謎
気がつくと、目の前にはいつもと変わらぬ我が家のリビングがあった。
明るい日差しが差し込んでいるいつもの居心地の良いリビングだ。
ただ、なんだろう。いつもとはなにかが決定的に違っている気がする…。
まず、リビングのサイズ感が全く違う。いつもより何倍も大きく感じる。目の前には鉄の棒のようなものが縦に走っているのだ。つまりこれは檻・・・なのだろうか。
私は今度は足元をそっと見てみる。木をかんなで削ったようなものが足元一面に敷き詰められている。なぜこんなものが・・・?
周りを見回すと、水の入った大きなタンクが檻にくっつけられていて、背後には水車のような丸いものが見える。横にはなんだか小屋のような洞穴のようなものがある。
ここまで見て私はこの光景に見覚えを感じた。子供のころ家で飼っていたペットの小屋。
これは・・・ハムスターの小屋の中・・・か?
なぜ私がそんなところに押し込められているのかが全くわからない。
人間をそんなところに押し込めるとはどういう了見なのか。
そこまで考えたときに、私は根本的な間違いに気づいた。
私は、ハムスターになっているのか?
とっさに手元や足元を見てみたが、どうみてもこれは人間のものではない。ハムスターのそれだ。
顔は見ることができないが、ここまで首から下がハムスターになっているのだからハムスターなのだろう。この状況で顔だけが人間であったらその方が怖い。
いや、しかし私は歴とした人間であったはずだ。人間であり、男であり、妻も子供もいるごくごく一般的な人間の男であったはずだ。
それがなぜハムスターなぞになっているのだ。
おかしい。
そもそもなぜこんな状況に陥っているのかが全く思い出せない。
つい先ほど目が覚めるまでは私はいつもどおり、人間の生活を送っていたはずだ。
そうであったことは間違いない。
ただ、人間であった最後の時というのが思い出せないし、なぜこうなってしまったのかも全く心当たりがない。
考えても考えても頭が混乱していくばかりだ。こんなことが人生でおこるなんてことは普通考えていないから、どう対処したらいいのかも全くわからない。
ガチャ
そのとき、玄関の方(私の記憶が正しければだが・・・)で物音がした。鍵をあけるような音だ。
「ただいまー!」
男の子の元気な声がする。
そうだ、これは私の大事な息子の声だ。
「疲れたわね。すぐお昼ご飯にしますからね。」
これは妻の声だ。
二人が外出先から帰ってきたのだろう。
ドタドタと小走りするような音がしたあと、目の前の檻の外、視界いっぱいに人間の顔が現れた。
「ただいま!ハム吉!いい子にしてたかー?」
息子だ。息子の蓮だ。あまりの顔面の巨大さに驚いて腰が抜けそうになったが、落ち着いてみると我が愛息子であることがはっきりわかった。
ところで今ハム吉と呼んだか?私のことだよな?私のほうに向かって話しかけているものな。
名前から推し量ってみてもやはり私はハムスターであるらしい。
そして息子も私をハムスターとして認識していることがはっきりとわかった。
「お母さん、ハム吉外に出してもいいー?」
「だめよ、逃げちゃったら捕まえられないわよ」
そして視界に現れたのは私の最愛の妻、琴音であった。
いつも小綺麗している自慢の妻だが、外出してきたためか、化粧も身なりもしっかりしていて今更ながら見惚れてしまった。
結婚して十二年になる。妻は三十五歳になったが、今でも私の目には若々しく美しく見える。
いや、もともと妻は美しいことで周りには評判だったのだ。妻とは大学で知り合ったのだが、温和で優しげな雰囲気の妻は、皆の憧れの的だった。
そんな人が私と付き合ってくれて、あまつさえ結婚までしてくれるとは夢にも思っていなかった。
プロポーズを受けてくれたときには本当に本当に心の底から嬉しくて、みっともないとは思いつつも、つい私は男泣きしてしまったのだった。
そして私は三十七歳だ。昔から風采があがらず、かっこいいというわけでもなく、特に頭がいいわけでも運動が出来るわけでもない、自分で言うのもなんだが地味な男であった。
金持ちであるわけでもなく、とにかく優しいだけが取り柄のような私のそんなところが好きだと言ってもらえたときは舞い上がったし、この人は外見や条件で人を判断しない心の優しい人なのだなと思って嬉しくなった。
結婚して二年後に息子が産まれ、今年で十歳になった。
幸いにも妻に似てパッチリとした目で色白のかわいらしい顔立ちをしている。
性格も明るく活発で、少しおっちょこちょいなところもあるがとても良い子だ。
その二人が今、私の目の前でどうやら私について話しているらしい。
「だって、ハム吉だってお外歩きたいと思う!」
「それは、蓮がただ遊びたいだけでしょう?ハムスターは小屋のなかに回し車もあって運動もできるんだし、外に出す必要なんてないのよ?それにハムスターはそんなに懐かないから外に出したりしたらすぐに逃げられてしまうわよ。そしたら泣くのは蓮でしょう?」
「そうだけど・・・」
チラ、と息子は私のほうを盗み見た。
どうやら私と遊びたいようだ。昔から動物が好きな子であったが、ペット禁止のマンションであるし、熱帯魚や小動物ならなんとか秘密で飼えるといっても、誰が面倒を見るのかという点で揉めて結局飼わずじまいであったのだ。
それなのに私、いやハムスターが今家の中にいるということになる。
いったいどういう流れでこんなことになったのか。
またわからないことが増えてしまった。
続く