三話
その日の夜。フィニアが野宿をしたいと言って引き下がらなかったので、村を出て暗い森の中にいた。
フィニアがせっせと薪を集めているのに対し、ザリエルは木を背にして座っているだけ。
「……寝ないの?」
「眠らなくても平気」
そう言いながら、ザリエルはフィニアの手元を注視する。彼は拾ってきた薪を組み立ててから、鞄から石と鉄を取り出した。
「それは何?」
「火打石と火打金だよ」
「そんなに小さい石から火が出るの?」
「見てて」
フィニアは小さな石と火打ち金を合わせた。そして、薪に向かって勢いよく滑らせる。
__カチン!
ザリエルの予想よりも軽い音がした。それと同時に、目の前が少し明るくなった。
「おお、一回でついた!」
「……人間は、火を操るのが得意なのね」
「んー、先人の知恵ってやつだね。これを作ったの僕じゃないし」
フィニアはまだ小さな火に息を吹きかけながら、ようやく地面に座り込んだ。火に興味を持ったザリエルは、焚き火の近くへ移動する。
「さて……今日野宿したかったのは、君の話を聞きたかったからなんだ」
「私の、話?」
「そう! 星空の下で、火を囲みながら!」
フィニアはザリエルのそばに寄っていき、濃紺の空を見上げた。満天の星が宝石のように輝いており、とても幻想的だ。
ザリエルはフィニアを見た。空色の瞳が、焚き火と夜空に照らされている。それは、息を呑むような美しさだった。
「……何故?」
「え、何が?」
「何故、あなたは不老不死に? だって、こんなに……」
そこまでしか言えなかった。気持ちを表現することが今のザリエルにはできなかった。
「……そういえば、僕のことはなにも話してなかったね」
「旅についていってあげてるんだから、それくらいは教えてもらわないと」
「それもそうだね。でも、僕は君のことも知りたい」
柔い微笑みを向けられたザリエルは、口を硬く結んでいた。
人間に自分のことを話せば、一瞬で態度を変えられてしまう。しかし、相手は不老不死のフィニアだ。彼もまた、人間の中では異端の存在だから。
それなら、少しだけ話してもいいかもしれない。
そう思えたのは、彼が不老不死だからなのか。それとも、フィニアだからなのか。それはまだわからないままだった。
「今夜は星が綺麗だから、特別に少しだけ教えてあげる。でもあなたが先よ」
「本当にいいの?」
「早くしなさい、気が変わらないうちに話したほうがいいわよ」
「はぁい」
フィニアは焚き火に目を向けた。それから少しの間を空けたあと、彼はゆっくりと口を開く。
「知っての通り、僕は不老不死。物心ついた頃から世界を旅してるんだ」
「……両親は?」
「死んだよ」
次のひと言に、ザリエルは呆然とした。
「僕の両親はね、天使を食べたんだ」
全身に悪寒を感じて、ザリエルは自分の体を抱きしめるようにした。
「それ……は……」
「驚いた? 僕が生まれてすぐに天罰が下ったから、顔も覚えてないけどね」
そう言ったフィニアは、酷く寂しげな笑顔を浮かべていた。
両親が天使を喰らい、生まれたフィニアは呪いを受けた。なんという皮肉なのだろうか。
「ああ、僕は天使なんか食べないから安心してね」
「当たり前でしょう。天使を食べるなんて、正気の沙汰じゃないわ」
ザリエルの体を抱える腕を見て、フィニアは苦笑しながら話を続けた。
「怖いよね。僕も最初に見た時、すごく怖かった」
「……最初に見た?」
「村の古文書。焼け残ってたんだ」
ぱちり、と薪が爆ぜた。空中を舞ってやがて消えていく。
「両親は傷だらけで倒れてた天使を見つけて、家に連れて帰った。それをそのまま食べたんだって」
ザリエルは目を伏せた。焚き火の熱がじわじわと体を温めていく。それに反して、心は極寒の中にいるように冷えきっていた。
「天使を食べれば救われる。貧困に苦しんでいた両親はそう思ったらしいんだ」
「愚かね」
「うん。でもね、僕にはなんとなく分かるんだ」
「何が?」
火を見つめたまま、少し低い声でフィニアは言った。
「死ぬのが怖かったんじゃないかな」
ザリエルは黙り込んでしまった。死ぬことが怖い、それはどこまでも人間らしい理由だったから。
「というわけで、僕は死ねない。だから旅をしてる」
「死ねないことって、不幸なの?」
「……終わりがないって、結構つらいよ」
軽い調子で言われた言葉。
終わりがない。それが焚き火の音よりも重く残った。
「……はい、次は君の番」
フィニアは笑ってそう言った。場に沈黙が落ちる。
ぱちぱち。焚き火の音を聞きながら、ザリエルは星空を見上げ口を開く。
「堕ちたの」
短い言葉に、全てを詰めるように。
「天界から」
フィニアは、何も言わなかった。ザリエルは予想外だ、と頭の中で呟く。
「理由は聞かないの?」
「話したくなったらでいいよ」
ザリエルの内側に踏み込まない。そんな距離が、彼女にとってちょうど良かった。
彼は、踏み込まない距離を知っている。ザリエルはそんなことを考えて、顔をしかめていた。
「わ、少し風が冷たいかも」
夜も更けてきて、風が強くなる。フィニアは寒さから少しだけ体を震わせていた。
そんな彼を見て、ザリエルは立ち上がる。それから__漆黒の翼を広げた。
隣に座るフィニアを、風から守るように。
「……優しいね」
「違うわ。風がうるさいからこうしただけ」
フィニアはくすくすと笑う。そして、地面に体を横たわらせる。すると、すぐに規則正しい寝息が耳に届いた。
天使は眠らない。だから、風が静かになるまでこうしていよう。
その夜、彼女はずっと空を見続けていた。風が止んでも翼を閉じることはなかった。




