第三十二話 無敵の盾
出来る限り上へ上へと向かっていく。
爆発の被害が翡翠学園、そして光芒市に及ばぬように。
『まったく。もうちょっと後先を考えろ。ラピスを奪ってから爆破させることができれば、爆発を最小限に抑えられたというのに』
「そういうアドバイスは先にくれ……」
アルスに言われてから、その可能性に思い至る。
たしかにそれならラピスも無駄にせずに済んだのに。
まぁ、どうせ白崎の手引きで奪うことのできたラピスは、紫、白、黒の三つ以外だろう。
ただでさえ貴重なラピスの中でも、この三つはさらに貴重だ。
白崎クラスの教師では保管場所に立ち入るどころか、どこに保管されているかも聞かされていないはずだ。
『言う暇もなく行動するからではないか。今からラピスを奪おうにも、即爆発の危険がある。仕方あるまい、早く放り投げろ』
「アルス、受け止められるか?」
俺の質問にアルスは呆れたようなため息を吐く。
まぁ、今更な質問か。
できる、できないの話ではない。
この状況ではやるしかない。
いくら上空で爆発させたとしても、強烈な爆風が光芒市を襲うことになる。
直接爆発させるよりは被害は小さいだろうが、それでも相当な被害が出る。
それはあってはならない未来だ。
『無論だ。最強の盾に防げぬ攻撃などありはしない』
アルスの言葉に後押しされて、俺は手に持っていたゴーレムを上空へと放り投げた。
自動型とはいえ、所詮は特攻用。
さしたる抵抗もできずに、空へと飛んでいく。
そのまま俺は盾を構えた。
魔力障壁というのは、本来、超高度な魔法の劣化版だ。
古代魔法文明において最硬を誇った無敵の盾。
その魔法を劣化させて、扱いやすくした結果、生まれたのが魔力障壁だ。
その魔力障壁はゴーレムや魔法師にとって、なくてはならない盾となったが、無敵というわけではない。
より強い魔力をぶつけられたり、魔力を纏った武器による攻撃を受ければ破られてしまう。
それでも魔力を用いない通常兵器には無敵を誇り、魔力攻撃も軽減させることができるため、現在に至っても広く使われている。
だが、本来の形で発動させれば、スクトゥムのように何重に展開する必要すらない。
強力な魔力攻撃でも破られることはない。
その魔法を多くの者が再現しようと試みてきた。
しかし、それを成功させたものはいない。
だれも再現することはできなかったのだ。
ゆえにその魔法の難易度はSSSランク。
再現不可能な魔法として位置づけられている。
再現できれば、魔法師として歴史に名を残すことは間違いなく、術式を解明した研究者ならば、魔法の権威として認められる。
そんな魔法を俺は使うことができる。
正確にはアルスが知っているわけだが、アルスといえど、この魔法は媒介なしには使用できない。
それだけでどれほど高度な魔法なのかが理解できる。
そして媒介となるのは、コルプスに装着されている盾だ。
この盾はコルプスと同じ素材でできており、今まで破損したことは一度としてない。
アティスラントの研究では、現在のアティスラントには存在しない鉱物で作られているそうだ。
そんなコルプスの盾だが、ただの硬い盾として使えることは使えるが、この魔法の媒介として使うのが正しい使い方だ。
消費する魔力を抑え、術式展開の手間も省ける。
なぜなら盾に術式が刻まれているから。
この盾を解析すれば、その魔法も再現できると思うかもしれないが、それがそうもいかない。
この盾に刻まれている術式はアルスにしかわからない。
古代魔法文明時代に作られた複雑怪奇な術式だ、とアティスラントが誇る研究者たちが手を上げるほどだ。
とまぁ、そんな感じで俺の盾にはそんな魔法を発動できる機能が存在する。
ただ、俺だけの魔力ではとても発動できないため、周囲から魔力を吸い取る必要がある。
現在、俺の中にはヴァルキリーとの魔法の撃ち合いで散っていた魔力たちがほとんど集まっている。
だが、それですら最大規模で展開するには足りない。
よって、上空に漂う魔力を吸い上げながらの発動になる。
ただ、魔力も無限ではない。
その場所の魔力を吸い上げれば、よそから持ってくる必要がある。
しかし、わざわざかき集めている時間もない。
なので。
「タイミングは任せるぞ」
『心得た』
俺は翼を消して、自由落下を始める。
そうして上から下に移動しながら、急激に魔力を集めていく。
すでに残り時間はあと数秒。
その時間に間に合わせるために、魔力を吸う量も半端ではない。
つまり、俺は苦しい。
「まったく……街を救うのも楽じゃないな……」
『軽口が叩ければ十分だな。そもそも、王女にあんなことを言うのが悪いのだ』
アルスの声には微かに非難の色が混じっている。
エリシアに被害も損害も出さないということを言って、俺が色々と制限の中で戦っているせいだろう。
だがしかし。
それでもだ。
「それをする努力をしなくちゃいけないんだ……。俺はエリシアの騎士だから……!」
『ならばその意地、貫いてみせろ! 今が根性の見せ所だぞ!』
そう言って、最後とばかりに大量の魔力が俺の中に入ってくる。
思わず吐き気を覚えるが、それを懸命に堪える。
そして。
『今だ!』
アルスの合図とともに俺は力いっぱい、叫んだ。
「≪イージス≫!!」
盾を中心に黒い障壁が街全体を包み込むように出現する。
正式名称は隔絶防御魔法≪イージス≫。
規模という点ではアティスラント王国の王都レガリアを守る〝天殻〟には負けるが、単純な防御能力では引けを取らない。
個人で展開できる防御としては最大級。
魔力による断層を出現させ、向こう側とこちら側を完全に分断してしまう魔法だ。
おそらくこの魔法を突破できる魔法は、現在の時点で存在はしない。
そしていくらラピスで爆発の威力を増強しようと。
ゴーレム単体の自爆程度では破られはしない。
視線の先でゴーレムが自爆する。
赤い炎が一杯に広がり、俺のほうへと押し寄せるが、イージスによって防がれる。
炎は横へと広がっていくが、街全体をイージスが覆っているため、下に落ちてくることはない。
一切、爆風を感じないが、おそらく相当な爆風がイージスに防がれていることだろう。
自然落下をやめて翼を展開して、イージスの維持に努める。
炎が完全に消失するまではイージスを維持しなければいけない。
これが意外に大変だ。
なにせ街を覆う規模で発動している。
魔力も食うし、精神力も持っていかれる。
だが、どうにか食い止めることはできた。
『いやぁ、終わりましたな。サー・レイヴン』
そろそろ炎が消えようかというときに、クロウから通信が入った。
リネットではなくホーエンハイムからというのは珍しい。
「ええ、どうにか終わりましたね」
『そうですか。では、艦を代表して言わせていただいても?』
なんだろうか?
おめでとう、とかだろうか。
まぁ今回はちょっと厳しい条件だったし、それくらいの言葉が送られてもおかしくはない。
まだ確認中だが、おそらく死者もいない。
怪我人は数人出たかもしれないが、それも命に別状はないだろう。
早々にスクトゥムが展開されたおかげで、一般人が巻き込まれずに済んだのがデカい。
なんだかんだ言っても、翡翠学園の生徒はギアを所持しているから、滅多なことでは大事には至らない。
もちろん、俺の到着がもっと遅ければ最悪の事態は避けられなかっただろう。
その点でいえば、俺は自分を褒めていいと思う。
よく強硬な態度を崩さず、最後まで自分の意思を貫きとおした。
あそこでサザーランドに言い負かされていれば、今はない。
というわけで、称賛の言葉を待っていたのだけど。
『いいえ、艦長。私に言わせてください』
リネットがいきなり横やりを入れてきた。
いやまぁ、普段は厳しいリネットが笑顔で称賛してくれるならうれしいのだけど。
なぜだかブリッジクルーの様子がおかしい。
そう思っていると、リネットが唐突に質問してくる。
『サー・レイヴン。あなたはこの艦に出したご命令を覚えていますか?』
「命令……?」
はて?
なんだっただろうか。
すると、アルスが呆れたよう様子で教えてくれた。
『上空からの監視だ。馬鹿者』
「……」
『思い出されましたか?』
「……いや、その……」
『上空にいるクロウに一本、通信を送ることもできませんでしたか?』
「それは、その……ところで今どこに?」
話題を変えようと、質問する。
無事だということは、高度を上げて逃れたのだろう。
流石は俺の部下。
精鋭揃い。
しかし、俺の部下は予想の斜め上のことを言う。
『下ですが?』
大慌てで下を見ると、ガラスが割れるようにして景色が崩れていく。
そして黒い機体が現れた。
周囲の風景を映し出して、溶け込むステルス機能だ。
そのステルス性能は近くにいてもわからないほどだ。
「……ご無事でなによりです」
『はい。艦長が迅速に、あなたの近くが安全だと判断してくれたおかげで、命拾いしました。さて、サー・レイヴン。何か言いたいことはありますか?』
リネットが笑顔でそう訊ねてくる。
どう返せば許してもらえるだろうか。
会話の流れ的にホーエンハイムなら、適切に対処してくれると思っていた。
実際、そのとおり、ホーエンハイムは素晴らしい判断を下した。
これは高度な信頼関係の賜物だと思う。
「えー……ごめんなさい」
『謝っても許しません。どうぞ、ご帰艦ください。ゆっくり、たっぷり、あなたに三十秒が如何に短いかをご教授させていただきます』
そう言って通信は切れた。
このまま逃げたら駄目だろうか。
『詰めを誤ったな』
「三十秒しかなかったんだ……仕方ないだろ?」
『吾輩に言わず、お主の部下に言え。まぁ、三十秒というのは騎士には十分な時間だが、そうでないものには短いということだろう』
アルスはそう言うと、さぁ艦に戻れと急かす。
俺は過去に例を見ないほど憂鬱な気分で自分の艦に戻ることになった。
◇◇◇
艦に戻り、アルスとコルプスとの融合を解除した後、ゆっくりと慎重にブリッジに入る。
そこには厳しい顔のリネットがいた。
ただし、その顔は俺への怒りで厳しくなっていたわけではない。
見れば、メインモニターにエリシアの顔が映っていた。
その顔はリネット同様に厳しい。
何かあったのだろう。
『まずはご苦労様です。サー・レイヴン。流石は私の騎士と言っておきましょう』
「それはどうも。けど、終わりじゃないみたいだな?」
俺の言葉にエリシアは頷く。
そしてエリシアが何かを操作すると、エリシアの顔が消えて、地球の地図が写し出された。
中心は日本で、あちこちに赤い点が浮かんでいる。
「これは?」
『一時間ほど前の衛星写真です。赤い点は大規模な魔力反応。おそらくはゴーレムの軍団です』
「なに!?」
たしかに赤い点はすべて、レムリア帝国の影響下にある地域にある。
中国、オーストラリアには特に大きな赤い点がある。
ロシアにも動きが見えるし、これが本当にゴーレムの軍団だとしたら、一大事だ。
なにせ、赤い点は日本を囲むような位置にあるのだから。
「日本への侵攻か?」
『おそらく。日本軍は既に展開を終えて、迎撃の準備をしています。アティスラントにも正式に増援要請が来ました。これを国王陛下は了承。アティスラント側でも戦力を整えてから部隊を派遣します』
「大事だな。それだけ規模の大きい戦争になるのか?」
『それはレムリア帝国次第ですが、日本の各防衛拠点に駐屯している騎士たちだけでは、手が足りないレベルになることは間違いありません。このタイミングで仕掛けてくるあたり、レムリア帝国は日本のゲートが奪取、もしくは使用不能にできると思っていたのでしょうね』
「つまりはこの光芒市での作戦と連動しているってわけか」
なるほど。
A級操者一人だったのは、潜入任務だからだと思っていたけれど、それだけじゃなかったわけか。
単純に他の主力が本隊に組み込まれていたからってわけだ。
『敵はこの光芒市での作戦が失敗したことをまだ知りません。ですが、失敗しても大丈夫なように戦力を整えているはずです。こちらもすぐに部隊を送りたいところですが、戦力の逐次投入は避けます。ですので、あなたに出向いてもらいたいと思います』
「こき使ってくれるよ」
逐次投入を避けるということは、第十三独立魔導師団もすぐには出てこないってことか。
最初の攻撃は日本軍と駐屯するアティスラント軍で防ぐことになる。
だが、この話が俺に来る以上、不安な場所があるんだろう。
『今はあなたが頼りなのです。あなたは佐渡の前線基地に向かってください。現在、騎士が駐屯していない唯一の前線基地です』
「はいはい。わかりましたよ。仰せのままに」
正直、もうくたびれたが、そうも言ってられない。
日本は何だかんだ言っても俺の国だ。
レムリア帝国に攻撃されるとわかっている以上、ここでのんびりしているわけにもいかない。
『光芒市のことは現地の警察に任せてください。教師たちには私から直接連絡を入れて、混乱を収拾します』
「それはありがたい。それなら安心して行ける」
『……いつもすみません。晃』
「いいさ。俺の武器はギアで、あんたの武器は俺だ。好きなように振るえばいい。正しく使ってくれている内は、最大限、あんたを助けるよ」
そう俺が言うと、エリシアは柔らかく微笑む。
どうやら気に病んでいる様子はなさそうだ。
一々、命令を出す度に気に病まれても困る。
気に病むくらいなら、命令を出さないでください、と言いたくなってしまうし。
『それではサー・レイヴンに命令します。佐渡前線基地へ向かい、侵攻してくるレムリア帝国を迎撃しなさい』
「御意」
『……任せましたよ。私の騎士』
「お任せください。我が主」
そんな形式的なやりとりを終えると、エリシアが通信を切る。
それから俺は大きく一息入れてから、手を一度叩く。
「さあ! 任務と行きましょう!」
「了解です! 進路、佐渡前線基地! これが終わったら、リネット中尉がサー・レイヴンをこってり絞ってくれる! 全員、気合を入れろ!」
「……」
誤魔化そうとしたけど、駄目か。
俺が絞られることは確定らしい。
「やる気がなくなるなぁ……」
「まぁまぁ、これが終われば殿下も休みもくれますよ。きっと」
「そうだといいんですけどね。どうせ、また学園は休みでしょうし、どこかでゆっくりしたいなぁ。暖かい島とかいいなぁ」
「任務の前に、終わった後のことを話すのはタブーです。統計的にそういうことを言う軍人は生存率が低いですから」
リネットがさらりと突っ込んでくる。
そんな副官に肩を竦めつつ、俺は部下たちに前進を命じた。
その後、俺とクロウは海を渡ってきたレムリア帝国の大部隊を迎撃。
その大部分を壊滅させて、レムリア帝国軍の足を止める。
ほかの前線基地でも騎士たちが奮闘し、レムリア帝国はどこの前線基地も抜くことができなかった。
初手で躓いたレムリア帝国軍は、アティスラント王国軍の大規模な増援を見て、次々に撤退。
結局、このレムリア帝国対日本・アティスラント連合の戦いは一週間ほどで終結することとなる。
この戦いの終わりをもって、翡翠学園を大きく巻き込んだ一連の騒動は、一つの区切りを迎えることとなった。