三幕
[教示]
「な…」
白昼夢再来。きっと疲れているんだ、オレ。そういやここ最近カップラーメン生活を続けていたからその影響かもしれないな。
──その可能性は低いだろ?
なんてことを冷静かつ端的に指摘する自分がいる。こういう時、現実的な自分に少々嫌気がさす。
「…お前さん、普段は男前に準ずるもんを持っとるのに、間の抜けた顔をするとひどく崩れるな。」
命と似たようなことを言いやがって。ちんちくりんのテメエにそんなこと言われると余計に腹が立つ。いや、そんなことで立腹している場合じゃないな。冷静になれ、一茶。
「…あんた、ダイコクとかいったよな?」
「そうだ。大きい国と書いてダイコクだ。」
「漢字なんてのはどうでもいい。なんでオレの部屋に居る?どうやって鍵を開けた?ピッキングが不可能に近いシリンダーに交換済みなんだぞ。そもそもお前はいったい何なんだ?妖精の類か?クソ!どうでもいいからとっとと消えてくれ!わけのわからん夢の続きなんてオレは見たくもないんだ!」
冷静さがどんどんなくなる。
それにしても、何故オレはこんなにもこいつのことを怖がるんだろうか?そりゃ、人は大抵人ならざるモノに怖れを抱く。だが、こいつに対する怖れは人外のモノに対するそれとは違うもののような気がする。…こんな時にそんなことが頭をもたげるなんて、どうかしてる。
「並な反応だの。」
──プチ
「ふざけんなあぁぁ!!」
──もういい。冷静にだとかそんなことどうだっていい。このチンチクリンをつまみ出せば全て片がつく。
激昂したオレはズカズカとヤツに近寄る。こんな時でもキチンと靴を脱ぐなんて、オレは行儀がいいなぁ。
「まあ落ち着け、志多見。」
「うるさい!!とっとと失せろ!!!」
「聞いてきたことはもういいのか?」
「黙ってろ!!!」
「やれやれ、少しからかっただけで取りつく島も無しか。」
ヤツは、ふう、と一つ溜め息をつき瞳──若草色の小さな瞳でオレをひたと見据える。不思議な瞳の色。芽吹いたばかりの草のような色──わかりやすく言えば、黄緑を明るくした感じだ。
ただじっと見つめられているだけなのに、身動き一つ出来な…あれ?こ、声まで出せない…
「とりあえず、こちらの話を聞いてもらおうか。」
──そうか、昼間と同じ妙な術か。人の体の中に入ってくるような非常識なヤツだ、なにが出来てもおかしくはない。
そう考えればここに入るのだって造作もないことだ。けど、なんでまたオレの前に現れた?
──…は!姿を見られたから口封じのためにオレを殺すつもりか?昼間のあのゴツイ武僧が人に見られるとマズイ、みたいなことを言っていたような…
「色々思うところはあるだろうが、殺しはせん。安心しろ。」
──また術か…
「ついで言えば、お前さんの考えそうなことくらい想力を使わなくともわかるぞ。」
ソウリキ?今使っているこの力のことか?超能力然としたもののことを妙な造語で語るのはやめて欲しいものだ。
「一応、先刻聞かれたことを答えておこうか。
ここへはお前さんの体を借りた時に拝借しといた予備の鍵を使って入らせてもろうた。なに、もとの場所に戻しておいたから安心しろ。
それと、儂はこれでもれっきとした人間だ。妖精やら妖なんぞの類じゃない。まあ、多少特殊ではあるがな。
そうそう、お前さん、昼間のことを夢だと思いたいみたいようだが、あれはれっきとした現実だからな。」
──なんだ?何でも出来るわけじゃないのか?それよりも昼間のアレが夢じゃない、か…コイツがここにいる時点で予想はしていたが、改めてそう言われると気が滅入るな。しかし言うに事欠いて、“多少特殊”とはね。
「で、儂がまたお前さんの前に現れた理由だが、どうやらお前さんの種が芽吹いてしもうたようだからその対処とある程度の知識を、と思うてな。」
──種が、芽吹く?なんのことだ?
「要はお前さんも想力を使えるようになってしもうたというわけだが、ん?おぉ、すまんすまん、お前さんを縛ったままだったな。今解くぞ。」
──ガクン。
ヤツの言葉とほぼ同時に体の自由が戻った。いきなり自由になったものだから前のめりに倒れそうになる。
「うお!」
「さてと、お前さんも自由にしたし話を続けるぞ。
想力というのはその名の表す通り『想いの力』だ。想ったこと、イメージしたことをそのままこの世で実現出来る力、と思ってもらえればいい。とはいえなんでも出来るわけではないし、各々使える力も違う。加えてお前さん達普通の人間は通常、重界の中でしか想力を行使することが出来ん。
儂はこちら側でも想力を行使することが出来るが、この姿のままだと効果が弱まる。他人の体に入れば通常通りの効果になるようでな、昼間、お前さんの中に入ったのはそういう訳もあるんだ。
次いで想力の使い方だが『ちょ、ちょっと待て!」」
話の腰を折られてやや不機嫌な表情をしているヤツを尻目に、オレは言葉を繋げる。
「あんたの言う、想力とかいうものの概要はなんとなくわかった。ただ『ジュウカイ』ってのはなんなんだ?それにあんたの話ぶりだと他にもその想力を使えるヤツがいそうだが、そいつらも種が芽吹いたってことか?そもそも種ってのはなんだ?」
今し方までつまみ出そうとしていたのが嘘のようだ。この手の話は毛嫌いしていた筈なのに、オレは“想力”とかいうものに興味を抱き始めていたのだ。いや、何故かはわからないが、知らないといけない気がしたのだ。
「…ふむ。重界というのはこの世界でありながらこの世界でないところのことだ。別の世界と重なっている場所…らしいんだが、詳しくは儂にもわからん。重界には想力を使える者──能力者とでも言っておこうか。その能力者以外入ることは出来ん。
形態は想力によって作成されるものと自然発生の二通りだが、ほとんどが自然発生だろうな。なにせ、重界を作成出来る者は極僅かしかおらん。
重界の中がどういったところかは説明出来ん。なに、近いうちに行くことになるだろうさ。
種というのはただの比喩。素質、というかなんというか、能力者の中にあるそういった類のもののことだ。芽吹くというのも同様、想力が使えるようになったという意味だ。」
「…オレの中に入った時に言った、面白いモノってのはその種のことか?」
「左様。ただ、お前さんの中に入る前からお前さんに種があることはわかっていた。」
「入る前から?」
「能力者は他の能力者──芽吹いている芽吹いていないに関係なく知覚出来る。能力者と出会うと、そうだな、目の中に入った異物のような違和感を感じるんだ。能力者を視認すればその違和感も無くなるがな。」
そうか、それであの時『一般人のそれではない』って台詞を吐いたのか。既にオレの中の種に気付いていたから。でも…
「なんだってオレの種は芽吹いたんだ?突然芽吹くモノなのか?」
こいつに出会う前、オレの種とやらは芽吹いない。だから、考えられる要因といえば。
「芽吹く条件はわからん。だがお前さんの場合は、儂との接触が引金かもしれん。」
──やっぱりか…
「こんなケースは儂も初めてのことなんだ。今までも何人かの中──無論、種の保有者だ──に入ったことはあるが、誰一人として芽吹いた者はおらん。しかしお前さんは芽吹いてしもうた。儂の軽率な行動のせいで。すまん。」
随分と素直に謝るもんだ。当然と言えば当然か。事の責任はヤツにあるのだから。まあ、別に力を使わなければいいことだし、今もそんなものを使える実感もない。
「…済んだことは仕方ないな。で、話のつづ う゛!」
──何だ、これは?!眼の奥がグリグリして鼻の奥にヘドロが張り付いたような臭いがする…ヤ、ヤバ…吐く…
「む、お前さん反応が酷いな。」
ヤツが何を言っているのかは辛うじて聞き取れた。
顔は土色──だったと思う──切長の目は苦痛で歪み濡れ、薄いが大きな唇からは嗚咽が漏れている。おまけに、少しばかり高い鼻からは鼻水が垂れる始末。激しい不快感、生まれて初めて味わう不快感だ。
「う゛…ぼぇ…!」
オレが吐くと同時にヤツがバケツを差し出してくれた。なんか嬉しいな。
「備えあれば憂いなし、とな。ここまで酷いとは思わなんだが、聞こえてるか?」
──予想してたのかよ…なら先に言え…
「ああ、聞こえてる…なんなんだよ…コレ…」
「重界が発生したようだ。それはその反応だ。」
酷い反応もあったもんだ。しかしなんてタイミングで出てくるんだよ、重界ってのは。
チンチクリンと話している最中も吐気は容赦無く襲ってくる。
「どう…すれば、治るんだ…」
「重界の中に入れば治る。場所はここから南西に二百m程のところで発生したみたいだな。」
聞き終えオレはふらつきながらも外に出ようとする。
「あ、おい!まだ想力の使い方を教えておらんぞ!」
完全無視。そんなもの知ったところで治るわけじゃない。それよりも今は重界に向かうのが先決だ。
──二百mくらいなら…行ける!
気力を奮いたたせオレは目的地に向かう。方角と距離だけしか情報は無いが、なんとかなるだろう。あの場でこの不快感を我慢するよりはるかにマシだ。
ようよう百mほど進んだところで空き地が見えた。新しく家が建つ予定のところだ。
──あそこか…?
直感的にそう思った。なんの確証も無いが何故かそう思えた。これも想力が使えるようになったからかもしれない。あるいは、単に早く治りたい一心で期待しただけかもしれない。
あと三歩で空き地に入る。二…一…空き地に入った瞬間、世界が変わった。文字通り“変わった”のだ。
「な…これが、重界?!」
周りの家屋は何処かへ失くなり、アスファルトも消え去っている。
空は青から白へ、雲は白から赤へ、地面はくすんだ黄色の岩がゴロゴロしている。それよりも異様なのが、極彩色で彩られたいびつな風船のようなものだ。空に浮かぶソレは不安定に漂い、ひしめき合う程大量にある。中には人の形に見えるモノもある。
オレは目が点になっていた。さっきまでの不快感は無くなったが、思考はさっき以上にグチャグチャだ。
呆気にとられているオレは、視界の隅で動いているモノを見つけた。
「よう、アンタが今度の相手か?」