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真っ白な愛を君に  作者: mia
本編
2/14

第1話 無気力系契約


 「未亜、保健室行きなって」

 「面倒くさいから嫌だ」

 「だってもう限界でしょ?禁断症状が出てるもん」

 「人を薬物中毒扱いしないでよ」


 後ろの蓮実を振り返った未亜は、鼻と口を覆うようにハンドタオルを押し付けていた。教室の中は冷房が効いているのにもかかわらず、未亜の額にはうっすらと汗が滲んでいる。

 夏休みの間、1週間に3回ある補講。

 冷房を使用するために窓は閉め切られているので未亜にとっては苦痛でしかない。いつもより息がしづらく感じるのだ。

 鼻からだけでは不十分で口を開けて呼吸しなければいけないため、こうしてハンドタオルで口と鼻を覆っているのだ。授業が終われば真っ先に窓を開けに走る。


 「またやってる。華里の空気がそんなに美味しいのか?」

 「圭、からかうな。だいぶ頑張っているみたいだな。ここ最近は」


 蓮実と窓際で新鮮な空気を思い切り味わっていると神城と芹河がやって来た。

 「変な所で意地を張るのよ、この子。あんた達からも何とか言ってやってよ」

 「何とかって言われてもだな。本人が行きたくないって言ってるんだぞ」

 「そういえばさ、あの保健の先生、仮病使って休みに来た奴らを容赦なく追い出したって。その中に演劇部の奴もいたんだけど、一瞬でばれてやんの」

 可笑しそうに笑う神城を横目で見遣りながら、未亜は窓から入ってくる生暖かい風を受ける。


 あらあら

 私の逃げ場所がどこにも無くなってしまった


 「…どこか遠くに行きたい」

 「どこに行きたい?お盆休みに海でも行こっか。水着でも買って」

 「海…?日焼けするし。面倒くさい」

 「桐原に海は合わなさそうだもんな。じゃあさ、俺の家に遊びに来たら?ちょうど盆休みに姉ちゃんが帰ってくるかもしれないんだ」

 神城の提案にげんなりしていた表情だった未亜は目を輝かせた。

 「未唯さんに会えるの?本当に?」

 「む。あたしの未亜が奪われる予感」

 「仕方ないじゃないか。圭のお姉さんは、桐原の人生を変えてくれた人なんだろう?」

 焼きもちを焼く蓮実の隣で、芹河は諭すように言った。

 「確かに未唯ねえは凄い人だよ。数々の神城伝説は弟くんのおかげで、まだ途絶えてないもの」

 「おい、俺のことはいいだろ。で、どうする?」

 「行くに決まってるよ」

 「分かった。忙しかったら無理になるらしいけど、帰ってきたらメールする。お前らも来るだろ?」

 「もちろんよ」

 「俺はまだお目にかかった事がないからな。ついに華里七不思議に謳われている神城姉に会えるのか」

 「人の姉貴を怪奇現象扱いするな。それとまだ会えるとは決まってない」

 「おいお前ら、席につけい。いとをかしな古文の時間が始まるぞ!」

 勢い良く開いたドアから、太陽のような頭の権田が現れた。

 「げっ、次タコ先かよ。だりぃな」

 神城の言葉に、地獄耳の権田が反応する。未亜は迫り来るであろうものに対処して静かに窓を閉めた。

 「俺は権田だ!お前という奴は、お前という奴は、どこまであいつに似れば気が済むんだぁあああああ!?」

 キーンと耳鳴りがするほどの大声にクラスの皆は慣れたように耳を塞いでいる。中には準備良く耳栓をしている生徒もいた。



 「…何だか騒がしいな」


 保健室でコーヒーを入れていた小埜は、聞こえてきた怒声に顔を上げる。黒いワイシャツの袖をまくり、シンクに立っている小埜以外にこの部屋には誰もいない。

 「…眠い」

 大きな欠伸をして湯気が立ち込めるコップを手に、作業をしていたパソコンに向き合う。カタカタとキーボードを打つ音だけが部屋に響く。



 チャイムが鳴って30分程経った時のことだった。


 「小埜先生急患だ!」


 緊迫した声に続いて保健室のドアが、壊れるんじゃないかと思うほどの音を上げた。

 「ちょっと、ドアを壊さないでもらえますか」

 回転椅子に腰掛けていた小埜はくるりと体の向きを変えて瞬時に表情を変えた。真っ青な顔をした女子が権田に負ぶわれていた。ぐったりとしていて左腕は力なく空に揺れている。

 問題は右手にあった。まるで自分を殺すかのように、ハンドタオルで口と鼻を押さえつけている。

 息苦しそうな呻き声が漏れている。

 「止めろと言っているのに聞かないんだ。『息ができないから』なんて、こいついきなりぶっ倒れやがって…!」

 「すぐに休養室に横にさせてください」

 小埜は立ち上がって白衣を身にまとう。引き出しから紙袋を取り出して休養室に素早く向かった。

 「後は僕に任せてください。権田先生は授業に」

 「お、おう。桐原を頼んだ…!」

 権田は急ぎ足で保健室から出ていった。

 「大袈裟、なのよ、みんな。大したことないって、言ってるのに…げほっごほっ」

 身を起こした未亜は背中を丸めて咳き込む。

 「喋るな、寝てろ。まずはそのタオルを離せ」

 小埜は奇妙な笑みを浮かべるパンダがプリントされたハンドタオルに手を伸ばすが、離そうとしない。

 「おい、放せ」

 「うっ…」

 首を横に振り続ける未亜の体から大量の汗が吹き出す。


 「桐原」


 ふわりと消毒液の匂いが未亜を包み込んだ。

 「あ…」

 心地良い温もりの中、宥めるように背中を撫でられ、全身から力が抜ける。くらりと眩暈がした。

 小埜はさっとハンドタオルを取り上げ、代わりに紙袋の口を押し当てた。

 膨らんだり凹んだりを繰り返す紙袋を焦点の合わない瞳が眺める。

 「過呼吸だな。急に大量の酸素を取り込んで呼吸困難をもたらす。対処法は、ただ二酸化炭素を吸えばいい」

 抑揚の無い声に未亜の視線が小埜に寄せられる。眼鏡越しに目が合った。呼吸が穏やかになってきた所で紙袋が取り除けられた。

 「もう大丈夫だな。大人しく寝ていろ」

 がさつに肩を押された未亜は力なくベッドに倒れこむ。小埜に毛布と布団を掛けられ、一気に眠くなってきた。程よい解放感に大きく息をついて目を閉じた。



 控えめなノックの後、権田が顔を出す。

 「あの、桐原は…」

 熊みたいな図体をしてか細い声を出されると違和感を感じる。

 「大分落ち着きました。今寝ています」

 小埜は二人分のコーヒーを机に置き、椅子を勧める。

 「授業は自習にしてきた。小埜先生にどうしても言わなきゃならんことがあって」

 「僕にですか?」

 「ああ……桐原のことだ。今までは花ちゃん先生に任せ切りで、俺は何もしなかった。いや、できなかったんだ。花ちゃん先生がいなくなってあいつは保健室に行かなくなったが、もう大丈夫なんだと勘違いしていた。これから俺が話すことは、小埜先生の胸の中だけに仕舞っておいてほしい」

 深刻な表情で話し始めた権田。小埜はただ、黙ったまま頷いて先を促す。

 「桐原は中学3年生の時に華里に引っ越してきたんだ。この町にやって来たあいつは、酷い有様だったらしい。まともに人と話すこともできず、突然奇声を上げて暴れだし、自分を痛めつける毎日を繰り返していた」


 やっぱり、あいつのあの瞳は――


 何かを悟ったように目を伏せた小埜に、権田は続ける。


 「……桐原は、前の中学校でイジメを受けていたんだ」



 ――そう、きっかけは何でもないことだった。

 2年生の時、同じクラスのある男子から告白されて「ごめんなさい」と断った。彼は笑って「いいよ」と言ってくれたけど、そんなやり取りが瞬く間に学年中に広まっていった。


 彼は優しい人で、頭も良くて運動もできて、女子全員の憧れの的だった。そんな彼から告白をされた冴えない私を許せなかったのだろう。


 最初はシカトから始まった。

 仲の良かった、友人だったはずの子達も私から離れていった。そのうち、上靴や教科書が無くなるようになった。

 先生がいるところでは何もないように見せかけて休憩時間に放課後に、彼女達は私を壊しにやってきた。ただの嫉妬だったものが、徐々に異質なものに変わっていく。

 彼がイジメに気がついて止めるよう言ってくれたけれど、それすら逆効果となった。増えていく醜い痣。腕に脚に、お腹に背中に。顔は避けて。

 私は腕や足を隠すようになった。夏の暑い時でも長袖長ズボンの体操服。一年中黒タイツをはいて、見苦しい痣が見えないように。

 先生たちは何も言わなかった。気づいていて、何も言わなかった。

 両親は共働きで、二人とも家に帰るのは遅かったし、何より余計な心配を掛けたく無かった。痣について聞かれても「転んだだけ」と答えると納得して、二人とも仕事に行く。

 そして私は学校へ。

 泣いて許しを請うことも、怒ってやり返すことも、とうに諦めた。ただ人形のように蹴られ、殴られ、罵られ。

 皆が私を嘲け笑って見ている。

 もう白黒の世界で生きたくなかった。

 そしてある晩、私は洗面台で手首を切った。意識を取り戻した私が最初に見たのは、両親の泣き顔。

 

 ごめんなさい

 ちゃんと死ねなくて


 私がそう呟くと、母は泣きながら謝り続けていた。


 二人とも仕事で忙しいのに迷惑掛けてごめんなさい

 私なんか、生まれてこなければ良かったのにね


 そう言うと、父は黙って私を抱き締めた。


 間もなくして、学校側が謝罪にと病室に来たけれど私は会いたくないとはねのけた。クラスの皆がお見舞いに来たけれど、顔も見たくないと拒否をした。

 謝罪も慰めも同情も要らない。

 引越しが決まって、私は両親を介して一通の手紙を学校に送った。

 真っ白な便箋には赤い文字でただ一言。


 〈楽しかった?〉


 教頭が皆の前でそれを読みあげた時、教室中が凍りついたらしい。でもそれで気が晴れることは無かった。

 

 華里に越してきても心をなくしたままの人形は部屋に閉じこもっていた。夜中に暴れだす娘を父は必死に止めようとし、母はどうすることもできずに泣き崩れていた。


 全てが壊れているようにしか思えなかった世界に、あの人は突然現れた。


 『――もう自分を傷つけたらダメよ。私が許さないから』


 いきなり私の部屋に現れた彼女。私にとって、勇者のようだった。私を本当の妹のように思ってくれて、本気で叱って、本気で心配して、本気で愛してくれた。

 いつだって現実と向かい合って、そして広い大空を飛び回る鳥のように自由に生きていた。彼女は愛を信じないと言っていたけれども、私は彼女の無償の愛に救われた。


 華里に住む人たちは優しくて、個性的な人ばかり。やっと手に入った穏やかな日々。

 だからこの均衡を壊したくなくて、私はただ毎日を平凡に生きることにした。


 でも息苦しい。

 時々、教室が鳥かごのように感じて、押しつぶされそうになる。

 そんな時は


 『桐原さん、いらっしゃい。ベッドに行く?それとも、私と一緒にお茶でも飲む?』

 

 穏やかな声が耳に木霊する。花ちゃん先生だ。


 お茶飲みたい。花ちゃん先生のスペシャルブレンドティー


 『分かったわ。座って待ってて』


 ねえ、花ちゃん先生。


 私は、いつになったら強くなれるのかな。

 どうしたら、私の憧れるあの人のように自由に生きられるのかな。



 目を開くと真っ白な天井が広がっていた。手を天井に向かって伸ばし、息をつく。

 「起きたか?」

 シャッとカーテンが開けられ、小埜が顔を覗かせる。

 「すいません、私…」

 身を起こそうとした未亜を、小埜が手で制す。

 「いいからまだ寝ていろ。じきにお前のお袋さんが迎えに来る」

 「母に言ったんですか?」

 「権田先生が電話したんだ。貧血で倒れたっていうことにしてあるから、話合わせろよ」

 ベッドの端に腰掛け、小埜は未亜の額に手を添える。

 「熱はないな」

 ひんやりとした手に目を細める未亜を小埜は見る。

 「な、何ですか」

 じっと見られると落ち着かない。目を逸らしかけた未亜の顔に何かが被せられた。

 「ぶっ」

 奇妙な笑みを浮かべたパンダ。未亜のハンドタオルだ。

 「何するん、」

 「1ヶ月に2回だ」

 唐突な言葉に、ハンドタオルを顔に被せたまま未亜は首を傾げる。

 「何の話ですか?」

 「生憎、俺は花岡先生のような寛容な養護教諭ではない。だが今後、またこういったことがあっては俺も困る。だから保健室の利用は1ヶ月に2回までだ」

 「…それって、1ヶ月に2回はサボりに来てもいいってことですか?」

 ハンドタオルから顔を出した未亜に、小埜は軽く頭を小突く。

 「阿呆かお前は。我慢できなくなったら来いってことだ。ピンピンしてるのに保健室に来たら、担任の権田先生に報告するぞ」

 「えー」

 残念そうな表情の未亜を、小埜が呆れたように見下ろす。

 「何がえー、だ。契約は守れよ。何なら誓約書でも書くか?」

 「いやですよ。面倒くさい」

 「そうか、俺も面倒くさい。今からお前の鞄を引き取りに行って来る。大人しくしてろよ」

 「あ、小埜先生」

 欠伸をして休養室から出て行こうとする小埜を引き止める。

 「まだ何か用か」

 「…ありがとうございます。権田先生の長ったらしい話を最後まで聞いてくれて」

 「お前、起きていたのか?」

 「ううん。でも、小埜先生が契約なんか持ち出すっていうことは、そうなんでしょ?」

 「大変だったんだぞ。声大きいし、いきなり怒り出すし、終いには泣き出すし。お陰で開けたばかりのティッシュが1箱無くなった」

 「タコ先らしい」

 くすくすと笑う未亜は、ドアの側にいる小埜に手を振る。


 「これからよろしくお願いします、小埜先生」

 「勘弁してくれ」


 小埜は面倒くさそうに頭を無造作に掻いた。


 こうして、無気力系契約は結ばれたのだった。



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