第4話 似たもの同士
今日は一日中、体育祭と文化祭に向けての準備だ。雑務を終えた小埜が校内をぶらついていると、よく見知った女子生徒を発見した。裏庭の木を見上げて何かを言っている。
「…何やってんだ、あいつは」
まだ暑いというのに長袖長ズボンの体操服を着ている未亜は腕まくりをして木の枝に手を伸ばす。
おいおい
背後に歩み寄る小埜に気がついていない未亜。枝を掴んだ腕に力を入れて登ろうとしている。
冗談だろ
「桐原!」
「わっ!?」
鋭い叱責のような呼び声に飛び上がる。恐る恐る振り返った未亜は相手を確認して肩を撫で下ろした。
「…何だ、小埜先生か。大きな声出さないで下さいよ。この子がびっくりしちゃうじゃないですか」
「この子?」
怪訝そうな小埜は上を見て納得した。木の頂上とも言える枝の上に、中くらいの大きさの白猫が震えてしがみついていた。
「捨て猫か」
「え、どうして分かるんですか?」
「野良猫にしては毛並みが良すぎる。それに木に登ってびびってるんだから、外に慣れていないんだろう」
「名探偵ですね」
感慨深げに頷いている未亜を横目で見遣る。
「誰が見ても分かる」
「あの子、いくら呼んでも降りてこないんです。きっと怖いんでしょうね」
小埜の皮肉にも応じない未亜は白猫のことが気がかりなようだ。
「放っておけば自力で降りてくる」
「でもこのままにしておくのは…」
「やめておけ」
再び木に登ろうと試みる未亜を引き止めた。
安易に同情心を起こすな
そう言いかけた小埜は眉を八の字にしている未亜に言いよどんでしまう。
「ったく、お前は次から次へと…」
ぶつぶつ言いながら白衣を脱いだ小埜は黒いシャツの袖をまくり、肩に掛けていた白衣を未亜に渡す。
「持ってろ」
「助けてくれるんですか?」
「別にお前のために助けるんじゃない。化けたあいつに恨まれたくないからだ」
「…大丈夫ですか?気をつけてくださいね」
不安げに見上げてくる未亜に、小埜は眉をひそめる。
「お前、まさかとは思うが俺が落ちるなんて思ってないだろうな」
「だって何とかも木から落ちる、って」
「黙って見てろ」
「いたっ」
額を軽く小突かれた未亜が目を開けると、小埜は既に木に登り始めていた。
「わ、すごい…」
あっという間に白猫に触れられる高さまで登ったが、事はそうも上手く行かないようだ。
「どうしたんですか?」
「警戒してやがる」
「もしかして、先生の眼鏡が怖いとか?」
「…ちっ。面倒臭い奴だな」
小埜は躊躇いもせず眼鏡を外し、下にいる未亜に向かって
「ちゃんと取れよ。壊したら弁償」
放り投げた。
「わわわ!」
落ちてくる眼鏡を慌てて両手で受け取る。
「ナイスキャッチ」
「じゃないですよ!外してどうすんですか!危ないです!」
青ざめる未亜を見下ろしている小埜は淡々と安定した場所に立って腰に手を当てている。
「心配ない。掛けてみろ」
言われるまま眼鏡を掛ける。
「…え、あれ?度が入ってない」
何も変わらない視界に目を丸くする。
「ダテだからな。ほら、こっちに来い」
未亜が首を傾げている間に着々と任務を終え、白猫を抱える。
「捕獲完了。今から降りる」
眼鏡を掛けたまま見惚れていた未亜は颯爽と地面に足を着けた小埜に駆け寄る。
「小埜隊長格好いいです!お見事です!」
「隊長…?馬鹿言ってないでさっさと受け取れ」
にゃあ、と可愛らしい鳴き声をあげている白猫を受け取る。
「ありがとうございます」
未亜は白衣を返し、白猫に怪我が無いか確認していた。
「良かったねぇ。もう大丈夫だよ」
白衣を羽織った小埜は何かが足りないことに気づいた。
そうだ、眼鏡
「せんせせんせ」
「何だよ」
嬉しそうな声に顔を上げると
「助けてくれてありがとにゃあ」
小埜の瞳に白猫の顔が大画面で映し出されていた。
「……阿呆らし」
さっと未亜から眼鏡を取り上げ、装着しなおして歩き出す。
「えっ、小埜先生どこ行くんですか。この子の行く末はどうなるんですか」
「そんなの俺の知ったことじゃない」
小埜は無情にも去ってしまい、一人と一匹が残された。
「…私1人で何とかするもん。ふんだ」
不貞腐れたような呟きが、裏庭にぽつりと落とされた。
担当している看板作りはほとんど完成している。クラスの皆には悪いが、この子を放ってもおけない
「捨て猫、か。お前も除け者にされたんだね。私と一緒」
にゃあ?
不思議そうな鳴き声を漏らす白猫の頭を撫でてやると、気持ち良いのか擦り寄ってきた。
「お前は私が守ってあげる」
にゃあ
「お腹空いたの?」
ベンチに腰掛けた未亜は体操服のポケットを探る。
「ビスケットがあったはず…。あったあった」
添加物の無いビスケットの封を開けて差し出すと、勢い良く食べ始めた。
「よしよし。美味しい?」
粉まみれになった口の周りを舐める白猫に、喉が渇いているのではないかと考えた。
「飲み物どうしようかな。というかこの子どうしようかな」
色々としなけらばならないことがあるが、まずは引き取り手を捜さなければいけない。
「お父さん猫嫌いだし、蓮実の家はワンちゃんがいるし…あ」
猫好きの遺伝子を持つ知り合いを思い出す。
「神城くんがいた」
携帯を出してメールを打っていた未亜だったが、手を止める。
「…やっぱり駄目。自分で何とかしないと」
膝を抱えて考え込む。
「どうしよう…」
どのくらいの時間そうしていたのだろうか。お腹が一杯になった白猫は未亜に寄り添うように眠っている。答えはまだ見つからない。
私って何でこうなんだろう。いつも誰かに甘えてばかり。頼ってばかり
1人じゃ何もできない。本当、役立たず
抱えたままの膝に顔を埋めて歯を食いしばる。
「おい、そこの野良二匹」
ぶっきらぼうな声が頭上から降ってきた。そろりと顔を上げた未亜は声の主を知って目を伏せる。
「お前ら、揃って仲良く餓死でもしたいのか」
小埜は冗談のつもりで言ったのだろうが、未亜の心にぐさりと来た。
「桐原?」
体操座りで再び顔を埋めた未亜から嗚咽が聞こえてくる。小埜は小さく震える未亜の隣に腰掛け、抱き寄せた。
「悪い。責めるつもりじゃなかったんだ」
「ひっ…うっ…」
まともに話すことの出来ない未亜をなだめ、優しく囁きかける。
「ごめん。泣くな」
耳朶を打つ低い声は私に手を差し伸べてくれているようで、余計悲しくなった。
私は1人じゃいられないんだと、思わされるから
にゃー。
「鳴くな」
保健室で鼻をかんでいた未亜は視線を上げる。
「もう泣いてません」
「お前じゃない。そっちの大福に言ったんだ」
小埜は未亜の隣にいる白猫を指さした。まだ丸くなって眠っている。
「大福?この子の名前ですか?」
事務机の引き出しを開けて何かを探している小埜はゴミ箱に目を向けた。
「知るか。今日、休憩中に権田先生からの差し入れがあって大福だったのを思い出しただけだ」
そう言って探すのを続行する。
「大福。ふふ、ぴったりですね。今日からお前は大福だよ」
つんつんとお腹をつつくと、ぴくりと大福の瞼が動いた。小埜は黒いファイルを手に持ち、何かを確認して電話の受話器を取る。
「どこに電話を?」
「華里大学の管理員室」
受話器を耳に当てた小埜は無言で人差し指を口に添えた。
〈静かにしてろ〉
何気ない仕草に思わず胸の奥がきゅんとなり、黙って頷く。口元が緩むのを隠す。
何度も頭を振る未亜に、今まで見た事がない柔らかな笑みを零した小埜はもう確信犯としか言いようが無い。
「あ、もしもし、華里大学付属高校の養護教諭の小埜と申します。実は――」
頬を紅く染めている未亜をよそに小埜は電話をし、大福は寝ぼけながら顔を掻いていた。
「――はい。ありがとうございます。はい、失礼しました」
「小埜先生!」
話の内容を聞いていた未亜は電話を切った小埜に突進して抱きつく。
「うわっ」
完全に油断していた小埜は横から襲ってきた未亜に面食らう。
「ありがとうございます!」
「あ、ああ。住み込みで勤務している管理員の方が預かってくれるそうだ。キャンパス内で飼うらしいが、あいつもわざわざ安全な場所から逃げ出そうとは思わないだろう」
先ほどの騒ぎで目を覚ましたのか、足元にやって来た大福を見下ろして言った。そして未亜を見る。
「…いい加減にしろ」
腕にしがみついている未亜の頭を押しやると、あっけなく離れていった。未亜は満面の笑顔で頭を下げる。
「ありがとうございます。大福の為に何から何まで、本当にありがとうございます!」
「別に。暇だったしな」
欠伸を一つ漏らした小埜は大学の管理員が大福を引き取りに来るまで遊んでいる二人を放置して仕事に取り掛かる。とはいっても眩しいほどの笑顔で楽しそうにしている未亜に時折目を向け、頬杖をついてしばらく眺めては作業に戻る繰り返し。
違う。俺はそんな慈善的にできた人間じゃない
結果的に俺が助けたのは大福だ
でも、俺が本当に守りたかったのは
お前なんだ
…大福(餅のほう)が食べたくなりました。




