第百七章 解き放たれた悪魔
幸いなことに、復活した邪神はいまだ完全覚醒には程遠いようだった。
近くにいた悪魔を板状触手で串刺しにして干上がらせた後は、その触手を蠢かせながらもとりあえず平穏を保っている。
動くなら今しかチャンスはない。
(だが、どうする?)
隠しダンジョン『封魔の迷宮』の最深部にいた裏ボス『邪神の欠片』。
こいつは熟練の『猫耳猫』プレイヤーたちにすら絶望を与えるほどの、圧倒的な力を持っていた。
目の前の『こいつ』もサイズこそ違うが、見た目の類似という意味ではその裏ボスとほとんど瓜二つの外見をしている。
今の俺たちに勝つ見込みはあるのか。
『猫耳猫wiki』にあった邪神のデータを、必死で頭の中に再生する。
まずこいつの一番の脅威は、常識外れの攻撃能力にあった。
『ジェノサイドウェーブ』
製作者の正気を疑う技その一。
邪神の口から放たれる恐るべき波動。
邪神が口を開いたのが見えたらこの攻撃が来る前兆。
一分程度のチャージを必要とするため、その前に頭部を潰せば攻撃は一応回避出来る。
が、狙いにくい頭部の位置とアホみたいな耐久力からして狙うのは現実的ではない。
タメが長い分攻撃範囲は広く、その効果は封印の間全体に及ぶ。
また、障害物を貫通するため隠れるのは無意味。
絶大な攻撃力を誇り、防御系、カウンター系スキルを無効化する貫通属性を持つ。
たとえレベル300越えのキャラクターでも、これが命中して生き残ることはまずありえない。
とりあえず使われた瞬間に仲間の全滅は確定する。
プレイヤーなら縮地で抜けるか夢幻蜃気楼などの転移技で一か八かにかければ避けられることもある。
これを安定して避けられるようになることが邪神撃破の第一関門。
がんばれ。
『キルビーム』
製作者の正気を疑う技その二。
邪神の欠片の本体である、胸の宝石から放たれる殺人光線。
攻撃の一瞬前に宝石に光が集まる以外に予備動作がなく、発動条件も特にない。
おまけに攻撃速度が非常に速く、光ったと思った瞬間には当たっているため回避は困難。
圧倒的な攻撃力を誇り、直撃するとレベルが300あっても即死する。
直撃しなくても、防具の一部にかすれば即死する。
タイミングさえつかめれば防御することはたやすいが、防御しても即死する。
光属性なのでアクセサリー等で軽減可能。
もちろん軽減しても即死する。
最低でも光属性無効以上の耐性で臨みたい。
対策さえしていればむしろ突破口となる。
『パラライズテンタクルス』
邪神の身体から生えている無数の触手。
普段はただ蠢いているだけだが、ある程度近付くと一斉に襲ってくる。
比較的攻撃速度が速く、とにかく数が多い。
一撃の威力は低いがHP吸収と強制スタンがついているのが厄介。
特に後者は致命的で、当たると耐性に関係なくスキルがキャンセルされ、硬直が発生する。
その間に他の触手がぶつかると更に硬直が発生するので、硬直地獄に陥りがち。
簡単に言えば、一発当たるとやっぱり死ぬ。
こいつの一撃を受けるとスキルは強制キャンセルされるが、魔法の発動予約だけは消されない。
事前にエアハンマーを予約しておいた場合のみ、生存の可能性がある。
(いや、無理だろ、これは……)
俺は途中で首を振って、脳内再生を中断した。
『邪神の欠片』はこれ以外にも、両腕から繰り出される魔法球やら何やら、多彩な攻撃を持っていた。
充分に対策しているならともかく、現状の装備で勝てる相手じゃない。
唯一望みがあるとすれば短期決戦だが、
(あの触手が、なぁ……)
『邪神の欠片』は部位ごとにHPが設定されているタイプだった。
ただ本体は胸にある赤い宝石で、ほかが健在でもそこのHPを0にすれば勝利になった。
復活の経緯から考えても、こいつも胸にある赤い宝石を倒せば死ぬはずだ。
このサイズなら、もしかするとゲームでの裏ボスほどのHPはないかもしれない。
まともに攻撃が当たれば、倒せないこともないとは思う。
ただし、本体へのダメージは、触手が残っている間は全て触手に肩代わりされる。
触手の数は既に数十を越えているが、一本一本のHPはそう高くない、というか低い。
しかし触手の再生速度は速く、一度触手を全滅させても、ちょっと時間を置いただけですぐに復活してしまう。
あの触手を排除するには、こちらの側にも圧倒的な手数が必要になってくるのだ。
(俺たちだけじゃ、手が足りない…!)
現状のまま、俺たちがこいつに勝つことは不可能だ。
だったら、それ以外の手段を模索する。
「ミツキ、こいつの再封印は可能だと思うか?」
「……不可能、ではないでしょうが、難しいでしょう。
先程迷宮の空気の流れが変化したのを感じました。
欠片の復活と連動して、『封印の間』の扉は開いたようです。
そこにあれを追い込み、適切な手段を講じれば封印は可能かもしれませんが、その手段を私達は知りません」
猫耳を困ったように折り曲げてミツキは答えた。
あまり期待はしていなかったが、やっぱり封印は無理なようだ。
(いや、待てよ?)
封印は出来なくても、一時的に『封印の間』に閉じ込めることは出来るかもしれない。
うまく時間稼ぎすることさえ出来れば、こっちだって『数の力』はそろえられる。
何しろここには、40にも及ぶ冒険者たちと、真希が連れてきた騎士がいるのだ。
「そ、そーま!」
思考の途中で、邪神が動き出す。
緩慢ながら、こちらに向かって進んできた。
だが、それはむしろ好都合。
俺は素早く鞄に手を突っ込むと、そこから店売りのナイフを取り出して邪神の方に放る。
もちろん、これによるダメージを期待している訳じゃない。
邪神よりもだいぶ手前に落ちたナイフは、本来邪神にとって脅威にはならない。
しかし、
「わ、わわっ!」
真希が思わず騒いだように、邪神はそのナイフに触手を突き立てた。
無数の触手の攻撃にナイフのHPが吸い尽くされ、破壊される。
(やっぱり、そうか)
武器を一つ失ってしまったが、これで貴重な情報が得られた。
復活した邪神の欠片は、個体を判別していない。
ただHPがある相手を盲目的に攻撃しているだけだというゲームの設定が、こっちでも生きているのだ。
これで、時間稼ぎが成功する可能性がずいぶんと上がった。
「二人に、頼みがある」
俺は意を決して、真希とミツキに向き直った。
「『封印の間』に、騎士と冒険者の装備を出来るだけたくさん、集めて欲しい」
一瞬前に宙に投げたみたらし団子が光線に貫かれ、瞬時に蒸発した。
「やっば!」
俺はあわてて後退、角を曲がる。
黒い鞄をひっくり返して、足止め用の『お洒落な髑髏』をまいた。
しかし俺の目の前で、黒い髑髏はどんどんと魔法球に撃たれて破壊されていく。
最初はうまくストッパーになってくれた髑髏だが、相手も少しずつ学習している。
この障害物は壊せばいいという認識が、奴にも出来てしまったらしい。
だが、わずかな時間の足止めにはなる。
俺は髑髏が壊されている間に鞄に手を突っ込んで、新たなデコイ用アイテムを準備する。
真希には騎士たちの、ミツキには冒険者たちの所に行ってもらって、装備を集めてもらっている。
詳しい説明はしなかったが、流石に付き合いの長いミツキには俺の意図は分かってもらえたようだ。
説明は全部ミツキに任せ、二人にはすぐに動いてもらった。
しかし、冒険者や騎士たちに事情を話し、装備アイテムをかき集めるにはもちろん時間がかかるだろう。
その間、誰かが邪神の欠片を引きつける必要があった。
誰か、と言われても、リファは論外として、冒険者に人望が厚いミツキ、騎士団を動かせる真希も無理だ。
必然的に俺が囮役を担ったのは当然の帰結で、そこに不満はない。
ないのだが、
(これは、流石にきっついな)
実際に戦ってみて分かったが、邪神の欠片はずいぶんと弱体化している。
いや、ゲームで戦ったのとは違う欠片である訳だから『弱体化』というのとは違うのかもしれないが、とにかくゲームで戦った裏ボス『邪神の欠片』と比べれば格段に弱い。
向こうとの差異を考えると、やはりサイズの違いが真っ先に上がるが、それと同じように耐久力や攻撃力も相応に落ちている。
特に耐久力の低下はかなりのものがあるようで、俺が触手を払いのけるつもりで不知火を振ると、それだけで触手がちぎれてしまった。
触手のHPはさらに少なくなっているようで、作戦を考えるとこれ自体は嬉しいことなのだが、不知火の耐久力を考えると下手に触手を攻撃出来なくなったとも言える。
攻撃力低下については、両腕から放たれる遠距離攻撃の威力からその弱体化具合が知れる。
ただ、流石に光線については弱体化しても充分以上に強い。
当たったらやっぱり死ぬだろう。
今のところデコイで何とか防いでいるが、一瞬たりとも気が抜けない。
一番の救いは、俺がもっとも警戒していた『ジェノサイドウェーブ』を撃つ様子がないことか。
やはり覚醒が不完全なのだろう。
邪神の頭部はうなだれたようになっていて、その両目は開いてもいない。
今のところ、頭の機能は回復していないようだ。
当然、口から繰り出す『ジェノサイドウェーブ』を放ってくることもない。
これで俺の最大の懸念は解決されたとも言える。
しかし、一方で新たに浮かび上がった問題点もある。
「ッ!? 来たか!」
振り向くと、触手を蜘蛛の足のように使いつつ、角を曲がってきた邪神の姿が見えた。
だが、その触手の数は最初の頃の倍以上、もう100を優に超えているだろう。
どうも、触手の吸収攻撃で回復した体力で、少しずつ機能を復活させているようなのだ。
(これ以上、アイテムを吸収されるとやばいな)
頭部の機能が回復してジェノサイドウェーブが撃てるようになったら、集団でかかっても一息に蹴散らされてしまうだろう。
封印の間でもある程度はアイテムを吸収されることを考えると、これ以上アイテムをデコイに使うのは避けたいのだが……。
「ソーマ!!」
俺が悩み始めた時、俺の隣を雷撃が駆け抜けた。
それは俺のまいた食品アイテムへと伸びる触手を撃ち、消滅させた。
「リンゴ!」
通路の奥に立っていたのは、リンゴだった。
その肩にはくまも乗っている。
「準備が出来ました。封印の間に急いで下さい」
その後ろには、ミツキの姿もあった。
ようやく下準備が終わったらしい。
「よかった、助かった!」
俺はそれを見て息をつき、リンゴたちの許へと駆ける。
俺の後退を、リンゴの雷撃が援護した。
「…いそいで」
雷撃はうまく触手を倒しているが、それだけで押し留められるほど邪神は甘くはない。
それでも邪神の勢いが鈍った隙をついて俺は最後はスキルを発動すると、リンゴたちの出てきた角に飛び込んだ。
「ほかの人たちの避難は?」
「この迷宮に残っているのは、もう私達だけです」
「そうか。危険なことに付き合わせて悪いが……」
俺が謝ろうとすると、
「…いい。おいてかれたら、おこる」
「今更な話です」
――トントン。
機先を制して、そんな風に言われてしまった。
くまだけは何を言いたいのか分からないが、たぶん気にするなということだろう。
黒い鞄から髑髏をこぼしながら、走る。
うまい具合に、ここは封印の間に近い。
この調子なら、うまく邪神を誘導出来そうだ。
などと考えていると、扉が見えた。
確かに開いている。
「じゃあ、あいつが入ったら扉を閉めてくれ。
それまでは、絶対にあいつに見つからないように」
俺が一瞬だけ立ち止まって言うと、
「ご武運を」
ミツキが猫耳をぺこっとさせて走り出し、
「…しなないで」
リンゴが一瞬だけ俺の手を握りしめ、すぐに離れていった。
その肩に乗って手を振ってくるくまに手を振りかえしてから、
「……さて」
俺も最後の仕上げに入る。
あえて道をつけるようにみたらし団子を等間隔で落としながら、扉の中に入る。
「うぁ、すご……」
流石に数十人分の装備ともなると、凄まじい量がある。
まるで山を作るみたいに、装備品が積み上がっている。
なかなかに壮観だ。
しかし、残念ながら見惚れている場合ではない。
「これで、仕上げだ!」
俺は最後に、鞄から取り出したクーラーボックスに手を突っ込みながら、勢いよくひっくり返した。
ボックスの中身が飛び出し、地面に叩き付けられる。
皿や瓶が割れてけたたましい音が立てたが、これでいい。
その成果を確認して、俺は大きくうなずいた。
いや、実のところ、食糧アイテムはHPが低いのであまり役には立たない。
ぶっちゃけボックスの中の食料品までぶちまける必要は全然なかったのだが、景気づけにはなっただろう。
背後と前方、両方に気を配りながら、奴がやってくるのを待つ。
こんな逃げ場のない場所で襲われたら為す術がない。
出来るだけ早くこの場所から逃げたいところだが、すぐに移動して奴がこの部屋に来なかったら最悪だ。
葛藤を抱えながら、その場に留まる。
いつ襲われるか分からないという恐怖が、俺の神経をガリガリと削る。
焦りは加速する。
もしかして邪神はもう追ってきていないんじゃないかと疑い出した頃、
「……来た、か」
ようやく、復活した邪神がその姿を現わした。
恐ろしいはずのその姿に、安堵すら覚える。
奴はためらうことなく、部屋の中に足を踏み入れた。
部屋の中には邪神の『餌』がたくさんある。
これでこいつが逃げることはもうないだろう。
邪神の胸の宝石が輝き、その光が俺を貫く、その前に。
「夢幻蜃気楼!」
俺はランダムテレポートでその部屋から脱出した。
「うはっ!」
プチプロージョンの爆発を受け、一瞬だけ身体が強張る。
あわてて辺りを見渡して、そこが封印の間の外、おそらく封印の間の近くの通路だったことに安堵する。
どうやら壁抜けは一発で成功したらしい。
流石に緊張が抜けて、その場にへたり込みそうになる。
だが、まだ終わった訳じゃない。
すぐに封印の間に取って返し、扉が閉まっているか確認しないとと動き出すが、
「そちらも首尾良く行ったようですね」
その前に、ミツキが駆け寄ってきた。
「そちらもってことは、扉は……」
「ええ、特に問題もなく。
今頃中ではアレが大忙しで触手を伸ばしている事でしょう」
その言葉に、本当に力が抜けた。
とりあえず、作戦は成功だ。
「これで時間稼ぎは充分です。
私達も、すぐに脱出しましょう」
後顧の憂いがない、とは言わないが、もう俺にやれることはないだろう。
ミツキの言葉に従って、俺は出口へと急いだ。
外に出ると、俺たちの帰還を冒険者たちが総出で出迎えてくれた。
わざわざ俺たちのために、と思うと、少しだけうるっときた。
冒険者たちを代表するように、ライデンが前に出て来る。
「いやぁ、大変なことになっちまったな。
ま、ここまで来たらもうオレらも腹をくくったよ。
相手は強大だが、何、怖がることはない。
数ってのは何よりも強い力だってことを、邪神に思い知らせてやろうぜ」
今回、別に何もしてないくせに、あいかわらずいいことを言う。
なんとなく釈然としない物を感じたが、俺もうなずいた。
「とりあえず、邪神が出てきた場合の戦い方なんかを教えてくれるかな?」
「ああ、なら……」
ライデンの提案から、邪神が出てきた場合の対策などを話して時間を潰した。
ライデン以外の冒険者や騎士の人まで話を聞いてくれて、それは嬉しかったような、そうでもないような。
邪神が怖いのは分かるが、みんなちょっと緊張しすぎじゃないだろうか。
何も起こらないまま、一時間が過ぎた。
もう一方の出入り口は、既にクエスト用の爆薬で破壊してある。
何かが出て来るとしたら、こっちの入り口になるだろう。
邪神が現れた時の作戦を話し合った後は、出入り口を囲むように半円状の陣形を敷いている。
この隙にサザーンと話したかったのだが、みんな悲壮な表情をしているので、ちょっと会話がしにくい状況だ。
俺の周りにはリンゴにミツキ、くまに真希が集まってきている。
その中でも、一番この世界に慣れていない真希が不安そうに問いかける。
「やっぱり、来るのかな?」
「一応扉で閉じ込めたけど、たぶん効果はない。
そりゃ、来るだろうな」
俺が言うと、真希はさらに不安そうな顔をした。
「勝てる、かな?」
「大丈夫だよ。
相手はこのゲーム最強の敵とか言われてるけど、一度は勝ってる相手だ。
対処法も出来てるし、問題ないよ」
「そ、そうだよね」
いくら真希でも、未知の相手に対する恐怖はあるようだ。
俺は邪神を引きつけなくてはいけなかったため、ほかの人への説明は全てミツキに任せてしまった。
ミツキが敵の脅威について、大袈裟に言いすぎたのかもしれない。
(まったく、来るならさっさと来ればいいのにな)
俺がいい加減だれてそんなことを思った時、隣にいたミツキの耳が、ピンと立った。
「やっぱり、あの扉程度じゃ防げなかったか」
俺がそうつぶやきながら立ち上がるのと、ミツキが警告の声を飛ばすのは同時だった。
「来ます。……いえ、これは!?」
その次の瞬間、迷宮の中から、
「な、なんだありゃあ!」
「邪神? あれが、邪神、なのか?」
「あんなの、単なる、単なる黄色いスライムじゃねえか!!」
――『猫耳猫』最強の敵、イエロースライムが、その姿を現わしたのだった。




