六話
時は進み黄昏時、二人は宿屋を出て先ほどの店へ戻っていた。周囲からの視線にはまだ慣れないが、フィニアが隣にいることで幾分か心が楽な気がした。
早足でたどり着いた店の扉を開ける。すると、老婦人が笑顔で迎えてくれた。
「ちょうどよかったねぇ、今できたところだよ」
「だって、ザリエル。楽しみだね!」
顔を綻ばせたフィニアに、ザリエルはため息をついた。
「なんであなたが嬉しそうなのよ」
ザリエルは呆れたような表情をしているが、それはわずかに柔らかいものだった。
すると、店の奥から黒い布を持った孫の女性が出てくる。
「あっ、天使さんだ!」
ザリエルを見つけると、子犬のように彼女の元へ駆け寄った。そして、手元の黒い布を大きく広げる。
「じゃーん! えへへ、どうですかっ?」
レースの付いた長いケープ。背中の羽も隠せそうなほど、後ろ側の布が長くなっている。
何より目立つのは、裾にたくさん咲いている薔薇の刺繍だった。
「……すごく細かいわね」
「私、刺繍が得意なんです! それに……ドワーフの針もありますから!」
「ドワーフの針?」
ザリエルが聞き返すと、女性はケープを老婦人に渡して店の奥に走った。
「へえ、ドワーフ。もう何年も会ってないや」
「知ってるの?」
「うん、簡単に言えば鍛冶の専門家ってところかな」
そう話していると、女性がパタパタと足音を立てて戻ってきた。そして、手のひらを二人に見せる。
針刺しの上に、小さな青色の針が刺さっている。不思議と目を引くそれを持って、女性は微笑んだ。
「これはラピスラズリを加工して、ドワーフの方々が魔力を込めて作った賜物なんです。」
「わあ、すっごく綺麗」
ザリエルは針を見つめる。その青色は力に満ちていて、とても美しい。
「この針は持ち主を一人しか決めないんです。だから、私しか使えません」
「そうなの?」
「はい。この子を使うと、私のイメージを汲み取ってくれるんです。それで針が動くんですよ」
「意志を持つ針かぁ、面白いね」
フィニアが笑う。
「と、いうことで……私とこの子が作ったケープ、着てみませんか?」
女性が目を輝かせながらそう言った。それを聞いた老婦人がケープをザリエルに差し出す。
ザリエルは一瞬だけ躊躇い、ケープを受け取る。それから、ゆっくりと頭を通す。
布が肩に落ちる。不思議とそれは重くなかった。
背中には穴があり、翼を出せるようにもなっていた。最初から彼女のためだけに仕立てられたのが伝わってくる。
「あれ?」
女性が不思議そうな声を上げた。
「そこに刺繍はしてないはず……」
ザリエルは胸元を見下ろした。心臓の上に、一輪の深紅の薔薇。
女性は小さく首を傾げている。
ザリエルは何も言わない。ただ、その薔薇から目を離せなかった。不思議と胸があたたかくなる。
__奪う時とは、違う熱。
「……変じゃない?」
ザリエルはぽつりと呟いた。女性は首を振って否定する。
「いいえ。そこが一番似合ってますよ」
迷いのない真っすぐな声だった。ザリエルはフィニアの方を向く。彼も茶化すことはなかった。
「うん。ザリエルらしい服だ」
その一言に、彼女は目を伏せる。
終焉の天使でもなく、役割でもなく__ただ、自分のための薔薇。
その事実が、何よりも胸を焦がしていた。
◇◇◇
二人は店を出て、夕暮れの通りを歩いていく。前と同じように視線はある。でも、違う。
「少しあったかいわ」
「今のこの辺は寒いから、ちょうどいいでしょ?」
「……そうね」
二人は何気なく会話を交わす。すると、人混みの隙間から、小さな声がした。
「……あ」
関所で出会った子供だった。子供は一歩、前に出て言った。
「おはな、ふえた」
ザリエルはその場で固まる。それを見た母親が慌てて謝った。
「ごめんなさい! ほら、行くよ!」
子供を連れて行こうとする母親を__ザリエルは止めた。少し膝を折って、子供にこう聞いた。
「……綺麗?」
子供は笑顔になり、力強く頷いた。
「うん!」
その瞬間、少し冷たい風が人々の間を通り抜けた。胸の薔薇が風に揺れる。
ザリエルは顔をしかめながら子供に告げる。
「もう帰りなさい」
子供は小さく唸ったあと、笑顔でザリエルを見上げた。
「わかった……またね!」
母親に手を引かれ、手を振りながら去っていく。その後ろ姿を見送るザリエルの表情は、苦しげなものだった。
「大丈夫?」
フィニアが心配そうに聞いた。ザリエルはそれにゆっくりと口を開き、こう言った。
「心を許したら、あの子の人生を奪ってしまう」
心を近づければ、寿命を奪ってしまう。それは変わらない事実で。
それでも、あの子の笑顔が眩しくて。
「……宿屋に戻ろうか」
「ええ」
二人は並んで歩き出す。夕暮れに染まった石畳がコツコツと音を鳴らす。
ザリエルは無意識に胸元へと手を当てる。薔薇の刺繍はまだそこにある。色褪せることなく、静かに揺れている。
奪わなかった。だけど、触れもしなかった。それでも、胸の奥に残る熱は消えない。
__自分が人間だったなら。
そんな考えが浮かんだ自分に、少しだけ戸惑った。
ザリエルは背中の穴から翼を出す。それは彼女の象徴であり、呪いでもあるもの。
呪いと呼ばれたそれを、彼女は自分の意志で広げた。
黒い翼は畳まれぬまま、黄昏の町を歩いていた。




