ホルフル蟲森の散策
自分の素肌に感じる胞子のくすぐったい感触や、絨毯のような柔らかなのに湿っていて冷たい苔、直接吸う新鮮な空気。
蟲服を身に纏うとそういったもの全てが消えてしまう。その方がラステルには不快なことだった。けれどもその不快感を忘れる程、セリムと一緒に居るのは、話をするのは楽しかった。
「これは食べられる?」
渦巻きの芽、ホソギをまじまじと見つめながらセリムが首を傾げた。分からないことがあるとセリムは直ぐにその仕草をする。
「良く煮れば食べれるわ。灰汁が強いから生は絶対に駄目。名前はホソギよ」
そっかと呟いてセリムはホソギをいくつか摘んだ。ラステルはそれを右手に掴んだ小袋で受け取る。
食べれるものと食べれないものを分けて植物採取をするのが今日のセリムの行動だった。自分で持つ袋に毒性のある植物をどんどん入れていき、ラステルが持つ小袋には食用のものを入れる。
「じゃあこれは食べられる?」
同じことの繰り返しなのだがそれが面白かった。ラステルにとって当たり前のものに好意的な興味を向けている。自分が話せば話すほど、見せれば見せるほど大好きな世界を受け入れてくれる。今迄そんな事は一度たりともなかったし、これからも無いと思っていた。
「初めて見る。というか初めて気にしたわ。でもそれ苔よ?」
深い緑色の親指大程の丸い苔。名前も用途も分からない。ラステルの住むタリア川の畔では見かけない苔だ。散策していて踏んづけている筈だが記憶にない。
セリムは小さなものでも興味を持つ。今までラステルが気にも留めなかったものを認識したり、違った世界が見えてくる。セリムといて楽しい理由の一つだ。
「丸苔は保留と」
腰に下げている道具入れからセリムは掌ほどの大きさの袋を取り出した。そこに一杯に苔を入れていく。
「セリムは見た目で名前を付けるのが好きね」
「分かりやすいからさ。不思議だよな、全然違う世界に暮らしているのに言葉は同じなんだ。きっと祖先を辿れば同じところに行きつくんだろう。そういうのはどう調べるんだろうなあ」
以前にも言語が通じることをセリムはしきりに気にしていた。彼の目を通すと世界は疑問で満ち溢れている。それでラステルはやっと不思議に感じる。いかに自分がぼんやりと生きているかを思い知らされる。
「ねえ、今日はスケッチはしないの?」
再び歩き出してナメダケの群生を進む。茶色くてネバネバするから普段は近寄らないのだが、今日はきちんと靴を履いているから気にならない。
「持ってくるの忘れて」
「そうなの」
心底残念だったラステルは肩を落とした。それから慌ててセリムの方に違うと手を振った。非難しているわけではないのだ。ただ、上手く絵を描くとセリムが喜んでくれる。それが嬉しくて楽しいのだ。村で褒められることなんて滅多にない。
「次は持ってくるよ。ラステルの方が絵が上手いから助かる」
「そんな事、でもありがとう」
誤解されなくて良かった。足取りが軽くなる。ナメダケの群生に降りかかるコゲラの葉が目に入りそうで、枝の棘を触って葉を閉じさせた。
セリムと話していると時々落ち着かなくなる。嫌な気分ではないのだがそわそわする。息が上手に出来なくなる。
「今、何したの?」
「棘を触っただけよ。そういう葉っぱなの。」
目の保護具の向こうにある青い瞳が輝いていた。次の瞬間セリムは目につく棘をどんどん触っていった。次々とコゲラの葉っぱが閉じていく。
「葉っぱが閉じるなんて思わなかった。しかも棘で!」
「セリム、これは持っていけないわ。根が網みたいに繋がっているの。それに固いから無理よ。」
短剣を鍬のように地面に刺そうとしたセリムを制する。
「そうなんだ。」
「村の畑にも根が伸びてきて除去するのに苦労してるの。」
「なんだ、研究塔にあったら楽しいかなって思ったのに。どうやって除去するの?少しくらい持って行けないのかな。」
「ねえ、もしかして今日集めているのも?」
「ああ栽培するんだ。今迄は必要なものだけ育てていたけど、もっと色々育ててみたくて研究塔を増築していたんだ。それが一昨日完成した」
嬉しそうな声を出す。まるで新しい遊びを始めた子供のようだ。
「おめでとう」
行ってみたいとは口に出来なかった。セリムが時折話してくれる外の世界に興味はある。むしろラステルはセリムに出会って初めて蟲森の外の世界に関心を抱いた。
セリムに会うたびにその気持ちは強くなる。その一方でどうしてかそれはいけないという警告が響いた。その相反する感情に挟まれてラステルは二の足を踏んでいる。
「ありがとう」
屈託のない声。セリム自身には何の不安も抱いていない。とても誠実で信頼できる人だ。どんな風に森を歩き、蟲に接していたのか昔から何度も見てきたから。だからこそラステルは外の世界に、いや彼の世界に身を投じてみたかった。今はまだ決心がつかないが、いずれ。
「でもコゲラは辞めておいた方が良いわ。頑丈だから成長したら色んなものを突き破るわよ、きっと。」
「それは困るな。」
短剣を鞘に納めてセリムがコゲラから離れた。
足を軽く叩かれ視線を落とす。穏やかな青い目をしたボーの幼生だった。半円の体をラステルの靴に乗せてもぞもぞしている。
「どうしたのかしら」
抱き上げてみるとボーはギギっと小さく鳴いた。
「何て?」
「分からない。私話せるわけではないの。なんとなく言いたいことは伝わってくるけれど。変ね……」
周囲を伺っても異変は何もない。そういう時に蟲が自発的にラステルに近づく事はない。
どうしたのだろう。
ラステルはボーをそっと地面に戻した。ボーの幼生はしばらくラステルの後ろにぴったりとついてきた。
「何だか可愛いな」
「蟲の中でもボーは穏やかなのよ。お母さんとはぐれて寂しいのかしら?」
「ラステルはどこまで蟲の気持ちが分かるんだ?」
不意に尋ねられて答えに窮する。真正面から聞かれた事がなくて単に驚いた。未知の植物や蟲を見つけた時と同じ純粋な好奇の瞳。
「何と無く。嬉しいとか、悲しいとか、苦しいみたいなそういうの。たまにね、はっきり言葉みたいなのが伝わる時もある。滅多に無いわ」
「ふーん。僕等が風が詠めるようになったように、蟲森で暮らしてるとそうなるのかもな。君は特殊だって言ってたけど、変化ってのは徐々に起こって突然表面化するものさ」
「そうかな」
「羨ましいな」
「え?」
「初代風詠は神の使いって崇められた。でも今はちょっと秀でてる人ってだけだ。それと同じだよ。そのうち当たり前に変わる。僕の子孫も君みたいにならないかな。そしたら残すことになる研究も捗るはずだし」
独り言のように呟くとセリムはまた別の植物に目をつけて、小走りで向かっていった。
住む世界が違うからか、セリムの言葉にいつも救われる。村人から丁寧に接して貰っているが、異端だとつまはじきにされ、避けられている気がしてならない。
恐らく異端だから蟲森に捨てられた赤子。それを育ててくれた村。だがラステルを疎まない訳ではない。
まだ知り合って間も無いが、ラステルにとってセリムは村の誰よりも理解を得られる相手かもしれない。蟲森を一緒に散策する人が現れるとは夢にも思っていなかった。
彼が住むのはどんな国なのだろう。勇気が出たら訪れてみたい。セリムはきっと、はちきれんばかりの笑顔で迎えてくれる。
ふと振り返るとボーの幼生は姿を消していた。
首を傾げて周囲をうかがったがあたりには何もいなかった。
***
日に日に日差しが強くなっていた。作物の育ちにくい崖で工夫を凝らして育ている作物も順調に成長していた。窓の向こうに見える畑にはすがすがしい緑が茂っている。アスベルがレストニアに滞在して既に一か月が過ぎていた。
丁寧にまとめられたセリムの資料を読んでいて気になる点があった。後半の方になると植物の名前を二重線で消して別の名前が記入されていたり、他の頁とは全く異なる描写の絵が度々出てくるのだ。
大胆ではっきりした線で描かれる絵と柔らかな線で細かい絵はどう見ても別人が書いたもの。
「何が気になるんですか先生」
顔を上げるとセリムが笑い声をあげた。
「そうやって鼻の頭を掻いているのは興味深いことを見つけた時でしょう」
「確かに考え事をしていたが。そんな癖があるのか」
「ええ」
差し出されたカップを受け取ってアスベルは肩を竦めた。淹れて貰った紅茶は香ばしくて美味だった。
「セリム、お前以外に研究塔に出入りしている者がいるのか?」
虚を突かれたというような顔をしてセリムは紅茶を啜るのを止めた。アスベルの腰かける椅子に近づいて資料を覗き込んだ。
「ああそっか、全然違いますよよね」
「国の者なの……」
途中で言葉に詰まった。セリムが優しい眼差しを資料に向けていた。子どもと戯れている時の柔らかな表情とも違う。どこか熱の帯びたその視線にアスベルはその意味を察した。
「えっと、その……研究塔の岩場の南側に砂漠の民が暮らしているのは知ってますよね。」
「ああ」
「それで僕みたいに蟲森を気にする人がいて」
しどろもどろにそう口にするとセリムは視線を彷徨わせてアスベルから離れた。再びソファに座ると手元のコップに口をつける。こういう時のセリムは嘘をついている。嘘が下手な子だ。
「そうか」
照れくさそうにしているセリムをからかうのも気が引けて、アスベルは何も尋ねなかった。大方その者と仲良くなり、資料を見せているのか研究塔で会っているのだろう。
反応からして女に違いない。
セリム自身が自分の顔に浮かんでいるものに気が付いていないようなのが可笑しかった。笑われる理由が分からずセリムが怪訝そうに眉間に皺を造ったのが、なおさら愉快だった。
「どんな子なんだい」
「いつも楽しそうです。芯は強くて自分の意見もしっかり持っているけど気が強いわけではなくて、穏やかな雰囲気を持っていて……」
思い出して笑うセリムは今まで見たことがないような男の顔だった。ケチャ姫が真剣に嫁候補を探しているのも、ジークやクイが他国の姫君との見合いを取り付けようか悩んでいるのもすべて取り越し苦労であるようだ。
「僕の何か顔についてますか?」
自分の頬を触って指先を見つめてセリムは腑に落ちないというようにアスベルに視線を向けた。
「いや、何でもない」
そのうちレストニアにも連れてくるに違いない。楽しみはそれまでとっておこう。アスベルは再び紅茶を口に含んだ。




