蟲の民と毒蛇の巣4
ドメキア王国玉座の間
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装飾豪華な柱が並び、床は乳白色の大理石だが、中央は道のように真紅の絨毯が敷かれている。吹き抜ける高い天井には色彩豊かな絵画。白銀の蛇がうねり、その周りを羽根が生えた全裸の赤子が囲む。
絨毯の上には多彩なガラスが反目する双頭竜の絵を作っている。七色の光が絨毯に柱のように降り注ぐ。絨毯の脇にはドメキア兵士達が居並んでいた。
「ティダ・エリニュス・ドメキア。グスタフ王への忠誠の証に、ペジテ大工房の大技師の地位を得、蟲の民との会談を取り付けて参りました」
静まり返る、緊張感の漂う広間にティダの凛然とした低い声が響いた。
「御苦労。近う」
降り注ぐ虹色で玉座も王もはっきりしない。蟻蟲の声に似た少し嗄れた声。
「恐れながら陛下。蟲の民の王子はこのような席に慣れておりません。どうか御身の為にも兵士を陛下の方へ移動してくださいますように進言します」
身の回りを固めよ、敵対心はないということだろう。ほどなく兵士達が奥の方に進み、左右に三列づつ並んだ。合計二十四名なのか。手厚い警護。それとも大国としては少ないのだろうか?カイン達とタダン達も加わったので更に増えた。
ティダが進み、月狼も脚を進める。整列する兵士達の手前で止まった。縦に巨大な白い玉座に、割と太ったつややかで玉のような男が肩肘ついて腰掛けている。左手には白いゴブレット。兄クワトロのように鼻の下に生やした一文字の口髭。少し上向きの鼻。
シュナが兄を豚兄と呼んでいたが、この父親からなら確かに豚っぽい息子が生まれるかもしれない。親しみやすさに愛嬌がある容姿だ。
なのに不信感と野心に満ちた目。緑がかった青い瞳はシュナとは色だけではなく、何もかも違う。あまり良くない人種だ。蔑みを感じる。しかし国が大きく、身に危険が大き過ぎるが故だろう。まだ自分が存命なのに、子供達が権力争いをしていれば心も荒む。
「手紙にも書いてあったが、ペジテ大工房の大技師とは如何に?血筋で継承されると聞いている」
優雅な手つきで白いゴブレットを傾けるグスタフ王。シュナの気品や物腰は確かにこの王族に相応しいようにと、身に付けられたものだろう。愛くるしい見た目のグスタフ王だが、威圧感はかなり強い。強欲蛇王などと呼ばれていたが、大国の王としての器はきちんと持ち合わせているように感じる。
「土産話は我が愛しき姫にして、陛下の愛娘シュナ姫と共に語り合いたいです。先に蟲の民の王子を紹介しに参りました。その方が安心していただけるかと思いまして」
グスタフ王がゆっくりと上から下までセリムを観察した。嫌な視線だが、蟲の民という不審者なのだから仕方ない。まずは挨拶だとセリムは月狼から降りた。鉈長銃を肩にかけるベルトの留め金を外した。それから鉈長銃をティダに渡す。鞭と短剣はパズーに渡した。
迷ったが兜はそのままにしておいた。武器はともかく、さすがに身を守るものまで手放す勇気は出なかった。向かい合う兵士達の前まで進み出た。大きく深呼吸をしてグスタフ王を見据える。
「初めまして蟲森を転々とする蟲の民。その王子のヴァナルガンドと申します。ヴァルと呼んでいただいても構いません。この度ノアグレス平野で蟲が怒りの炎を上げたため、人と蟲の誤解を解く為に外界へ出ました。本来は決して蟲森から出ません。定住もしない旅の民です」
大嘘だが仕方ない。この嘘を突き通すならば他は真心込めて、礼節も見せないとならない。ドメキア兵士達の敬愛の示し方は片膝ついて頭を下げる。セリムは真似をした。槍も剣もなくて手のやり場に困ったので、手を高く挙げて無抵抗だと示した。
「ふむ。何を企てにきた。嘘偽りのようだが?」
セリムは顔を上げた。挨拶をしたのだから返すべきだ。それに名を名乗ったのだから、名前を告げるべきだ。セリムはグスタフ王の名を知っているが、本人から聞いた訳ではない。嘘はついているが、家族と崖の国の為。真実を教え、絆を保つ為にこの地へ来た。やましいことなど何もない。
「蟲の民ヴァナルガンドと申します。ヴァルと呼んでいただいても構いません」
セリムは立ち上がって崖の国流の会釈をした。視界の端、右側前から二列目の兵士の銃口がセリムの足元に向いていた。銃声が轟いたがセリムは動かなかった。威嚇と分かっているなら、慌てる必要はない。セリムは兵士を無視してグスタフ王を見据えた。
無抵抗も分からないなんて、この国の兵士はなってない。後で進言しなくてはならない。
「談笑を邪魔するような、愚かな騎士は首を刎ねよ」
セリムがどう反応するかを観察していたのに、どの口が!セリムは思わず叫んでいた。
「流石大国ドメキア王国の近衛兵!不気味な男から王を守護しようという高き忠誠心です!しかし我が民は無抵抗な者に手を挙げることを恥としています。突然立ち上がった、若輩で未熟な僕と、気高い騎士の奉仕心に免じてどうかお許しください」
引きつりそうな顔を必死に笑顔にした。セリムの一挙一動に誤りがあると死体が増える。今日失わせてしまった命が脳裏によぎった。重圧に吐き気がする。白いゴブレットを掲げようとしていた、グスタフ王の手が止まり、降りた。銃弾放った兵士の首先に剣が突きつけられていたが、止まっている。
「ふむ。王子というのは誠のようだな。試すような真似をして悪かった。私は大切な騎士を、このように簡単に死なせたりはしない」
嘘だ。目が面白がっている。それにセリムをどう利用してやろう、何に使えるのか考えている視線だ。
「蟲の民ヴァナルガンドと申します。ヴァルと呼んでいただいても構いません。愚かにも蟲を利用し、他国へ侵略しようとしているベルセルグ皇国を抑制したいと考えています。蟲は人に利用されるのを最も忌み嫌っています。先日は危うく大陸が滅ぶところでした」
グスタフ王は相変わらずセリムを舐めた目で眺めている。ゆっくりと白いゴブレットを手首を使って回してから、口元に運んだ。
「それならばベルセルグ皇国へ参るべきではないか?後ろの我が新たな息子という、伝もあるようだが」
まだ挨拶を返さない。グスタフ王が顎でセリムの後ろを示した。セリムの得体の知れなさが怖いのだろうか。仕方ないので床に胡座をかいて、両手を挙げた。グスタフ王がほんの少しだけ目を細めた。少しは信用してくれたようだ。
「蟲の民ヴァナルガンドと申します。ヴァルと呼んでいただいても構いません。ティダ皇子よりベルセルグ皇国皇帝よりも、ドメキア王国王の方が思慮深く、先見の明を持ち、矜持抱く方だと聞きました。何より我が妃の友となったシュナ姫のお父上。実際、こうして話す機会もいただいています」
ベルセルグ皇国にはティダがついていたという第二皇子テュールという者がいるらしい。しかしティダの背後には故郷の匂いがさっぱりしない。ティダは信用したが、故国に何を思うのか測りかねている。何より奴隷兵を見捨てて帰っていった国と、一応アシタカの和平交渉に即応じてきたドメキア王ならば後者の方が信じるに値する。
不審者を即殺するのではなく、利用価値があれば手元で使おうというのも殺すよりはマシな考え方だ。
「次から次へと口が立つようだな。して先程から何故、何度も名を名乗る。過ぎたるは猶及ばざるが如し」
知っているか?という嘲笑に苛立ちが沸き起こった。しかし落ち着かないとならない。度が過ぎることは、足りないことと同じくらい良くないとは何て失礼なんだ。大国の王が挨拶一つしないからではないか。なってないのに、太々しい。
思い出せばシュナも初対面で名を名乗らなかった。親の悪い所を見て育ったからだ。親が教えなかったせい。そういえば、荒々しく血気盛んだったが、カールは自己紹介してくれた。
何なんだこの国は。
「分別過ぐれば愚に返る。僕は何も企んでいません。本来人と話せぬ蟲と、この大陸で唯一心を繋ぐので助言に来ただけです。羮に懲りて膾を吹く。ノアグレス平野の惨劇に過剰になっては困ると思い馳せ参じました」
多少の教養くらい叩き込まれて育った。しかし苛ついて言葉選びを間違えた。失敗に懲りて、度を越して用心深くなるなと言いたかっただけだが、この台詞だと嘲りも含まれる。なってない人だが、人生の先輩にこのような生意気は良くない。セリム頭を掻いた。
「申し訳ありません。生意気でした。確かに僕が慇懃無礼でした。しかし我が民は礼節、特に挨拶を大切にしています。名を名乗っていただけないのが悲しかったのです。すみません」
叱責されるかとグスタフ王の顔を見上げた。
「妙な男だな。愚弄したかと思えば怯えた様子。尊敬を向けたと思えば侮蔑。何とも珍妙な男だが、ティダよ。何のために連れてきた?」
また妙だと言われた。そろそろセリムは妙だということを受け入れるべきなのかもしれない。思い至らないが、自己評価よりも他人からの指摘が役立つことは多々ある。セリムは振り返ってティダを見つめた。今の所、大きく間違えてはいないだろうがどうだろうか?ティダは瞳にまで笑顔の仮面を被っていて、思考が読み取れなかった。
「この男、暴れ、言うことを聞かない蟲を宥めて巣に帰しました。自らが殺されれば、大陸が滅ぶと言うのです。先日の大地震に、先程の地震がそれだと。信じがたいのですが、我が大狼を手玉に取られてしまいまして。その上、妻の病を癒し、脳を治してもらいました。御礼を聞けば陛下に会いたいと。手紙に書いた通りです」
シュナの脳は毒胞子に侵されていた。蟲の民の薬学の力で治った。そういう事にするというのは聞いている。セリムはグスタフ王に顔を戻して、大きく頷いた。
「私と妻は毒胞子から人を守れるようにと、日々研究しておりました。あまりにもシュナ姫様が悲しい状態でしたので、妻が手を差し伸べたのです。本来とても聡明な方だったシュナ姫とすっかり打ち解けて、というか懐いていまして、大親友などと恐れ多いことを申しています」
後半は本当なのでセリムは素直に口に出来た。それからふと気がついた。王が存命なのに権力争いとはシュナも含めて何をしているのだろう。それに長子を立て、足りぬところは補うのが兄弟姉妹。
「ジョン皇子は可愛い妹の為に、捕虜として甘んじている。シュナ姫はその想いも汲んでペジテ大工房との和平を王に嘆願した。即座に対応して下さったのは、グスタフ王が決断力があり聡明だから。ふむ、シャルル王子という方は何を成す?一番の骨組みにならねばならないが、その覚悟はあるのだろうか。兄弟姉妹仲良く、この王を立てて大国をより豊かにするべきだ。ドメキア王国が覇王であり続ければ、ベルセルグ皇国も白旗振る」
呟いてみると正しい気がした。そういうことかと、セリムは振り返ってティダを見据えた。しかし反応は無い。これではまだ足りないのだろうか?
「今、何と申した?ヴァナルガンドよ」
やっと名前を呼んでもらえた。セリムは驚かさないようにゆっくりと立ち上がって会釈してから、口を開いた。
「兄弟姉妹仲良くグスタフ王を立てて国を豊かにする、です」
グスタフ王が白いゴブレットをサイドテーブルに置き、肩肘つくのを止めた。姿勢正すとより強い威圧感。整えられた金髪に混じる白毛の多いこと。随分苦労しているのだろう。兄のユパ同様、実年齢より老いて見えているかもしれない。
「その後は?」
少し疑心暗鬼が消えたような瞳にセリムは口元が緩んだ。やはり気負っているから、ここまで疑り深く慎重なのか。
「ベルセルグ皇国も白旗振ります」
グスタフ王が首を横に振った。
「シャルル王子のことでしょうか?出過ぎた真似ですが、兄がしっかりしないと下の兄妹は迷います。グスタフ王が愛娘を縁あるペジテ大工房へ預けようとし、シャルル王子を後継にと示したのならば国一丸となって協力しなければなりません。ジョン皇子はベルセルグ皇国と繋がりグスタフ王を裏切ろうとしたと聞いています。許すならば、それなりの代償が必要です」
親が何の考えもなしに、子を戦場に送りはしない。生きていて良かった、お帰りとシュナ姫を迎えようとしているグスタフ王。生きているのに、子供達が次の王は自分だと国を惑わす。それに参加している兵や国民。国が大き過ぎるし、気苦労が多過ぎる。
「ヴァナルガンドよ、それがそなたの目的か?して我が国が大陸覇王とはどういうことである」
異国の政治に踏み込み過ぎたとセリムは傲慢を恥じた。しかし目的を伝えるのならば今だ。棚からぼたもち、グスタフ王がセリムに関心を示した。
「人の里が穏やかで、平和で、豊かであることです!知らぬから誤解されていますがペジテ大工房は蟲との因縁深い。それ故に人里には殆ど出れません。すると歴史、国力、指導者、そして今持つ権力を考えると真の覇王はドメキア王国。娘はペジテ大工房の大技師一族の血を引き、その夫が大技師となった。各国との和平交渉を推進するのに相応しいのはグスタフ王です。ペジテの至宝アシタカもそれを望んでおります」
何て大変な使命。しかし成せるから運命はグスタフ王を後押しする。風の神がそう導いているはずだ。親こそが子を導く。グスタフ王が疑心に負けずに、己の役目を果たせば子は大空を飛ぶ。毒蛇は翼を生やして、大鷲として舞い上がる。
セリムは振り返ってティダを見てみたが、無反応だった。これでは足りないらしい。セリムの頭ではこれが精一杯。もっとより良い道、鮮やかな未来への風の道を詠めということか。セリムはグスタフ王に視線を戻した。やはり少し険しさが軟化したように見える。
「今は大嵐です。それにこのような大国、双肩に担ぐ荷物が多いでしょう。しかし耐え忍び千年続く一族の誇りを受け継いでおられる。誰も成し得なかった、大陸全土との和平。そうすれば蟲も巣から出てきません。皆がそれぞれの国でより豊かに!生きにくければ異国にも行ける!テルムよりも名を馳せる道を歩むグスタフ王は支援されないとなりません!」
また振り返ったが、相変わらずティダは無表情に等しい笑顔の仮面を被ったまま。仕方ないのでセリムはパズーに意見を求めた。青ざめたパズーが武器をティダに渡してから、駆け寄ってきた。
「ヴァル!他国にここまで踏み込むなんて怒られる!それに、こんな大きな国の王様に何て無礼なんだ!しかも、そんな大変な役目を人に押し付けようなんて何を考えてるんだ!言い出しっぺなんだから、お前が中心になるべきだろう⁈」
指摘が的を得過ぎてセリムは血の気が引いた。つい興奮してしまった。パズーがセリムの頭を無理やり抑えて下げさせたので、セリムも深々と頭を下げて従う。
「若者よ、面を上げよ」
言われた通り顔を上げると、グスタフ王はティダを見つめていた。
「愛しき妻が父に会いたいと焦がれております。このまま続けますか?」
白いゴブレットがティダに向かって投げられたので、セリムは手を伸ばして掴んだ。固いが柔らかい不思議な感触。材料は何だろう?
「共に酒を飲もうとは嬉しいなティダ。しかしこのゴブレットは美しい。見事な細工だ。材料は何です?」
継ぎ目はない。ガラスでも陶器、ましてや金属でもない。
「五日後、会談をしようではないか。その間自由に留まるが良いヴァナルガンド殿」
このグスタフ王という人はちょいちょい礼節がなってない。質問には答える。当たり前のことだ。物も投げない。これは数日前にセリムも反省したことだ。靴音がしてグスタフ王が右手の掌をセリムにかざした。
「ティダよ、置いていくがよい。疲れている客人を迎えに連れて行く必要はない」
セリムは一応信用されたがティダは別ということか。グスタフ王は統治で疲労困憊になり人を見る目が曇っているのかもしれない。
「心遣いありがとうございます!心配している妻に、グスタフ王の懐深さを一刻も早く話さねばなりません。行こうティダ」
崖の国の会釈と迷ったが、ここはドメキア王国。セリムは片膝ついて頭を下げた。パズーが棒立ちなので睨みつける。父や兄に恥をかかせるのは許さない。パズーが小さな悲鳴を上げた後に、セリムに倣った。目付なのだから、逆でないと困る。
「王の許しがなければ私はヴァナルガンド殿をお連れできません」
淡々とした声を出してティダがドメキア王へ微笑みかけた。このような偽の態度だから信頼してもらえないのではないのか?セリムはドメキア王を振り返った。
「客人を縛る理由も権限も無い。好きにするが良い。ミラルバ、シャルルと側近を呼んで参れ」
勘違いで第四軍と衝突させない為か。セリムは自然と笑みがこぼれた。軽く会釈してパズーの背中を押しながらティダの元へ戻った。月狼が背に乗れというように、伏せてくれた。
「ありがとうスコール君。しかし大国の偉大な王に緊張が張り切ってしまったパズーを乗せてくれるかい?」
青ざめたパズーに月狼が憐れみの視線を投げ、それから鼻で足に触れた。セリムには小さく三度吠えてくれた。パズーが月狼に跨った。
「パズー、挨拶は?」
「ひっ!よろしくスコールく、いやスコールさん。スコール様?」
唸り上げる月狼が「スコール様」で首を縦に振った。
「スコール、庇護する者を脅すなどなっておらん。囲う群は家族也。様などと呼ばせてはならん」
聞こえるか聞こえないかぐらいの低い小声で、ティダが月狼の嗜めた。ティダがセリムの背中に腕を回し、自分の左側に招いた。タダン達が戻ってきて、ティダがグスタフ王に背を向けた。セリムはティダの体を元に戻した。一瞬仮面が剥がれて、ティダの眉根がほんの少しだけ動いた。
「お忙しい中、不審者の僕の言葉に耳を傾けてくださりありがとうございました。お疲れのようですので、お身体は労ってください。失礼します」
セリムが頭を下げるとティダも軽く会釈した。
「また後ほど。いつでもお呼び下さい」
ティダの声は淡々としていた。玉座の間を出るとタダン達が扉を閉めた。ティダがタダン達を前方に移動させた。基本的に背中を見せたくないのは変わらないようだ。
どっと疲れが溢れ出て、セリムは大きく息を吐いた。思えばエルバ連合の王達と謁見する際は、父ジークか兄達が隣にいた。セリムは見習えば良かった。なっていなければ、それとなく諭し導いてくれていた。
そんなクワトロを、ラステルと戯れたからという理由で脛を蹴ってはいけない。晩酌にも付き合うべきだった。そうすれば、きっともっと多くを教えてくれた筈だ。
歩きながら反省点を思い浮かべる。年上に横柄な態度をしてしまった。パズーの指摘通り大役を押し付けようなどと、卑怯者。
「ヴァナルガンド、何を考えている?」
ティダが仮面を捨てたらしく、柔らかく微笑んでいた。兄ユパの眼差しに似ていて安堵する。想像以上に緊張したし、疲労した。また死体が転がるかとヒヤヒヤして手に汗が滲んでいる。
「何を?今ならクワトロ兄にもっと学ぶべきだったと思っていたところだ。ホルフルの家族からイブンに、そしてイブンから兄に反省を伝えてもらう。僕も先程ティダがスコールを嗜たようになりたい」
ティダが破顔してセリムの髪をぐしゃぐしゃに撫で回した。
「やりたい放題、言いたい放題だったな。強欲蛇王は自尊心を擽られていた。予想以上だ、良くやった」
ティダの足取りは早い。しかし置いていかないようになのかセリムの背中に手を添えて、押してくれている。トントンと子供をあやすような手付き。
「やはり僕は至らな過ぎたのか。しかしグスタフ王が話して分かる相手で良かった。疑心も少し消えたようだし、これからの話し合いは有意義になるだろう」
セリムの頭をパズーが叩いた。
「何をする⁈」
「止めろパズー。俺とシュナが上手くやる。ヴァナルガンドの役目は今日のようなことだ。俺には決して出来ん」
パズーが真っ赤な顔をして泣きそうになっている。
「殺されるかと思った!王様はずっと怒っていただろう!あの爆発しそうな空気にどうして気がつかないんだ!」
怒っていた?
「ヴァナルガンド、良くやった。しかしやはり自覚しろ。相手を諭すような目はお前を押し上げる。相手に危機感も募せる。決して本当の身分を明かすなよ」
ティダが心配そうな労りの目付きでセリムの肩に手を置いた。
「危機感?僕は何も嘘など告げてない。この国をどうにかしようとなんて考えていない。この国が僕を望むと?」
「シュナが一度は考えた方法だ。グスタフ王の地位を確固たるものにし、子も結束させる。成したら偉業だ。シュナとアシタカとよく相談しろ」
ティダはどうなんだ?と言う前にティダがぶすくれた。わざとらしい。
「お前の理想だと息子が大技師。それが必要ないほどに導くのは骨が折れる。俺はいつになったら北十字星煌めく白鳥を抱けるのかね」
すっかり忘れていた。セリムはティダの脇腹を小突いた。しかしそれだけではない気がする。
「永遠に続く誓いと永久の平和への誓いを立てた親子なんだろう?それで上手く話を纏めろ」
「何もしてやれなかった女に、これ以上を望めるか。俺に連れ添い地獄でさえ楽しむ女は、俺がシュナに礼を返すまで耐えてもらう。俺は矜持を曲げねえ」
ティダの方が耐えられなさそうな、悲しそうな目をしている。何に拘っているのかさっぱり理解出来ない。
「何もしてやれなかった?見当違いだな。ティダはシュナ姫と深い話をするべきだ。ラステルにアンリさんも同席させて。あと僕。見守るのはヴィトニルさん。他にいても良いが、セリムだけは勘違い甚だしいからなしな」
パズーの発言は一点だけ納得いかない。
「何故僕……」
「本人も気がついてない気持ちを勝手に代弁するからだ。ラステルは割と気の毒だと思う。ティダもアンリさんとどうなってるのか知らないけど、お前のことだから勘違いかもしれない。さっきのやり取りもだけど、先に僕等が話し合いするべきだ。信頼し過ぎても、正解は本人に聞くべきだ」
胸にグサリと刺さった。姉のクイの叱責が蘇る。ティダも一瞬青ざめていた。
「吠えるな。それでこそ導いた価値がある。俺にこれほど吠える男は中々いない。その点はヴァナルガンドよりも優れているかもしれん。アシタカは感情任せだしな。パズー、俺とヴァナルガンドを頼む」
ヴァナルガンドの方に力がこもっていた。ティダがパズーの髪をぐしゃぐしゃに撫で回した。これがティダの敬愛の示し方。おそらく隣、ではなく兄弟扱いの。
「急ぐか。日が暮れると身を守りにくくなる」
ティダが歩く速度を上げた。
己を省みないとセリムはティダにかつての道を歩ませる。そんな予感がして背筋に冷たい汗が一筋流れていった。
***
グスタフは床に置かれた象牙製のゴブレットを拾い上げた。何処にも変色はない。匂いにもおかしなところはない。
「毒は入れていかなかったようだな」
蟲と破滅を盾に脅しにきた得体の知れない男。腹に何を隠すか未だ見えない犬の振りをしたハイエナ。どちらも全く信用ならない。特に蟲の民ヴァナルガンド。ハイエナは祖国に返り咲くという態度が一貫している。ずっと褒賞を寄越せ、さもなくば玉座から蹴り落とすと訴えていた。蟲の民はその道具だが、あれは劇薬。ティダも持て余している様子。
そこに積年の恨みと、この度の戦役の報復に来た醜い娘。
「覇王ね。しばらく泳がせるか」
生き様見せれば互いの背中を預ける。
裏切りには反目。
それが天空に城を構えるドメキア王国にして、毒蛇の巣。
「ヴァナルガンドとかいう男の出自を探れ」
蛇の毒は敵対するもの全てを死に至らしめる。口では褒めそやし、心の奥底では蔑む詐欺師には相応しい毒を。
「人の皮を被った化物め!このような屈辱には相応の猛毒を食らわせてやる!」
グスタフ王はゴブレットを壁に向かって、力一杯投げつけた。




