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スモーキン•クール

作者: こくま

今日も相変わらず暑い。僕の体感としては、ほとんど暑くないけれど。部屋のなかはエアコンが効いていてとても涼しいのに、少しでも窓の外に目を向けてしまうと、うっかり汗をかいてしまいそうなくらいに天気がいい。だから、やっぱり今日も暑い。

梅雨だのなんだの、僕には関係ない。気象庁がなんと言ったところで、暑いものは暑いし、降り続く雨は鬱陶しいし、快晴続きでもうんざりする。エアコンというものは、そういう煩わしさから人間を解放してくれる。局所的ではあるけれど、なんでもない普通の人間が、自分の意思で自然をコントロールすることができる。ほとんど神様になったようなものだ。科学の進歩とは素晴らしい。

ところで、僕の部屋にはうっすらと鼻にまとわりつくような煙が今日も漂っている。せっかく快適な部屋なのに、いや、快適な部屋であろうとするせいで、ゆらゆらと漂う煙の逃げ場がなくなっている。

なんとかして文句をつけてやろうと、床に座って狼煙をあげている犯人を精一杯睨みつけてやる。すると、そいつはタバコをくわえたまま、僕を見て微笑んだ。

「照れるぅ」

白いリボンのようなヘアゴムで髪の毛をハーフアップにまとめ、タバコをくわえた口の端から白っぽい煙を吹き出している彼女は、僕の家庭教師。もしくは、恋人と表現することもできる。家庭教師としてはほとんど役に立っていないから、恋人といった方がより正確だ。

フリルのついた白いブラウスはセーラー服のように襟が背中へ流れていて、黒いレースのリボンが胸のところで蝶々の形に結ばれている。柔らかそうなパフスリーブは、うっすらと彼女の肌が透けて見える素材だ。太腿の真ん中くらいで広がる黒いスカートも、ブラウスに合わせたセーラー風。お腹のあたりには、トレンチコートのような白いダブルボタンが三対、縦に並んでいて、裾の白いラインと合わせて目を引いた。LIZ LISAというブランドが可愛いんだって、彼女に教えてもらったことがある。たぶん、今日の服もそこのやつだろう。

胸元のリボンを指でくるくるといじっている彼女は、今しがた揉み消したばかりだというのに、もうタバコの箱を開けている。

「今日、ペース早くない?」

僕が言うと、彼女は口を尖らせて答えた。

「お気に召さなかったから」

「なにが?」

「クール」

彼女が差し出す、黒いパッケージ。先日、名前の由来についてクイズを出してみたら、彼女はいつも吸っているMarlboroから、いま手に持っているKOOLに買い替えたのだ。本当の愛を見つけるために恋をするよりは、ひとつの恋を貫いた方がいい。そんな感じのやりとりがあった。

しかし、肝心のKOOLが彼女の好みに合わなかったのなら仕方がない。僕にとっては、タバコの吸い心地なんてなにがどう違うのかわからないし興味もないけれど。

「戻したらいいじゃん」

箱のなかにあと何本残っているか知らないが、気に入らないならさっさとMarlboroに買い換えたらいい。そう言うと、彼女は残念そうに首を捻った。

「だってカートンで買っちゃったんだもの」

「知らないよ、そんなの」

カートンだから、つまり十箱。KOOLの値段は今いくらだろう。わからないけれど、概ね四千円なかばから五千円くらいだろう。なんて無駄な買い物か。

「なんで初めて買う銘柄なのにカートンで買っちゃったのさ」

なるべく、呆れているのが声に乗るように話す。彼女は、白い顔をほんのり赤くして俯いた。

「なんか、興奮してたんだもん」

僕からのクイズの答えに胸をときめかせたのは可愛げがあるとして、そのままタバコをカートンで買いに行ってしまうところが彼女らしい残念さだ。

「知り合いにあげちゃえば?」

「メンソだよ?勧めにくいじゃん」

「いや、知らないけど」

メンソールだとなぜ人に勧めにくいのか。やはりタバコとはどこまでいっても理解できないものだ。

「ていうかさぁ……」

すっかりパソコンをいじるのをやめている僕を、彼女がまっすぐと見つめて言う。

「なんか冷めてない?」

「なにが?」

「いや、やっぱり私にちょっと冷たくない?」

なにが「やっぱり」なのかわからないけれど、僕は彼女にそんなに冷たいだろうか。

「そんなことないよ」

僕は、誰に対しても態度を変えないで生きているような気がする。たぶん、誰と一緒にいてもそんなに変わらない。むしろ、彼女と一緒にいるときはよく喋るほうだ。

「僕はこれが素なんだよ」

冷たいと言われたので、わざと大げさに手を広げてみる。

「え、ほんとに?高校生のテンションじゃないよね?」

「そんなことないって」

彼女の思い浮かべる高校生というものが、少しはしゃぎすぎなだけだろう。それとも、彼女が高校生のころはもっとはしゃぎまわっていたのだろうか。

「せっかく部屋のなかでカノジョとふたりきりなのに」

彼女がうらめしそうに言う。

「いっつもパソコンで難しそうなもん読んじゃって」

話しながら、彼女は立ち上がって僕のパソコン画面を覗き込んだ。さっきまで開いていたニュースページのままだ。

「英語じゃん!イマドキの高校生がカノジョとふたりきりの部屋で黙々と英文じゃん!そりゃあタバコの煙もモクモクするよね!」

これくらいの記事、彼女にだって苦もなく読めるはずだ。そんなに難しいことが書いてあるわけでもないのに、彼女はやたらと声をあげる。

「なんだよ、急にどうしたの?」

どうして彼女はこんな風になったんだったか。

たしか、タバコの話をしていたはず。KOOLが気に入らなかったから、Marlboroに戻したらどうだいって、そんな話をしていたんだ。そうしたら、彼女はKOOLをカートンで買っていて、メンソールは人に勧められなくて……。

だめだ、彼女がおかしくなった原因がわからない。怒っているような感じはしないけれど、不機嫌であることはたしかだ。

「何か嫌なことでもあった?」

尋ねると、彼女はふんと鼻を鳴らして、僕が座っている椅子のすぐ後ろにある、僕のベッドに腰掛ける。

「嫌っていうか、なんか、物足りないんだよ」

「なにが?」

彼女がうーんと言いながら顎に指を添える。感覚としては分かっているけれど、どう言葉にしようか悩んでいるというような顔だ。

「なんかぁ……」

しばらく悩んで、ようやく彼女はゆっくりと言葉を吐きだしはじめる。

「もっとぐいぐい来てほしい?っていうか、攻めてきてほしいような、なんていうのかな」

「つまりどういうこと?」

いまいち要領を得ない。

なにを要求されているのか分からないでいると、彼女の左手が僕に向けて差し出される。

「手を」

「ん?」

「とりなさい」

「はい」

手を伸ばしてもぎりぎり届かないので、僕は椅子から立ち上がり、彼女の手をとる。それから、ベッドに腰掛ける彼女の前に、ゆっくりと跪くような形になった。

「さ、いまから私をなんとかして喜ばせてください!」

「えっ」

見上げる彼女は、眉を寄せて僕を睨みつけている。どうも、眼光が鋭すぎて、視線を外せない。

僕は、彼女を見つめて、彼女に見つめられたまま。なにをどうしていいか分からず、握ったままの彼女の手の甲にキスをしてみた。

「おっと……」

そんなに長く唇が触れていたわけではないと思ったけれど、彼女はさっと自分の左手を引いた。顔を見ると、真っ赤になっている。

「大人をからかうんじゃありません」

「理不尽だなぁ」

言っていることが滅茶苦茶だ。

「どきっとしたじゃない、やめてよ」

「だって、君がやれって……」

「こんなマジのやつなんて思わなかったの」

どこで覚えてきたのやら、なんていう風に言われる。頭のなかが混乱してわけがわからなくなってきた。

「嫌だった?」

「嫌じゃないけど、なんか生々しくない?」

「わかんないよ、そんなの」

「うーん、なんていうの?」

彼女がベッドから降りてくる。

両手で僕の肩に触れ、僕はゆっくりと床に押し倒される。そのまま僕に馬乗りになって、彼女が鼻先数センチくらいの距離まで顔を近づけてきた。

「これくらいの生々しさだったよ、さっきの」

声が少し小さい。そして、いつもよりちょっとだけ高かった。

「さっきは手だよ?全然違うと思うけど」

「違わないよ、これくらいいやらしい感じしたもん」

お互いの吐息がかかる。

それから、触れ合っている身体が熱をもってくる。

部屋は涼しくて快適なのに、ふたりのまわりだけほんのりと暑い。

でも、不思議と不快ではない。

僕が彼女の首に腕をまわすと、彼女も僕の頬を両手で包む。

彼女が満足そうに微笑んだ。

いろいろとややこしいやりとりを挟んだけれど、つまり、こういうことがしたかったらしい。

「難しい話ばっかり読んでると、こういうの恋しくならない?」

ものすごく近距離で、彼女が呟く。声を出すたびに、唇が微かに触れた。

「あんまりならない」

正直に答える。

僕は、やはり高校生としては落ち着いているのかもしれない。

「僕は冷めてるのかな」

「冷めてるね」

彼女はそう答えて、僕にキスをしてから笑った。

「冷めてるけど、熱くなるのも早いよ」

それからしばらく、鳥がついばむようにキスが続く。彼女は、ちょっと唇が触れただけでもやたらと艶かしい声を出す。

高校生には刺激が強すぎるが、同じように、タバコの味も僕には刺激が強すぎる。

「ちょっと苦いよ」

「いまいいところだからちょっと我慢して」

それきり、ふたりの会話が途切れる。

なにがいいところなのかはわからないけれど、なんとなく、僕もそれには同意だ。

ふと目をやると、窓の外はやっぱり暑そうで、こんな天気のなかでこんなふうにくっついていたら、汗だくになって倒れてしまいそうだ。

部屋が涼しくて、本当に良かったと思う。


おしまい

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