美しき大鷲不死姫とペジテ大工房の至宝
長いです
純白のドレスの裾が茶色と紅の土に汚れても、降り注ぐ太陽を独占しているような、シュナの首を垂れた座り姿。その柔らかく穏やかな物腰が作った美麗さに見惚れそうになり、必死に耐えた。今は仕事中だ。家族の自慢に浸る時ではない。
シュナがゆっくりと立ち上がった。黄金稲穂色の髪が、大自然の風に吹かれてサラサラと揺れる。アシタカはペジテ大工房にシュナを閉じ込められない。ガラス細工の箱庭では、このようには輝かせられない。何故だか胸が締め付けられた。
「このような姿に変わりましたが、胸元の紅薔薇の王族刺青に姫だと誓います。メルダエルダ家次期当主ルイ。三代前にドメキア王族本家より降嫁したメアリー・ティア・ドメキアの血を引く者よ、本家崩壊の折に民に望まれた王族の血。斬首恐れず、ベルセルグ皇国との共同戦線否定をグスタフ王に嘆願したことを知っています。よくぞ身を隠して生き残ってくれていました。また、メルダエルダ家はヴェルメリオ領土を古き世より最も偉大な領土として栄させて国を支え続けてきました」
シュナは兄シャルルと腕を組んで、さあと言わんばかりにシャルルに微笑を投げた。ガタガタと震えながらも、シャルルは胸を張って威風堂々と右手を差し出した。
「私は王がなんたるかなど、数日前まで考えたことがなかった。蟲の民なる懐深き友人ヴァナルガンドが色々と教えてくれた。そしてシュナの夫……」
「盟友だ。親子の誓いを交わした。夫婦の誓いなど交わしていない。つまりシャルル王子も不服ながら息子候補です。発言は正確に述べて下さい。それから両者まず名を名乗れ。相手が自分を知っていると驕っている証拠だ。と、我が友であるヴァナルガンドが申していました」
唸るような低い声でティダがシャルルとシュナを睨みつけた。息子候補?ティダはシャルルを蹴り上げるつもりだ。何か気に入ったところがあったのだろう。
「シャルル王太子である。急病のグスタフ王の代理となった」
足で大地を踏んだティダが軽く音を鳴らした。
「会議相手を見下す話し方と態度。なっていません。やり直して下さい。しかし私の発言に嫌な顔せず、よく自己紹介から初め直そうとしました。それは素晴らしい。これでは会話が続かないので、どうぞ。もうそろそろ国に帰る。まずは十日後。今よりマシになってもらいます」
ティダの目が、シュナの為とはいえお前を後押しした自分に恥をかかせるなと訴えている。途轍もなく険しい、しかし期待の眼差し。ティダがまた軽く素足で二回音を立てた。
「兄上、ティダ皇子は三回音を鳴らすと期待しているということです。他にも意味があります。今回は期待の方でしょう。凶暴で横柄ですが根はとても優しいです。照れ屋なだけです」
シュナがティダに悪戯っぽい笑顔を向けると、ティダが頬をヒクつかせた。
「ッチ。真心込めた口八丁の嘴でつつくとは、とんだお転婆だな。大鷲姫になどするんじゃなかった。盟友を刺すなら後は知らん。俺は帰る。好きに生きろ」
大満足というように、ティダがシュナの髪をぐしゃぐしゃと撫でた。それからシャルルも。ポカンとしているルイの頭もいきなり掴んで癖っ毛を更にぐしゃぐしゃにした。アシタカに手が伸びてきたが、肩を軽く叩かれただけだった。
しかし、三回。
肩を叩く、たかがそれだけなのに全身に歓喜の震えが走った。わざとらしい、お前だけは特別だという態度なのに飲み込まれた。何て男だ。無防備に背を向けて、颯爽と去っていく。
「後ろに匂いがすると思ったら、何て淫らな格好をしてやがる!見た奴を嬲り殺すことになるが今回は許そう!さすが俺の妻だ!アンリ、来い!」
九つ尾の大狼の前、上半身下着姿のアンリが呼ばれる前から全速力で駆けてきていた。両手を広げたティダの腕は微かに震えて見える。少しよろめいても見えた。アンリがティダの胸の中に飛び込むと、自分は別段動揺などしてないというように緩慢な動きでアンリをそっと腕で包んだ。なのにその場で噛み付くようにキスしだした。それも何度も繰り返す。最悪だ。
全身真っ赤になったアンリの白い腕が抵抗するようにティダの背を叩き、体も踠いている。公衆の面前で何たる破廉恥。史上最悪、極悪非道な男。
ラステルが文句を言いながらアンリの服を運んで走っている。後ろからティダの服らしきものを持ったセリムが走ってきていた。
「空気を全て自分に持っていく。邪魔ばかりする男だな。あんなに惚れたなら一生僕の犬にしてやる。地獄に連れて行くなど撤回させないとならない。この世で最も不幸になる、地獄行きなど何なんだあの男は。本当は自信がないのか?いや、あの世界の中心は自分だという尊大さ。アンリを利用して、大陸和平と鮮やかな未来を作るのに働かせ続けてやる」
初恋だった。アンリと一緒に暮らしはじめた時、永遠に共にいるという勘があった。なのに仕事よりも大切にしないからと逃げられた。いや恐らくもうほんの僅かに頼るだけでよかった筈だ。僅か一年で逃げられた。アシタカは追わなかった。むしろすぐに次へと移った。
家に誰かがいる安心感、隣にいてくれる従順な女。アシタカがアンリでなくても良いというのを見抜かれていた。逆も結局そうだったのかもしれない。以後必要時はアンリを捨てたと言いまくろう。ラステルを即座に蟲の女王、毒婦になりえるなどいう勘もそう。勘が働かないというのを、胸に留めておかないとならない。
「息子同然?今朝、大量の手紙が部屋に投げ込まれて目が覚めました……。チラリとだけしか読めてないのですが、大鷲が今まで学んだことというもの……。失敗談まで……」
シャルルの呟きに、シュナが呆れたようにため息を吐いた。
「ティダじゃない。大鷲、その名はヴァナルガンド殿だ。何を考えているのか。ヴァナルガンド殿は本当に、心底、兄上の手助けをしたいようですね。真心しかない」
シュナが眩しそうにセリムを眺めている。愛おしそうな瞳に、また胸が詰まった。彼女はセリムが好きなのかもしれない。友人の夫とは切な過ぎる。
「ああヴァルだ。シャルル王子は長子で、父親も忙し過ぎて学ぶ機会が少なかったのだろうと延々と悩んでいたからね。まずは名を名乗る。なのに素晴らしいシュナ姫でさえ出来ていない。親のせいだって。疲れていて話半分だったが、尊敬する兄達の教えを伝えたらどうかと言ったような、言わないような」
昨晩、シャルル王子がいかに頑張ろうとしているのかセリムから延々と聞かされた。話し半分で聞いていて、軽く相槌したのは覚えている。相当張り切ったらしい。シャルル王子のどこをそんなに気に入ったのだろうか。
「すぐ世界の中心になる、お邪魔虫の友人達が場の雰囲気を壊しました。どうぞ続けて下さい」
アシタカが背中を三回叩くと、シャルルが再びルイに右手を差し出した。
ルイは茫然としていたが、我に返ったように凛々しくなった。それから、シャルルの震える手と、今にも倒れそうなシャルルの顔を交互に見た。支えるように立っているシュナが潤んだ目で、切なそうにルイを見つめている。ルイと旧知で恋い慕っているのか?
「自ら王にと望んだことはありません。このような歴史的会談にて名が出たことを光栄に思います。本家を差し置いて王になど、ましてや反乱にて民を道添えにしようとした。しかし話し合う機会をいただけた。話し合いで色々と決めるのならば王がどうこうでなく、会議に参加をしたいです」
四人の中で一番若い男がシャルルと手を握った。彼がルイか。一文字の凛々しい眉に、澄んだ空色の瞳はシュナに通じる。癖っ毛に人懐こそうな姿はどことなくセリムに似ている。発言も似ている。自信があるので望まれるのならば励みたい。反乱という蛮行をもう反省し、飲み込み、糧にしようとしているように見える。
「ジョンが蹴落とすのを黙ってみていてすみませんでした。私も王は荷が重いが、会議ではアシタカ様からの要求について考えないとなりません。知恵を貸してください」
少し上を向いた鼻に丸い体のシャルルも、キリッとすれば目元はセリムを思い出させる。太った豚だなと思っていたが、心構えによりこれほど違って見える。豚は豚でも愛嬌と気品醸し出す極上品。アシタカは全く見抜けていなかった、シャルルの底力。セリムはいとも簡単にこじ開けた。
押さえつける暴力や疑心がなければ、シャルルの根元はシュナと似ているのかもしれない。それでセリムは懐いた。見抜いたというより、懐いたとしか思えない。セリムの人を見る目は経験や教育だけでなく、本能の力も大きい気がしてならない。
見抜けなかったちっぽけな自分を慰めようという、セリムへの嫉妬か。
シュナがまた軽く会釈した。
「このような姿に変わりましたがシュナです。胸元の紅薔薇の王族刺青に誓います。オザワルド家ヴラド。賄賂渦巻く貴族層の中でも清廉潔白で、良き法案を提示していただけなのに、国境戦線へ武術苦手な兄ハルベルを駆り出された悲しき弟よ。よくぞ声を上げました。年下のそれも本心では王になどなりたくないルイへの押し付けは血筋なき故でしょう。王とは単なる仕事です。城に住まう価値がある程に働くべき仕事。私はそう思います」
シュナがまたシャルルへ「さあ」というように目配せした。シャルルが目を見張って固まっている。ルイの隣、肩で切り揃えた茶髪がよく似合う、すらりと背が高い壮年。ルイよりは十は上だろうか。シャルルと同世代に見える。シュナの発言が信じられないというように垂れ目を丸めて固まっている。
「ハルベルはミモリア森の小さな村で暮らしております。偶然見つけて、我が最も有能な守護騎士ゼロースが気に入ったそうでして。ようやく会えますね。片足となってしまいましたが、ずっと弟を支援する提案をしてきていましたよ」
両足を突いて崩れ落ちたヴラドが号泣し出した。それからシュナのドレスの汚れた裾を握りしめて謝罪しだした。シュナがそっとヴラドの頭を撫でた。年下だろうシュナが、まるで母のように見える。しばらくそのままだった。ルイがそろそろ良いだろうと、ヴラドを支えるように立たせた。ヴラドが嗚咽しながらも背筋を伸ばして、シュナと向き合った。シュナがシャルルに目配せした。
「王太子シャルルです。グスタフ王が急病のため国王代理です。私は貴族達が恐ろし過ぎて言いなりでした。しかし母上の系譜や古き縁の後ろ盾もあります。根が深い派閥や権力差はどうにかしないとなりません。何も思い浮かばないが、それだけは分かります。怖過ぎる。知恵を与えてもらえれば考えます。王の隣で構いません。今までの分、働きたいです」
シャルルがガタガタ震えながら、嫌そうなヴラドの手を無理やり握った。ヴラドがシャルルの手を振り払って、シュナに右手を差し出した。シュナは愛らしく笑い、首を横に振った。シャルルの腕に手を添えている。ヴラドがしぶしぶシャルルと握手した。
シュナが「よく出来ました」というような目線をヴラドに投げた。それからまさかのウインクした。ヴラドが真っ赤になった。シュナが素知らぬ振りで隣の騎士に目を移す。アシタカも気恥ずかしくて、体が熱くなった。この場の全員、掌で転がされている。それなのにシュナに魅了されて嫌になれない。シュナにとんでもない武器が増えた。ヴラドの締まりのない顔が、腹立たしかった。男がみっともない姿を簡単に見せるものではない。
シュナが心底すまなそうに、それからホロリと涙を流した。
「第四軍主のシュナ・エリニュス・ベルセルグ。戦場より約束通り帰ってきました。いえ、盟友にして命の恩人ティダ皇子と慈悲深いアシタカ様。何度も奇跡をくれたヴァルとラステル夫婦。その他、多くの支援があって帰ってこれました。カイン、話をする時間と余裕が足りなくて申し訳ありませんでした。一言、王位は望んでいないと心変わりしたことを告げれば良かったです。ペジテ大工房との協定が無事に終わったら反乱首謀者として私が国民に裁かれましょう」
悲しみに震える声を絞り出したシュナ。アシタカはシュナが再三、グスタフ王に反旗翻そうとしている第四軍を宥めていたと知っている。大嘘だ。自分の軍だから全てを背に乗せた。絶対に見捨てない、裏切られても裏切らないというシュナの誠意。
丘に広がる、いやアシタカが六つの領地の市街地に設置した音響収集機から多くの民にこれが伝わっている。シュナはそれを理解して話している。カインは何も言わずに首を差し出すように、シュナに片膝ついた。それから嗚咽しだした。
「生まれ落ちて二十五年、ずっと守護してくれてくれました。敵陣に潜り込ませたり、苦労しかさせてなくて申し訳ありませんでした。ありがとう。国民に許されるのならば、私は貴方の為に誠心誠意努めます。散っていった者の為にも。不必要に対立をもたらす子ごとの軍など、悪しき慣習は無くなるでしょう。大陸和平が推し進められれば、戦場兵士ではなく治安維持という騎士本来の職務を全うできるでしょう。兄上が、昨晩そう申しておりました。私は思いつかなかったことを恥じています」
シュナがシャルルから離れた。純白のドレスがさらに汚れるのも厭わずに、蹲っているカインの前に座った。それからそっと抱きしめた。しばらくカインの号泣と、シュナの啜り泣きだけが流れた。
アシタカにはシュナの全身が血塗れのように感じた。自らの身に刃を突きつけている。
吐きそうな程に苦しい。鼓動が激しく鳴り響く。シャルルがぶんぶんと顔を横に振った。アシタカは「シュナだ」と言おうとするシャルルの口を塞いだ。シュナの願いだ。いや、シャルルを変えたセリムへの真心。
ーー何故こんな気持ちになってまで、見知らぬ他人を守ろうとしているのかと、全部捨ててしまいたかった
アシタカに漏らした苦しみは、本音の一粒でしかなかった。シュナの本心にはここまで尽くしたのに、どうして分かってくれない。そういう激しい憎悪がある。それから自らも加担していたことへの憎悪に軽蔑などの渦巻く悪感情。国を荒らしていたと、後悔して自らを責めているのだろう。理由は自分ではなく、見知らぬ他人の為なのに酷く傷ついている。だから叫びだしたかった、なのだろう。
「第一軍師団長にして元第三軍師団長リチャード。ターラ兄上は私の忠臣カールが背中から討った可能性があります。証拠不十分で不起訴でしたね。本人も固く口を閉ざしていました。彼女とはノアグレス平野にてはぐれてそれきりです。生きているかもしれませんし、亡くなっているかもしれません。許せとは言いません。私達現王族そのものが争いの原因と、よくぞ立ち上がりました。ルイと結託したとしつつ、結局王家本筋の私を選んでくれたと聞いています。己の騎士精神と民への奉仕心との板挟みで辛かったでしょう。過大な評価ですが、その敬愛へ感謝し、兄上と私は手を取り合うことを貴方に誓います」
リチャードが複雑そうな表情で俯いた。グスタフ王世代の熟年男性。唇の端が歪んでいる。目がうるうるとしていた。リチャードの握っている拳から血が流れていたので、アシタカは目を見張った。彼はどんな立場なのだろうか。シュナがドレスの袖を破ってリチャードの手に無理やり握らせた。リチャードが黙ったまま地面に吸い込まれるように丸まった。
シュナはカインの時とは違いリチャードには触らなかった。それからシャルルから離れた。フォンに目配せして、アシタカに軽く口角を上げた妖艶な笑みを投げた。
まるで全部嘘だと言うように。
リチャード以外の、この場の全員がシュナの豹変に気づいて、愕然としている。
ガサガサという雑音が入った。親しそうにフォンに耳打ちしたシュナの台詞は、通信を切れということだろう。
「私はもう王候補は出てこないと思います。大国を背負うというのはとても荷が重い。もう五名も名乗り出ました。兄上、シュナは従兄弟のアシタカ様を大変尊敬しております。追放されないように励んで参ります。本日より、悪蛇の毒牙で貫けぬ我が二つ名は醜姫ではなく不死の大鷲姫ヴォロスです。爪に真心を目一杯込めて鋭く磨きます。吉人天相といいまして、素敵な容姿も手に入れました。これより、偽物と呼ばれないようにして参ります」
アシタカは何のことか分かって、思わず吹き出しそうになった。セリムにやられたことを、他人の五人にやり返すつもりだ。これまでのシュナに対する不義理への報復。振り返って反乱を止めた軍に背中を向けたシュナ。アシタカだけを見つめてくれている。アシタカは目で呼ばれていると感じて、惹きつけられるように近寄った。
しかし、今から何をするつもりなのだろうか。打ち合わせから大きくズレていて、手口が全く読めない。
「叫び出さないように隣に居てください。至宝を飾る紅の宝石と呼ばれたいのです。どうか私も貴方の隣を歩かせてください。その為ならば何でもします。空を飛べぬ、大鷲を遊び半分で撃ち落とす遊興にふける愚民共へだろうと真心捧げます。貴方の隣はそう言う場所です。だから今から生き様見せましょう。貴方の輝きに焦がれてならないのです」
シュナの顔は苦しそうな笑顔だった。シュナが手をあげる前に、アシタカはシュナの両手を握りしめた。小刻みに震える、寄る辺のない小さな手。シュナが嘘のように穏やかで可憐な微笑を浮かべた。涙が血のようにさえ見えた。
シュナがフォンに目配せした。音響収集機の電源がまた入れられる。シュナがフォンに目配せして、地面に機械を置かせた。
「全員に届かないと思いますが国民に告げます。私シュナ・エリニュス姫は国を騒がせた責任を負います。もう一度ここに固く誓います。真の誓いとは心臓を刺されても決して破れないものです。私は国民全員に真の誓いをします。王位継承権を放棄します。清らかに正しく生きてきておりません。この世は因縁因果、生き様こそが全て也」
右手をアシタカに預けたまま、奥ゆかしげに腰を下ろした。純白のドレスが益々汚れる。しかし頭上高く輝く太陽を独占するように、裾についた紅の土がシュナを煌めかせている。
シュナがいきなり謀殺されたことについて口にした。誰がは言わない。どんな理由でなのか、謀殺の内容を語る。今度は誰がどう助けてくれたかを話す。それを淡々と繰り返し始めた。
誰も口を挟めない。
鈴を転がすよう美しい声に魅了されて、聞くことしか出来ないのかもしれない。
アシタカの手を強く、爪がアシタカの手の甲に食い込むほどに強く握る。見た目では大したことが無いというように装っている。
「このように助けてもらい生きています。ですので全て許しましょう。善因善果と申します」
終わりかと思ったら、即座にシュナは口を開いた。
「心血注いで守ってもらいました」
まず母親の名前を上げた。次にカール。それから知らない者だがラーハルト、メルビン。そのままゼロース、バース、ビアーと淡々と名前を呼んでいく。第四軍の名前なのだろう。気配がして振り返ると、紅の旗を翻すゼロースが白馬に乗って威風堂々とシュナの元へと向かってきていた。後ろにビアー。そして更に後ろにティダが選び抜いたという騎士達。
前方からも人が歩いてくる。いつの間にか人が増えているような気もした。しかしシュナは祈るように座ったまま俯いている。誰にも顔を見せないという、精一杯の抵抗かもしれない。それか嘘偽りない表情をしたいのだろう。
淡々と名前を呼び、時折どこの領地の誰が優しくしてくれたと話を挟み出した。転ばされた時に助け起こしてくれた娘ハンナ、病気で変形した背が辛いだろうとさすってくれた老婆アボット。そんな風にシュナはひたすら語っていく。誰が助けてくれた。優しかった。淡々と続く。
許すには理由がある、そう言うように。
圧倒的な記憶力。108回の謀殺なんて氷山の一角だろう。しかしシュナはそれについては語らない。
アシタカの手の甲に食い込んでいるシュナの爪の鋭さ。憶測でしかないが、夜な夜なシュナと語った時の悲痛。
ーー私達に触らないで!脅されても従いません!自由を捨てこの国の象徴として清らかに正しく生きてきました!こんなのあんまりです!嫌です!
記者会見でララはそう言い放った。シュナはララ達以上にこの国へ心血注いできた。それに対する国民の今までの態度。汚濁飲み込み、病で痛む身体でも平和を声高々に訴えて帰国したのに回答が反乱。
ティダは自分がいる間にと思って反乱を扇動した。シュナは受けた。対策している、止められないと言いながら、むしろ後押ししているようでもあった。突然、喉が焼けるように熱くなった。息がしにくい。どうしたのだろうか。
シュナの爪がアシタカへ伝える痛みで、だんだん治った。助けてくれという大絶叫。何故許さないとならないという批判、憎悪、激怒。アシタカならこの苦痛を分かってくれると頼られ、助けてと手を伸ばしてくれた。ティダではなくアシタカに。今度は胸が温まった。悪寒と発熱感?まさか数年ぶりに風邪を引いたのか?こんな大事な時に。
ーーあの日のアシタカ殿は、私にはあまりにも輝いて見えた。国を背負う覚悟と、その為なら何もかも許すという清々しさ
ーー憎しみで殺すよりも許して刺されろ。刺されて血を流しても歩けとは、恐ろしい信念。しかしアシタカ殿の輝きに、私も嫉妬するんです
誰よりも人をよく見て、行動してきた。シュナはそう自負しているから、一時は自ら王になろうとした。自信があった。それさえ飲み込んで、セリムを信じて憎しみを消そうとしている。シュナは許しても憎んでも四方八方、針しかない。真心込めたのに裏切られ続けてきた。しかし裏切れば、自らを傷つける。
何もかも許せない、辛くてならない、助け続けて欲しいという寄る辺ない小さな手がアシタカを掴む手。アシタカもきつく握り返した。親愛にならこの食い込む爪も許せる。いっそ手の甲に傷跡が残ればいい。これ以上の勲章、死ぬまでにもう二度と手に入らないだろう。
血染めになって、最も尊い道を歩もうとしている女性からの勲章。むしろ独占したい。
「昔々、田舎に小さなお城がありました」
突然、シュナがおとぎ話を始めた。子供に読み聞かせるように、歌うような美しさで紡ぐ。後方に並んだ騎士達が馬から降りてシュナに敬礼をした。ドメキア流ではなく、ペジテ大工房に敬意を表するというような仕草。
騎士達が天を仰いでいる。上を向いても、流れる涙が頬を濡らしていく。
「残念ながらお姫様は醜く、民は国が貧しいのは醜い姫のせいだと噂していました」
アシタカは醜い、その言葉にギョッとした。
「大好きだった両親の残した国です。美しい丘からの眺めもとても気に入っていました」
創作してきたというようには見えない。前方の反乱に集まった者達が次々と崩れるように倒れたり、騒めき出している。反乱軍だけではなくやはり増えている。紅の境界線上、シュナの左右にも人が集まっているのがその証拠だ。後方にはいない。最初にシュナの為に集まった者のみ。
シュナの背中には支援者しかいない。
シュナの名が丘に響く。しかし、それよりも音響収集機が届けるシュナの声の方が大きい。
「醜い姫は意地も汚い。みんなが飢て死にそうなのに自分だけ隠していた。お姫様は気にしません。これでみんなが冬を越せるかもしれない。凍った大地を耕し、春に使えるようにと朝から晩まで働きました。力強い作物も探して回りました」
風がシュナの髪を靡かせる。巻き上げられた髪が一瞬、王冠のように見えた。益々シュナの右手の力が強くなった。
「お姫様を見ている者は見ています。星達よ、彼女は何て美しい。夜空のどんな星もあの姫には敵わない。ペジテ大工房の至宝アシタカ様。我が従兄弟。疲れ切って、書類が山積み、眠っていないという酷い隈。ボサボサの頭に無精髭です」
シュナの右手の手から力が抜けた。アシタカを見上げた顔の、頭上に広がる雲ひとつない大空を閉じ込めたような瞳。
「来訪などないから、緑茶しかない。初めてだと苦いでしょうと言ってくれたのに、毒入りかもと怯みました。苦いけれどバム茶に似て美味しかったです。ノアグレス平野はペジテ大工房の領地外。その主張を貫き通して、大衆の目の前で撃たれても臆せずこう言いました。争わないようにと考えるのが何が悪い。血が流れないようにと願う事が悪い筈がない。初めて会った従兄弟の為に。その向こうにいる多くの異国の民の為に」
アシタカは突然自分の話にすり替わったので、唖然とした。それにバム茶?そんな発言あったか?ラステルだ。ラステルが言った。先に緑茶を飲んだラステルの言葉。この台詞はシュナからラステルへの感謝だ。彼女の無垢さへの憧れ。目がそう訴えている。やはり記憶力が相当良い。
「だから醜い姫は流星に祈り、願いました。土は豊かに、緑が芽吹いて実がなりますように。民の幸福が、少しでも長く続きますように。消えてしまった星に相応しい命の輝きが訪れますように」
この話はこの地に伝わる子供へのおとぎ話か何かだ。シュナとアシタカが重なるところがあるのか利用している。伝承が真になったと虚像を作り上げようとしている。
シュナからアシタカへの惜しみない感謝。この地にアシタカの名が残れという恩返し。そう感じるような、信頼の涙と宝石のような瞳。
「姫を女神にしてください。星の王子と空で暮らして欲しいのです。星達は天界の神に頼みました。私の幸福は誰かを幸せにすること。昔々、シュナ・エリニュス姫という醜い姫がいた。醜い姫に手を差し伸べたのは隣国の慈悲深い方。私はシュナ・エリニュスの名を後世に残し、これほど似合う名はないと言われたいのです。シュナの森、エリニース塩湿原より母が付けてくれました。姉のような者がいつも褒めてくれました。至宝を飾る紅の宝石、そういう名前に心だけは美しくなりたい」
騎士達が、特にゼロースが嗚咽し出した。「ずっとそうでした……」とゼロースが号泣し出した。半分程の騎士達が崩れ落ちた。片膝ついて手に持たない剣を掲げるような者、祈るように手を握って立膝つく者。
シュナが一瞬振り返った。拾われないような小さな声。小さな小さな囁き。秘密だというように。
「背負う矜持に加えて欲しい。信頼すれば背を無防備に預ける。紅旗の真の騎士団。私の我儘を聞いてくれるのなら新たな主を守って欲しい。守りたいと奮起するでしょう。私だけが誓う。貴方達の家族、その先子々孫々を照らし続けます。国を丸ごと。私から優しく健気な星達への真の誓いです」
ゼロースがよろめいてビアーに支えられた。アシタカも倒れそうになった。シュナが最も愛するのはティダだ。これはそういう意味の言葉だ。シュナはまたアシタカを見上げた。立ち上がって背伸びをすると、アシタカに耳打ちした。
「勘違いされたくないので言っておきます。ここまでされてうっかりほだされない女はいない。生理的に、本能が、逃げろというので逃げた。あと試しにちょっとアンリでつついてみた。アンリの本質が大前提ですがアシタカ様の女という対抗心で燃え上がったのでしょう。アンリの目はセリム殿と似ているから案の定。別に失敗でも手立ては無限。私は策士。淡いうっかりの初恋を破るなら清々しい方が良い。これさえ偽り。己も騙す。仕事が何より好き。恋より仕事。だから貴方の手を掴んだ。ふふっ、ラステルとアンリが怒り出すので内緒ですよ」
楽しそうなシュナ。やっと重圧から解放されたのだとヒシヒシと伝わってくる。
「貴方となら深く深く息が出来ます。紅茶も静かに美味しく飲めて語り合える」
目の前がチカチカしてよろめきかけた。やはり体調不良。仕事に支障をきたしたら名折れと踏ん張った。シュナが気遣わしげにアシタカの手を握った。
「お姫様が働くと、優しい健気な星達が次々と流星になりました。流れてしまったのなら願いましょう。隣国の働き者の至宝に星の加護がありますように。誰もが豊かに生きれますように。星達の煌が尊いものになります」
シュナがまた大きく美しい声で話しはじめた。胸が熱い。友から、こんなにも強い尊敬は初めてだ。今からアシタカが向かおうとしている、独りよがりかもしれない信念への賛同。細くて暗かった道を、照らそうとしてくれている。一気に視界を広げようとしてくれている、輝く紅の宝石。土で汚れた純白のドレスが赤く光っているから余計にそう見える。
「優しい、優しい星達が言ってくれました。お姫様の為に流れて消えたいのにと嘆きました。お姫様は言いました。どうか流れないで。夜空で輝きずっと照らして欲しい。夜にも働けるのは貴方達のおかげなのです。私を守り続け、働いてきた貴方達こそがこの世の宝です。流れてはなりません。だから頑張るのです」
ーー私達の手助けをして欲しいのでご自愛を
シュナがアシタカから手を離した。
ーー私達の手助けをして欲しいので
耳の奥に穏やかで、鈴の音のようなシュナの声が響く。今も耳を擽る。
ーーご自愛を
シュナが心底心配だという風な、益々切ない表情になった。
飛び飛びでこの話の全貌が分からない。
どんな、何の話なのだ?主役は醜い姫。人は見た目で判断できない。そういう教訓の話ではないのだろうか?
国民に何かしらが届いている。この異様な雰囲気はそのせいだろう。渦巻くような熱気。声を届ける、それだけの機械でここまで人を激動の大渦に飲み込む。このような話し方、計算だと分かる。なのにシュナの語りに呆気なく飲まれている大衆。
シュナが可憐に、花が満開になったというように笑った。目眩がする美しさに、アシタカはよろめいた。シュナが勢いよく立ち上がって、アシタカの両腕を掴んだ。
「星達とお姫様は毎日星の王子から学んで、今日も暗闇を照らそうとしています。昔からこれまでも。そしてこれからも、ずっと」
シュナがアシタカの体を下に引っ張った。それから背伸びをして、そうっと額に唇を当てた。全身の血が滾る。シュナから目が離せない。
「なので、私シュナ・エリニュス姫は王位継承権を放棄することを誓います。真の誓いです。心臓を貫かれようと、脅されても従いません。この世は因縁因果、生き様こそが全て也。いつか償ったと言われるように生きていきます」
シュナがフォンに目配せして、アシタカを置いて早歩きで前方へと進み出した。両手を挙げて堂々と歩いていく。フォンが機械を持って追っていく。アシタカは後を追った。具合が悪いが、何も出来ないがせめて手を握ってあげていたい。
「醜い姫と流れ星。我が国には真心には真心を返せというおとぎ話があります。この国全てを鮮やかな未来へ導きたいと思ったこともありますが、反乱などを起こしてしまう至らなさ。私にはこのような大国は背負いきれません。因縁因果、吉人天相。誤ちを正して変わろうと奮い立った兄シャルル王太子。今日立ち上がり、武器を捨てて名乗り出た四名。私よりも他にも沢山の王に相応しき者がおりました。傲慢を恥じて王位継承権を放棄することを全国民に今一度誓います」
これほどまでに王に相応しい生き様を見せてきた。愚かな仮面を被り、謀殺繰り返そうとも。私は賢かった、全て覚えている。そして、今話をしているのはシュナ本人だという高らかな宣言。
ザマアミロ!そういう、シュナの悲鳴な気もした。アシタカは必死で駆けて、シュナの横に立ち無理やり手を握った。
雑音がしてフォンが電源を切ったと分かった。フォンが地面に音響収集機を叩きつけた。壊した。あんな高価なものを勝手に壊した!何を考えているんだ!
「これ以上は過剰の判断です。シュナ姫様は血塗れ。それにアシタカ様の有り様。それにこの科学は正しく使わないと言葉の暴力を増長する。今回は正しいでしょうか?凡人の私には分かりません。正悪判断つくのは年月がかなり経ってから。十分です」
フォンの淡々とした説明と、麗わしい家族の姿で、怒りの爆発を耐えた。何とか耐えた。台無しにしてはいけない。
「アシタカ殿を怒らせて壊そうと思っていたので助かりました。過剰防衛は火に油のこともある。さすが巨大要塞構える覇王ペジテ大工房。その主張貫いて、わたしに批難浴びせ続けて下さいね」
シュナのウインクにフォンが顔を真っ赤に染め上げた。シュナはしれっとドレスをつまんで優雅に、しゃなりしゃなりと歩いていく。人の群れへと無防備に飛び込もうとしている。
突然、背後から地響きのような力強い吠え声がした。三回。三回。三回。別々の声だ。振り返ると丘の上に大狼三頭が並んでいる。
『さあ殺せ。殺してみろ。殺せるものなら殺してみろ。さあ、ほら!ふははははははは!最も王に相応しい者が、自由という大空高く舞い上がった。大鷲姫はこの地を去るな!この世は因縁因果、生き様こそがすべて也。さあ殺してみろ!こんな民、見捨てて逃げろ。逃げられないのなら我が愛娘を捕らえる者を大狼が食い殺してくれる!』
音響収集機⁈
ティダが手に機械を持っている。いつの間にかすぐ近くまで来ていた。純白の礼服を身に纏っていた。ティダはアシタカの肩を抱いて、物凄く不機嫌そうに鼻を三回鳴らした。それからアシタカを睨みつけた。口元からマイクを離したティダが、アシタカに今度は舌打ちを三回した。アンリが呆れたように三回、ティダの背中をポンポンポンと叩く。
「シュナから国民への誓いを簒奪するな。俺の手柄を根こそぎ奪うな。最悪だ。史上最悪な男め。俺はお前を絶対大狼には招かねえ。嫌いだからな!シュナの奴、お前だけを神話にした。クソッ、俺が最初に選んだ利用方への復讐だ。次の為にと優しく手ほどきしてやったのに、感謝しろっつうの!それにアシタカ、お前と同じ手口になったのが心底腹立たしい。互いの手口を盗んでもいないのに。今回はヤンがお前の部下で、そして権力差で負けたが覚えていろよ。連敗とは最悪だ。何が家族だ、愛娘の嘴で刺し殺されろ」
アシタカは何を言われているのか分からなくてクラクラした。熱が上がってもう限界なのかもしれない。シュナが勢い良く振り返った。アシタカの後方にいるティダを見つめている。遠くて分かりにくいが、ティダかシュナに向かって肩を竦めた。
「娘が激怒しているので訂正する。シュナは何もかも全て許すという。何もかも、だ。しかし大狼は許さん。こんな娘だ。疑い、罵っても構わん。俺が守って国まで返した紅の宝石。空高く自由に羽ばたく誇り高い大鷲姫。我が愛娘が天寿全うしなければ、大狼が食い殺すからな!大地も揺れて破滅もする。ふはははははは!今夜は月見酒だヴィトニル、ヴールヴ、スコールよ!命短し、されど尊い。紅の宝石をきちんと見定め信じ抜いた、俺の部下だけとは共に生きてくれ!」
空を飛ぶ三機の飛行船から降り注ぐティダの高笑い。ティダが勝ち誇ったような表情で機械を地面に捨てて踏み潰した。足なんかで壊れないはずなのにペシャンコのぐしゃぐしゃに潰れた。高らかに笑いながら、昂然と歩いていく。アシタカを心配するようなアンリの肩を抱いて、無理矢理引きずるように連れて行く。
シュナが再び歩き出した。近くの者にだけでも届けというように叫んでいる。それなのに耳触りが良い。聞こえなくなってしまう、とアシタカはよろめきながら後を追った。
「何もかも許すのはとても大変です。心臓に剣を突きつけられても真心を忘れるな。憎しみで殺すよりも許して刺されろ。アシタカ様の口癖は何て苦しく、辛く、損しかない。しかし母ナーナが良く申していました。全ての命は自己愛に燃える。身を焦がして時に破滅することもある。だからこそ、美しく綺麗な炎を胸に灯しなさい」
一度も会えなかった、アシタカが憧れた叔母ナーナの言葉。
美しく綺麗な炎。
「私は家族であるアシタカ様に憧れてなりません。美しい宝石になりたいという、醜い姫に分不相応な強欲の自己愛で燃えるのならば、美しい至宝を目指そうと思います。民を守った女神シュナ。紅の宝石エリニース。私の名が紅の宝石となるように生きれば、針の筵で刺し続けられ、殺されかけ続けて、この身破滅しようとも許せます」
強い。
なんて強い。
シュナを民が取り囲んでいく。全員シュナに謝罪するように蹲っている。本心ではない者がいても、場の雰囲気がそれを許さない。ゼロースと騎士団がシュナにずっと敬礼し続けている。信じ抜いていた彼等には、頭を下げる理由なんて何一つない。
「兄上。私、人を見る目はありますの。それに醜く生まれた代わりに、うんと良い頭を天から授けてもらいました。人生とは生まれ落ちた身分や才により平等ではありませんが、あるものは最大限に使用しようと思うのです。兄上や、別の方でも、きっと役に立つと思います」
シュナが純白のドレスを民から引っ張って引き剥がし、こちらに戻ってきた。兄上と呼んだのに、何故かアシタカに向かって一目散。
アシタカは自然と両手を広げていた。自分を必要だと、助けてくれとシュナが走ってくる。身体中の血が燃えるようで、足が動かない。無理に前へと進んだ。この体調不良、酷い顔をしているだろう。情けない。
「兄上。兄上がいる限り、私は何処にも行きません。たまには敬愛する従兄弟アシタカ様と、その家族と美味しい紅茶が飲みたいです。叶うのならばまた庭に行ってみたい。あそこならば、毎晩安心してぐっすりと眠れるでしょう。遠い地に行ってしまいますが、必ず私を守ってくれる大狼もおります。それだけで強く、前だけを向いて生きていけます」
シュナがアシタカの腕に飛び込んできた。アシタカはシャルルではなく、やはり自分だった事に驚いて支えきれずに倒れた。家族一人支えきれず、情けなさ過ぎだ。
「アシタカ殿。どうです?誰ももう私を殺さない!見てました?殺してみるがよい!小気味良くてならないわ!あはははははは!私の武器はこの口、演技、そしてこの体。更には強大な後ろ盾!真心には真心が返ってくる。返ってきた!死ぬまで訴えて、未来へ残します。鮮やかな未来を作る石垣の一つになるでしょう。私はアシタカ殿の役に立てますよ。ではシャルル、ルイ、ヴラド、カイン、リチャード参れ!」
シュナが低いが凛とした大声で名前を叫んだ。
「時は金也!早くしないか!」
シュナがアシタカに抱きついた。どうしてだか、体が熱くてならない。四名が青ざめた顔をして集まった。
「私は至らないので王にはなりません。幸いにも五人も王になりたいものがいる。全員並んで王でも良いような者が集まった。なんて未来は明るい。必要ならば役に立ちます。不要でしたらアシタカ様へずっと力添えするだけです。私は真の民を覚えているので、連れて行くかもしれません。全て許す私は、誰が王でもこの国を支える柱となりたいです」
美しい、妖しい笑みでシュナが五名を見上げた。王位の放棄は自分の為の逃げ道。そして自分以上の生き様を見せてみろ、私は見ていて知っているから貴方達を信じることにした、正しく導ける、働かせるという脅迫。
「ふふふ。あははははは!さあ、謀で我が道を邪魔してみよ。凶暴獰猛な大狼盟友ティダが黙っていない。大狼に滅されよ!至宝アシタカの掲げる矜持が大好きで大好きでならない大狼達に食い殺されよ!屍肉も身の内に入れたくないと、食物連鎖にさえ入れてもらえぬだろう!尽力してきてやったのに、平和掲げて帰ってきたのに、反乱なんぞしおって殺してみるが良い!私の姿を見抜けなかった事を呪うが良い!一生アシタカ様へ心血捧がせる!民が潤うぞ!」
アシタカは耳を疑った。
壊れた。緊張振り切れてシュナが壊れた。
四人など目もくれず、集まってくる騎士達に目もくれずにアシタカに抱きついている。
「母が愛した国!愛するカール率いた第四軍が守ってくれた!それだけでも十分なのに増えた!増えた!もう誰も私を殺せない!108回で終わりだ!死んでも構わん!大狼に蹂躙されよ!輝く星のみは生き残る!それなら胸がすく!反乱したのだから死ぬまで国に命捧げよ!民を見捨てられないお前達は、至宝と紅の宝石から絶対逃げられん!あはははははは!私はいつでも逃げるけどな!足りなかった容姿さえ善因善果で手に入れた!王にはならんが、これぞ王の器也!ちっぽけな国の王なんぞ、至宝に飾られる紅の宝石の足下にも及ばんからいらん!」
五人の表情を確認する前に、シュナがアシタカの頬を両手で掴んだ。
「大鷲姫には鋭い爪がある。大親友の夫にして私の師が、真心は時に武器となると教えてくれましたので。模倣して清く、正しく、眩しく生きていこうと思います。真の父が無骨者なので似てしまいました。貴方に飾る宝石は必ずや私が増やしましょう。荷が減るように、大きく美しい宝石をうんと沢山。私、王になりたいという強欲でしたがもっと上を目指して自由に飛びます」
シュナがアシタカの額にキスをした。
「これはアシタカ様への真の誓いです。勝手に与え、いつでも破ります。破っても構いません。でもきっと逃がしません。逃げません。その前に気づいてくださるかしら?ふふっ、心臓貫かれるまで助けますのでどうか、どうかご自愛を」
盟友か。ティダと同じく盟友に選ばれた。
複雑な気分だった。頭痛が酷いせいかもしれない。
体調不良による熱と目眩。全身を覆う得体のしれない、まるで嫌ではない、むしろ喜ばしいような不思議な悪寒。
アシタカは意識を失った。




