夢の主
とても上司のパワハラが酷くて私はエレベーターに乗った。ここが何処かはよく分からない。屋上に行ければどこでもよかった。
Rのボタンを押す。女性を乗せた車椅子を押す少年が見えたので開ボタンを押した。母親であろう女性がぺこりと私に頭を下げた。
ガラス越しに上昇する床から階下が見えてくる。遊園地と地獄が重なり合った光景。それが幸せな景色に見えた。
こんなところへ飛び降りられたなら。
私は幸せになれる。
屋上に着く。早くいきたい。
チーンと到着のベルが鳴る。親子にどうぞと手で促したが二人は降りなかった。私だけが降りる。
柵のない屋上を歩く。見晴らしが良くてとても気持ちがいい。
さあ、飛ぼう。
「ダメですよー。私の夢の世界で死なれるのは迷惑です」
突如聞こえたその声に私は振り返った。声の主はそこにいない。前を向く。そこには金髪の中年が私が飛ぼうとしていた先の宙に浮かんでいた。
「誰?」
「ここは夢の世界。私は夢の主とでも申しましょう」
宙に浮かんでいる中年が私に近寄りながら説明を始める。何故かコツコツと靴音がした。
「ここは自殺を考えている人が見る夢なんですよー。エレベーターから降りなければ引き返せるのですが貴女は降りてしまった」
「降りたらどうなるの?」
「先ほど貴女は飛び降りようとしていたでしょう? 夢の世界で死んだら現実でも死にます」
「じゃあ飛ばせてよ!!」
「いいですよー。別に飛んでも」
私は飛んだ。しかし宙に浮かぶ中年に抱き留められた。
「言ったでしょう。私の世界で死なれるのは迷惑なんです。お茶でもしながら話をしましょう」
中年は私を抱きながらゆるゆると繁華街まで降りていった。
繁華街かと思われたそれはいつもの出社時の通りに見える。街を行き交う人々と同じように私もスーツ姿になっていた。
「何で夢の中でも苦しませるの?」
「私が見せている訳ではありません。貴女が見ている夢です」
その言葉を私は許せなかった。
「こんな夢見たい訳ないでしょ!」
「それは眠っている時の夢のお話ですか? 将来の夢ということでしょうか?」
その言葉に私は言葉が詰まった。将来に関して漠然とした夢だけはあった。今はもうそれが何か分からない。
「夢を見たいというのなら見せてあげましょう。私は夢の主ですから」
その瞬間、世界が変わった。
街並みは夜の上品なバー等が立ち並び、行き交う人々はスマートなスーツ姿をしている。
「お召し物はお気に召します?」
上等なスーツ姿の青年に言われた私は自分の服を見る。
「ご確認ください」
言葉と共に現れた姿見に自身が映し出された。いつものくたびれたスーツではない。周囲に合わせたそれを着ている自分が見える。
鏡に見惚れていた私に夢の主から声が掛かる。
「本日はお疲れ様でした。どうでしょう。これから一杯」
その言葉に心が揺らぐが私は返した。
「明日があるのでご遠慮します」
「何も気にする必要はありません。ここは貴女が望んだ夢の世界ですから」
心を見透かされている。そのことに気分は良くなかった。ただ
ここは夢の世界。
私だけの夢。
幼い頃に家族と行ったテーマパークを思い出した。あのキャストの方々は何でも笑顔で受け止めてくれたな。
少し、涙が出た。
「大丈夫ですか。お姫様」
いつの間にか王子様風な格好に衣装を変えた夢の主が私を心配してくれる。周囲の景色も木々が生い茂る森の中へ変化していた。
ハイホーという声に気付く。分かった。ここは白雪姫の世界だ。
スカートを摘まみ、あつらえられた棺に自ら収まる。もうずっと眠っていたい。
「ところで上司様の頭に怒ると強く締め付ける輪っかを付けておきました。それではおはようございます」
王子が私にキスをした。
目を覚ました私はいつものベッドにいた。変な夢を見たな。唇に残る甘い感触を指先で確かめながら仕事へ行く支度を始めた。
憂鬱な一日が始まる。仕事が嫌な訳じゃない。怒鳴り散らす上司が苦手。
会社に着くと職場が騒然としていた。上司が頭痛を訴えて倒れたらしい。救急車で搬送されたそうだ。
何があったか知らないけどザマーミロ。どうせ自分より遅れて出勤した新入社員に怒鳴り散らして頭の血管でも切れたんでしょ。二度と戻ってくるな。
とはいえ人の死を望むほど憎んでいるわけではない。ヤキモキした気持ちで今日の仕事を終えて帰宅した。
「また来たの?」
「迷惑?」
少年の姿をしている夢の主が嬉しそうな表情をする。
「全然。今日は何をして遊ぼうか」
「話を」
息が詰まった。
「聞いてほしいかな」
座り込んだ自分の膝が見える。どう見ても子どものそれだ。夢の世界。私は少女になっているんだろうな。
それが私の夢なのかという疑問はあるけど。
同じく対面に座り込んだ少年と話が始まった。
「あー! つまり僕が上司に輪っかを付けたから倒れたことを自分の責任だと思ってるってこと?」
私はこくりと頷く。
「君の上司は脳の血管が破裂寸前だったんだよ。倒れたのは自分のせいさ」
「じゃあ輪っかってのは?」
「嘘」
悪びれる様子もなくそう言った少年にムカムカしたきた。
「ふん! 夢の世界だから何でもできる訳じゃないのね!」
きょとんとした顔の少年が言葉を返す。
「夢の中なら何でもできるよ。それに」
パチンと指を鳴らすと空にモニターが現れた。
「夢は現実と連動するんだ」
モニターに病院で医者と話す上司が映し出される。
「血圧が高いのですが何か心当たりあります?」
医者の質問に俯きながら上司が答えた。
「怒鳴り……過ぎたんだと思います。それが気持ち良くて……」
「食生活には問題がないので原因はそれでしょうね。今回も部下を叱責してる最中に倒れられたんでしょう?」
「……はい」
「私はセラピストではないので多くは言えませんが落ち着いた生活を送ってください。年齢以上に血管が脆くなってます」
医者の言葉に不安そうに上司が訊ねる。
「破けたらどうなります?」
「後遺症が残ったり最悪死にます。なるべく穏やかな生活を心がけてください」
「そうですか……」
そこでモニターは消えた。
「夢と連動するって、これじゃ上司の自業自得じゃない」
「君が死んでしまえと思えば上司さんは死んでたよ」
返事に困っている私に少年―――夢の主が続ける。
「優しいんだな。君は。だからかなぁ。こんな世界に来ちゃうのは。自分ばかり追い詰める」
「そんなことない!!」
「じゃあ何で君は死のうとしたの? どうでもいい他人なんて押しのければいいじゃないか。それが出来なかったんでしょう? 周囲のずるい連中は何も考えず生きてるのにねー」
心が、詰まる。
「そういう連中って他人が死んでも何にも感じないんだよ。だから他人に酷いことが言える」
声が、出ない。
「僕は君を死なせない」
その言葉に私は彼の目を見た。
「何度ここに来ても必ず追い返す。だから夢を楽しもう」
少年の姿が帽子をかぶった中年に変わった。
「ワンダーランドへようこそ。お茶会でお待ちしております」
そう告げて消えた中年に取り残される形になった私は自分の衣服を確認する。
水色のスカートを見ただけで分かる。ここはワンダーランドなんだ。
笑っている三ヶ月が見える。
懐中時計を持った兎が私の前を走った。私は兎を追った。
何処まで走ったのだろう。穴に落ちたりキノコやケーキは食べなかったけど私は帽子屋が待つお茶会に辿り着いた。
「Welcome to MY Territory」
たくさんの動物が椅子を並べ紅茶の用意を整える。帽子屋に促されるまま私は席についた。
「Madding Crowdへようこそ。お嬢様」
「素敵なおもてなしをありがとう」
カップを手に取るとアールグレイの香りがふわりと舞った。
「さて、君はどうしたいんだい? 嫌な上司やお局達がいる現実に帰る? それともここで夢を見る?」
「正直言ってここに残りたい」
カップを口にした帽子屋が不敵な笑みを浮かべる。
「言っただろう。私は君を追い返すと」
「こんなに楽しい夢なら醒めたくないよ!」
思わず叫んでしまった私に帽子屋が暗い表情をしながら言葉を返す。
「この世界にいるってことはね」
帽子屋が言い淀んだ。
「良いことではないんだ」
「私がまだ死にたいって思ってるから?」
少し考え込んだ帽子屋が答える。
「ここに居るのは疲れるんだよ。私がじゃないよ。君がね」
「私はここにいるのが楽しい。何度でもあなたに逢いたい」
「ここに来るってことはね」
一息ついて帽子屋が言う。
「現実の君は自殺から逃れられない。ここで見た夢も忘れてしまう」
言葉が出なかった。
「上司の頭に輪っかをつけたのが嘘って言ったけど、完全に嘘って訳じゃないんだ」
「え?」
「あの人もここに来たんだ。色々悩んでるって言うから瞬間湯沸かし器みたいに怒るのは止めろって言った」
「あんなのが自殺を考えてる訳ないじゃない!」
「君が思う『あんなの』でも人間だからね。他人には分からない事情や性格があるんだ。それで君へのハラスメントが許される訳ではないけど」
心がモヤモヤする。
「倒れたこともあるからパワハラはなくなると思う。だからこれでお別れだ」
「待って! 私は貴方と一緒にいたい!」
私の言葉に微笑を浮かべて帽子屋が言った。
「おはようございます。二度と来ないでね」
目を覚ました私は何故か泣いていた。
その涙は熱く、とても優しいものに感じられた。




