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真っ白な愛を君に  作者: mia
本編
3/14

第2話 生きたい

大騒動が起きるの巻、です。


 無気力契約を締結して1ヶ月後のこと。詳しく言うと、2学期の始業式が終わって2週間後のことだ。

 未亜は教室の中で1人、立たされていた。

 別に居眠りをしていたとか、後ろの蓮実とグルになって早弁をしていたわけでもあるまい。


 「桐原さん。答えられないの?」


 未亜はただ正面にいる人物を眺めていた。


 早く窓開けて換気したい

 授業まだ終わらないのかな


 その願いが叶うことはない。なぜなら授業が始まって10分も経っていないからだ。

 こういう時に限って神城は寝坊で遅刻だ。

 「いい加減にしなさい、桐原さん。夏休みの後半から、あなたは1週間に2回も授業を休み続けているようね。その理由をちゃんと説明して」

 小埜と同じ時期に赴任してきた英語教師、阿久津祥子(あくつしょうこ)は未亜の事情を知らなかった。

 阿久津は冷たい視線を未亜に浴びせかける。平然と表情を変えない未亜の態度に、阿久津は業を煮やし、未亜の机に手を叩きつけた。

 「早く答えなさい!あなたは学校を何だと思っているの!」

 「阿久津先生。未亜は…」

 「坂本さんは黙っていなさい!関係ないでしょう!」

 ヒステリックに叫ぶ阿久津の形相に蓮実は食い下がろうとする。

 「関係ないってどういうことで――」

 「蓮実、もういい」

 小さな声は凛とした響きを持ち、教室中に響き渡った。今にも立ち上がって突進しようとしている芹河を目で制す。心配そうなクラスの皆を見回してから、未亜は阿久津の目を見た。

 「話したくありません」

 阿久津は鼻で笑うように腰に手をあてた。

 「反抗する気?まあいいわ。どうせ、精神的に辛いんですとか気弱な振りして言うんでしょう?くだらない」

 「ちょっと!」

 椅子を倒して席を立った蓮実。

 「…だったらどうなんですか」

 聞いたこともないような低い声が未亜から発せられる。阿久津を除いたクラス全員、事態の深刻さを悟った。芹河が即座に教室を出ようとする。

 「芹河君、どこに行くの!授業中でしょう!」

 ますます激昂する阿久津に、芹河はここを離れるのは逆に危険だと悟った。

 「圭、早く来い…!」

 隣の教室で授業をしていた権田も騒ぎを聞きつけてやって来た。

 「阿久津先生、一体何が…」


 「全てあなたが悪いのよ。あなたのせいで皆迷惑しているの。分かってるの?」


 その瞬間、未亜の肩が強張り、瞳が大きく見開かれた。


 ここから始まったのは、悲劇の狂騒だった。



 「ちくしょう。母ちゃんのせいで寝坊した」


 いつもと同じ風景の廊下をだらだら歩く。


 今日も平和だな


 呑気に欠伸をしながら教室に向かっていた神城圭は、突如聞こえてきた甲高い叫び声に表情を変えた。

 「な…!」


 平和ボケしている場合じゃない


 神城は地面を蹴る。教室の中に駆け込んだ神城が目にしたのは、騒然とした光景。

 「桐原…!」

 焦点の定まらない目で、未亜は教室の隅に座り込んでいた。がたがたと震える小さな体。青白い顔。


 やばい


 何より神城の心臓を凍りつかせたのは


 「桐原!ハサミを離せ!」


 芹河の緊迫に満ちた声。

 「止めて未亜!ここは華里なの!私たちはあんたの味方だから…」

 泣きじゃくる蓮実はクラスの女子達に支えられていた。

 「馬鹿なことはよしなさい!何を考えているの!」

 「阿久津先生!」

 止めようとした権田を振り切って近寄ってくる阿久津に、未亜は恐怖に顔を引きつらせる。

 「いや!来ないで。死ぬから、もう迷惑掛けないから。近づいて来ないで!」

 「未亜!」

 阿久津を権田の方に押しやった神城は未亜を名前で呼んだ。ゆっくりと未亜の視線が神城に寄せられる。両手でハサミを握り締める姿が痛々しい。切っ先は喉もとに押し当てられていた。

 「落ち着け。そのまま、何もするなよ」

 未亜の方に足を一歩ずつ進めていく神城に、未亜は首を振った。


 「ごめん、圭兄ちゃん。約束、守れない…」


 久し振りに呼ばれた名前に、呟かれた言葉に、足を止めた神城は唇を噛む。


 姉ちゃん。どうしたらいい?どうすれば、こいつを救えるんだよ


 逡巡の後に、神城はぱっと顔を上げた。この前未亜が話していたことを思い出したのだ。

 「剛!桐原に誰も近寄らせるな!」

 「分かった!」

 芹河が安全範囲の所に立ちはだかったのを確認する前に、神城は廊下に飛び出た。



 圭兄ちゃんがどこかに行ってしまった

 全てが歪んで見える

 ここは、どこ?

 そうか

 私は鳥かごから逃げることができなかった小鳥。もう自由に空を飛べない、弱い生き物


 『あなたも悪いんじゃないの?とにかくあなたのせいで皆迷惑しているの。分かってる?』


 ああ。中2の時の担任の声だ

 もう思い出したくない。思い出したくなんかないのに


 全てが忌々しい記憶に塗り替えられていく。目の前にいる芹河や蓮実でさえも、あの時の同級生に被って見えてしまう。クラス全員が嘲笑の眼差しで私を見る。


 こんなの、もう耐えられない

 もう終わらせよう


 私は握っているハサミに力を込めた。蓮実の悲痛な叫びが、他の女子たちの悲鳴に重なる。耐えかねた芹河が危険を顧みずに未亜を力ずくで止めようと腕を伸ばす。


 何もかもが無音の世界

 何もかもが白黒の世界

 もう、私は――


 「阿呆。何をしている」


 咎めるのでもなく非難するのでもなく、呆れた声。

 未亜は唯一耳に届いた声の主を探す。教室のドア近くに小埜がいた。神城は小埜の後ろで呼吸を整え、シャツの袖で汗を拭っている。

 一方、息を乱さず、汗一つかいていない小埜は未亜の持つハサミに臆することなく、ずかずかと未亜に向かう。

 しゃがみ込んで顔を覗きこむ小埜の目を、未亜は見た。


 「もう自分を傷つけるな。俺が許さない」


 はっきりとした口調で発せられた言葉は、未亜の胸の奥に響いた。


 『もう自分を傷つけたらダメよ。私が許さないから』


 そう、約束したんだ。あの人と

 傷ついて飛べない私に外の世界の素晴らしさを教えてくれて、生きることの大切さに気づかせてくれたあの人


 「小埜、先生」


 かしゃん、とハサミが床に落ちる音がした。

 「わた、し…私…」

 ふわりと確かな温もりに包み込まれる。背中を優しく撫でるのは小埜の手だ。

 「よく頑張った、桐原。もう大丈夫だ」

 宥める声の穏やかさに心が震えて未亜は小埜にしがみついた。

 「…もう殴られない?蹴られない?水を掛けられない?切られない?」

 「当たり前だ。お前にそんなことする奴がいたら、俺が殴り倒す。というかその前に止める」

 「……私、死ななくていいの?」

 その問いに対して小埜は未亜の両頬を掌で包み込み、目を合わせて答える。


 「お前には生きる権利が無いのか?違うだろ。お前が生き続けることを否定できる権利なんて誰にもない。桐原、お前にもだ。お前の体中を巡る血は、お前の意識に関わらず絶えず流れ続けている。生きようとしている体の声に気づけ。きっと――」


 未亜の脳裏に、懐かしい記憶が蘇ってきた。セピア色の思い出。


 『例えあなたが生きたくないと思っても、あなたの血が流れる体は生きようとしている。その音に耳を傾けてみて。きっと――』


 「まだ生きたい。そう言っているはずだ」


 力強い言葉を受け止めた未亜の目から、大粒の涙が零れだした。

 「ごめんな、さい。約束を破ろうとして、ごめんなさい。ごめんなさい…」

 いきなり視界が白に覆われた。体が宙に浮く。

 「謝らなくていい。お前は何も悪くない」

 低い声がやけに間近に届いた。未亜からの視点では、ただ白いことしか分からない。周囲の面々は安堵の表情に包まれており、女子の中には頬を赤く染めているものもいた。

 「陰険眼鏡の分際で!」

 しおれていたはずの蓮実は悔しげに床を叩いている。その後に「良かった…」と小さな呟きを漏らしていたことに気づいたのは芹河だけだ。

 「まさに白馬に乗った、いや、この場合は白衣を着た王子様か。今着てないけど」

 ほっと息をつきながらも神城はからかう。

 「桐原、じっとしてろ。落とすぞ」

 「え、え?」

 小埜は白衣を頭から被った未亜を抱えなおす。その振動にお姫さま抱っこの状態なのだと気づいたのか、未亜が静かになった。

 そのまま教室から出て行こうとする小埜を阿久津が呼び止める。

 「待ってください、小埜先生。桐原さんをどこに連れて行くんですか」

 「保健室で休ませます。何か問題でも?」

 「いえ…ですが、桐原さんが今後こういった行動を起こさないようにしかるべき専門家に処置して頂くべきだと思います」

 「…あなたの仰られる専門家とは、精神科医のことでしょうか?」

 腕の中の未亜が一瞬震えたのを小埜が抱えなおして安心させる。

 「それは生徒のためですか?」

 振り返った小埜は冷ややかに阿久津を見下ろした。

 「…そうです。生徒の安全を考慮すれば当然のことではないでしょうか」

 その威圧感に竦みつつも弁明する彼女は年の割りに世間を知らないお嬢さんだったようだ。自分が正しい、これは正論なのだと、そう信じて疑わない。

 ますます小埜の目つきが鋭くなる。権田や生徒達は、張り詰めた空気に言葉が出ない。

 「精神に異常のある人間を受け入れてくれる場所なら…!?」


 ガン!ベキボキッ!


 まさにそんな擬音語が似つかわしい音が教室のロッカーから起きた。その騒音を起こした張本人は、両手が塞がっている小埜。

 未亜を抱えたまま、ロッカーに目にも留まらぬ蹴りを入れて見事に穴を作った。何度も言うが穴である。変形とか金具が外れたとかではなく、穴が開いたのだ。

 突然のことにその場の全員が絶句する。ただ2人、予想していた神城と状況が分かっていない未亜を除いて。


 「ふざけんな」


 小埜の目が凶器となって阿久津先生に降りかかる。

 「ひっ…」

 眼鏡の無機質な輝きが相まって凄まじい気迫だ。この場面に遭遇したら目で人を殺せるのは本当かもしれないと誰もが思うだろう。

 「あんたの言ったことは俺からすればただの愚論だ。あんたは教師として間違っている」

 「なぜですか。私はただ…」

 「精神に異常があるのは周囲にいた人間の方だ」

 事実に気づいた阿久津が顔を青ざめさせた。


 「イジメをしていた人間、それを煽って笑っていた人間、それらを見てみぬ振りしていた人間、本来助けるべき立場であるにも関わらず、更に追い詰めた人間。人間が化け物にしか見えなくなったこいつの気持ちが、あんたに分かるのか?イジメられている奴らは人間として正常なんだ。真っ直ぐに生きようとしてるこいつが、異常者扱いされなきゃいけない理由なんてどこにも無いんだよ」


 俯いて黙った阿久津に止めの言葉を吐き捨てる。

 「あんたが精神科に行った方がいい」

 場が更に静まりかえる中、小埜は権田に軽く頭を下げる。

 「すいません。ロッカーと中の掃除用具の購入費は僕の給料から差し引くよう、教頭先生に伝えておきます」

 「き、気にするな。元々ガタが来てたんだ。ちょうど新しいのを申請しようとしてたところだ」

 「そうですか。では、僕はこれで失礼します」

 黒いシャツを着た小埜が白衣を被った未亜を抱えて出ていくのを見送った権田は、ふと首を傾げた。

 「ロッカーはともかく、掃除用具って…」

 穴の空いたロッカーを開けた権田は驚きの声を上げる。

 「ぬわっ、何じゃこりゃ!?」

 「へえ。あの先生結構やるじゃん」

 神城は口笛を吹いて小埜の後を追って行った。まだ授業中だと、権田は引き留めることすら頭に無かった。阿久津は腰が抜けたのか、床に座り込んでしまう。

 「嘘…」

 ロッカーの中にまとめて仕舞ってあったモップの柄。それらは3本とも、見事に真っ二つに折れていた。変形するならまだしも鉄パイプのような加工をされた柄が折れるなんてことはめったにない。

 権田はこう呟くしかなかった。


 「…小埜先生の給料から引こう」



 休養室から出てきた小埜は白衣を羽織りながら歩く。

 「小埜先生、桐原は…」

 神城が椅子から立ち上がって小埜に尋ねる。

 「泣き疲れて寝た」

 事務口調で答えた小埜はコーヒーを入れにシンクに。

 「そっか。どうなるかと思ったけど、小埜先生が保健室にいてくれて助かったよ」

 「おい、俺はカウンセラーでも交渉人でもないんだ。どうして権田先生を頼らなかった」

 「タコ先?役に立たないよ。桐原の事情を知ってるからこそ、どうすればいいのか考えあぐねるから。そもそもあの二人、相性合わない」

 あっけらかんと言い放った神城に、むしろ清々しさを覚える。

 「それに、今の桐原に必要なのは小埜先生みたいな人なんだ」

 「俺が?」

 「桐原が前に言ってたんだ。『小埜先生は未唯さんに似ている』って。俺はそうは思わないけど、多分桐原にしか分からないことなんだと思った。…心に深い傷を負った者同士にしか分からないものがあるって事を、俺は知ってるから」

 「神城、お前の姉は――」

 生徒のプライバシーを詮索するのは良くない。そう考えた小埜は口を噤む。コーヒーの入ったコップを持ってシンクを離れた。

 「…約束したんだよ。姉ちゃんが都会の会社に就職することが決まって、家を出るときに」

 小埜は神城の斜め前の椅子に腰掛ける。

 「桐原は姉ちゃんと『今を生きる』って約束を。俺は『いつか本当のヒーローが現れるまで、未亜のことを守る』って約束を」

 「お前たちは本当に仲が良いんだな」

 「まあね。桐原は俺と姉ちゃんにとって可愛い妹なんだ。高校に入るまでは圭兄ちゃんって呼ばれてたし」

 保健室に血相を変えて飛び込んできた神城を思い出す。


 『未亜を助けてくれ!』


 まるで、血の繋がった妹を想う兄のようだった。それほど強い絆で結ばれているのだろう。まだ子供なのに多くのものを背負っている。それでも真っ直ぐに前を見て、生きようとしている。

 なのに

 「俺は…」

 「え?何か言った?」

 聞き直す神城に、小埜は首を振った。

 「…いや。何でもない」


 俺は、最低な人間だ



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