第参話 館書図
メイが居た。
上のほうに必死に手を伸ばしているが、何か取りたいものがあるのだろうか。彼女はそのことに一生懸命で、おれが背後にいることに全く気がついていないようだ。
彼女が取りたいものを後ろから覗き込んでみると、どうやらこの世界の地理関係の書物のようだ。それも極々基本的なものしか載っていない、どちらかといえば子供向けの本だ。普通子供向けの本だったら、その読み手である子供でも届くようなところに置くのが一般的だと思うんだけど。
此処を管理している人たちは気の回らない人ばっかりのようだ。
「はい。これだよね?」
「あっ、アサ!びっくりしたぁ。」
手にした本を彼女に渡す。すると今度は別の意味で驚いたのか、目を大きく見開いてから本に手を伸ばした。なんだよ、おれだってこうしてたまーに、本当に極偶にだけど優しくしたりするんだよ。
「ありがとう。」
「どういたしまして。なんならもうちょっと照れた感じで言ってくれるとポイント高いんだけど。」
「素直に礼を言った私がバカだった・・・。」
酷い言い草だ。
上記の会話から分かるように、今現在おれたちは図書館に来ている。
流石学術都市だけあって、目を見張るほどの巨大な図書館である。蔵書量も半端ない。
館内では各自で自由行動を取っている。但し、フェンはおれかラウと一緒という条件付だ。これだけ広いと迷子になってしまう可能性も出てくるから。因みに今はラウと一緒にいてもらっている。
メイと別れてもっと奥のほうへ進んでいく。重要な文献ほど奥のほうに配置されているのだ。ただ、いくら探してもおれが知りたいことが載っている書物はない。
あるとしたら、もっと奥のほうにある閲覧禁止の場所だろうけど。あそこは本当に警備が厳しい。これでもかというほどの警備員の配置に、魔術によるトラップも多数。
先ほど閲覧禁止の場所を外から拝見してきたけれど、中に入るにはちょっとばかし骨が折れるかもしれない。
おれが調べているのは魔術関係。
ひとつは転移の魔術、もうひとつは召喚の魔術について。前者も後者もあまりにも情報量が少なすぎるのだ。転移の魔術についてはまだ発見されていないから分かる。しかし召喚の魔術は表向きでは発見されていないことになっているが、実際何回も使われている。勿論極秘にだ。
召喚魔術なんて碌なものじゃない。国の優秀な手駒に仕立て上げようと、何も知らない人間を別の世界から召喚する術。恐らく禁術に相当する量の魔力の消費と生け贄を差し出しているに違いない。それでなければ、異世界から人間を召喚するなんてイレギュラーが通るはずないのだ。
この二年間世界を回ってきて色んな書物を漁ってきたけれど、どれも確信がつくような内容ではなかった。ただ当たり障りのない程度に記してあるだけのもの。本来ならその召喚の儀が行われている国に直接乗り込めば簡単かつ手っ取り早いんだけど、おれの場合ちょっとした込み入った事情があって、今はまだその国に入ることが出来ないのだ。
今は時間が経つのを待つしかない。ただその間ぼうっと待っているわけじゃないけれど。
メイを拾ったのもこれらに関与している。
まだ本人から聞き出すことに成功していないが、おれはメイが異世界から召喚された人間なのではないかと疑っている。先ずその根拠として髪が黒いことだ。この世界で黒い髪なんて稀で一生に一回見られるか見られないかの頻度にしか生まれてこない。そして黒髪は膨大な魔力を持つという言い伝えがある。まぁそれが本当のことかどうかは保留にしとくとして、おれとメイは常人のはるかそれを超えている。実例がふたりもいるのだから本当なのかもしれない。
もうひとつは行動がいちいち挙動不審なところ。行動がぎこちないというか、慣れていないというか。異世界人と区別の方法として、名前の雰囲気などから見分けることが出来る。それは未だ実行に移していないけれど。ってか本人が教えてくれるまで気長に待つしかない。
これでもしメイが異世界人じゃなかったらどうしよう。一緒に行こうってこちらから言った手前、何処かに置いていくことは本人が望まない限りは出来ないだろう。あまりにも無責任ってものだ。
それに、今は彼女を一人にしないほうがいい。
「メイ、そろそろ帰るから本仕舞って。」
「分かった。」
つけられている。人数は10人程度で、この街に入る前から。
狙いはおれか、それともメイか。常につかず離れずの状態を保っているということは、ターゲットが一人になる瞬間を狙っているのか、それとも人気のないところで全員相手にする気か。目的は前者だったら捕縛、後者だったら殺害ってところかな。
ラウとフェンがこちらに向かってきた。
フェンがおれを見つけてこちらに走ってくる。ってこら、館内は走っちゃ駄目だって。
「あさちゃん、かえるの?」
「帰るよ。それから図書館の中で走ったら駄目だよ。」
「あい!」
「声も静かにね。」
「あい!」
本当に分かってるのかなぁ。でも可愛いから許す!
ラウが鋭い目つきで辺りを見回す。どうやら気づいていたようだ。ま、そりゃあそうだろうね。逆に気がついてなかったらおかしいか。フェンもなんとなくだけど気がついているんだろう。そわそわしてる。
「アサ。」
「分かってる。とりあえず今はこのままで。」
「うん。」
メイの姿が視界に映る。片づけが終わったようだ。
こちらが動けばあちらも動く。仕掛けてくるのは今晩辺り、かな。メイを囮にしてみたら、なんだか面白くなりそうなんだけど・・・知られたら先ず怒るだろうなぁ。果たしてここで好感度を下げてもいいものなのか。でもこのまま監視され続けるのも癪だし。
まどろっこしいんだよ。早く襲い掛かってくればいいものを、ねちねちと追い掛け回してきて。
「アサ、どうかした?凶悪な笑みを浮かべて。怖いから近寄らないでくれる?」
「メイさん、それはあまりにも酷すぎやしませんか?」
「ごめん、防衛本能が働いたみたいでついうっかり。」
あながち外れているわけではないんだけど。
メイさん囮作戦、本気で考えようかな・・・。
「・・・寒気がする。」
「めいちゃん、ねつあるの?」
「う~ん、調子悪いってわけじゃないんだけど、悪寒というか。」
やっぱやめようかな。
♪
Side メイ(仮)
「今日中に身支度して、明日の昼頃から出発するからね。何か買いたいものとかあったら言って。店回れるの今日と明日の朝だけだから。」
「それなら食料買って置かないと。どうせまた長旅になるんだよね?」
図書館から出た後、私たちは市場に買出しに来ていた。ラウ君がアサに確認を取っている。
アサの話だと明日にはもうこの街を出てしまうようなので、身支度品とかも買っておかないといけない。例えば私専用のバックとか水筒とか。これから旅をするのなら必需品だ。何かと荷物が増えていくだろうし、自分のものくらいは自分で持つのが理想的だと思う。
「ふぇんねー、おにくいっぱいたべたい!!」
「よし今すぐ肉屋さんに直行だ!」
「おー!!」
しかしアサに声をかけようと思ったら、フェンちゃんの雄たけびと共に眼前にある肉屋さんにダッシュしていってしまった。肉を買うのは構わないけど、腐っちゃったりしないのだろうか。
「ねぇ。」
背後から声がかかる。振り向くと無表情のラウ君が居た。
背に嫌な汗をかきながら、何?と聞き返す。とっても嫌なかんじがする。
「あんたさ、狙われてるよ?」
「・・・え?」
狙われてる?誰が?・・・私が?
さらっと物騒なことを抑揚のない声で言われて、頭の中にその内容が入ってくるまでにすごい時間を要した。不意にラウ君の腰に下げてある、肉厚の包丁のようなナイフが目に付く。最初私が首元に宛てられていたものだ。
「アサはさ、優しいからあんたに言わないけど、僕はそんな優しくないから。もしアサに何か危害が加わるようだったら、あんたを迷わず殺す。フェンも見た目あんなんだから分からないだろうけど、油断してたら喉くらい潰されるかもね。」
くすっ。
冗談・・・ではなさそうだ。おどけて言っているように聞こえるけど、実際はそうじゃない。本気でこっちを殺そうとしてる。純粋な、なんの淀みもない綺麗な目で言われた。だから怖い。
私が黙っていると、にこっと笑顔を浮かべて口を開いた。
「後ろから急に襲い掛かったりしないから、心配しないで。あくまで仮定の話だから、アサの決定には従うし、アサが殺すなって言えば殺さない。・・・アサが無事な限りは、だけど。要するにさ、僕は自分の立場を理解して欲しいってこと。ただそれだけ。」
肉屋のほうから私たちに向かって何か喋っているアサを見つける。
「おーい、何の肉がいい?」
「鶏肉じゃなければなんでもいいよ。」
ラウ君はこちらに一瞥してからアサ達の方へ駆け寄っていく。私も数歩離れてついていく。
私はもしかしたら、とんでもないところに逃げ込んでしまったのかもしれない。今更気がついてももう後戻りは出来ない。
そんなとこを考え込んでいると私にも声がかかる。
「メイは?」
「え?あ、私は基本的になんでも食べるから。」
「りょーかい。じゃあ豚肉、牛肉、蛙肉50gずつ頂戴。」
「毎度っ!!」
今聞き間違いじゃなければ、かえるにくって。
え、何それ?そんなの聞いてないよ!?何でも食べれるって言ったけれど・・・言ったけどそれは流石に・・・。
肉屋のおじさんが量りに肉を置いていく。最後に置かれた肉は、まんま蛙の形で真っ二つにしたものだった。ちょっと、中まで緑色ってどういう体の構造してるのあのカエル!?
「待ってアサ!!やっぱ私蛙肉は食べられないから!!」
あんなもの口に入れるのを考えるだけでもおぞましい。
「そっか、じゃあおじさん、蛙肉の代わりにゲコブーの鼻肉で。」
「はいよ!」
代わりに出てきたのは手のひら大の緑色の鼻。なんかぬめぬめの液体に塗れて気持ち悪い。臭いもあまり気持ちの良いものではないというか、はっきり言って臭い。
「それも駄目!!」
「偏食なんだね。きちんと食べないと駄目だよ?」
「ごめん無理。」
それだけは。それならまださっきの蛙肉のほうが幾分マシだ。それでもどちらとも食べる気にはならないけど。ありえない、あんなもの本当に栄養になるの!?絶対毒があったほうが納得できる見た目だし。
こっちってこんなに変な食べ物があるんだ。これから食べ物には気を配らないと、大変なことになるかもしれない。
因みにゲコブーの鼻肉とは何かを、アサが懇切丁寧に説明してくれた。それから一応追記しておくと、この説明は私が要求したわけじゃない。
ゲコブーは蛙と豚が融合したような姿をしていて、全身緑色であのぬめぬめが体中を覆っているらしい。形は豚だけど、本質は蛙で移動の仕方は飛び跳ねて移動する。餌も虫を好む。全長1mちょいくらいで、温厚な性格で人間に襲い掛かってくることは滅多にないんだとか。そして食用としての需要があり、農場で一般的に飼われている。特に鼻が珍味でしかも一回に採れる量が少なく、“一部のマニア”たちに好まれる。普通の人は鼻ではなく、尻肉を食べる。味は酸味が効いていて、コリコリとした感触がたまらない。
そして最大の特徴は、こいつが“魔物”という点だ。
普通に家畜として豚とか牛とか鶏とかいるのに、魔物を食そうとした人たちの真意が知りたい。
あ、目の前に一人居たわ。
おじさんにサービスしてもらった鼻肉を竹串に刺してこりこり食ってる人が。
「はい、フェン。」
「わーいっ!ふぇんこれだいすき!!」
「ほら、ラウも。」
「ありがとう。」
私がおかしいのだろうか。
「メイ、これ食べられないなんて人生の半分損してるって。」
「食べたら人生後悔しそうだから。」
「? ふーん。」
もうその形を見ているだけでも気持ち悪くなってくる。しかも人間の鼻の形だから性質悪い。これが豚鼻だったらまだ見ていられたのに。
アサたちがおいしそうに食べているのを見て釣られてやってきたお客さんが次々と鼻肉を買っていく。こんな小さな子供から、今にもぶっ倒れそうな老人まで。正に老若男女。
「マニアが居るって言ったけど、マニアじゃない人も鼻肉は好きなんだよ。一回食べたらやみつきになるしね。」
ただ家庭的な料理としてはあまり鼻肉は使われないそうだ。
見た目が良くないのと、尻肉と違って軟骨が多いので調理しづらいんだとか。こんなどうでもいい知識が先程図書館で詰め込んできた必要な知識をどんどん侵食していってる気が・・・。ああ、また何か忘れてはいけないものを忘れてしまった。
「ふー、美味しかった。ラウたちは食べながらでいいから見て回ろう。」
「んー!」
「そんなお肉を口に銜えたまま返事しなくてもいいのにもう目茶苦茶かわいいっ!!」
途中から台詞がおかしくなっていることに本人は気がついていないのだろう。
ちょっと触る程度に頭を撫でてから歩き出す。いつもみたいにわしゃわしゃ撫で回さないのは、多分竹串を持っていて危ないからだと思う。
こんな風に意外に周囲をきちんと気配ってるところが時たまアサに見受けられる。意地悪なところも結構あるのに、こういった面もあるからどっちが素なのかまだ判断できない。あの、最初に会ったときが本当なのか、今の姿が本当なのか。
でも、今は悪いかんじは全然しない。
なんだか此処に居るのがちょっとだけ楽しいと思えるようにまでなってしまった。アサ達と居たのはたった数日だけなのに。自然と笑みが零れる。
このとき、私はすっかりラウ君の忠告を忘れていた。
“あんたさ、狙われてるよ?”
浮かれていたのだ。すっかり危機から遠くなったように感じてしまった所為で。この忠告の本当の意味を、このときの私はよく理解していなかった。
第参話 終わり