大狼兵士と大狼の祝いと三つ子の願い
降り積もった雪に月が光を捧げる銀世界。七つの光が大地を照らしたのはまだ数日前。
「ヴィトニル、お前も見たなあの荘厳たる七色に飾られた景色」
〈見ていた。第一歩だフェンリス〉
酒瓶片手に手酌で器に酒をそそぐ。ティダは王狼に寄りかかって酒を煽った。ペジテ大工房のアラックという酒は甘いが風味は良い。それに度も強いので寒さに最適。ベルセルグ皇国の清酒が懐かしいがペジテ大工房では手に入らなかった。背中から伝わる王狼の生きている温もり。束の間の安息。
「懐かしい名だなヴィトニル。結局行き当たりバッタリだった」
〈俺達の中ではずっとその名だ。たまにはこうして話をしよう。道とはそういうものだ〉
鼻を寄せた王狼をティダは撫でた。清酒が無いならせめて器だけでも似たものをと探し出した平たい器にまた酒を汲む。三日月が映り込んでゆらゆらと揺れた。吹き付ける凍てつく風が中々気持ち良い。
「気取られるからな。クソ野郎共に。俺も寂しいさ。俺にはお前しかいない」
懐かしき険しき山脈と岩窟。道を誤り一度は袂を別った。しかし帰った。たとえ身体は帰らぬとも心が戻れば大狼は受け入れる。しかしティダはそれだけでは終わらない。
〈アレキサンドライトを置いておいた〉
何処にとは聞かなかった。頼まなくても一番の願いを叶えてくれる気高き親友。ティダは王狼の為に仕入れておいた赤鹿の肉を差し出した。やっと食えると王狼が嬉しそうに頬張った。
〈本気で蛇と生きるつもりなのか?〉
「愚問。不本意ながらも誓いを立てた。幸い賢い女で助かったがな。思惑も計略も大きく変わった。何であろうと誓いは誓い。決して破らん。それが大狼だろう?」
見透かすような黄金の瞳がティダをしげしげと眺めた。
〈王国の姫に誓いを立てた。そういうことか〉
「明晰なる頭脳!その通りだ。導く必要もない。俺が配置するまでもない。そういう女だった。俺には絶対に話さなそうだが間も無く王は消え姫も消えるだろう。過酷な人生に過酷な決意。醜くさに隠匿された美。道を違えるまでは守ってやる価値があるだろう?」
本人にはまるで伝わっていないが尊敬している。他人の為に道化を演じ、逃亡せずに飾られていた。背中に刃を突きつけられようとも惜しむのは自らではなく奇形に気丈に背負う弱者。
〈人里で生きろフェンリス。広き世界には尊敬出来る女も相応しい友もいただろう。また愛せとは言わぬ。お前もまだ未熟で幼い。歩む世界は変わり続けフェンリスも何度でも変われる〉
王狼が尾でティダの頭をベシリと叩いた。
「相も変わらず辛辣だな。俺に誇りを捨てろと?」
〈違う。酔ってきたか?死者への手向けに価値が無いということだ〉
「残された言葉は生涯の宝。間違える俺を正す。何度も言うがこの世の全てを掌に乗せる。手向けではあるが違うのも分かるだろう?再度問いかけるヴィトニル。俺を止めるか?」
ティダは王狼の尾を強く握り放り投げた。
〈愚問だったな。俺が寄り添う。フェンリスは大狼の誰よりも誉れ高き誇りを担う男。孤高の大狼兵士?誰が一人にするものか〉
焼けつくような酒を喉に通す。それからもう一杯。盃を月に照らし祝福の輝きを染み込ませて飲み込む。何と美味い酒だ。味覚を感じるのは久し振りだった。
「それで充分だ。求めれば壊れる。欲すれば失う。真は見返りではない。生き様に勝手についてくるものだ。この世は生き様が全て也。抱えている心を表す言葉がようやく見つかった。この言葉を俺は気に入ったぜ。お前もだろう?」
ティダが酒瓶を傾けると王狼は首を振った。それから三度吠えた。
〈酒は飲まん。世は因果因縁であり矜持と誇りを忘れるな。この世は生き様が全て也。うむ、より良く感じる。子々孫々に伝えようフェンリス〉
頭を鼻で小突かれる。ティダは王狼の頭を抱き締めた。
「すまぬな。子と離れさせ付き合わせて。死ぬなよヴィトニル。生きるは恥ではない。俺も庇いはしない。決して庇うな」
〈付き合わせて?まあ許そう。飲み過ぎだ。酔いなら許す。ふんっ、フェンリスの矜持が折れる真似をするか。逆も然り。至極当然の事を改めて口にするなど酔っ払いめ〉
ふははは!静寂な夜を貫く高笑いが響き渡る。ティダは王狼から離れて腹を抱えて笑った。
「ああ。こうして誰かと共に安らぎに身を置くのは何年振りだからな」
再度酒を飲む。ちらちらと舞い落ち始めた雪が酒に溶けていった。何と儚いが美しい。生きるということはこういうことだ。
〈これからは増える。会話などしなくとも伝わる。戦以外は帰れとフェンリスに怒鳴られ、帰れば妻に激昂され……。挟まれて大変だった〉
また王狼がティダの頭を尾で殴った。
「グレイプニルと子らの息災を月夜と雪へ祈ろう。七色の喜びへの礼も込めて。俺の道がお前の家族を必ず守る。足りぬ力は掻き集めて派遣する。駒を揃え、配り、進む」
王狼が三度吠えた。
〈覇王に至宝、蛇に大鷲、風の申し子、蟲の姫。ハイエナの小狼だけだったが一気に増やしたなフェンリス。それにしても殆ど勝手に現れた者とは違いテュールは何年かかった?〉
軽蔑と嘲りに対してティダは王狼の顎を撫でた。
「大器晩成。根に矜持と慈愛がある者で変わらぬ者はいない。強欲と自己愛の器は腐るだけだ。中には大成する者もいるが潰される。俺が嬲り殺しにしてヴィトニルが骨も残さぬからな」
〈そんな事をしようとすれば風の申し子がお前の矜持を折ろうとするだろうな。地獄の底も汚れし魂も知らないのに悪しきを認めぬ男。清々するほど煌めいている〉
酒瓶を傾けると最後の数滴だった。味わうようにティダは器に口をつけた。
「あれは汚濁に頭まで浸かっても光るだろう。ヴィトニル、お前も分かっているだろう?俺よりも太い矜持。底のない欲望。泥水を啜るどころか丸呑みするぞあの男。堕ちるなど許さず死なば諸共包むという。曲げたいが曲がりそうもないあれは」
〈余程気に入ったのだな。人は変わる。まだ若く無知な男は曲がるどころか折れるかもしれんぞ。しかし目が冴えるような答えも出しそうだ。何と世界は広く楽しいことか!それこそがフェンリスと共に生きる理由!並みの大狼なんぞ赤子にしてやる!〉
空の器をティダは高々と掲げた。紛うことなき親友への賛辞。華々しい未来への大きな祈りを込める。
「命短し眩く生きよう友よ!」
持ってきた酒はもう無いので酒瓶を放り投げようとした。その方角の白銀の空気が揺らめいた。見慣れた舛花色が一直線に大きくなってくる。
〈フェンリス、スコールなんぞ呼んだのか?まだ未熟者だ〉
「あまりに成熟しているとそこらの人間なんぞ下等過ぎて食い殺すだろう?」
粉雪散らして進んでくる月狼は指摘通りまだまだ未熟過ぎる。王狼ならば風と同化し足跡すら殆どつかない。
〈王ね。俺に大層な名を付けおって。本当は熟視だというのに。大満足だがな。セリムへか?背を見せてやるにしてもスコールでは弱く未熟過ぎる。ウールヴがまた臍を曲げるぞ〉
「まあセリムにならばウールヴだな。奴の女とお馬鹿な子蟲に臆病者へだ。そのくらいの価値はある筈だがスコールに噛み付かれたら知らん。最終的に決めるのはスコールだ」
飛びかかってきた月狼を避けるために雪を蹴りあげて視界を眩ませた。それから前足を掴み噛まれる隙を与えないうちに空き瓶の底で顎の下を突き上げた。すぐさま飛び乗って抑えつける。上体を起こして嚙みつこうとする月狼の口に酒瓶を突っ込んで喉に剣を突きつけた。
〈奇襲してこれかスコール。弱すぎる。フェンリスの勝ちだ〉
ティダは酒瓶を口から抜いて月狼の腹を蹴って飛び上がった。宙返りすると王狼が背で受け止めた。
「いや。奇襲も戦法。戦に必要なのは貪欲な勝利への執着。少しは大きくなったなスコール」
〈フェンリスに呼ばれる光栄。群れは捨ててきた〉
月狼が雪の上に伏せた。
〈捨ててはいない。絆は誇りで続く。未熟者め。本山は今も腐っているか?スコール〉
〈ああ。蜘蛛のせいでな〉
「まあそうだろう。スコールに小群を与える。ラステル、パズー。黄色い羽破れ大蜂蟲。こいつらは食わずに群のリーダーとして囲え。他は任せる」
ティダは王狼の背から下りて小さな月狼の前に片膝をついた。体格がまだ犬の倍程しかない。力も足りず賢さも足りぬ。しかしティダとセリムの背を見て早く、大きく成長するだろう。
〈俺がリーダー……。しかし囲えと言われて飲むか。見定めて庇護に相応しくなければ食う。それが大掟だ〉
柔らかな毛を撫でながらティダは頷いた。スコールでは食えないだろうという判断。間違えていればティダがスコールよりも未熟だっただけ。
セリムを使うのにはラステルが必要だ。ラステルに尻尾を振らせ続ればセリムとの接着剤になる。しかし怒りに任せてぞんざいに扱い過ぎた。成り行きと掌返しでラステルを手懐けられたのはただの運。王狼に諌められなければ危ういところだった。
過剰は反発を生んで火に油を注ぐ。骨抜き王子は些細な事で嫉妬に燃えて反目しそうだ。ラステルとの距離を間違えると痛い目を見る。大好きな大狼を与えて適切な距離を提示する。余程の事がない限り上手くいくだろう。今度は計算で上手くやってみせる。
「パズーは軟弱臆病だが時に見事に吠えて噛みつく。ラステルは俺を正しく侮辱した女だ。羽破れ大蜂蟲は大陸中の蟲と繋がる。見てくれに惑わされて嚙み殺すんじゃないぞスコール。俺はお前にリーダーの役割だけでなく見る目を養う機会を与える」
王狼が唸った。
〈群に不必要な誇り無き者は容赦無く噛み千切り骨まで喰らえスコール。フェンリスや俺のようなリーダーに成れるという期待だ〉
「何だ、お前はパズーを気にくわないか?」
空気が揺れるほど王狼が高笑いした。
〈愚問!ならば三度吠えるか!リーダーとして群の為に敵を容赦無く殺せという意味だ。スコールには俺達程の余裕は持てない。酒で脳味噌が溶けたか?フェンリス〉
指摘通り酔っているかもしれない。読み間違えている。酒といえばとティダは月狼の尾の方へと回った。
「手土産ご苦労スコール。これが飲みたかった」
二尾それぞれに握られた白酒を受け取るとその場に胡座をかいた。王狼が酒の器を持ってきた。
〈フェンリス。一杯だけ付き合おう。スコールへの祝いだ〉
そう言うのにティダが器を差し出すと王狼はスコールに酒をかけた。ティダと王狼は大笑いした、スコールが不満そうに、しかし嬉しそうに伏せた。
〈そろそろ閉じよう。気配がする。また語ろうフェンリス〉
三度吠えて王狼の扉が閉じていった。月狼も従った。ティダは襟元についていた機械を外して唇の前に持ってきた。服の重さが変わる物くらい気がつく。
「可憐な仮面を被ったお嬢様。盗み聞きしようにも酒を飲んでいるだけです。酔っ払って笑う愚かな男」
全部伝心術で何一つ情報を得られなかっただろうルルへ皮肉の言葉を告げた。
「すぐに壊さなかったのは信頼の証ですね。私も信じて貴方様を外へ出しましたの。約束の時間にはお戻りください。その為の機械です。気がつかないとは思ってませんでしたよ」
機械からルルの声がして少し驚いた。こんな機能まであったのか。ペジテ大工房の文明は外界と次元が違いすぎる。隠し通路の迷路といいこれほどの力を持って傍観とは愚かにも程がある。以前まではそう思っていた。今は違うと知っている。変わるとは知り、受け入れるということだ。突っぱね続ける程愚かではない。
「壊さないで持ち帰ってきてくださいね。美麗な自然を壊してしまいます。我が国の文明は破壊の象徴なのです」
僅かに声が低いからリリだろう。
「隣で共にお酒を飲みたいですが我慢します。私達は偽りで満足し大地を汚した過ちを繰り返してはならないのです」
少しだけ高い声はララだ。三人揃っているということは泣き脅しが足りなかったということだ。幼いのに意外にしたたかな娘達だ。
「そもそも子どもにお酒は飲めませんでしょう?それでも飲みたいと思うのです。その意味伝わりますか?私達が成人となる十と八まで後八年。楽しみにしていても良いでしょうか?」
ララの小生意気な懇願に驚いてティダは機械を握り潰しそうになった。月狼が鼻でティダへ示したので機械を乗せた。王狼が再びティダの背もたれになるように背後に腰を下ろす。思いっきりもたれた。
ほんの束の間の台風の目。抜ければ大嵐が待ち受けている。
「今宵は酒に溺れるぞヴィトニル、スコール!たおやかな乙女への非礼を詫び誓いを立てよう。成人祝いは大狼兵士と大狼が盛大にしようではないか。成人の暁には極楽をその身に教えてやろう!まずは蛇の生皮剥ぎの前夜祭に付き合え!」
機械越しにきゃあきゃあという可愛らしい黄色い声が上がった。あどけない笑い声に思わず口元が綻んだ。
「それはどういう意味だ!」
アシタカの怒声が耳を貫いた。やはり居たのか。
「俺は手ほどきが上手いということだ」
「貴様子どもになんて話を!」
またアシタカが怒鳴った。
「お前が聞くからだ。女なんて耳年増。俺は機嫌が良い。共に飲むなら来いアシタカ。そのくらいは許してやる」
呑まれて堕落するから酒は飲まん!とアシタカが言い放ってブツリという音がした。機械での伝達が切断されたらしい。その意味は信頼。それにしても難儀な男だ。自らを律しし過ぎて雁字搦め。周りに目を向けられる余裕が出てくるまでは遠そうだ。
器に注いだ新たな酒に浮かぶ月の揺らめきの美しさ。戻れぬ過ぎ去った日。それでも閃光のように生きていく。失っても求める背負うものに新たな信頼の足枷。
「共に生きたかったな……」
ティダは一筋だけ雫を落とした。王狼が三度吠えてティダに体を寄せてくれた。
***
憤慨したアシタカは盗聴器の親機を床に叩きつけていた。
「お兄様は怒りで我を忘れることを克服しないとなりません」
ルルがアシタカに抱きついた。
「ねえお兄様。あの方はきっと大狼と語らっていました。ララには分かります。あの目は悲しくもうんと強き目です」
反対側にララが抱きついた。何だ?と首を傾げているとリリも二人ごとアシタカに抱きついた。
「前を見過ぎてどうか忘れないで。私達家族が何度でも教えますから」
三人揃ってアシタカを見上げると三つ子の妹達がアシタカの腕を引っ張って次々と頬にキスした。意味が分からないが心配されているというのだけは伝わってくる。呆れたような三つ子をアシタカは笑顔で抱きしめた。




