってくれてもう何も分からない。セリムにバムバムとヘトムが安全だって置いてかれた〉


 憎悪に飲み込まれそうで閉ざしていたが、そんな事になっていたのか。チラリとアシタカを見たが不思議そうにしているだけだった。


〈古いテルムの子は未熟すぎてお話し出来ない。一回話せたのに全然学んでない。こっちの声も聞こえなくなったとセリムが言ってた。全く遊んでくれない。つまらない。バムバムが一番安心〉


 思わず高笑いが(あふ)れた。これでアシタカに対して少しは溜飲が下がる。ティダはパズーを指差した。


〈こいつがバムバムか?〉


〈おバカなトムトム。ちっともアピスの子の事を分かってないおバカ。でもいつも楽しく遊んでくれる〉


 今度はクスクス笑いが込み上げてきた。言葉を発すればすぐに遊びに関することばかりとは本当に子供だ。ティダはくるりと子蟲を回してから頭の上に乗せた。鳥肌と冷や汗が止まらないが、そんな些細(ささい)な事に頓着(とんちゃく)はしない。


〈もう一回!くるくる楽しーい!〉


〈俺はヴァナルガンドとは違う。働いたら遊んでやる〉


 頭の上から飛ぼうとした子蟲を軽く押さえつけた。


〈偉い子は働く。ヴァナルガンド?〉


〈セリムだセリム。俺はそう呼ぶ。ヴァナルガンドが何を考えていたのか教えろ。そしたらまた遊んでやろう。大狼と風にもなれるぞ〉


 教えてやるものかと、全員を無視して大蛇の間を後にした。誰も何も尋ねてはこなかった。階段を降りていると、子蟲が歌い出した。ヘトムとへんてこりんの繰り返し。呑気なものだ。ノアグレス平野の惨劇(さんげき)を救ったのはこの無垢さ。セリムへの惜しみない親愛と尊敬。そして子がそこまで言うのならば、という親たちの諦め。恐らく、そんなところだろう。


〈アピスの子は流星になりたい。花火にもなる〉


〈なんだそりゃ。そんなもん消えちまう。なるなら星になりな。男なら死んでも消えない暗闇照らす巨大な星を目指せ〉


 玉座の間に誠狼(ウールヴ)月狼(スコール)を囲んで座っていた。


〈ヘトムもおバカ!アピスは男で女。バヘトム!〉


〈そんな珍妙な、しまりのない名前を付けるんじゃねえ。俺はフェンリス。覚えとけ。蟲とは違って個体に名があるんだから他種属のしきたりに従え。フェンリスと呼ばぬと遊ばんぞ〉


 一瞬、怒涛(どとう)のように「脅迫だ!」「ヘトム!」という大きな意識と重低音がして扉を圧迫されたが、押し返した。ついでに「フェンリスと呼べばヴァナルガンドよりも楽しい遊びをしてやる」と投げつけてぴったりと閉ざした。これは(うるさ)すぎる。


〈おいフェンリス。何だそのアピスの子は?蟲を嫌っていただろう。全身に凄い拒絶反応だがそれさえ飲むのか?〉


 誠狼(ウールヴ)がしげしげとティダを見上げた。


〈アラーネアの匂いがする。アラーネアとアピスの子はお話ししちゃダメだって。親がアラーネアの輪を切るって。アピスの子は意味が分からない〉


 子蟲が告げた途端、どんなに切ろうとしても切れなかった蜘蛛の意識の輪がブツリと切断されて別の扉が出来上がった。


〈蜘蛛から離れた。あいつらアラーネアと言うのか。ヴィトニルもだな。フェンリス、自由に話せるな!〉


 誠狼(ウールヴ)が嬉しくてならないと飛びかかる振りをして、牙を剥いたのでティダは子蟲を天井高く、なるべく優しく投げた。それから誠狼(ウールヴ)の牙を避けて体に思いっきりのしかかって床に押さえつけた。


 くるくると回転しながら落下してくる子蟲を抱き止め、もう一度投げた。キャッキャッとはしゃぐように、子蟲が楽しいと騒ぐ。扉を圧迫して押し開かれる。楽しい、ホルフルにも来て遊べの大合唱。(うるさ)くてならない。しかし、気分爽快なので放置した。


〈油断しないかフェンリス!ぐはははははは!〉


〈ウールヴと俺を見習えスコール!大狼なら常に戦闘態勢を崩すなよ!おいおい。棚からぼたもちとはこの事だ。良くやったアピスの子よ。黄色いのはホルフルだっけか?全員をまとめて俺が囲ってやろう。人や獣、何でも害なす奴がいて必要があれば俺が手を貸す!ウールヴとヴィトニルの若輩筆頭を身内にしたのはデカイぞ!スコール、お前も役に立てよ!とりあえず尾ででも遊んでやれ!〉


 ティダは思いっきり誠狼(ウールヴ)に抱きついた。あまりにもホルフルアピスの子が(うるさい)いので閉じた。それから子蟲を頭に乗せた。抗議なのか髪を脚で(いじく)ってくるが無視。無視だ無視。


 長年ずっと不自由だった。思う存分語り合える。ティダは誠狼(ウールヴ)を放り投げて、駆け出した。


〈早いなヴィトニル!自由だ!ヴァナルガンドとホルフルアピスの子の手柄だ!そして俺だ!ふはははははは!〉


 王狼(ヴィトニル)が飛びかかってきたので、子蟲を月狼(スコール)に任せ、王狼(ヴィトニル)に回し蹴りをして吹き飛ばした。即座に飛び乗る。


〈油断しないかフェンリス!ふははははははは!〉


 ティダは王狼(ヴィトニル)にも抱きついた。噛まれそうになったので、投げ飛ばしす。油断も隙もない。


〈笑い方以外ウールヴと同じだヴィトニル!俺こそが未来担う若手大狼の頂点!(みかど)を名乗るからには負けん!ふははははははは!〉


 また飛び乗って思いっきり王狼(ヴィトニル)に抱きついた。蜘蛛との抗争、大狼の秘密を暴こうとして絆に押し入ろうとしてくるこの十五年。ずっと寂しかった。この場の全員同じ気持ちだろう。目頭が熱い。古狼よりまだまだ若輩の自分達。蜘蛛と結託した半分の大狼と、抗争決意した本山半分。そして真っ二つに派閥分かれた支配下分山(ぶんざん)。この冷戦に一石を投じられる。


〈アピスの子よ!何が欲しい!いやホルフルのアピスか!この値千金の手柄に俺が与えられるものなら何でもやろう!〉


 チラッとシュナとアンリ、そしてゼロースと幾人かの騎士の姿が見えたが無視した。王狼(ヴィトニル)がティダを押し倒し、顔を舐めようとして噛み付こうとしてきた。即座に横殴り。王狼(ヴィトニル)が疾風のように避けた。ティダは体の反動で飛び起きて床に立った。


 月狼(スコール)の尾の上でポンポンと跳ねる子蟲を掴む。


〈ロトワなら大狼が幾らでも遊んでやるのだがな。ホルフルに岩窟があるなら少しばかり移住するか?しかし、自然摂理分は餌として食らう。どうしたい?〉


 真っ青だった子蟲の三つ目が警戒(けいかい)色に変化した。


〈ホルフルアピスは何もいらない。食べられたくない。アピス以外にも怒られる。親がアピスの子の為にしただけだって。何もいらない分、アシタバアピスの中蟲(なかむし)とセリムを助けろって〉


〈ふむ。ならばホルフルの食物連鎖を壊すのは止めよう。むしろ大狼は近寄るなと伝える〉


 サアッと蟲の瞳が青く変わった。それにしても面白いように変化する。


〈セリムは中蟲(なかむし)を追い詰めたセリムを怒ってる。本能?にも怒ってる。怒ってて怖いからアシタバアピスの子が遊んであげるって言ってた。セリムは自分がアシタバアピスの子と遊んでいると勘違いしてるって。へんてこりんはもっと変になっちゃった。皆がもういいって言ってもセリムが許さない。セリムがあんまり怒ってるから、皆が冷静になった。中蟲(なかむし)は板挟み、らしい。難しくて親から聞いても意味が分からない〉


 分からない。セリムはへんてこりんと歌いだした子蟲にティダは失笑した。とりあえず頭の上に子蟲を乗せた。人の頭の上が気にいっているようなので、仕方ない。全身が気持ち悪い感覚だが、これも修行。


〈蟲にまで呆れられてるのかよ。おまけに止められないのか。パズーやアシタカの推測よりもタチが悪い。船でといい、また妙な激昂(げっこう)をしやがって。あいつが求める答えは相当厳しいぞ。連れ戻しても後が面倒そうだな。片が付いたら崖の国であいつの家族と謁見(えっけん)だな。二千年分の人の愚かさを正し、人と蟲の関係を変えたいなどあまりにも強欲。やはり破壊神。崖の国とやらはとんでもない男を育てたな〉


 伝承や忠告があるのに歩み寄りをしてきてない人への怒り。蟲から人への慈悲を仇で返し続けてきた人への怒り。罪を憎まずに暴力で(あがな)ってきた蟲への怒り。そうさせている蟲の本能への怒り。その本能を作り上げた人への怒り。そして中蟲(なかむし)を追い詰めたというセリム自身への怒り。そんなところだろう。


 蟲と交流し始めてから、本人も気づかないうちに相当溜まっていたのか。アシタカの言う通り、気づいてやるべきだった。仕事ばかり押し付けて頼り、潰した。


 ティダの胸がかつてないほどに(きし)んだ。


 まだたったの一八。正体不明の妻との先行きへの不安も強いだろう。本人があっけらかんとしてニコニコしていたから、というのは言い訳にはならない。人も蟲も全員がセリムを刺した。


 ティダはシュナを見つめた。二人がされたことは似ている。


「俺が全軍抑える。アシタカがお前が必要だとよ。アンリもだ。蟲じゃなくてヴァナルガンドが怒っている。二千年分の蟲への仕打ちに相応しい、それもヴァナルガンドの価値観に沿う答えを寄越せってよ。シュナ、お前が適任だがヴァナルガンドはお前を(かば)った。あまり口を出さずにルイやシャルルにやらせろ。それでお前の憎悪も少しは減るだろう。全く、ヴァナルガンドはこんなになってもシュナを背負った。なんていう強欲だ」


 聡いシュナならもう状況分析しているだろう。シュナが首を横に振った。


「ペジテ大工房の巨大要塞に蟲が風穴開けたのを第四軍は知っている。主軍と第一軍にも伝達済み。闘争よりも避難指示の方に賛同した。第四軍はカイン、バース、ビアーから選抜させて国民への室内避難指示を出させる手筈。ある程度は指示して、任せてきた。貴方は必要ない」


 素早い采配に統率力。しれっと告げたがかなり気を遣って指示しただろう。口達者な上に頭の回転の速さや場の操り方の巧みさ。アシタカは協力な武器を手に入れた。やはり悔しくてならない。横に並んだらシュナはティダではなく、アシタカへ助力する。この女を王に出来なかったドメキア王国国民は歴史上で類をみない愚かな集団と呼ばれるな、とティダは口角を上げた。そして自分もだ。まさに悪因悪果。


「その子蟲から何か聞いたんだろう?我が父にもアシタカ様の為に働いてもらう。我が純情を踏みにじった罪は一生消えん。馬車馬のように働かせる!神話を作るのは至宝也!あははははは!付いて来い!」


 お前ならば付いてくるだろうとシュナが大蛇の間へ続く階段へと進み始めた。清楚可憐(せいそかれん)な乙女はどこに行った。


〈親が親だからあんなになったんだなフェンリスよ。全く、お前は今のうちに変わらんとロクな子が育たんぞ。アンリエッタに子を連れて逃げられても知らんからな。俺達の体じゃ上に行けん。スコール、至宝を呼んでこい〉


 愉快そうな王狼(ヴィトニル)がシュナを守るように囲った。それから高らかに吠えた。月狼(スコール)が駆け出す。


「シュナ、アシタカ達をスコールが呼んでくる。ったく今の姿をアシタカに教えるぞ。この毒蛇が!」


 振り返ったシュナが艶麗(えんれい)な微笑を浮かべてアンリを一瞥(いちべつ)した。


「あら、お父様。形式そして書類上だけの元夫。(わたくし)、そういえばアンリに話しておきたいことがあるような、ないような」


 この含み、アンリがもう察している。刺々しいアンリの瞳からティダは目を逸らさないように必死に耐えた。


「シュナ、私をダシにしないで。ティダはそんなこと言わなくても助けてくれるわよ。アシタカの前でボロが出るから素直に接しなさい。ティダ、お互い様だから気にしていたらキリがない。私は気にしないから貴方もアシタカに突っかからないで」


 飄々(ひょうひょう)とした涼しい笑顔から、シュナを心配する眼差しに変わったアンリに何とも言えない気持ちになった。毎度毎度、複雑な気持ちになる。妙に達観(たっかん)しているような様子、そして常に誠意を向けてくる。シュナが気まずそうにしてから、素直に謝った。


 それにしても抱いている時くらいしか、こっちを向かない。貴方しか見えないという強烈な恋慕は、欲情を満たす時だけの演技なのか?可愛げがあるような、ないような、訳が分からない猛毒女。振り回されてたまるか。


〈面白い妙な人間だな。この雰囲気からはお前の真似をして仁王立ちなんざ想像つかない。俺の唸りや牙にも真っ向から信頼寄せて背中を見せた。驚きすぎて噛みつけなかった。まあ、お前の匂いがし過ぎだったのもあるが。良かったなフェンリスよ。アンリエッタはグレイプニルのようにお前を尻に敷くな〉


〈ウールヴ。貴様自分のことを棚に上げて。ヘズナルにペチャンコにされているお前が言うな。俺はグレイプニルに敷かれている振りをしているだけだ。()()上手く転がしている〉


 唸り合う両者の間に立つとティダは肩を揺らした。どこの夫婦も似たようなものだ。ティダは王狼(ヴィトニル)を呼び、アンリを手招きした。シュナは察したのかゼロースと共に少し離れてくれた。


「アンリ。子蟲とその親により蜘蛛から切れた。これだけ自由な状態なら、俺の体液入ってるお前なら喋れるだろう。挨拶しろ」


 アンリの顔がボッと真っ赤になった。それから目を泳がせて少し唇を尖らせた。さんざん抱いてこれとは愛くるしい。他の男の手垢(てあか)も予想よりかなり少なかった。まあ、そうでないとアシタカを筆頭に何人いるんだか知らないが我慢しきれなかったかもしれない。他の男は何をしていたんだか。


「そういう恥ずかしい事をはっきりと言わないで。慎みってものを覚えて頂戴(ちょうだい)


「こいつらの鼻なら気づいてる。別に他に誰もいないんだから何が慎み。そんな顔を他に見せたくないから言わないに決まっているだろう?涼しい顔をしたり、さんざん抱いたのにまだ恥ずかしがったり訳が分からん女だな。まあ可愛いから良いか」


 益々アンリが赤くなった。()めてこれなら、素直に抱いて()めそやしておくだけで良さそう。こんなにも簡単だと肩透かしで、少々つまらない。


「鼻⁈匂い⁉︎しばらく私に触らないで!匂いが分からない加減を教えてくれるまで触らせないわ!ご挨拶はもうしましたが、もう一度させて下さい。ペジテ大工房のアンリ・スペスです。家業を継いで欲しいと男名を付けられたので、ティダにはアンリエッタという女名で呼んでもらっています。お好きな方でと言いたいですが、親しみ込めてアンリエッタだと嬉しいです」


 アンリの(にら)みと低い声に思わず固まった。触らせないは抱かせないという意味だろう。抱かせない?あれだけ目でせがんでおいて、この掌返し。全く夢中ではないという宣言。手管が足りないのか、なんて(なび)かない女。訳が分からな過ぎて頭が痛くなる。


 アンリがしゃがんで王狼(ヴィトニル)誠狼(ウールヴ)へ満面の笑顔を向けた。さあ食べて下さいというような体勢だが、(すき)はない。


〈ウールヴだ。よくもまあこのフェンリスを骨抜きにしたな。適当に種を()いて大狼になりそうな子だけ本山に連れ帰って育てると豪語していたんだがな。アンリエッタ、ヘズナルから香料を教われ。女の(たしな)みだ。フェンリスは男として全く足りん。ヘズナルに会えるまで指一本触らせないと良い〉


 誠狼(ウールヴ)が軽くアンリの頬を舐めた。それから前脚でアンリの足を軽く蹴飛ばした。アンリの冷ややかな視線が痛い。力で勝てないからとペラペラ余計な事を。


〈俺の名、ヴィトニルの名はもう知ってるな。アンリエッタ、ヘズナルはウールヴの妻。俺の妻グレイプニルとも仲が良い。大狼の妻は人なんぞよりも高潔で品がある。大いに学ぶと良い。あと、このままのフェンリスではまともな子育てなぞ出来んから教育して欲しい。偉大な大狼は子孫を残さねばならん。重婚しないらしいから子を取捨選択ともいかないだろう〉


 王狼(ヴィトニル)がしたり顔をしながらアンリの体を囲った。自由に話せるようになったのは嬉しくてならないが、面倒な事になった。力で勝てないからと言いたい放題。絶対にアシタカやシュナから学んだ。いつ全員口で叩き潰す。


「直接胸に響いてくる。これが大狼の会話なのですね。お二人とも温かい言葉をありがとうございます。ヴィトニルさん、ウールヴさんよろしくお願いします。ヘズナルさんとグレイプニルさんにお会い出来る日が待ち遠しいです」


 アンリは声を出さないと喋れないが、そのうち覚えるだろう。ティダはアンリをそっと立たせた。


「匂いがないと本山に行った際に食われる。香料は全体にお披露目(ひろめ)してからだ。分かってて教えるんじゃねえウールヴ。俺に勝てないからとアンリエッタを食わせようとは卑怯者め」


〈ぐははははは!知ってて隠してたのはお前の方だろう?見せびらかしたくてならないと顔に描いてある!ここまで情けない腑抜けになるとは痛快!俺はアンリエッタが気に入ったからフェンリスへの不平不満はいつでも受け付けよう!〉


 すかさず殺そうとしてきたので、ティダはアンリを横抱きにして跳んだ。それから誠狼(ウールヴ)に蹴りかかった。避けられたので床の大理石が割れた。知らん。


(やかま)しいウールヴ!俺に挑むのは許す!しかし我が妻アンリエッタに牙を剥いてみろ!本気で(なぶ)り殺す!妻も子も死ぬからな!〉


〈そのくらいの分別はある!弱点なしのフェンリスについに弱点!ぐははははは!力で勝てぬならば他で勝つまで!貪欲さこそが俺の長所。子にも見せねばならん!殺す子を減らさねばならんからな!〉


 王狼(ヴィトニル)が仲裁だというように間に入った。アンリがティダにしがみついた。紳士な王狼(ヴィトニル)ではなく、これからは粗暴な誠狼(ウールヴ)が連れ合いとは先が思いやられる。このようにアンリも怯えさせる。


「大狼は子を殺すの?それにしても貴方達二匹ってそっくりな性格ね。笑い方もよく似ている。いきなり二人も教育なんて先が思いやられるわ」


 そっちか。誠狼(ウールヴ)へ「悪戯っ子だけど微笑ましい」というような目線を投げている。少々つまらないなどとは見当違い。全くもってつまらないとは無縁の女。流石、本能が選んだ女。囲い続けるのに相当苦労しそうだ。


〈よく吠えたアンリエッタ!俺はもうこの二匹を面倒見切れん。この地に留まるからだ。吠えまくれ。そしてスコールにも背を見せ教育者にして欲しい〉


 王狼(ヴィトニル)に何となく闘争心を砕かれた。アンリが元気よく「はい!」と答えたのにも力が抜ける。


「一夫多妻でより多くの子を残す。自分が一番優れていると誇っているからだ。十を過ぎると大狼は幼子ではなくなり、その時点で大狼に相応しくなければ食い殺される。次は二十の成体式。そうやって強靭(きょうじん)な大狼だけを残して進化してきた。弱ければいつか群を巻き込んで死ぬ。それは人生最大の恥晒しだ。その前に殺す。まあ、多くは死なん。親は皆必死に育てるからな」


 感心したようだが、それから少し悲しそうにアンリが眉尻を下げた。それから急に切なそうな表情になった。


「重婚しないのは嬉しいわね。あー、もしかして、もう親だったりする?」


 表情もだが声も悲しそう。これはまた殺人級に愛らしいではないか。


「国も本山も中途半端でそこまで手が回らなかった。時期を避けて遊んでたから子は居ない。アンリエッタ、君とも(しばら)くは子を作らない。一生かも知れないが、最大限環境を整える努力をしよう」


 あまりに嬉しそうに笑うので、キスしようとしたら口を手で覆われた。


「人前で止めて。ほら、もうアシタカ達が降りてきたし降ろして」


 降ろしてと嘆願したのに、アンリはティダを突き飛ばして飛び降りた。王狼(ヴィトニル)誠狼(ウールヴ)がニヤニヤ笑いしている。遠くにいるシュナが何となく状況を察したのか、肩を揺らして笑っていた。目が「ザマアミロ」と嫌味ったらしい。アンリがアシタカに駆け寄ると、アシタカもしたり顔を向けてきた。愉快そうに細めた目に「働け」と(にじ)んでいる


 猛毒に劇薬。大鷲(おおわし)になったのに毒蛇にもなる娘。粗暴で(やかま)しい大狼。なんていう奴らばかり揃った。ティダは思いっきり舌打ちした。


 ここに怒りが(しず)まって七面倒臭くなるヴァナルガンドが帰ってくる。人里で生きるとは何ておっかない。思い通りにならな過ぎて楽しくてならない。


 これこそ生きているという実感。


--大狼なんでしょう?それを忘れないで。生きて


 ()れて()れ抜かれた女を殺して生きるとは最低最悪だ。そしてまた不幸を()き散らす。絶望に叩きつけられる。


 誰よりも高みに登らないとならない。


 腹を決めたが、再度強く胸の中で決意した。


 劇薬に負けるわけにはいかない。ここまでの変化をもたらしてくれた弟分を奪われてなるものか。

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