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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
五章 毒蛇との抗争

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アシタバ蟲森からの復讐蟲3

 殺気はしないなとティダは蟲の行動を黙って受け入れた。大蜂蟲(アピス)の一匹がティダの服を奪っていった。止血の為に結んでるところごと引っ張られたので、痛みが酷かったが耐えた。


 この蟲達を攻撃するならば"先に手を出された"という事実が必要だ。先制攻撃するべからず。ペジテ大工房の掟は、蟲との共存の仕方そのものだと聞いている。


 古き伝承は過去の反省にして、未来の切り開き方。無下にしてはならない。


 まだだ。まだ傷一つつけられていない。


 仲間に脚を千切られた大蜂蟲(アピス)が、蟲の体液で汚れたティダの左腕を運んできた。合わせればくっつくというように、傷口に左腕が当てられる。


 知能が高いと認知したのは誤りか?蟲のあまりにも愚かしい行動に苦笑しそうになった。


 その時だった。


〈死なぬなら許そう。テルムよ、牙には牙。これが譲歩だ。子蟲殺しの業を背負うというから望み通りにした〉


〈これはどういうことだ?死なぬならということは、死ぬ可能性もあるのか?何てことを……〉


 大蜂蟲(アピス)とセリムの声がする。耳からではなく直通聞こえる。


〈どういうこと?本来聞こえない人間の言葉を介したのはテルムであろう。我らは気高く誇り持つ一族。人間に軽蔑される筋合いはない。巣に帰る〉


 大狼との対話と同じく直接響いてくる声。激しい熱感が全身を襲った。大蜂蟲(アピス)がティダの左腕を離したが落下しない。感覚がないので接合したという訳ではないようだ。どういうことだ?


「ヴァナルガンドが蟲と話すというのはこういう事か。大狼の開心術と似てるな」


 激痛を紛らわそうとティダは腹の底から笑った。まだ見ぬ砂漠の灼熱とはこの熱さをいうのかもしれない。


〈何故笑う。それに全く繋がれん〉


〈そりゃあそうだ。似てるんじゃなくて同じようだな。訓練してあるからな、入らせん。気に入った!言葉も通じぬのに俺を認めたという事だろう?ヴァナルガンド、お前の考えが手に取るように分かる〉


 セリムが辛そうに立ち上がり、ラステルとパズーが心配そうに支えた。


 開け放たれて無防備なセリムの思考はだだ漏れ。そこに微かに"助けてテルム"というか弱い悲痛な叫びが混ざっている。未だ大蜂蟲(アピス)の三つ目には真紅の激情が宿っているが、もう帰るだろう。


〈僕の?〉


 首を捻ったセリムこそティダは不思議だった。


 愛する妻の愛でる生物なら分かり合える。憎しみを鎮めた子供達の家族ならばまた許しを選んでくれる。そういった迷いのない純粋な信頼。


〈お前のような、ただの人間など認めん。勘違いするな。子蟲殺しの業は深いがテルムと子らに免じて帰る〉


 遠くからのんびりとした、それでいて未来を待ちきれないというワクワクとした小さな声が届いてきた。


〈テルムがいるとおこりんぼが消える。これで中蟲(なかむし)はまた遊んでくれる。流れ星になりたい〉


〈どうして怒っていたのかな?でも偉いから帰るって。優しいのに僕らより力強く遠くまで飛べる。中蟲(なかむし)は格好良い。早く脱皮したい〉


〈脱皮して知るのは怖い。でも中蟲(なかむし)は祈りと願いだけ教えてくれるよきっと。テルムが言ってる〉


〈テルムとまた遊びたい。でもテルムの教えは難しい。子は親の言うこと聞かないと追放されちゃう〉


〈テ、テ、テルム。テテテテテルム。へんてこセリムは姫が大好き。姫にお魚あげたから遊びに来てくれるよ〉


〈風で楽しいことしてくれる。アシタバアピスの子も花火になるんだ〉


中蟲(なかむし)みたいになりたいから帰ってきたら教えてもらおう〉


 ノアグレス平野を虹色に輝かせたのはこれか。蟲の子達が遊びたいと騒いで蟲はしぶしぶ帰ったと聞いていた。重要な事をセリムは分かっていない。セリムが蟲を心の底から信じているうえに、大蜂蟲(アピス)の子から全幅の信頼を得たからこそ、蟲は鎮まりペジテから手を引いた。今からこの船も同じ道を辿る。


 子にここまで信頼されたら、怒り狂って殺戮(さつりく)する訳にはいかない。そういう事なのだろう。少し覗くかとティダは探った。案の定、目の前の大蜂蟲(アピス)は"人よりも自分達が尊敬されなければならない"との苦々しげな感情。


 それからセリムへの強い思慕と敬意。


中蟲(なかむし)達よ、祝福にきたアシタバアピスの子達を悲しませないでくれるのか。ノアグレス平野から去った君達はとても気高かった。ありがとう〉


 "お前はそんな者ではないから当然だ"というの絶対的な信頼こもっている。嘘偽りのない無自覚な敬意。だからこそ相手の胸を打つ。全身に響き渡るセリムの真心。


 何故子蟲殺しの業が深いのか、その理由を知りたかったが、探った瞬間にティダは目眩と吐き気で崩れ落ちた。


 材料、道具、見世物、殺戮(さつりく)兵器、虐殺。雪崩れ込んできた単語と深い絶望に耐えきれない。何だ?蟲とは何なんだ?


 我慢しきれずティダは嘔吐し、空になった胃袋から出るものが無くなってもえずいた。


「痛むのか?しっかりしろ」


 セリムがふらふらと駆け寄ってきて、しゃがんだ。嘔気は止まったが油断すると意識が巻き込まれそうで声も出せない。


 潮の匂いに波の音。それから王狼(ヴィトニル)月狼(スコール)の呼吸に全身全霊で神経を注ぐ。全身の熱感を冷やす強風が余計に熱を(あお)った。燃えるように熱くて苦しい。死ぬかもしれないらしい。それでは困るが自業自得か。


 ラステルがティダの背中を撫でた。何か言っている。耳を傾けるだけで意識が飛びそうで瞬きすら出来ない。


〈そうだ、それ以上そこに触れるな。君は死なないから安心しろ。彼等は君の体が耐えると知っていたらしい。君が本心から謝罪し、何もしなかったから敬意を示してくれたんだ〉


 もう安心しろと全員に示すように、セリムが屈託のない微笑みを浮かべた。


「ラステル大丈夫だ。ティダを信じて皆帰ってくれるという。子供達から君への祝いには水をささないって。ラステルが人の娘が好きだから、その人の(つがい)も信じる。そう言っている」


「どういうこと?私が好きってシュナ姫のこと?」


「そうだ。彼女は君の為に彼等を庇った。だから大蜂蟲(アピス)は巣に帰る」


 そんな話は出ていない。しかしセリムが眩しそうにシュナを見つめている。ラステルが嬉しそうに可憐に笑って大蜂蟲(アピス)とシュナを見比べた。


 ラステルがティダの体をパズーに預けてシュナへと駆け出した。シュナの手を取って何かを話すラステル。茫然と立ち尽くして顔面蒼白のシュナが安堵に包まれてその場に膝をついた。


〈嘘ではない。君が閉じて聞いてなかっただけだ。ティダも蟲も、会話せずとも誤解していたのに許し合った。人も蟲も過去の負の遺産からは学ばずに、こうやって鮮やかな未来を作り上げるんだ。僕はその手助けをする。王たる狼が心を許してくれたから大狼も共に歩める〉


 初対面の時にセリムに感じた魂が揺さぶられるような敬意と鳥肌の正体はこれだ。


 この男は無防備だから絶対に大蜂蟲(アピス)の憎悪と絶望の根幹に触れた。ティダが一瞬触れて飲み込まれそうになったものを、セリムは丸ごと受け入れて糧にしている。


 ノアグレス平野で何をしたのかと思っていたが、とんでもない。セリムの記憶が勝手に見えた。人の国を破壊ではなく人類そのものを滅しようとしていた蟲。そしてセリムが何よりも愛する女さえも奪おうとした蟲。なのに許すどころか信じ抜いた。首を噛み千切られそうになっても抵抗一つせずに信頼を寄せた。こんなこと普通は出来ない。誰にも真似出来ない。


 生きている尊さを愛し、人を愛し、生き物を愛でる。心臓に剣を突きつけられても真心を忘れず、憎しみで殺すよりも許して刺される。憎悪では人は従わない。これがセリムの根っこ。


 崖の国はどうやってこんな男を作り上げた?


〈あー、僕はそんな大したことはしていない。父上や兄上は褒めてくれたが、姉上達に叱責されたばかりだ。筒抜けってやはり困るな。情けないから大狼の名を返せとは言わないでくれよな。それにしても他者は覗くのに君のことはまるで分からない〉


 何なんだこの男は。とんでもない偉業を成したのに"破壊も妻も奪われるのも嫌だという我儘を受け入れてもらった"と見当違いの気持ちを抱いている。


〈テルムは変なのだ。人ではないかもしれない。お前は輪外れロトワの龍の民だったのだな。ロトワの民がお前に手を出したと怒っている。子蟲(さら)いが何をしたのか知り、そして子蟲殺しも背負うというので我らは許して帰る〉


〈何を言っている!僕は人だ!家族に妻、友に蟲まで揃いも揃って妙だ変だとばかり。あんまりだ!輪外れロトワ?龍の民?アシタバの民よ教えてくれ〉


〈棄却する。他者の領域に勝手に踏み込んではならない。親が、今すぐ帰るなら追放しないというので帰る。我らもまだ半分子ども。巣から出て良いと惑わされた。テルムよ、親なら親と疎通を取って正しく導いてくれ〉


〈僕の至らなさで嫌な思いをさせたのか。すまなかった。それに子蟲殺しという暴力を許せとは言えないのに、ありがとう〉


〈テルムの教えは難しく易々とは理解出来ない。いつか理解したい。それまで親に従う。帰る〉


 大丈夫だ、変われる、幸福が待っている。世界はこんなにも美しい。燦々(さんさん)と輝く日々により、嫌な思い出は忘れていられる。愛されたものは愛するものからそう望まれている。


 罪だけを憎んで、過ちを正そうとするものは許せ。


 滝のように流れてくるセリムの真心にティダも大蜂蟲(アピス)の意見に同意した。輝く太陽は命を照らすが、肌を焼き体を(むしば)む事もある。セリムが示す道は、苦悩と激しい痛みを伴う険しい道。怒りや憎悪に身を委ね、失望と拒絶をしている方が遥かに楽だ。


〈俺はこの腕への仕打ちを許していない。だから子蟲殺しも憎み続けろ。己の矜持に従い仕方なく許してやったと誇れ。見下して侮蔑し自身を鼓舞する事に使え。自分だけは裏切るな〉


〈何の話だ?君は本当に分からない男だな〉


 セリムの呆れこそがティダにも大蜂蟲(アピス)にも分からない。


〈簡単だ。テルムの教えの方が難し過ぎる〉


 大蜂蟲(アピス)が次々と飛び立った。


〈子らが我らのように優しく育ち、力強く()ばたきたいという。我らの姫が人の娘を好きだという。だから人の娘は我らを庇った。人の娘は子蟲(さら)いが死にそうだと泣いた。故に帰るしかない。これが巡るということなんだろう。なんという痛みに虚無。何も得られない。損しかしていない〉


 そう簡単に変われない。憎しみも悲しみも、失った相手の価値が大き過ぎるほど消えない。忘れられない。遠ざかっても強く響いてくる大蜂蟲(アピス)の心。


〈損?そんなことはない!巡るとはそういうことではない!〉


 セリムはラステルが殺された時に何を選ぶのだろうか。ラステルは許しを選んだ。セリムならば許すと疑いもせずに。


--セリムは許す。私が殺されてもきっと許すわ。それが本当の誇りよ


--セリムの愛するものを愛し信じるものを信じる。憎しみで殺すよりも許して刺されろ。亡くなった彼の意思は私が継ぐ


 殺伐とした戦場で、愛する夫を殺されたのに見事な程可憐に笑った女。今、彼女の隣で醜い女が、あまりにも美しく微笑んでいる。微かに感じるラステルの感情により浮き上がるように輝いて見えた。


--そなたが蟲は見た目は怖いが私達と同じだと言ったのを思い出した。私もそなたも化物に見えるが心はある


 シュナはセリムと同じ人種。上に立とうとするティダとは違い、自然と人が集まり慕う。セリムと違い見た目の醜さに隠されているが、見抜くものは見抜く。


「ゼロース!ティダを運んでくれ!おいティダ、しっかりしろ!何で黙って受け入れたか知らんが、蟲の体液は人に毒だ!カールの話をしたのだから、知らないはすがないだろう!」


 ラステルと共に足を引きずりながら駆け寄ってきたシュナにティダは命一杯叫んだ。


「そうだ。だからそれ以上この血溜まりに近寄るな!お前の体には一滴でも致命傷になるかもしれん!ラステル!ゼロース!シュナを遠ざけろ!俺は殺されても死なん!」


 顔を強張らせたラステルがシュナの肩を抱いて止めた。ゼロースが二人の背中を押して無理やり連れていく。振り返ったシュナの泣き顔をティダは睨みつけた。


 金輪際この女を女として扱わないと固く誓った。先程のラステルにも勝る可憐さに心揺れたが、やはり矜持を持つ女は決して不幸にしてはならない。安易に惚れさせて駒として利用しようとしたことをより悔いた。見る目が無さすぎた。今度は自分を見捨てるように仕向けなければならない。賢く強く、偽りには簡単に騙されない女だが、やるだけやるしかない。相当、骨が折れそうだ。


「パズー。僕よりティダを。シュナ姫!ティダは死なないと蟲は言っていた。むしろ君への影響が分からないからティダが言うように離れてくれ!」


 月狼(スコール)がパズーより先にティダとセリムを尾で担ごうとしたが、王狼(ヴィトニル)の方が早かった。王狼(ヴィトニル)がセリムを尾で持ち上げて背に乗せた。ぶつりとセリムの意識が切れたので気絶させられたのだろう。これ以上高熱で動き続けたら危険なので賢明な判断だ。


 それから王狼(ヴィトニル)がティダを傷つけないように歯を引っ込めてティダの右腕を咥えて立たせた。


〈そこは変わらんのかフェンリス。まあいい。脚を返すのだろう?スコール、持ってこい〉


〈我が友よ耳が痛い。捨てたものは二度と戻らん。友は捨てられなかったからヴァナルガンドは受け入れた。ラステルもな。我が親友の願い通り増えるかもしれん。しかし変えたくないものもある〉


 歩む道に矜持を持つ女がいると、不幸にする。自らが背負った荷が重すぎて自分の手で幸せを与えるなど無理だろう。遠ざけ誰かに託すのが一番だ。


〈フェンリスは不器用な男だ。強欲なヴァナルガンドは全部欲するというのに〉


〈知っているだろう。俺の器は大したことない〉


 シュナをもう一度睨みつけた。ラステルが怪訝そうにティダを見つめている。


 ラステルにどう謝れば良いだろうか。答えが出ずに誓いを立てることで逃げた。もう少し考えないとならない。


--大狼なんでしょう?それを忘れないで。生きて


 不本意ながら殺したソアレに恥じない男であろうと走ってきたが、間違いだらけだ。生きるとはどうしてこうも苦痛ばかりを伴うのか。それなのに何て酷い女だ。自分を殺して気高く生きろとは最低最悪だ。


〈俺が寄り添う。俺は友を捨てない。愛するグレイプニルにも噛み砕かれたくない。子にも背を見せねばならない。フェンリスが拒否しようが譲らないからな〉


〈俺にはそれで充分だ。いや、ヴァナルガンドという名も与えてしまったし増えたか。俺も弱い男だな。しかし女は絶対にいらん〉


 蜘蛛に気取られると王狼(ヴィトニル)が閉じた。月狼(スコール)が持ってきた千切れた大蜂蟲(アピス)の脚を受け取ると、ティダは力一杯投げた。


〈使い道のない脚などいらん!くっつくなら持ってけ!|許せなくなったらいつでも殺しにこい中蟲なかむしども!このフェンリスは無知と誤解とはいえ理由が正しければ許しを乞わずに黙って刺される!アシタバアピスの子に誓いを立てよう!二度と過ちは繰り返さん。アシタバの巣は俺の庇護下に置く!〉


 最後の気力が消えてティダの視界は白んで見えなくなった。脚が受け取られたのかは分からないが、そんなことは関係ない。


 自分が何をしたのか、何を成すのかそれこそが重要。欲するのは見返りではない。自己満足し誇れる人生。


 残され託された命は無駄に使えない。


 王狼(ヴィトニル)が三度、高らかに吠えてくれた。この親愛を聞ければ強く前だけを向いて生きていける。


 ティダの意識は暗闇に吸い込まれていった。

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