第百六十七章 あやまち
『猫耳猫』に関することに限定すれば、俺は記憶力には自信があるのだが、流石に50問のクイズの答えを全て暗記してはいなかった。
簡単攻略法2でこのクエストをクリアしたのは、確か三周目か四周目のデータ。
wikiを見ることに昔ほど抵抗がなくなっていた時期だ。
誤答問題については問題と答えを見比べてひとしきり笑ったのではっきり覚えているが、それ以外の問題についての記憶は正直うろ覚えだった。
とはいえ、普通のクイズならレイラ、セーリエさん、真希の三人がいれば簡単に解ける。
誤答問題以外の問題は、この三人に任せてしまっても大丈夫だろう。
それを三人に伝え、問題を解いてくれと頼むと、全員快く引き受けてくれた。
「ん。いいよー」
と真希が軽く了承すれば、
「ここまで来たのですから、今更になってやめろと言われる方が困ります」
セーリエさんが眼鏡の位置を直しながら心強い言葉を口にして、最後、レイラは、
「うん、任せて。私には、ソーマがくれたこの本があるから、大丈夫」
言いながら、開いたままの日記のページを愛おしげになでた。
三人で使ってもらおうと代表としてレイラに託しただけで、別にレイラにあげたつもりはさらさらないのだが、彼女の中ではそういう風に脳内変換されていたらしい。
よくよく思い返すと、三人は仲良くあの日記を読んでいるように見えて、日記を持っているのは常にレイラだったような気はする。
(……まあ、いいか)
これだけ大事にしてくれたらなくしたりはしないだろうし、サザーンと違い、レイラなら返してくれと言ったらすぐに返してくれるだろう。
ともかく、これでこのクエストのクリアも時間の問題だ。
その瞬間を早く迎えるために俺も手伝いをしようと思ったのだが、
「そーまが見てるとみんなの気が散るから、向こうで待っててよ」
との真希の言葉を受け、俺は誤答問題の答えを書いた紙を三人に渡し、残りのみんなと一緒に閲覧室までもどることにした。
閲覧室はあいかわらずの惨状だった。
ぐてーっとしたけだるい空気に当てられ、俺たちもなんとなくだらけた気分になる。
「ふわぁぁ。なんか、わたしまでぼーっとして、眠くなってきちゃいました」
イーナが大きなあくびをして、テーブルに頬をつける。
まったく、影響されやすい奴だ。
ほかの仲間はどうかとみると、ミツキは常と同じように背筋をぴんと伸ばし、姿勢よく座っている。
体調不良が心配されたリンゴは、今はいたって元気そうに、はむはむと何か食べていて……って、
「リンゴ、お前、一体何を食べてるんだ?」
「…おまんじゅう。おばあちゃんが、くれた」
いや、そういうことを尋ねた訳じゃなかったんだが。
おばあちゃんってあれか。
さっき神社に行く途中に助けたおばあちゃんか。
リンゴは俺たちが図書館にもどった時にはすでにおばあちゃんを家に送って、帰ってきていた。
幸いなことにおばあちゃんの症状は大したことがなく、ポーションを適当にぶつけたら治ったそうだが、それにいたく感激したおばあちゃんが家にあったおまんじゅうをお土産にくれたらしい。
どこの世界でもおばあちゃんがくれるのは和菓子と決まっているのか。
いや、そもそもここは飲食禁止ではなかっただろうか。
「…ソーマも、たべる?」
「あ、ああ」
それでも流れでなんとなくおまんじゅうを受け取りそうになったところで、俺はちょっとしたことに気付いた。
「あれ? リンゴって、右手に指輪はめてたっけ?」
あまり他人の指輪を見る習慣はないが、リンゴはたまに自分のしている指輪を眺めていることがあるので、なんとなく覚えている。
リンゴは確か、指輪を二つとも左手につけていたはずだ。
「…つ、つけてない」
だが、リンゴは俺の質問に、まずいことを訊かれた、とばかりに右手を引っ込めた。
よく分からないが、怪しい態度だ。
俺が首をひねっていると、めずらしく面白がるようにミツキが口をはさんできた。
「今度、リンゴさんには指輪をプレゼントしてあげたらどうですか?
七つ、いえ、八つほど似合いの物を差し上げたら、きっと喜ぶでしょう」
「…み、ミツキ!」
またリンゴが声を張り上げた。
どうやら二人の間には俺には分からない何らかの了解があるらしい。
もしかして、女性陣にだけ通じる何かがあるのかと隣のイーナを見てみると、
「ふぇ?」
イーナは眠そうな顔でこちらを見上げるだけだった。
……うん。
もし仮にそういう何かがあったとしても、イーナだけには伝わっていないようだ。
分かりやすく焦るリンゴの態度を見ると、あまり強く追及するのもためらわれる。
俺はなんとなく二人から視線を外し、周りを観察した。
図書館利用者の無気力っぷりはあいかわらず。
まともに活動しているのは目につく限りでは二人しかいない。
その片割れ、僧侶風の女性の方に目を向けると、彼女はちょうど分厚い本で作ったドミノを倒しているところだった。
「――ハッ!」
彼女は最後まで倒れた本を見てガッツポーズを取っていたが、俺の視線に気付くと急に難しい顔をして、なるほど、みたいにうなずいていた。
いや、本の倒れ方から一体何を学ぼうというのか。
やれやれ、と思いつつもう一人の生存者、魔術師風の男の方を見ると、これでもうひと踏ん張り、ということなのか、栄養剤代わりにポーションを一気飲みしていた。
目が合うと、にやりと男くさい笑みを返される。
……ほんと、飲食禁止のルールどこ行った。
この世界におけるポーションの万能性と、図書館内のモラル低下も気になるところだが、俺には気がかりがもう一つあった。
それは、今も頑張ってクエストに挑んでいるだろうセーリエさんのこと。
『猫耳猫』では、MPがゼロになったキャラクターは、HPがゼロになった時と同じように死ぬ……ということはないが、行動不能にはなる。
滅多にないが、魔法でぴったりMPを使い切ったり、MPダメージをくらってMPがゼロになった場合、自然回復や回復アイテムでMPが1以上になるまで気絶状態になって操作不能になる。
例えば、この仕様を利用をすれば空中都市のとあるモンスターをハメて封殺することも……という話は今は関係ないのでおいておくが、MP不足のリスクというのは厳然と存在する。
この世界の仕様は分からないが、筋肉痛がHPポーションで治る世界だ。
なら反対に、寝不足がMPダメージ系の状態異常扱いされてもおかしくはない。
「セーリエさん、また倒れたりしてないといいけど」
俺が思わずつぶやくと、
「ありがとうございます。ですが、ご心配には及びません」
「うわぁ?!」
後ろから声が聞こえて、俺は飛び上がった。
さらに、
「もぅ! セーリエさん抜け駆けずるいー!」
「自分は、図書館では走るなって、言った癖に……」
後ろから真希と、息を切らしたレイラがやってくる。
彼女たちの恨み言に対して、
「この図書館を早歩きで移動する方法なら、わたしが世界で一番詳しいと自負しておりますので」
そんな台詞と共に眼鏡を光らせるが、かっこいいかどうかは微妙なところだ。
だが、この三人がやってきたということは……。
「もしかして……」
俺が言いかけると、三人は口々にしゃべりだした。
「うん! 『智を知るモノ』のリドル全五十問、全部解けたよ!」
「最後の問題だけ、答えを入れたところで止めてあるから、あとは決定ボタンを押せばクリアだよ!」
「その瞬間はぜひソーマ様たちにも立ち会って頂きたいので、こうして呼びに来た次第です」
やり遂げたという高揚感からなのか、三人の口はいつもより軽い。
特にレイラは、三人の中でも特に嬉しそうだった。
「そ、ソーマ! わ、私、頑張ったよね?」
ちょっと不安そうに問いかけてくるレイラに、俺は大きくうなずいた。
「ああ。レイラも、真希も、セーリエさんも、よく頑張ったな」
俺が言うと、レイラは日記を抱えたまま、くねくねと身をよじった。
「そ、それほどでも、ないよ。やっぱり、ソーマがくれたこの日記のヒントがあったから……」
「その本、今回は一回も使ってないけどねー」
真希が冷やかに言うが、レイラは聞いていない。
セーリエさんにでも止めてもらおうかと横を見ると、
「いえ、わたしは、このくらい、そんな、お褒めにあずかるほどでも。
そもそも罪滅ぼしのためのことですし、こんなもの、水没王子様の功績に比べれば、豆粒ほどの、その、決して嬉しくない訳ではなく……」
セーリエさんは一秒に三回くらいのペースで眼鏡を直しながら何かぶつぶつ言っていた。
ちょっと怖い。
「と、とにかく二人とも、落ち着こうか。
ほら、周りの人にも迷惑だろうし……」
俺が言うと、辺りを見渡した真希が変な顔をした。
「周りの人に迷惑って、真面目に勉強してる人、だーれもいないみたいだけど?」
「い、いや、それはそうだけど、ほら、あの魔術師の人とか……」
そう言って、俺はこの図書館の最後の良心、あの魔術師風の男の人を示そうと思ったのだが、
「あれ? いない……?」
魔術師の男性がいたはずのテーブルには、何もなくなっていた。
当然、男の姿はない。
「だれもいないじゃん!」
「いや、さっきまでは……」
そう、言いかけた瞬間だった。
「じ、地震!?」
ゴゴゴゴ、という地響きを立てて地面が揺れる。
「いや、違う! これは――」
この振動と音には覚えがある。
大げさな演出だから、よく覚えていた。
「――これは、地下への入り口が開く時の振動だ!」
俺が叫んだ言葉に、全員が驚愕に目を見開く。
そんな中、一人動じなかったリンゴが、俺の服の裾を引っ張った。
「さっき、あのひと、おくに……」
リンゴの視線が魔術師がいた場所を一瞬だけ捉え、すぐに地下室への入り口の方向を向く。
それだけで十分だった。
「しまった!!」
「そういう事ですか!」
俺とミツキは同時に叫んで顔を見合わせると、まったく同時に走り出した。
(油断、していた!)
そもそも、ここに魔道書があるというのは、魔術師ギルドで得られる情報だ。
そこまでなら、彼らがつかんでいてもおかしくはない。
ネクラノミコンの無事を確かめたくらいで気を抜くべきではなかった。
あの魔術師は、おそらく魔術師ギルドの人間だ。
正攻法ではネクラノミコンが手に入らないと考えたのか、単純に図書館でネクラノミコンを探していたのか、とにかくあいつの目当てはネクラノミコンだったのだ。
そして、俺たちの会話を盗み聞きして、行動におよんだのだろう。
(くそ! 最初から疑っていれば、捕まえることも出来たのに!)
そんな後悔が生まれるが、ここで愚痴っても何にもならない。
まだ間に合うかもしれない。
俺は狭い図書館の中をミツキと並んで全力疾走する。
地面の振動はもう止まっている。
俺たちが招きスフィンクスの許に着いた時、地下室の入り口はもうその口を大きく開いていた。
「やっぱりか!」
魔術師の姿はない。
もう地下室に入っていったようだ。
だが、焦ることはない。
地下室の中は行き止まり。
逃げ場はない。
「突入するぞ!」
俺たちは追いついてきた仲間たちと共に、地下室の中になだれ込んだ。
地下室に飛び込んだ俺たちの目に入ったのは、ネクラノミコンが安置されていた台座。
当然のように、その台座の上には今は何も置かれていない。
そして、その横に立っているのは、あの魔術師の男。
「動くな!」
俺が叫び、ミツキが動き出そうとするが、それよりも相手の方が早かった。
「チッ!」
舌打ちをすると腰のポーチから小さな光る石を取り出す。
「転移石っ!? ミツキ!」
俺の声が届くより早く、ミツキは動いていた。
暗闇にまぎれ、捉え切れないほどの速度で地を這うように進む、お手本のような強襲。
だが、ほんの一瞬後、ミツキが台座の近くに迫った時、
「……逃げられ、ましたか」
すでにその場から男の姿はなくなっていたのだった。
壁にかけられた松明だけが照らす薄暗い地下室に、重苦しい空気が満ちる。
「図書館では、転移系アイテムは使えないはずなのに……」
セーリエさんが悔しそうに言うが、俺はそれを否定した。
「いや。残念ながら、ここはもう図書館の中じゃない。
転移アイテムも普通に使えるはずだ」
「そん、な……」
めずらしく悔しそうな表情をあらわにして、セーリエさんが唇を噛む。
だが、俺にも慰めの言葉をかける余裕がなかった。
自分のミスで、相手を捕まえる絶好のチャンスを逃してしまった。
そんな自覚が、俺を苛んでいたのだ。
しかし、責任を感じているのは、俺だけではなかった。
「……私の、せいだ」
ぽつりとつぶやいたのは、レイラだ。
レイラはおぼつかない足取りで、もう何も残っていない台座に近付くと、がっくりとそこに崩れ落ちる。
「私が、私が褒めてもらおうなんて思ったから……。
私がソーマを呼びに行こうなんて言わなければ、こんなことには……」
ぽたり、ぽたりと涙が滴となって地下室の冷たい床を濡らす。
そして、レイラだけではなかった。
「そんなの、そんなのわたしも同じだよ!
そーまを呼ぼうって言ったのは、わたしも、同じだし、だから、わたしも……」
真希がそう言って前に進み出ると、
「それなら、私も同罪、いえ、もっとひどいです。
贖罪と思って始めたはずなのに、問題が解けたことに浮かれて、見張りを置くことにすら思い至らなかった。
罪の重さで言うなら、わたしが、一番……」
セーリエさんまでうなだれ、自分の罪を告白する。
狭い地下室に、彼女たちの嗚咽が響いた。
まさか、みんながここまで思いつめるとは思いもよらなかった。
俺は焦って、慰めを口にしようとした。
「ま、待ってくれよ! みんな、そんなに――」
だが、
「――申し訳、ありませんでした!!」
俺の言葉を圧するほどの強さで、そう名乗り出た者がいた。
「ミツ、キ……?」
今回のことでは失態を犯していないはずのミツキが、大きく、大きく、頭を下げていた。
当然、その先についている猫耳も、深く頭を垂れている。
本気で謝罪をしているのだと、それだけで分かった。
「…ごめん、なさい」
「リンゴ!?」
さらに、ミツキの横に立って、リンゴまでが深々と頭を下げた。
一体何が起こっているのか、俺には理解出来なかった。
深く頭を下げたまま、ミツキが語る。
「今回ばかりは、私とリンゴさんも同罪です。
誓って申しますが、こんな大事になるとは想像もしていませんでした。
ですがどちらにせよ……私達が、貴女達を裏切っていたのは事実です」
突然の告白に、その場にいるミツキとリンゴを除いた全員が、驚きの表情を見せる。
俺は混乱しながらも、ミツキに尋ねた。
「裏切ってたって、どういう、ことなんだ?
まさか二人とも、あいつが魔術師ギルドの手先だって気付いて……」
そこで、ミツキはようやく顔を上げた。
そして俺を、悲しいというより哀れなものでも見るように一瞥して、レイラたちに向き直る。
「私が多くを語るよりも、見てもらった方が早いでしょう。
レイラさん。貴女が大事に抱えているそれを、ひっくり返してよく見てくれませんか?」
不思議そうな顔をしたまま、レイラはその通りにした。
地面に崩れ落ちても決して手放さなかった胸の中のそれを手の中で回転させ、眺める。
それを、横にいた真希とセーリエさんも覗き込んだ。
そして、
「……え?」
「……は?」
「……あぁ、このパターンかぁ」
レイラとセーリエさんが呆けたような声を、真希があきらめ切ったような声を、それぞれに漏らす。
「ど、どういうことなんですか?!
レイラさんの持ってる日記が、一体どうしたんですか?!」
立場的にも立ち位置的にも一人だけ置いていかれたイーナが、俺の腕を揺すった。
「ああ、いや、うん。あの日記は、ね――」
そう。
あれは、日記だ。
ゲーム制作者の一人がお遊びで作った、彼自身のことが書かれた日記。
もう少し詳しく言おう。
それは、内気で暗い性格の独身男の悲哀と愚痴をこれでもかと詰め込んだ、自虐日記。
――そのタイトルを、『根暗の未婚』と言った。
大切な物はあなたのすぐ近くに!