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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
序章

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蠍蟲とリボン

 捻じれカザフの枝に座ってセリムは蟻蟲の行進を観察していた。臀部にある大きな目を除けば見た目は巨大な蟻だが、絶対にうろうろしない。


 そういえば触角も動かさないし、小さい気がする。いつもなら何かしらの実験を思いつくのだが今日は何も思い浮かばなかった。それよりもこの森で出会った、ラステルの顔が脳裏に過る。


 約束通り会いに来てくれるだろうか。


 とても胸がドキドキし、なんだか落ち着かなくてセリムはまた蟻蟲に集中した。蟻蟲が一斉に止まり同じ方を向いた。そこには蠍蟲(さそりむし)が立っていた。蟻虫達が一斉に逃げていく。


 六つの赤い瞳。セリムは立ち上がって片手を腰元の鞭に手を伸ばした。蠍蟲が鋏を振り上げ威嚇するように上体を起こす。蟻蟲たちがセリムを無視して行ったことを考えると、蟲全体がセリムへ向かってきている訳ではなさそうだ。


 先週、蠍蟲の巣で間違って彼らの頭を踏んづけてしまっても怒らなかったし、今日まで蠍蟲は何もしてこなかった。


 他の蟲たちに追いかけまわされたけれど。


 それより以前、巣で見つけた脱皮した殻を持ち出したときは蠍蟲一匹だけが襲撃してきた。殻を置いてもずっと追いかけてきて、逃げ切るのに苦労した。腹が減っていたのか、盗みと思って許せなかったのか、そもそも蟲の感情が人のそれと同じなのか全く見当もつかない。


 時に種族を超えて集団で、時に個別に動く蟲の行動は予想できない。さて、どうしたものか。


「セリム、降りてきて!」


 蠍蟲の前に現れたのは見慣れない防護服に身を包んだ人の姿だった。面で覆われて顔は分からないが、声は昨日聞いたラステルのものだ。マスク越しでも良く通る声だった。


「ラステル?」


「大丈夫、怒っていないから」


 手招きされるが、彼女の後ろには蠍蟲が威嚇するような格好で立っている。そもそも紅蓮に燃え盛る瞳は蟲の感情が高ぶっている証。


 セリムの躊躇いを感じてラステルは蠍蟲の鋏に触れた。大丈夫でしょうと言うように頷いている。それからマスクを外した。そこには優しげな微笑みがあった。策略など微塵も感じさせない、穏やかさに息を飲む。


「今行く」


 セリムは叫んでから捻じれカザフから降りた。丸い凸凹のある枝は上手く足場を選ばないと落ちてしまう。時間をかけてセリムは下へと向かう。その間、ラステルは再びマスクをして蠍蟲の鋏を撫でていた。


「驚かせてごめんなさい」


 セリムが完全に下り終わるとラステルが駆け寄ってきた。セリムは首を振って否定した。


「昔貴方に助けてもらったの。そのお礼があるのよ。多分だけど」


 ラステルはセリムの手を引いて蠍蟲の方に向かった。蠍蟲が上体を下ろして尾を振り上げた。セリムに向けられた尾先の針の鋭さに思わず鞭を引き抜く。


「止めて、酷いことしないで」


 ラステルが祈るように胸の前で両手を握り、蠍蟲の前に立ちはだかった。セリムは蠍蟲を観察しながら鞭を掴んだ震える腕を下ろした。


「あれ、リボン?」


 尾の先の針に薄汚れた布切れが結んであった。一体どうやって結んだのかと思って、ラステルか、と彼女の方に顔を向けた。


「手当してくれたでしょう?大事にしているの」


 そういえばと思い返す。あれはいくつの時だっただろうか。アスベル先生にひっついて蟲森に訪れた際に尻尾が切れて体液を出して悶えていた蟲に薬を塗って包帯を巻いたことがあった。


 とても痛そうで可哀想だったし、何より蟲に触ってみたかった。そいつは包帯を巻き終わる頃には動かなくなってしまったので死んだのだと思っていた。


 防護服が青い体液まみれになり先生に物凄く心配をかけた。初めて先生に殴られたのはあの時だ。


「あの時の、生きていたんだ。会わせたい子って……」


「あの日、たまたま見たの。それでずっとお礼がしたかったのよ。でも怖くて近寄れなかった。この子もずっと貴方のことを気にしてた」


 それで、会ってくれたのかと1人ごちる。数年も前から知られていたという事には驚きしかない。


 蠍蟲はくるりと背を向けて森の奥へと去って行った。蠍蟲が居た場所に黄金に輝く塊。セリムはそれに近づいた。腰を落として眺めてみる。シラカの樹脂に似ていたがこんなに大きな塊になるのだろうか。それにいったいこれをどうすればよいのだろう。


「貴方の村では馴染みがない?メルルの樹脂。とっても甘いのよ。削って熱で溶かして使うの。甘味料って他には知らないのだけどセリムの村では何を使っているの?」


 ラステルが首を傾げた。彼女は思い違いをしているようかもしれない。自分と同じ森に住む人間だと。


 そう考えてからラステルは森に住んでいるのだと改めて気が付いた。彼女と会う事ばかり考えていて、そもそもラステルが何者なのかを考えるのをすっかり忘れていた。森に住んでいる、それはセリムが求めているものの答えそのもの。


 なんでそんな大事な事を見落としていた。どうしたのかと自問してみた。けれども良く分からない。


「セリム?」


「ごめん、一番に言っておけばよかった。僕は崖の国のセリム。砂漠のずっと向こうにある小さな国だ。」


 しばらく間があった。ラステルは何を言うだろうか。表情が見えない分とても不安だった。数分がもっとずっと長く感じられる。


「森の外の人だなんて思いもしなかった。良く見かけるから。どうしよう、婆様達に叱られるじゃ済まないわ。セリム、貴方も。せっかく話せたのに。」


 項を垂れたラステルの声が小さくなった。


 もう二度と会わないと言われそうでセリムは思わずラステルの肩を掴んだ。びくりと肩を震わせラステルが頭を上げた。華奢過ぎて困惑したが、離せない。印象的な新しく芽吹いたばかりの牧草の色が戸惑って揺らめく。


「誰かに会っても絶対に森の外から来たなんて言わない。外の誰にも君の事を話したりしない。なるべく見つからないように会おう。僕は君の事を知りたいんだ。」


 今別れたら、それで最後。蟲森やそこで暮らす民の謎も、ラステルという少女の事も永遠に失われる。


 可憐で儚げなこの女性と何の話をする事も出来ず。


 湧き上がる知らない感情に戸惑って、何だか気恥ずかしくてセリムはラステルから手を放した。


「えっと、その。気を付ければいいんだよ」


「ええ。そうね。そうだわ。私も貴方の事誰にも言わないわ。今までだって話した事ないもの。ねえセリム、どうやって森まで来てるの?砂漠の向こうってうんと遠いんでしょう?」


 ラステルは首を傾げた。


「風凧で飛んで、風凧って知らないか。空を飛ぶ乗り物なんだけど、そうだ!見せてあげるよ」


「かぜだこ。空を飛べるの?ガン達みたいに」


「ガン?」


「森の上を飛んでいる蟲よ。大きくて、羽が沢山あるの。セリムは見たことあると思う」


「多羽蟲かな。勝手に名前を付けてるいからな。上まで登らないといけないけど出来そう?」


 ふふっと笑ってラステルがセリムを見上げた。それから背中に手をやって何かを手に持った。前に出したのは大きな鉾だった。柄の方に三つ穴が開いている。


「運んでもらいましょう。」


 そういって彼女は鉾の柄にマスクに当てた。口にあたる所は丸くて丁度柄が収まる。ピーッと甲高い音がして聞きなれない音階が奏でられた。


 笛なのか。


 ラステルは直ぐにやめて今度は声を出して歌いだした。それを歌と呼んで良いのかわからなかった。崖で聞く歌とは全く違う、先ほどの笛の根のように高くて張りつめた糸を弾くような音色。それに合わせるようにバサバサと音が近づいてきてセリムの上に影ができた。


 八つの羽が巻き起こす風に吹き飛ばされそうになったがラステルの手に支えられた。彼女が自らを支えるのは多羽蟲、ラステルの言うガン。少し、いやかなり怖い。


 いくつもの夏の夜空みたいな目玉に、セリムとラステルが並んでいる。生まれたままの素肌の彼女と、あらゆる手段で身を守る服に身を包んだ自分。


 酷く不釣り合いな2人。


 胸が締め付けられるような苦しさは、どうしてなのだろう。


「蟲森に住んでいる人は蟲とも仲が良いんだ。」


 命一杯の尊敬を込めて言うとラステルは首を横に振った。


「いいえ皆、嫌っているわ。大嫌いなのよ。」


 ラステルの声は心底悲しげだった。


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