第伍話 犬侵入
(とうっ!)
シュタッ、と小さな白い犬が何処からともなく闇夜に現れる。その毛並みは夜露に濡れているようにきらきらと月に照らされて輝いている。その傍らには犬のご主人様と思しき一人の青年の姿が。
子犬はご主人様(仮)を見つけると目を輝かせて思いっきり跳躍した。彼の頭の上にふわっと着地する。
青年はそれがさも当たり前のようで全く気づいていないが、もしこれを第三者が見ていたらその白い子犬がただの犬でないことに気がつくだろう。子犬の目は金色に爛々と輝いていて、可愛らしい容姿からは想像もつかない殺気を振りまいているのだから。それもこれも全ては愛するご主人様(仮)のため。
そのご主人様(仮)の手がすっと頭上に伸びてきたかと思うと、優しく毛並みをそろえるように撫でまわされた。子犬はご機嫌になって綺麗な瞳を側め、鋭い牙の隙間からくぅんと甘えた鳴き声が漏れる。
「・・・んじゃ、乗り込みますか。フェン、頼んだよ。」
「ワンッ。」
子気味良い犬の鳴き声が静かな街に響き渡った。
Side フェン
今日はあさちゃんとおでかけの日。
いっつもふぇんのじゃまばかりしてくるらうちゃんはお留守番。あさちゃんを独り占めできる。それがとってもうれしくてはしゃいでいたらあさちゃんに優しくだけど注意されちゃった。あさちゃんにはやさしい笑顔でいてほしいから、ふぇんはあさちゃんのいうことはきちんとまもるもんっ。
「ここ、きょう来たとこ?」
「そうだよ。流石フェン!よぅし、ご褒美のなでなでたーいむっ!!」
わっしゃわっしゃと頭をあさちゃんになでられるのはすごいたのしいし気持ちいい。いつまでもこうしていて欲しいなってあさちゃんに“てれぱしー”を送ってみるけれど、すぐにだいすきなぬくもりはふぇんからはなれていっちゃった。やっぱりふぇんの念じかたが足りないのかもしれない。今度なでてくれたときにはもっとつよく念じてみよう!!
「ほいじゃ、フェン、子犬形態になってちょ。」
「あい!」
今はあさちゃんとおんなじ“ひとがた”になってるけど、ふぇんのほんとうのすがたは“ひとがた”じゃない。ふぇんは、“ひとがた”から見ると“いぬ”っていきものなんだってあさちゃんが言ってた。ずっとまえにあさちゃんが“いぬ”を見せてくれたけど、ぜんぜんにてなかった。
ふぇんのほうがもっときれいだもん。つおいもん。りこうだもんっ。
その“いぬ”のしゃしんを見ていたあさちゃんのお顔はふやけてて、ふぇんはなんだがおもしろくなかった。ふぇんのほうがあさちゃんにふさわしいもん!!
そういったら、あさちゃんは笑って「そうだよねー。フェンはもう、可愛くて可愛くて頭なでたーいっ!!おりゃぁあああっ!!」っていってくれた。そのあといつもよりいっぱいなでなでしてくれた。あさちゃんにとっての“いぬ”はふぇんだけでじゅうぶんだもん。だからもしほかの“いぬ”がきたらふぇんのきばでかみついちゃうから!!
あさちゃんの頭のうえはふわふわしていてとってもねむくなる。いつまでもここにいたい。でも、いまからあさちゃんのおてつだいをしなくちゃいけないから、ふぇんがんばっておきてる!!
ふぇんががんばったらあさちゃん、きっとまたあたまなでなでしてくれる。
だから今日はもっとがんばるもんっ!!
Side Out
♪
頭の上で妙に変な気合を入れているフェンが暴走しないように見張っている必要性が出てきた。フェンが暴走すると寝起き魔王より性質が悪くなる。とてもじゃないが手がつけられない。結構最近、1年前ぐらいにあったけど、あのときは本当にやばかった・・・。俺、死んじゃうかと。あ、俺じゃなくて“死んじゃいそう”になったのはラウね。あと、ひとつの集落。まぁこの話は追々。
「フェン、こっからは静かにね。ばれたら大変なことになるから。」
「あい!」
やっぱ分かってないぞ。でもその姿が“もゆる”から許す!!
さて、と。頭の上に乗っかっているフェンを両手で持ち上げて目の前に持ってくる。思わず肉球に目が行ってしまうのは仕方がない。そのピンクの“にくきう”がおれを誘惑するんだ。『わたしにさ・わ・っ・て?』って。
―ぷにょん
「ふぉぉおおおおおおっ!!」
「あさちゃん、しーっだお!!」
はっ。
いかんいかん。突如眉間に襲ってきた魅惑の感触がおれの理性を呆気なく破壊しやがった。このままではやばい。おれはいずれ本能に従って肉球を徐に触り、押したり揉んだりして挙句の果てには蹂躙してしまうかもしれん・・・。人型に戻ってもらったほうが身のためか・・・いやしかし子犬の姿でないと看破できない場所が出てきてしまうし・・・。いや待てよ。
「フェン、お腹はすいてる?」
おれの突然の問いを不思議に思いながらも素直に答えてくれる。
「食べなくてもだいじょーぶだけど、まだまだぜんぜん食べられる!!」
「ならフェン。おれが見張りの連中を気絶させたらそいつらの魔力ひとつ残らず食べていいよ。」
大した足しにはならないだろうけど。
フェンは少なからず喜ぶかと思ったんだけど、そうじゃなかった。少しだけ頬を膨らませてこちらを見上げる。
「ふぇん、あさちゃんのまりょくのほうがおいしいからいらない。ほかのまりょくはもうたべないってきめた!!」
ちょっとだけ何を言ったら良いのか迷った。でも、ひとつだけ言っていいですか?
ぷぅっと頬を膨らまして感情表現するフェンの可愛さ天使級マジヤバし。
「そうだったよね~。あのときたしかにそんなこと言ってたね。」
フェンと初めて出会ったときだったけ。
一瞬目の前が白銀の世界に包まれる幻が過ぎったが、気がつけば現実に戻っていた。薄笑いを浮かべる。
「でもこれはおれからのお願い。口直しする魔力なら後でいくらでもあげる。だからおれを助けると思ってやって欲しい。」
片腕に抱いてもう片方の手でフェンのふさふさの毛を撫でる。
まるで雪のように冷たい毛は中身を守っているかのように氷の粒を纏っている。コートが少しばかり濡れるが特に気にするようなことでもない。
フェンが返事をするまで気長に待ってやりたいところだが、今回の作戦は日が昇ってくる前に終わらせたい。
「・・・わん。」
ぽつりと。
腕の中からくぐもった鳴き声が聞こえてきた。どうやら彼女は拗ねているようだ。爪をコートに引っ掛けてこちらを見上げてくる。
「わんわん。」
「・・・今更ただの犬になってもだーめ。フェンは特別なんだから。」
「うー。」
「唸っても駄目。」
「くぅん。」
「可愛く鳴いてみせても駄目。」
「くぅん・・・。」
「駄目だってば。」
「くぅぅうん。」
「駄目ったら駄目。」
「・・・くぅん?」
「・・・駄目だもん。」
「・・・くぅん、くぅん。」
「だ、駄目なんだからねっ!!」
「くぅん・・・。」
「・・・だ、駄目だって言ってるじゃん可愛いよぉおおこん畜生ぅっ!!」
そんな潤んだ瞳で下から見つめられたら落ちない奴はいない。いてたまるかぁっ!!
我慢出来ずに頭をこれでもかと撫で回した後に小柄な身体をぎゅうっと抱きしめる。フェンは嫌がらずにそのまんま抱かれたままでいてくれた。それどころか甘えるように首筋に鼻を寄せてペロッとざらざらした舌で舐めてくる。くすぐったい。
数十秒間の間もふもふを堪能してから地にゆっくりフェンを下ろした。
フェンはどうしたのっていう表情でこちらを見上げてくる。
「わかった。おれはフェンが嫌がることを無理やりさせたくないから。」
しゃがんでフェンの目線に合わせる。
「今から中に乗り込んでくるけど、なるべく穏便に済ませたいからフェンはここで見張っててくれる?誰か中に入ってこようとしたらおれに教えて。」
そう言った途端にフェンが目をキランと怪しく輝かせてこちらに飛び掛ってくる。
その動きは予想済み。
身体を斜めに動かして爪から避けるとフェンが着いてこれない速さで見張りの後ろに回りこむ。首の後ろに手刀を入れるとカクンと前に倒れた。もう一人もこちらに気がつく前に終わらせておく。これまでに約1秒。
「フェン。いい子だからそこで大人しく待ってて。お留守番できたら特別にいつもより多く撫でてあげるから。」
・・・うん?
口に出してからはたっと気がついた。いつもより多くなでなでして喜ぶのはおれじゃん。ならなでなで+超高級エスカルガ(カタツムリのような貝を背に背負った鳥型の魔物。険しい岩山の奥に住んでいる。絶対数が少ないのでとても珍しく、見た目の割りに激強なのでその魔物の体内から取り出される唯一食べられる部位、軟骨はとても貴重である。)の骨でどうだっ!!ふっふっふ、これならフェンも文句言えまい。
因みに一応説明しておくと、フェンが飛び掛ってきたのはおれがフェンを置いていくと悟ったから。意地でも着いてこようと思っていたのだろう。
フェンは見た目幼い少女だが頭は良い。これぐらいのことはすぐに察する。なんせ普通の犬でもないし、普通の女の子でもないからね。でもだからといってフェンを危ない目にあわせるのは嫌だし。
図書館の中枢、つまり閲覧禁止の場所。あそこには致死量のトラップがこれでもかってほど仕掛けられていた。本当ならそのトラップの源である魔力をフェンに食べてもらおうかと思っていたのだけど。それがなくなるとフェンの身の危険を感じるし、おれもフェンを守りながらトラップを潜り抜けていくのは少しだけ骨が折れる。因みに言っておくけど、決してできないわけではない。ないんだからねっ。
「・・・くぅん。」
寂しそうに鳴くフェンの鳴き声を聞きながら、おれは中に入っていった。
「・・・やっぱ動いたか。」
今ラウが動き出した。離れていても分かる。
でも動いたけど場所は同じ・・・ということは。
「・・・黒幕がいたとしたら、相手は相っ当性格ひねくれてるね。」
まぁラウのことだから瞬殺だろうけど。少し強いばかしの人間にラウを倒せるはずがない。それはおれがよく知っている。でも心配してしまうのはやはり親心、というものなのか。
「さてさて、今回はどんな根っこが埋まっているのやら。」
まだまだ夜は長い。
第伍話 終わり