あくび、まばたき、くしゃみ
あくび、まばたき、くしゃみ。
人間は、自分の意思ではコントロールできない動作に支配されている。
そのことは誰もが知っている。
けれど、日常のほとんどの行動も、無意識の指令に導かれているのではないだろうか。
お腹が減れば、嗅覚は敏感になり、よりよい匂いの方向へと導かれる。
疲れれば、まばたきの速度は速くなり、思考は酷く鈍る。
スマホを手に取るのも、脳がドーパミンを求めている結果に過ぎないのかもしれない。
私たちは、自分の意思で動いていると信じている。
しかし、脳の内部では私たちの“決断”よりも先に、行動の準備が始まっているらしい。
近年の脳科学では、私たちが「決断した」と感じるより数瞬前に、脳の活動が始まっていることが観測されている。
つまり自由意志は、出来事の後に生成される作られた物語にすぎない可能性が高い。
それでも、人間には理性がある。まばたきを止めることも、食欲を我慢することもできる。
その瞬間、自分の中に確かな自我を感じる気がする。
衝動的に湧き上がる脳の命令を拒むことができるのは、人間だけの特権。
その拒絶の中で、人間性は育ち、社会は形作られる。
私たちは欲望や衝動を抑えながら、理性的に生きている。
でも、本能を理性で抑え込む姿はどこか滑稽に見える。
あくびをかみ殺す自分の顔を、誰かに見られたような、少し間抜けな感覚──それが、自由意思の正体なのかもしれない。
脳の奥ではすでに結論が出ていても、私たちはそれに“意味”を与え、物語をつくる。
自由意思とは、その物語を信じ続ける力のことだ。
私たちは、そうした信仰のような力を、“自由”と呼んでいるのだろう。
私は、自由意思という物語を信じるために、今日も言葉を綴っている。




