第二十三話 エリシアの騎士
部屋に残った俺とエリシアの間に微妙な空気が流れる。
どちらも話したいことはあるのだけど、どっちが先に言うべきか悩んでいる感じだ。
ただ、それじゃ埒が明かないため、俺のほうから切り出す。
「どうして会談場所を変更することに同意したんだ?」
「いけませんか?」
「いけないっていうか、らしくないなって」
エリシアは慎重だ。
無理や無茶はほとんどしない。
するとしても、しなければいけないほど追い詰められたときだけだ。
そんなエリシアが今回の会談では無意味に自分を危険に晒している。
それがどうも不可解だった。
「今回の会談は周辺諸国と連帯感を保つために必要なことです。向こうに配慮するのは当然では?」
「政治のことはわからないから、何とも言えないけど……ほかに理由があるんじゃないか?」
確証はない。
けど確信はある。
エリシアの雰囲気で、何か含みがあるときは大体わかる。
そもそも話があると言い出したのはエリシアだ。
何か間違いなく俺に言っていないことがある。
「……理由はあります。ただ……理由を言いたくありません」
「どうして?」
「……あなたは行ってしまうから」
そう言ってエリシアは目を伏せた。
陰りのある表情だ。
エリシアは自分が他者に与える影響力を理解している。
だから、あまりネガティブな表情を浮かべることはない。
そのエリシアがこんな表情をするとは。
「俺は……どこに行くんだ?」
「私の傍ではないところです」
曖昧な表現だ。
煙に巻いて楽しんでいる風でもない。
詳しく話したくないということなんだろうけど、話してくれないと何も進まない。
「ハウゼル外務大臣が心配して俺に頼んできたよ。エリシアを説得してほしいってな。多分、口には出さないけど、サーシャさんもリオンも一緒だ。みんな、心配してる」
「……晃は?」
「まぁ、してるよ。少しだけど」
「少し、ですか」
エリシアは眉を顰め、視線を俺から逸らす。
一気に不機嫌になったな。
けど、嘘をついてもバレるし、しょうがない。
「はぁ……何があったんだ?」
「……おそらくではありますが、今回の会談場所の変更は陽動です」
「陽動? 何に対する?」
陽動というからには、本命がある。
エリシアを王都から引き離すことが、陽動だとするなら、本命はなんだというのだろう。
「翡翠学園を狙えば、遅かれ早かれ騎士が出てくる。帝国はそう考えたのでしょうね。だから、外交手段を使ってレイオスを動かした。まぁ、レイオスは利用されているだけでしょうが。私が王都を離れれば、騎士も王都を離れる。即応できる騎士がいなければ、彼らも好きなように戦えるでしょうしね」
あくまで可能性の話ですが、とエリシアは付け加える。
だが、今の話ぶりからすると、その可能性は極めて高いと、エリシアは判断しているように見える。
それが本当ならエリシアが王都を離れている間に襲撃は実行される。
つまり、明日にも襲撃が起こる可能性があるということだ。
「それならなぜ承諾した!?」
「学園には既に知らせてあります。もちろん、日本政府にも」
「当てになるか!」
「ええ、そうでしょうね。私もそう思います。現在、日本ではアティスラントに頼らない防衛網を敷こうという動きがあります。ここで痛い目を見れば、その案も立ち消える。それが父が描いているシナリオです。私も悪くない手だと思っています」
言葉ほどに賛同はしていないのだろう。
エリシアの顔には微かな嫌悪が見え隠れしている。
国王からすれば、日本の勝手な動きが許せないということなんだろうが、それで学生に被害が出てちゃしょうがない。
「父は最終的にゲートさえ死守できればいいと考えています。その結果、どのような被害が出ようと日本の責任だと」
「……確かに日本の領土だ。日本が守るのが筋だろうけど、わかってて見捨てるのは気に食わない」
「日本も警察を動員しているそうですよ。ただ、軍に動きはありません。あまり真に受けていないのでしょう」
エリシアは小さくため息を吐き、視線を俺に移す。
その視線を俺は真っ向から受け止めた。
「敵の狙いはおそらく翡翠学園のラピスでしょう。大量のラピスを動力として、大規模な魔法を使うつもりなのかもしれませんね。それでゲートを確保するのか、最低でも空港を破壊するつもりなのでしょう。学園を襲うだけでは、戦果としては不十分ですからね」
「聞いていると、アティスラントも他人事じゃない気がするんだが?」
「明日の朝から、こちらの空港に大規模な部隊を待機させるそうです。ある程度、被害が出て救援要請が入ったところで部隊を投入、ゲート周辺を確保。治安維持を目的にアティスラントの影響力を強める気なのですよ」
政治的判断というヤツなんだろうか。
どれだけ近かろうが、他国は他国。
介入に慎重を期するのは当然だ。
けれど、翡翠学園にはアティスラントの学生もいるし、教師もいる。
加えていえば、光芒市にも多くのアティスラント人がいる。
「自国の民を見捨ててまで、それをする価値はあるのか?」
「……あると判断したのでしょうね。私の父は。ただ、ここまで強硬な方針の裏にはサザーランド大臣がいるでしょう。彼は元々、レムリア帝国を倒すためには地球の国のいくつかを侵略すべきという過激な方針を訴えていた方ですし。私が頷かないので、父に話を通したのでしょう。父も最近の日本の行動を苦々しく思っていたようですし」
「利害が一致してたってわけか……」
国王であるエリシアの父が決断した以上、エリシアは逆らえない。
あくまでエリシアは病弱な国王の代理として多くの権力を握っているのであり、国王が出張ってくれば従わざるを得ない。
「このことが決まったのは、昨日のことです。私ではどうすることもできませんでした……」
「一般市民に犠牲が出る可能性が高い。アティスラントは何をしていたんだって反アティスラントの動きも高まりかねないぞ?」
「そのことは何度も説明しました。ですが、父の考えは変わらなかった。私には騎士を伴って、会談場所に行くようにという厳命が下っています」
どうすることもできません、とエリシアは再度、告げた
その姿はどこか疲れているようで、いつものエリシアらしくはない。
エリシアのことだ。
何度も国王に抗議をしたのだろう。
けれど、それは跳ね除けられた。
無力感が今、エリシアを襲っているのだ。
「あなたは……翡翠学園へ向かうのでしょ?」
「そりゃあな。黙って見てられない。止められたって行く」
「だから言いたくなかったんです……。私はあなたを庇えません。国王の命令である以上、騎士も従う義務があります。命令違反をすれば、どのような処置を受けるか……」
エリシアは心配そうな視線を送ってくる。
まぁ、間違いなく御咎めなしってことにはならないだろうな。
最悪、捕まる可能性もある。
国の計画をめちゃくちゃにするわけだし。
けれど、俺は好きで騎士になったわけじゃない。
騎士の立場に思い入れがあるわけでもない。
捕まるのは嫌だけど、このアティスラントの作戦の片棒を担ぐのはもっと嫌だ。
「あんたは何もしなくていいよ。俺が勝手に動く」
「……晃。どうか、今回は堪えてくれませんか? 私と一緒に会談に同行してください」
エリシアは懇願するように俺の手を両手で握りしめる。
その力は意外なほど強く、痛いと感じるほどだ。
それだけ気持ちが込もっているということだが、その提案には頷けない。
「それで? まんまと襲撃された翡翠学園に戻れと? 何食わぬ顔で? 救えたはずなのに?」
「それは……」
「翡翠学園はお世辞にも居心地のいい場所じゃない。無くなってくれるなら、これ幸いと思うだろうさ。けど、それは生徒や教師が犠牲にならない場合だ。あそこには数は少ないけれど、友人たちがいる。これから仲良くなれるかもしれない人たちがいる。それらを見捨てたら、俺はもう自分を信じることができない」
救えるものから目を逸らせば、今度もきっと目を逸らす。
俺は怠惰だから。
慣れてしまえば、今まで忌避していたことでもやってしまう。
そして、そんな俺をコルディスはもう適合者とはみなさないだろう。
コルディスは旅をするギアだ。
あちこちに転移する能力を持っている。
そうしてコルディスは適合者を探す。
そうやって選ばれる者たちは、代々、無力だった。
優れた才能や力を持つ者はだれ一人としていなかった。
ただ、彼らには一つだけ真似できない長所があった。
目の前のだれかを見捨てない〝心〟だ。
その〝心〟をコルディスは見極める。
アルスの〝技〟を使うに足る〝心〟があるかを。
「エリシア。あんたを助けたとき、俺は無力だった。けど、無力な時ですら、俺はあんたを助けようと決めた。助けたいと思ったからだ。俺は自分が助けたいと思った人たちを見過ごさない。それが俺の中のたった一つの決めごとだからだ」
「晃……」
強い口調で告げると、エリシアの手が一瞬緩む。
だが、すぐに先ほど以上の力で握りしめられた。
「あなたは私の騎士。私の唯一の騎士なのです。どうかお願いします。無茶なことをしないで。私の傍を離れるようなことはしないで……!」
祈るように俺の手を握りしめる姿は、いつもの余裕のある王女としての姿とは程遠い。
二年ほど前。
エリシアと俺は出会った。
テロから逃げるエリシアを、俺が保護した形だった。
そのときの騒動の中で、エリシアは信頼していた護衛の騎士に裏切られた。
殺されかけたのだ。幼い頃から自分を守ってきた騎士によって。
騎士から裏切りが出たのは数百年ぶりのことであり、大きく騎士の名誉を失墜させる事件だった。
それ以来、エリシアは俺以外の騎士を心底からは信頼していない。
いつか裏切るのではないかと、心の片隅で常に思っている。
騎士になったのも、そんなエリシアを放っておけなかったからというのが大きな理由だ。
そんなエリシアにとって、俺が騎士でなくなるというのは、信頼できる者を失うということだ。
だからエリシアは恐れている。
けれど。
「そうだ。俺はあんたの騎士だ。だから、見過ごせない。エリシア・レークス・アティスラントの騎士として、俺は俺を裏切れない」
「晃……」
「大丈夫」
今にも泣きそうな表情を浮かべるエリシアの髪を、空いている手でそっと撫でる。
絹糸のように柔らかい銀髪が手に馴染む。
触っていると、その柔らかさが心地よくていつまでも触っていたい気分にかられるが、いつまでも無遠慮に触っているわけにもいかない。
落ち着きを取り戻したのを見計らって、手を離す。
エリシアが視線を上げ、俺の顔を見上げる。
「俺は騎士だからさ。人命も損害も、もちろん俺の立場も。何もかも守ってみせる。それくらい出来なくちゃ、エリシアの騎士は務まらない。だから、何もするな。任せておけ。俺が必ず望む結果を見せてあげるから」
そう言って俺はそっとエリシアの手をほどいた。
エリシアの目が見開かれる。
不安がっているエリシアをこのままにしておくのは忍びないが、リミットまで時間がない。
出発は明日の朝。
襲撃もそれに合わせて、明日の内に行われるだろう。
今日中に根回しが必要だ。
エリシアは俺が騎士の地位を失うことを望まないのだから。