五話
順番が来て、二人は門番の前に立つ。門番はフィニアからザリエルに視線を滑らせる。
「……通行証は持っているのか?」
「僕は持っています。けど、彼女のはありません」
門番の視線は、依然としてザリエルに向いたまま。しかし、そこに感情など一滴も入っていなかった。
事務的な抑揚のない声で口を開く。
「なら、税を徴収する」
「わかりました」
フィニアは鞄から袋を取り出して、通貨を数枚門番へ渡した。門番は枚数を確認すると、ふさいでいた道を開けるように移動した。
「通れ」
「ありがとうございます」
二人は門をくぐった。石畳の音が足裏に硬く響く。
外とは全く違う匂いがした。干した布のやわらかな匂い、新鮮な果物の匂い。それから、人の生活の気配。
無数の声が交差する。ザリエルは無意識に翼の付け根へと触れた。
視線はある。だが、足を止める者はいない。
「大丈夫?」
フィニアが周りには聞こえないほどの小さな声で聞く。
「……思ったより、静かね」
表情を変えないままそう言うと、フィニアはザリエルから目を離した。
「うん。みんな忙しいから」
露天の布地が風に揺れる。色とりどりの布の中で、淡い灰色が目に入った。赤い糸で刺繍が施されている。
フィニアが、ザリエルが見ている店を指差した。
「あそこ、前に来たことがあるんだ。仕立てが丁寧でさ」
木製の看板が軽く鳴った。糸と針の印が描かれている。
「入ってみる?」
ザリエルは一瞬だけためらい、それから小さく頷いた。
◇◇◇
「いらっしゃい」
店の中に入った瞬間、色の洪水が起こる。目の前に鮮やかな色彩が広がっていた。布の匂いと針の音が、独特の雰囲気を持っている。
店主らしき老婦人と、まだ幼さの残る女性が迎えてくれた。老婦人はフィニアを見て首をかしげる。
「おや? なんだか見たことがあるような……」
「僕は不老不死の坊やだよ、"お姉さん"」
老婦人は暫く考え込んで、それから明るい笑顔を浮かべる。
「……ああ、あの時の坊や! 何年ぶりかのう」
「うーん、僕も覚えてないや。ところで、そこの女の人は娘さん?」
「いいや、孫だよ」
老婦人は孫の女性の背中を押して、前に立たせた。女性は嬉しそうにしてフィニアとザリエルを交互に見る。
「ほ、本当にいたんだ……不老不死の男の子と、噂の黒い天使……」
「私のこと、知ってるのね」
「ええ、もちろん! 『終焉の天使』って異名がついてますよね!」
気分が悪くなった。ザリエルは苦虫を噛み潰したような顔をして、店を出ていこうとする。
しかし、耳に届いた言葉に足を止めた。
「私、ずっとお会いしたかったんです!」
「……え?」
ザリエルは耳を疑った。寿命を奪う自分に、会いたいという人間が存在するなんて。
「天使さんに私の服を着てほしくて、ずっとデザインを考えてたんです!」
「……そう」
孫の女性は店の奥に消えて、またすぐに戻ってきた。その手には分厚い本が抱えられている。
「あの、見るだけでいいので……目を通してもらえませんか?」
これだけの量を一人で、全て私に着てほしいという一心でデザインしたのか。それを考えてしまっては、断ることもできなかった。
「見るだけならいいわよ」
「あっ、ありがとうございます!!」
孫の女性はザリエルを椅子へと案内する。木でできた丸椅子に座り、デザイン帳を開く。
ぺらり、ぺらり。
ページをめくる音が店内に響いた。フィニアと老婦人はそれを聞きつつ、二人で積もる話を吐き出していた。
デザインは多種多様なもので、可愛らしいものからフォーマルなものまでたくさんある。
「……これって」
その中で、一番彼女の目を引いたもの。それは黒色の上着。胸元には深紅の薔薇が咲いている。
「黒色ね」
「はい! 黒、綺麗だと思って」
「黒を?」
ザリエルは戸惑った。黒の持つイメージは、よくないものが多いから。それでも、その手はデザインの薔薇に伸びてしまう。
こんな色を選ぶ人間なんて、いると思わなかった。
「……翼の分、後ろを広めに仕立てようかね」
話し込んでいた二人がこちらへ戻ってくる。しかし、口を開いたのは老婦人だけだった。
「どうだい?」
「……これにするわ」
ザリエルは描かれた薔薇を指先でなぞりながら、ゆっくりそう言った。
「本当ですか!? おばあちゃん、早く仕立てましょう!」
「まあまあ、落ち着きなさい」
嬉しそうに飛び跳ねる女性をなだめつつ、老婦人は時計を見た。
「夕方には形になるよ。それまで宿にでも行って休んでおいで」
フィニアが老婦人に手を振って、店の入り口まで歩く。それに無言でついていくザリエルの表情は、ほんの少しだけ緩んでいるように見えた。
そのまま店を出ると、肉のしょっぱい匂いがする。すっかり昼時になったらしい。
通りを歩く二人への視線が、先ほどよりも増えている気がした。
「あれが」
「本物?」
「黒い翼だ」
声は小さかった。けれど、確かに届いている。
ザリエルは翼を畳もうとして、止めた。綺麗と言った子もいる、そう思い出したから。
ザリエルは聞こえないフリをして、決して歩幅を変えることはなかった。フィニアも口を閉ざし、何も言わない。
だが、隣を歩く距離が、ほんの少しだけ近づいた。
◇◇◇
宿屋に無事たどり着き、扉を開けて中に入る。外から隔たれたことにより、二人の雰囲気がやわらかくなる。
「いらっしゃい」
宿屋の主人が声をかけた。フィニアは身なりを整えてからカウンターへ数歩。
「一晩泊まりたいんですけど」
フィニアがそう言うと、一瞬だけ主人の目線が動く。
その先は__ザリエルの翼だった。
しかし、それだけだった。その後も特に何も言わず、部屋を貸りることができた。
「平気?」
「……慣れてるわ」
いつもより震えた声に、フィニアは目を細めて息を吐く。それからすぐに、彼女から目線を外す。
フィニアは何も言わない。それでも、彼はそっと彼女の隣へと立った。




