第百十二章 最後に残ったもの
あの魔王の声が聞こえなくなってからしばらくの間、俺は虚脱感から一歩も動くことが出来ず、その場に立ち尽くしていた。
もう耳元からイーナの声は聞こえない。
だが、魔王の声が聞こえたということは、プロポーズイベントは無事に成功したということだ。
少なくとも今はもう、それを信じることしか俺に出来ることはない。
現状を認識して、ようやく少しだけ、周りに気を配る余裕が出てくる。
「リンゴ」
振り向いて、名前を呼ぶ。
「……ソーマ」
リンゴは無事だった。
ただ、俺が呼びかけるとなぜかうつむいて、それきり動こうとしない。
「リンゴ…?」
その反応に俺が首を傾げた時、俺たちの所に凄まじい速度で何かが近付いてきた。
「ミツキ!!」
「良かった。皆無事でしたか」
イーナを保護しに行ったはずのミツキだった。
俺たちを見て安堵の息をつくミツキだが、それはむしろこちらの台詞だ。
「それよりも、ミツキの方こそ大丈夫だったのか?
お前の所には、あの雷は……」
「問題ありません。氷雨流の奥義の一つに、雷切という技があります」
「……え」
どうもこいつ、呪いの雷を切っちゃったらしい。
あれってそういうレベルの話なのか、と疑問に思わずにはいられなかったが、まあ猫耳だし、スタッフからの優遇を受けていたのかもしれない。
少なくともゲームでも結婚可能キャラのはずのミツキが時間停止を免れていた以上、何らかの対応策はあったと考えるべきだろう。
いや、流石に切ったとかいう解決法は予想外だったが。
「……ふぅ」
だが、この一件のおかげでいい具合に力が抜けた。
身勝手だとは思うが、俺の仲間の無事が確認出来て、ホッとしたというのもある。
『魔王の祝福』イベントは、プレイヤーの結婚相手、そして、ゲーム中の全ての結婚可能キャラクターに時間停止の呪いを施す。
くまは……まあ論外として。
元のシェルミア王女が結婚可能キャラでなく、ゲームシステムからも外れているリンゴ。
結婚可能キャラではあるが、ゲームでも結婚イベントの影響を受けなかったミツキ。
この二人の無事は確認した。
ついでに言えば、シェルミア王女のポジションにいるはずの真希もおそらくは大丈夫だろう。
だが、ほかの人たちは……。
「……確かめないと、な」
それがこの事態を引き起こした俺の、最低限の義務だ。
「何があったのですか?
異常事態だと考えて戻ってきてしまいましたが、もし……」
「話は後だ。とりあえず、街の中に行こう」
威嚇するように猫耳を立てて話し出すミツキを制し、動揺する商人たちをかき分けて、俺は街の入り口に向かおうとする。
だが、
「……リンゴ?」
なぜか、リンゴがついてきていない。
振り返ると、リンゴは最初の場所から一歩も動かず、沈鬱な表情で自分の手を見下ろしていた。
肩に乗ったくまがつんつんと顔をつついているのに、全く反応しようともしない。
「リンゴ!」
俺が叫ぶと、ようやく顔を上げた。
街の入り口近くまで移動していた俺と目が合うと、リンゴはハッとして左手を背中に隠した。
よく分からないが、何か問題があったのは確かなようだ。
駆けもどって、声をかける。
「リンゴ、大丈夫か? もしかして、何か……」
「……なにも、ない」
だが、そう口にするリンゴの顔は、いつもの無表情と比べても明らかに硬い。
「そうか? もし何か困ったことが……」
「ない。……だいじょうぶ」
重ねて尋ねても、リンゴはそう繰り返すだけだった。
俺がさらに何か言おうかと迷っていると、
「…まちに、いくの?」
「え? あ、ああ」
「…なら、はやくいくべき」
リンゴは俺の手を取ると、先に立ってずんずんと歩き出した。
「あ、おい。そんなに引っ張らなくても……」
声をかけるが、止まらない。
離すものかとばかりに俺の手をきつく握りしめ、どんどんどんどんと先に進んでしまう。
ただ、気のせいだろうか。
俺の手を強く強く握りしめているリンゴの手は、かすかに震えているように感じた。
もちろん、すぐに俺たちはミツキと合流し、
「なるほど、だからあのタイミングでもどってきたのか」
「はい。迷いましたが、貴方の無事を確かめるのが第一だと思いましたので」
歩いている間に、ミツキから少し事情を聞くことが出来た。
イーナの救出に向かっている途中、ミツキもやはり魔王の言葉を聞いたらしい。
その不吉な言葉に身構えたところに、突然の雷。
それは何とか切り抜けたものの、この時点で異常事態が起こったと判断し、ミツキは一度俺の所までもどることを決めたそうだ。
「それに、探索者の指輪で探ったイーナさんの反応が、奇妙なのです。
確かに本人を捉えているはずなのに、反応が微弱で……」
「……そうか」
反応がおかしいのは、イーナの時間が止められているからだろう。
だからそれはたぶん、俺の試みの成功を告げる言葉だった。
だが俺は、それに対してどんな表情を見せていいか、分からなかった。
しかし、幸いなことに、そんなことを迷っている時間はすぐに終わりを告げた。
「あれは、何でしょうか?」
前方に人だかりを見つけたのだ。
おそらくあれが、俺の探していたモノだろう。
「少し、様子を見てきます」
そう言って、ミツキが器用に人ごみを縫って前に進んでいく。
あっという間に人だかりの中に吸い込まれて見えなくなってしまった。
流石だと言うしかない手際だが、俺たちには真似出来ないだろう。
俺も追いかけていこうとして、その前に後ろを振り返った。
「……リンゴ」
ミツキと合流するとすぐにリンゴは手を離し、それからはずっと俺たちの少し後ろをついてくるだけになってしまった。
何かあったのかと訊いても、伏し目がちに首を振るだけで何も答えてはくれない。
今も、何だかしおれた様子で俺と目を合わせようともしない。
だから俺は、
「行こう」
今度は自分から、リンゴの手を取った。
「…ソー、マ?」
驚いたような綺麗な青色の瞳が、俺を見返していた。
途端に、舌が凍りつく。
「あ、いや、だから……。ついてきて、くれないか?」
なぜか言い訳がましくなった俺の言葉を聞いて、リンゴはまた目を大きく、丸くした。
そして、
「…なにが、あっても」
伏せがちだった瞳に、強い意志の輝きを宿して、
「…ずっとソーマに、ついていく」
俺の手をしっかりと、握り返してくれたのだった。
「うわっ!」
激しく前につんのめり、俺は思わずおかしな声をあげた。
野次馬たちを必死でかき分けながら進んでいくと、突然、周りから人がいなくなったのだ。
リンゴと二人、勢い余って前に飛び出す。
「なっ!」
しかしそんな驚きも、俺が目の当たりにしたモノを前にして、かすんで消えた。
そこにあったのは、見様によっては一つの完成された芸術品だ。
ギリシャ・ローマの石像もかくやというように、両腕を上に曲げて自分の肉体を誇示するかのような姿を取った、筋骨隆々なその姿。
だがそれは、決して単なる彫刻などではない。
精巧な蝋人形のように生の躍動をその姿に残しながら、しかしぴくりとも動かないこの半裸の男性の顔は、見覚えのあるもので……。
「まさか、これは……」
俺が『それ』を前に固まっていると、やはり前に来ていたミツキが寄ってきて、うなずいた。
「ええ。間違いありませんね。これは――」
そして、俺の確信を裏付けるように、力強く断言する。
「これは、フロントダブルバイセップスです」
「はい?!」
バカラじゃないのか!?
俺の疑問の視線を受けて、ミツキが猫耳をきょとんとさせた。
「父が風呂上りによくやっていた、忌まわしきこのポーズ。
確か、フロントダブルバイセップスと言ったはずですが、違いましたか?」
「誰がポージングの話をしろって言ったよ!!」
なんか知り合いが呪いをかけられた姿を見た衝撃とか悲壮感だかが、全部それで吹き飛んだ。
「まったく……」
俺がこぼしていると、ミツキは満足そうに猫耳をぴこんとさせた。
「やはり、貴方に塞いだ顔は似合いません。
経緯は知りませんが、貴方が落ち込んでいても事態は改善しないでしょう?」
「ミツキ……」
どうやら俺が葛藤しているのを見透かした上で、ミツキなりに俺を元気づけてくれたらしい。
その方法がボディービルネタってのはどうなのかと思ったが、というか、この世界にボディービルとかあるんだろうかとも思ったが、とりあえず鬱々とした気分は吹き飛んだ。
今度こそ冷静に、魔王の呪いを受けたバカラと向き合う。
バカラの身体は完全に固まっていて、どこに触っても冷たい石に触れたような感触しかしない。
ただ、姿勢を変えることは出来ないものの、場所を移動させることは出来るらしい。
強く押すと、その身体の位置がわずかに後ろにずれた。
SFなどで時間停止だとか時間凍結だとかが出てくるとややこしいことになるのが通例だが、ここはファンタジーの世界。
もっと観念的でアバウトな時間の停止、いわば魔法的に生命活動を止められた状態なのだろう。
俺に釣られたように、リンゴは恐々と、ミツキも嫌そうにバカラの身体に触れて、
「…パントマイム?」
「完全に固まっていますね。盾代わりにはなりそうですが」
なんて失礼なことをのたまっている。
辺りを見回すと、奥にはアレックズの姿もあった。
こちらは剣を上に掲げた状態で、本当に勇者の像みたいな姿勢で固まっている。
子供たちに落書きとかされそうで、ちょっと心配だ。
その少し向こうには、呆れたような目で振り返り、苦笑しながらも優しくアレックズたちを見守っているライデンの姿が見える。
だが、そのライデンも固まったまま、動くことはない。
覚悟していたこととはいえ、少し胸が痛くなった。
そして、そこからさらに横に視線を移すと、そこには一際小柄な影がある。
「サザーン……」
その魔術師の少年は、ほかの仲間たちとは違い、特に変わったポーズを取ってはいなかった。
まるで彫像となってしまった仲間たちを呆然と眺めているかのように、ただまっすぐに立ち尽くしている。
なぜだろうか。
サザーンのことを嫌っていたはずなのに、俺はほかの誰を見た時よりも、胸が締め付けられるような想いを感じた。
ゆっくりと、サザーンの彫像へと近付いていく。
微動だにしない仮面を見ながら、俺は語りかけた。
「なぁ。サザーン。
ゲームでは俺、お前のこと、最低の奴だって思って、嫌ってたけどさ。
もしかしたら、この世界でなら、お前とだって……」
言いながら、俺はサザーンの肩にその手を置いて、
「え?」
温かくてやわらかい、熱を持った人間の感触に目を開いた次の瞬間、
「い、いきなり何をするんだ、貴様は!」
ぴくりとも動かなかったサザーンの手が急に動いて、俺の手を振り払った。
「仲間……じゃなかった、下僕たちが呪いにやられて気落ちしているのをいいことに、貴様は僕にな、何をするつもりだ!
ぼ、僕が本気になれば、最強極炎魔法で貴様など一瞬で消し炭だぞ!
ほ、ほんとだぞ!!」
何か叫んでいるが、俺の耳にはほとんど入ってこなかった。
ただそれよりも、サザーンが動いていることが信じられなかった。
「さ、サザーン? お前、魔王の呪いは……」
俺が言うと、サザーンはふんと肩をそびやかした。
「確かに魔王とかいう輩の邪なる呪法に我が下僕は倒れた。
しかしその身に大いなる闇を宿し、暗黒の申し子と呼ばれる僕にはその程度の……」
「そうか! お前みたいなのが結婚出来るはずないもんな!
いや、お前が結婚出来ない奴でよかったよ!!」
考えてみれば、サザーンの結婚イベントなんて聞いたこともない。
あっても絶対やらないが、俺が聞いたことがないということはきっとなかったのだろう。
俺はテンションが上がり、思わずサザーンの手を握りしめてぶんぶんと振った。
「まさか、お前なんかが無事だったことがこんなに嬉しいなんて思いもしなかったよ!
いやー、ほんとありがとう!
結婚出来ない奴でいてくれて、本当にありがとう!!」
「……貴様は、僕に何か恨みでもあるのか?」
当のサザーンはなぜか恨みがましい声でそんな訳の分からないことを言っているが、上がりまくった俺のテンションを下げることは出来なかった。
そして恨みがあるかと訊かれれば、それはもちろんあるに決まっている。
「い、いつまでやっている!」
残念なことに、握っていた手はすぐにサザーンによって振りほどかれた。
「それより、何が起こっているのか貴様は知っているのか?
魔王の声は僕も聞いたが、僕の優秀な頭脳をもってしても状況がさっぱりだ。
こいつらは……こいつらを治すために、僕は何をすればいい?」
「サザーン……」
サザーンの見せた意外な感情に、俺はしばし言葉を失った。
だが、それで心も決まる。
「……そう、だな」
自分のやってしまったことを嘆いて、悲しんだり悔やんだりするのはもうやめよう。
それは全部が終わってからでも遅くはない。
俺のせいで魔王の呪いを受けてしまった人たちのためにも、今は動く時だ。
その手始めとして、俺はライデンの所に駆けだした。
「あっ、おい!?」
サザーンの声を無視して、ライデンの近くまで走る。
そして、
「よかった。あった」
その足元に転がっていた鍵を拾った。
これはクエストアイテム、『黄金の鍵』だ。
『猫耳猫』ではメインキャラクターが死んだり魔王の呪いで固まってしまうと、その人物の関連クエストは進行しなくなる。
それではゲームクリアが不可能になるため、一部の必須クエストのアイテムは死亡、あるいは呪いを受けた時点で落とすようになっているのだ。
「き、貴様、それはライデンの物だろう!?
白昼堂々盗みとは、見下げ果てた……」
「ミツキ! リンゴ!」
騒ぎ立てるサザーンの声を無視して、俺は二人の仲間を呼んだ。
同時に頭の中に、魔王の呪いを受けるキャラクターと、そのキャラクターの持つクエストアイテムの一覧を思い浮かべる。
これからのために必要なクエストを考えて、そこから逆算して最低限何が必要かを考えていく。
時間が経てば、地面に落ちたクエストアイテムを誰かに拾われてしまうかもしれない。
可能な限り早く行動しなくてはならない。
早速駆けつけてきてくれた二人に、俺は号令した。
「動くぞ。まずは、アイテム集めだ」
リンゴ、ミツキ、くま、それとなぜかサザーンまで文句を言いながら捜索に加わってくれて、最低限のクエストアイテムは集められた、と思う。
必須な順に回っていったが、やはり最後の方には誰かに回収されてしまったアイテムもあった。
ただ、自由度の増したこの世界なら、いくつかアイテムが足りなくても創意工夫で補えるはずだ。
俺は一通りのところを回った時点で、捜索の終了を告げた。
もう辺りは暗くなっている。
帰って眠りたいところだが、そうもいかない。
「悪いけどみんな、もう一働きしてほしい。
リンゴはサザーンと一緒にライデンたちの身体を屋敷まで持ってきてくれ。
流石にあのまま晒しておくのもかわいそうだ」
「…ん、わかった」
リンゴが終わると、今度はミツキに向き直る。
「ミツキはくまと城に行って、真希と連絡をつけてくれ。
今起こってることの説明をするのはもちろん、会う約束を取り付けてくれたらありがたい」
「分かりました」
ミツキもうなずき、解散、となるはずだったのだが、なぜかみんなの視線はまだ俺に集まっていた。
俺が怪訝な顔をしていると、サザーンがみんなを代表するように前に出て、訊いてきた。
「それで、貴様はその間どうするんだ?」
「俺か? 俺は……」
答えながら、視線が自然と南の方へと向かうのを感じた。
今から俺がするのは、本当なら真っ先にやりたくて、でもずっと、我慢していたこと。
つまり……。
「俺はあいつを、迎えに行く」
俺は平地ではミツキを越える速度で移動が出来るものの、起伏のある地形や長距離の移動となると、やはりミツキには一歩も二歩も劣る。
ミツキが二時間と言った道をたっぷり三時間はかけて、俺はリザミス荒野までやってきた。
薄闇の中、たまに獣型のモンスターが襲ってくるが、
(ステップ、横薙ぎ!)
このレベルの敵なら、小細工も必要ない。
俺は不知火の一撃でまさに敵を薙ぎ倒しながら、彼女の姿を探した。
「……いた」
フィールド上に数本だけ存在する、背の高い木。
その内に一つに、彼女の姿はあった。
「よっ、と」
掛け声を一つかけて、木に登る。
ゲームになって向上された身体能力で、するすると木を伝い、イーナの所まで近付いていった。
「イーナ……」
ラムリックで別れてから、何日が経っただろうか。
久しぶりに見ても、彼女は変わっていない。
記憶の中そのままの姿の彼女は、その木の上で、イーナは左手にはめた『通信リング』を、まるで世界で一番大切な物でもあるかように右手で大切そうに包み込み、祈るような姿勢を取っていた。
顔をのぞきこんでよくよく見てみると、それも体の一部と見なされたのだろうか。
頬に大きな涙の滴をつけたまま、イーナはその時間を止められていた。
それが悲しみの涙なのか、喜びの涙なのかは、今の俺には知る術はない。
「イーナ、ごめん」
無駄とは知りながら、その涙をぬぐおうとする。
当然俺の手は硬質な感触に阻まれるだけで、分かってはいてもやりきれなくなった。
だけど、そんな感傷を今は胸の内に押し込めて……。
「悪いけど、十日間だけ、待っててくれ。
十日以内に、俺は絶対に――」
煌々と輝く月の下。
何も答えない、何も答えられないイーナを前に、強い決意を込めて、俺は宣言をした。
「――魔王を、倒す」




