第八話 模擬戦・上
訓練場の一階。
そこに立つのは三人。
一人は美郷。
もう一人は審判役の松岡。
そして俺だけだ。
松岡には昼休みの内に審判をお願いしておいた。
かなり面倒そうな顔をしたが、俺がやる以上、松岡も放ってはおけない。
なにせ、俺のフォローをするのが松岡の仕事だからだ。
「逃げなかったんだ?」
「逃げたら追ってくるだろ?」
「そうね。侮辱には罰が必要なんだから!」
「侮辱? だから、そのことは謝っただろ?」
「そっちじゃないわよ! 思い出すな!」
まだ試合開始前だというのに、美郷はエンジン全開。
今にも飛びかかってきそうな様子だ。
「あ、ルール説明するぞ。今回は東峰の提案で少し変更がある」
「変更?」
「ああ、通常、先に三発当てたほうの勝ちなんだが、東峰は一発でも当たったら、お前の勝ちでいいそうだ」
つまり、それはハンデをくれるということだ。
これは喜ばしい。
一発でいいならやりようはあるかもしれない。
「同じ条件じゃ勝負にならないし、仕方ないでしょ? プライドに障った?」
「まさか。ありがたくハンデを貰うとするさ」
「昨日も思ったけど、むかつく男ね。女からのハンデを素直に受けるなんて、情けないと思わないの?」
「思わないな。自分の実力は良く知っているし。むしろ、俺は明らかに格下の相手に喧嘩を吹っ掛けて、情けないと思わないのか聞きたいんだけど?」
美郷から見れば、俺はちょっと気に食わない程度の相手だろう。
実力行使で叩き潰しに来るような相手じゃない。
蟻を潰すのに全力になる人間はいない。
そんなことをする人間がいれば、周りから変人だと思われるだろう。
子供相手に本気を出す大人がいれば、大人げないと言われる。
なぜなら、そこには差があるからだ。
「あたしが模擬戦を望んだわけじゃないわよ! 結果的にこうなっただけ! でも、ちょうどいいわ。あんたを叩き潰せるなら、それで満足だから」
「一発殴るから、ずいぶんとレベルアップしたな? 一体、何をそんなに怒ってるんだ?」
「侮辱にはそれ相応の返礼を。エンフィールド家の教えよ。あんたはあたしだけじゃなく、あたしの家を侮辱した。この罪は重いわ」
言葉自体はさきほどよりも大人しい。
言い方も穏やかだ。
しかし、込められている思いは違う。
今にもあふれだしそうな怒りを、今、必死に抑えているんだろう。
なるほど。
印象が薄いって発言に怒ってたわけか。
しかし、この怒り方は異常だろ。
東峰を軽んじる発言をしたならわかるが、俺はエンフィールド家を軽んじた。
美郷は東峰の直系であっても、エンフィールド家の直系ではない。
エンフィールド家を継ぐことはないだろう。
それでこの怒りようとは。
「お前、お祖父さんっ子なのか?」
「な、なによ! いきなり!? 尊敬してるわよ! 悪い!?」
「いや、それなら納得だ」
そう言って、俺は美郷に背を向けた。
用意されている開始地点に向かうためだ。
しかし、敬愛する祖父の家を軽んじられたからといって、あそこまで怒るとは。
「意外に純粋だな」
『言ってる場合かっ。ハンデなど貰いおって。情けない。吾輩のマスターならもうちょっとちゃんとしろ!』
「そう言われてもねぇ。この観衆の中でお前と融合するのはちょっとなぁ」
『そういうところが情けないのだ! 勝負に拘らないでどうする!』
俺は出そうになるため息を堪える。
基本的にアルスは負けず嫌いだ。
自分が優秀なギアである自負があるから、負けることを良しとしないのだ。
そして当然、それを俺にも求める。
なにせ、アルスは俺と融合して初めて存分に力を振るえる。
真価を発揮するには、俺のやる気が必要になるわけだ。
まぁ、アルスなら猫の形態でも十分に戦えるが。
「何かがかかっていない模擬戦で本気になれるわけないだろ?」
『ほう? なら、その身でその認識の甘さを思い知るんだな』
そう言われて、俺は苦笑しながら開始地点で振り返る。
同時にコルディスを起動させた。
【コルディス、起動】
俺の体にアルミュールが展開される。
ジャージ姿で、腰には貸し出された訓練用の剣がある。
俺みたいにギア自体に攻撃手段のない魔導師は、こういう武器を使うしかないのだ。
ギアには数段落ちるが、ないよりはマシだろう。
そう思ったとき、美郷もギアを起動させた。
【クラウ・ソラス、起動】
瞬間。
訓練場全体に赤い光が満ちた。
美郷の手に出現した赤い刀身の大剣。
その刀身に纏わりつく炎の光だ。
同時に美郷もアルミュールを展開したことに気付く。
その姿には見覚えがある。
もちろん、美郷のその姿は初めてみたが。
似ている姿をしている奴は何度も見ている。
「王国軍の軍装か。しかも貴族用。アレンジはしてるみたいだけど」
アティスラント王国の貴族は、戦場で自分を誇示することに拘る。
それが貴族としての役割であり、誉れであるとされているからだ。
だからこそ、王国軍の軍装には派手な貴族用というのがある。色はまちまちだが、どれも驚くほど目立つ
今、目の前にいる美郷が纏っているのがそれだ。
赤を強調した軍装で、特に深紅のロングコートは印象深い。
過度に装飾された軍装だが、それを見事に美郷は着こなしている。
俺のアルス融合時の痛い服装とは偉い違いだ。
やはり着る側の問題だろうか。
『どうやら、あの娘。日本の名家というよりも、レーヴェの貴族としての意識が強いようだな』
そりゃあそうだろうな。
ずっと向こうにいたらしいし。
扱い的には帰国子女だしな。
世界が違うから、単純な帰国子女とはまた違うけれど。
「どっちも用意はいいな? 怪我するなよ。それじゃあ」
松岡がやる気なさそうに右手を上げる。
あれが振り下ろされたら開始だ。
向こうも剣みたいだし、まずは距離を取るか。
『晃。クラウソラスというのは輝く剣、炎の剣を意味する』
「ああ、輝いているな。赤く」
『光を発するというのは解釈次第では、何かを放つとも捉えられるな?』
まるで教師が生徒にするように、アルスが呟く。
同時に松岡の手が下りた。
「はじめ!」
「クラウ・ソラス! キャノンモード!!」
「おいおい……」
一瞬で美郷の手にあった剣が、なんだか物騒な砲へと変わった。
それを見て、俺は慌てて右に走り出す。
だが、それに構わず美郷は攻撃を放った。
「食らえ!!」
引き金が引かれ、砲口から赤い光線が撃ち出された。
ギリギリのところを光線が通過していく。
あぶねぇ。
銃剣、いや砲剣というべきか。
また珍しいギアだ。
まず間違いなくオリジン・ギアだな。
『炎を集束して打ち出しているみたいだな』
「解説してる場合かっ!?」
「まだまだっ!!」
砲口がこちらに向く。
それを見て、崩れていた体勢を立て直し、走り出す。
一撃の威力重視なのか、弾速は速くない。
それに連射も間隔が大きい。
だが、それを差し引いても驚異的だ。
周囲に魔力障壁がなければ、一撃で建物に風穴が空いていただろう。
同時に俺のアルミュールも一撃で消し飛ばされる気しかしない。
アルミュールには耐久値と持久値がある。
簡単に言えば、耐久値が防御力で、持久値がHPだ。
持久値は時間と共に徐々に減っていく。これが展開時間でもある。
だが、攻撃を受けると耐久値に応じて魔力を削られる。
そうすると持久値も下がるわけだ。
そして俺の持久値と耐久値からすると。
「オーバーキルだろ……」
『貴族が家名にかける想いは生半可なものではない。お前は貴族への認識が甘いのだ。わかったら我輩を使え!』
「はぁ……もうちょっと待ってろ。機会が来たら力を借りるから」
言いながらも俺は視線を外さない。
あんなの直撃したら、保健室送りで済んだら御の字、下手したら病院送りだ。
何もかかっていないと思っていたけど、まさか自分の身の安全がかかってくるとは。
これはどうにか一撃入れないと、まずいな。
そう思いつつ、俺は走り出した。