習作:桃太郎
これは人外の者が跋扈していた時代の話。
吉備の国、今でいうところの広島県東部から岡山県全域での出来事である。
寂れた山村の奥地に初老の夫婦が住んでいた。この夫婦は子宝に恵まれず二人きりで静かに自給自足の生活を営んでいた。
自給自足とはいえ、塩や布などは市場で仕入れる必要がある。この時代の市場では通貨はまだ使用されていない。物々交換が基本だ。
昔なじみの家には大体跡取りがおり、汗水たらして働き市場で出せるほどの作物を生産しているが、子供のいない初老の夫婦には売るほどの作物を作る力はなかった。
妻が若い頃はその体が売れた。わざわざ奥地にある夫婦の家にまで訪れる客もいたものだ。
そのころの夫婦は不自由のない生活を営むことができたのだが、初老になった妻は誰からも見向きもされない。今、稼ぎと言えば夫が山で拾い集める薪程度しかなかった。
薪は生活上必要なものではあるが、誰でも時間さえかければ手に入れられるものであるため価値は低く、高価な物との交換はできない。
夫婦はいつも同じ服を着、食事は自宅の畑で採れた形の悪い作物のみという生活をしていた。
その日も炊いた黍と少しの豆を食い、夫は山へと薪拾いに出かけた。それを見送った妻は水仕事をするために川へと向かった。
この時代、治水技術はまだ整っておらず、よっぽど栄えた町にしか水路というものはない。水仕事のためには危険な谷を下り水辺に降りる必要があった。
夫婦以外が使うことのない細い山道を妻は歩く。歩いていて妻は、自分以外の何者かの足跡があることに気付いた。その草履の足跡は川の方まで続いている。何者かがこの山奥までやってきたのだ。妻は髪の毛を手櫛で整えながらその足跡を追い、やがて河原にたどり着いた。
そこには美しい着物を着、太刀を抱えた娘が息も絶え絶えになって倒れていた。
「ありゃぁ、大丈夫かね」
妻は娘の元に駆け寄った。大きく肩で息をしている娘の腹は大きくまさに臨月を迎えていた。
「どうか……助けてくださいまし……」
妻は何とかして娘を助けようと、家まで娘をおぶって帰った。帰宅した夫も一緒になって一生懸命の看病をしたが、娘は子供を産み落とすとともに死んでしまった。
「アンタ……この子どうしょうかねぇ」
「こりゃワシらンもとに神さんがくれた子じゃ、ワシらで育てるとしょう」
「そうねぇ。そうしょうかね」
夫婦はその子供に桃太郎と名付け育てた。そして一五年の月日が流れる。
桃太郎は立派な青年に成長した。もともと高い身分の子なのだろう、顔立ちから利発さがにじみ出ている。彼はよく働いた。山奥の小さな畑は面積を拡大し多くの作物を実らせ、両親の暮らしは楽になった。
両親は桃太郎に出生時の事を日々語り、娘が持っていた着物や太刀を見せ、いつもこういった。
「お前はホンマはどこかのエラい人なんじゃ」
「いつかはお前にふさわしいところに戻れるとええのう」
その話の度、桃太郎は「そんなことありゃせん。ワシの親はあんたらしかおらんよ」と言った。
ある日、市場に畑の作物を売りに行った桃太郎は、見慣れぬ立て看板を目にした。何かが書かれているが、文盲である彼には何が書かれているのか理解できなかった。立て看板の前に立っていた長者が内容を説明してくれた。
「今、都では鬼が略奪を働いとるんじゃ。ここには、その鬼を倒した者には鬼の略奪したすべてを譲る。っちゅうことが書いてある」
「鬼……?」
「そうじゃ、鬼じゃ。身の丈は家屋ほどもあってのう。金棒を振り回しては人を殺したり、女を攫ったり、物を壊したりしとるらしいんじゃ」
その話を聞いた桃太郎は義憤に震えた。彼は曲がったことが大嫌いであったし、一生懸命働くつらさを知っている。それらを暴力で奪う「鬼」の存在が許せなかった。
桃太郎は真っすぐなまなざしで長者に言った。
「長者様。その鬼、ワシが退治しちゃる」
「ホンマか! そりゃええ。この村にも猛者がおったか。鬼の棲んどるという島までの船は都で手配するはずじゃ。桃太郎、お前は親にこの事を伝えて来ぇ」
桃太郎は市場での話を両親に伝えた。
両親ともに桃太郎の将来については思うところがあり、これは千載一遇の機と感じた。話の後、夫婦は三日間休まず桃太郎の門出の準備をした。
妻は桃太郎の母である娘の遺した着物から立派な陣羽織を作った。
夫は誰の目にも止まるような日本一の指物を作った。
そして道中食べ物に困ることが無いよう、黍の団子と酒を用意した。
三日後、桃太郎は船のある港へ訪れた。港には桃太郎のほかに三名の若武者がいた。いずれも鬼の暴虐に義憤を持った若者たちである。
若武者たちの名は「犬飼」、「猿飼」、「鳥飼」といった。
年の近い四人は意気投合し、桃太郎の持ってきた黍団子と酒で懇親を深めた。
「ここで知り合うたのも何かの縁。我ら兄弟の契りを結んではどうか」
犬飼が大声で言うと、猿飼、鳥飼も「そうじゃ、そうじゃ」と同意した。
「して、誰を大兄とするかじゃが、これは相撲で決めるとしよう」
四人は相撲を取った。はたして勝敗は桃太郎の圧勝であった。
「桃太郎は強いのう、ワシらの大兄は桃太郎で決まりじゃな」
異を唱えるものは誰もいなかった。
酒盛りの翌日、船は鬼の棲むという島「鬼ヶ島」へと向かった。この地方の海は波が穏やかであるが、島の周辺だけは来るものを拒むかのように荒れていた。やっとの思いで島の港に船をつけると船頭が言った。
「ワシがついていけるのはここまでじゃ。後はなんとかしてつかぁさい」
「もちろんじゃ、ワシらに任せておけ」
桃太郎は威勢よく返事をした。
鬼ヶ島は木の一本も生えていない岩の島だ。辺りには都で攫ってきた娘が着ていたとみられる衣がぐしゃぐしゃになって散らばっている。さらに奥地に歩いていくと、あばら家の前で一人の娘がうつ伏せに倒れていた。
「おい、無事か?」
桃太郎がその肩を揺らすと肉が削げ落ちた。娘は死んでいた。
「鬼許すまじ」
四人の心に再び強い怒りの炎が立ち上る。あばら家の中に鬼がいるのは間違いない。中から娘のすすり泣く声も聞こえる。
「悪逆の限りを尽くす鬼め、我らがその首もらい受けん!」
桃太郎が叫ぶと、あばら家の中から大男がのっそりと現れた。身の丈は七尺はあろうか。手には血に濡れた金棒を携えている。
「性懲りもなくまた都の馬鹿が来たか」
鬼はへらへらと笑いながら金棒を振り回した。
「兄者、ここはワシらにまかせい」
そう叫ぶと犬飼、猿飼、鳥飼の三人はそれぞれに刀を抜き、鬼へ立ち向かった。
しかし、そこはさすがの鬼。金棒を縦横無尽に振り回し三人の刀を叩き折る。折れた刀でなおも立ち向かう三人、相手の刀が折れた事で鬼に慢心が生まれた。その隙を桃太郎は見逃さなかった。
鬼に向かって全力で体当たりをする、態勢の崩れた鬼は金棒を振る勢いで態勢の立て直しを図るが、岩場は足場が悪く転んでしまった。桃太郎は跳躍し、その勢いで鬼の首に太刀を突き立てた。鬼は死んだ。
桃太郎たちは生き残った四人の娘たち、奪われた金品をまとめ帰路についた。
山奥の家に戻った桃太郎の姿を見て両親はもろ手を挙げて喜んだ。桃太郎が連れ帰った娘たちはそれぞれの妻となった。
彼らの武勇を聞いた都の帝は桃太郎とその弟たちを都の衛士として取り立てた。
かくして桃太郎も両親も末永く幸せに暮らしたという。