毒蛇の巣への出航3
相対するティダをセリムは上から下まで眺めた。まるで隙がない。背はセリムより少し低い。それに改めて見ても人間離れした怪力の割には見た目は細い。崖の国の鍛え抜かれた男達よりも、というだけでセリムよりは太いし無駄のない筋肉という風に見える。服を着ていてもそれが分かる。
「今後の為に力量を知っておきたいという割には隙がなくて踏み込めない」
セリムは素直に告げた。
「そりゃあまず合格。俺から軽くいこう。俺は使わんが武器は全部使ってみせろ。スコール、よく見ておけよ!」
猛々しい笑みを浮かべてティダが砂を蹴った。
速い。
あっという間に距離を詰められ顔の前をティダの手刀が横切った。沈んで足を引っ掛けようとしたがティダは即座に踵を落としてきた。跳ねて後退すると大きな砂柱が上がった。素早くゴーグルを着けた。
目眩しにもなる砂だがティダは後退してセリムを観察していた。
「よく避けた。やはり目も良いな。そして冷静」
自らの目元を指で示したティダ。鳥羽色の瞳がゴーグルを着けたのは合格だと告げている。かなり手加減な上に一方的に探られるのも癪だなとつい唇が尖った。
「意外にも闘争心もあるか。よし次だ」
言う否やティダはセリムの目の前に居た。速すぎる。飛び跳ねるように回し蹴りされた。
掴めと言わんばかりの手加減。
「罠にも誘われないな」
今度は組手らしい。探るように足を動かしながら拳が飛んで来る。それも容赦無い。
風を切る音はこれまで感じたことがない程速く、強い。
避けるたびに重い風圧に身がゾワリと逆毛立つ。
拳に蹴りが混ざった。
繰り出される手数が増える。
なるべく避けたが掠った所が三箇所、全てあまりの強さに痺れた。
直撃すれば骨が砕けそうだ。
体で受けて隙を作る、など考えた者は初めの一発で地面に転がるだろう。
「これで手加減、様子見とは恐ろしい男だな。ティダ!」
「分析も正しい。お前の体じゃ俺に粉砕される」
目が武器を使えと言っているので大きく横飛びして、鞭を手に握った。
左足、右足と避けられてまた距離を詰められる。近距離では役に立たないので即座に腰に戻した。狙った獲物を鞭で捕らえられないのは何年振りだろう。
「自在な鞭捌き、大抵の奴なら不戦敗ってとこだな!」
速さを逆手に取ろうと短剣を心臓に突きつけたが腕を掴まれてて動かない。
砂を蹴り上げる。
一気に上着を脱いだティダが服で砂を叩きつけ、その反動を利用してセリムの頭上を越えていった。
気配が遠のいたので少しゆっくりと振り返った。ティダの背後の巨大帆船から歓声が上がった。
シュナの紅旗第四軍の重厚な鎧を纏う兵士と軽装備の男達。
「良くやったヴィトニル。さすが我が手足よりも先を行く、見事な気配り」
帆船方向から王狼が壮年兵士の腕を咥えて引きずってきていた。ティダの横に並ぶと兵士を離した。慣れたように兵士が立ち上がった。
鉤鼻が印象的なクワトロと同年代くらいのドメキア人。赤味がかった短い金髪に剃り込みが入っている。大空色の瞳が印象的だ。
「ゼロース、こいつの剣捌きがお前より上か下か見たい。俺はあまり剣術は得意じゃない。自分の体から離れ過ぎる武器は加減が難しくて即殺しちまうからな」
ティダが背中を王狼に任せて弛緩した。腕を組んでゼロースとセリムを愉快そうに眺める。
「崖の国のセリムです。よろしくお願いします」
「シュナ姫直属の騎馬隊を指揮するゼロースだ。崖の国の王子殿」
侮られる訳でも気に入られている訳でもなく、探られている。ゼロースがチラリとティダを横目で確認した。
「ゼロース、カールは相変わらず不在。つまりお前が元帥だ。シュナが話しただろう?使うなら見定めろという事だ」
「いえ。存命のカール様を差し置いて私めなど」
挑発的な目のゼロースにティダが高笑いした。
「だとよ!シュナ!どうするんだ⁈」
いつの間にか兵士に囲まれていたシュナが仁王立ちして腕を組んでティダへ微笑んだ。仲が悪そうな雰囲気が軟化している。
「紅旗第四軍の最高指揮官、元帥カール不在につき全指揮官は我が王に移行される。元帥ティダ。ゼロースそれで良いな?」
「相応で無くなれば即座に首を刎ねます!」
ゼロースがティダに畏敬の眼差しを向けた。絶対に首を刎ねないという様子だ。ティダは面倒くさそうだった。しかし顔に当然と描いてある。
「俺の背に乗せてくれるな。ったく馬車馬のように働かせるつもりか正妻。ではゼロース、業務命令だ。このセリムと手合わせしてくれ。お前が勝ったら新たな部下だ。かなり使えるぞ。どうだセリム?」
お前なら負けないだろうとティダが含み笑いしている。手練れそうなゼロースの無表情に闘争心の火がついたように見える。おそらくティダはわざとそう仕向けたのだろう。
「僕は自由だ。負けても従わない。必要だと思えば友の力にはなる。それから気心知れた者と手合わせならともかく、このような見知らぬ強者だと上手くいかない。ティダ、君くらいなら勝敗など雰囲気で分かるだろう?さっき僕を見定めたから尚更だ。僕はまだ若輩」
王狼とティダが似たように声を上げた。
「ならセリム、船旅中に兵の指南を頼む。何かあった時死者を減らすのに必要だ。手練れの騎馬隊は俺とヴィトニルが鍛える。手が足りない。ゼロース、カールよりお前の方が元帥に相応しいというのはシュナの判断だ。俺も同意している。しかしセリムのこの器の大きさは見習え。お前はまだまだ足りん。俺も然り。常に励もうではないか」
シュナが珍しそうにティダを見つめている。ゼロースは短く「御意」とだけ答えた。セリムに軽く会釈してくれた。
明らかにティダの方が年下そうだが、ゼロースからは反発心は微塵も感じない。セリムに対しての敵対心ももうない。
「この世は生き様が全て也。それが毒蛇の巣。そういうことだ」
セリムの疑問にティダが即座に答えた。
「僕も体が鈍るのは困るから助かる。では続きをしようティダ。君を砂に転がして僕は質問する権利を得る。僕はまだ砂まみれになってない」
押されてばかりだったので、このまま引き下がりたくなかった。それに大狼について教えて貰う最短の道。
「それなら速攻で勝つか。お前のその好奇心は面倒臭くてならん」
穏やかな顔付きでのんびりとした口調だった。やはりセリムに対しての雰囲気がガラリと変わっている。突然王狼がセリムの心へ直接意思を伝えてくれた。そしてティダが初めて本心を語ってくれた。
何を考えているか分らない、推し量れないでいたティダの本心、許容、そして敬意。それをこの先知ることが出来る。セリムは本当の意味でティダの大狼群れに招かれた。今聞かなくても大狼についてもティダのこともじっくりと知る権利をもう得た。しかし遥か遠いだろう。大狼の生態くらいは今知りたい。
「その顔、その目を止めろセリム。ったくお前のせいだ」
嫌そうに髪を掻くとティダが王狼の耳をデコピンした。王狼がしたり顔している。
「なあその目って何だ?パズーもそんなことを言うんだ」
セリムが一歩近寄った瞬間、ティダが飛び上がった。王狼が鼻でティダの足を勢いよく押した。
くるりと回ってティダが月狼の前に着地する。それから素早くラステルを月狼の尾から奪って後ろ抱きにした。腕ごと押さえつけられたラステルが茫然としている。
「月狼よどんな時も油断するな。リーダーが庇護しなくてどうする?よしセリム、俺の勝ちだろう?ひれ伏せ」
片腕でラステルを抑えながらティダがセリムの足元を指差した。ラステルはティダを見上げてぼんやりしている。
「手合わせとは言ったが……」
戦場ならば卑怯などとは言えない。どんな時も油断するな、それはまんまセリムへの言葉だ。
セリムは即座に砂浜に腰を下ろした。ティダの腕から力が抜ける。セリムが立ち上がるとティダが急にラステルの首に噛み付いた。
一瞬言葉を失っているうちに、真っ赤になったラステルがセリムに投げつけられた。セリムは立ち上がってラステルを受け止めて横抱きに抱えた。
「励めよ旦那。お前が一番奮起するのはこれだろう?先程までは大満足だった。しかし今みたいに期待外れがあまり続いたら掻っ攫ってやるからな!ふはははははは!」
何なんだこの男は。ラステルに触れるどころか跡をつけるなんてと苛々したが、ティダが心底楽しそうに見えるので文句が言えない。
「何をやってる貴様!見ていたが人質行為など卑怯な!それに本当に手当たり次第だな!」
アシタカの罵声が響いた。乗っていた赤鹿からひらりと飛び降りてティダへ詰め寄っていく。
「阿呆が。戦に卑怯なんて存在しない。砂で目眩しも大いに結構。貪欲なまでに勝利へ固執。生きるためにも、何かを成して守る為にも必要なことだ。お前は俺達が不在の間にそこらへんよく考えろ。潔癖症の青二才が」
ティダがアシタカの前まで移動して、冷ややかな目で見下ろした。
「何だと?」
「帰って来るまでに群に招けるようになっとけ。脳味噌入れ替えろ。あと酒くらい飲め。酔っていたとはいえ何年振りに人を誘ってやったのに無下にしやがって」
睨まれているのにティダはアシタカの髪を子供をあやすようにぐしゃぐしゃと撫で回した。腕を振り払おうとしたアシタカをさっと避けて、ティダがセリムに近寄ってくる。
「俺の勝ちだセリム。当分質問は受け付けねえ。ったく少しずつなら答えてやろうとも思うがあんな津波のような質問責めは拒否する。分かったか?」
「あ、ああ……」
アシタカに対する雰囲気と全く違う。上手く言葉が出てこなかった。
パズーがティダはラステルを気に入っているかもと推測したが、違う。セリムがティダに気に入られていた。本人がそう告げたので一気にティダの行動が読めるようになった。
ラステルに頭を下げたのはラステルを認めたからでは無い。ラステルへの本心、侮辱や罵倒を告げればセリムが動かないから。
八つ当たりで背中を小突いたらしいのも、セリムが見るのは織り込み済み。お前が従わないと知らないところで女を殺す。そういう警告が含まれていたに違いない。
手駒を増やす。手段は問わない。セリムはティダの駒だった。その為のラステル、そしてパズーもだろう。パズーを上手く奮起させて同行させ続けた方がセリムを手懐けやすい。月狼を護衛に連れてきたのもその為だ。
それが何故か変わった。
言葉だけではなく全身の空気でそれを感じる。
「大狼は一夫多妻。最高の男が多くの子を残すというのが自然の摂理。しかし大狼には絶対に手を出さない女が存在する。何だか分かるな?俺に惚れ抜いて裸で迫ってきても服を着せて放り投げる。例え滅びた世界で二人きりになったとしてもな。愉快だから今みたいに遊びはするが見えん所では危険と必要がない限り触れん」
そっとセリムの耳元で囁くと、ティダは煌々とした笑顔になった。
セリムは身震いした。王狼が語りかけてきた時よりも衝撃的だった。颯爽と背を向けて、高々と笑いながら王狼と並んで巨大帆船へ歩き出したティダ。目が離せない。
背後から肩を叩くのを許された時に悟った。今それが更に確信となって、歓喜と高揚で言葉が出ない。
「セリム良かったわね。新しい友達が出来て」
聞こえていたらしいラステルがセリムの胸に頬を寄せてくれた。割とのんびりとした口調だった。パズーがアピを頭に乗せて駆け寄ってきた。
「まさか。そんなどころではない。正直、僕は帰国であちこちがぺしゃんこに潰れてたんだ。そんなの全部吹き飛んだ」
上手く笑う事も出来ない。震えが止まらない。
「おいセリム、抑えろよ。デタラメだから大した意味は無いんだ。それにしてもセリムが子供扱いなんてどれだけ強いんだよあいつ」
嫉妬で怒っていると勘違いしているパズーが悔しそうにティダを睨んだ。逆だ。ティダは例えラステルに惚れても、殺すと言われてもラステルには手を出さない。ラステルが"友の女"だから。先程のはそういう意味だ。
「そうよパズー!早く弟子入りして鍛えてもらうのよ。私達はこのままじゃずっと月狼さんに守られるひよっこよ?セリム下ろして!」
暴れるラステルを砂浜へそっと下ろした。ラステルとパズーがティダを追う。背中へ向かってきた二人をティダが蹴り飛ばす振りをしてからドヤした。それでもつきまとわれるのに、うんざりとした顔をするティダ。でも二人を無下にしない。むしろ仲が良さそうに帆船へと歩いて行く。
もうラステルやパズーが何かされる事はないだろう。それどころか全霊で守って貰えるに違いない。
「弟子入り?ひよっこがパズーとお揃いで嬉しいのかラステル。何だよそれ」
震えはおさまってきたが自然と涙が出てきた。興奮と嬉しさが押し止められない。
「セリム、何を言われた?」
近寄ってきたアシタカがセリムの肩に触れた。まだ上手く声が出ない。
「気をつけろセリム。昨夜あちこちで女に手を出してた。妹達まであしらおうとしている。信頼しているがその辺りは関心しない」
セリムは大きく首を振った。
「あの訳が分からん男が僕を大親友だと。ヴィトニルと同じ横並び。男に惚れられてこれ程嬉しいなんて僕は変人だ」
「何だって?」
「アシタカ、ティダは君に対しても思うところがある。目を開いて見た方が良い。僕達の信頼関係なんてまだまだ芽を出したばかりだ。そう言えば君は女誑しと耳にした。むしろティダと気が合うんじゃないか?」
アシタカが目を白黒させた。セリムはアシタカの髪をティダと同じようにぐしゃぐしゃに掻き回した。
「今日から僕は永狼ヴァナルガンドの二つ名がついた!いや幾つ名だ⁈風詠セリムに蟲の民、それから人の王子に蟲姫の番。ラステルには悪いが僕はヴァナルガンドが一番気に入ったよ!!」
セリムに髪を乱されたアシタカが唖然としている。誰もかれもまだ知り合ったばかり。知らないことが山程ある。
孤高ではなかった、隣に友がいる大狼兵士に群れへと招かれた。横並びで頼りにしていると。セリムはそのあまりの嬉しさに海辺に大きく笑い声を響かせた。ラステルと誓いを立てた日とはまた別の至福。
勢いよく駆け出して飛びかかるようにティダの肩に腕を回した。一瞬ティダが後悔と照れた顔をセリムに向け、それから柔らかく微笑んだ。王狼とセリムにしか分からないくらいほんの僅かな時間。
セリムは海へ放り投げられた。




