59 なんで避けてるんだよ
今日は――黒瀬の様子がおかしかった。
いつもなら軽く返してくる挨拶も、どこかぎこちない。
昼休みは「図書委員の仕事あるから」と言って席を離れ、そのまま戻ってこない。
帰りのHRが終わった瞬間、誰よりも早く教室を出て行った。
(……わかりやすいくらい、俺を避けてる)
理由もわからず胸がざわついて、気づけば相沢は昇降口へ急いでいた。
靴を履き替えていた黒瀬の肩が、声をかけるとびくっと上がる。
「黒瀬」
ゆっくり振り返った表情は、どこか怯えていた。
「……なに?」
「“なに”じゃねぇよ。今日……ずっと避けてただろ」
「べつに避けてないよ」
「じゃあこっち向いて話せよ」
「……っ」
黒瀬はしばらく黙ったあと、しぼり出すように言った。
「ほんとに、なんでもないから」
「嘘だろ」
「嘘じゃない!」
珍しく強く返され、相沢は言葉を飲んだ。
黒瀬は視線を落とし、小さな声で続ける。
「……蓮に嫌われたくないから、ちょっと……整理してただけ」
「整理?」
「気持ちの。……その、いろいろ」
曖昧すぎて、理由にならない。
それでも黒瀬は必死で、嘘をついてる目じゃなかった。
そのときだった。
「――あれ? 黒瀬さん?」
廊下の向こうから例の女子グループの一人が現れた。
相沢と黒瀬の距離を見て、意味ありげに笑う。
「昨日も一緒だったよね? 仲良いんだ?」
「ち、違うよ……!」
「へぇ、相沢くんと? 意外〜」
黒瀬は肩をすくめ、みるみる顔が強張っていく。
「そんなんじゃ、ないから……!」
「黒瀬」
呼びかけた途端、黒瀬の目が大きく揺れた。
女子の視線が刺さって、黒瀬は息を呑む。
――過去のことが、また頭をよぎったのだと相沢は直感した。
「ごめん、蓮……! 今日、帰る!」
「ちょ、待て――」
黒瀬は全速力で駆けていった。
女子たちが無遠慮に相沢の前に立ちふさがる。
「え、ほんとにそういう関係なの?」
「お前らには関係ねぇよ」
「ちょ、ちょっと……怒らなくても……!」
「どけ」
低い声に女子たちはすぐ道を開いた。
だが――その頃にはもう黒瀬の姿は消えていた。
ようやく見つけた黒瀬は、ベンチに座り、鞄を抱きしめていた。
相沢はゆっくり近づき、隣に立つ。
「……黒瀬」
「……蓮には関係ないよ」
「あるだろ。お前が泣きそうだから」
「泣いてない!」
声は震えていた。
相沢は隣に腰を下ろし、静かに問う。
「なんであんなに動揺したんだ?」
「……だって」
黒瀬はうつむき、ぽつりとつぶやく。
「また言われると思った……」
「言われるって」
「『似合わない』とか、『蓮が迷惑』とか……そういうの」
相沢の胸がズキッと痛む。
「……黒瀬。俺、昨日言ったよな」
「でも……蓮に迷惑だったらどうしようって……」
「迷惑じゃねぇよ」
「でも……!」
「でも、じゃねぇ!」
思わず声が大きくなった。
黒瀬がびくっと肩を震わせる。
「……黒瀬が自分を悪く言うの、ほんと耐えられないんだよ」
「っ……」
「お前が勝手に距離置いたり、勝手に『迷惑』って決めたり……そんなの、一番迷惑なんだよ」
黒瀬の目が揺れて、ゆっくりと涙が滲む。
「……蓮がそんなふうに言うなんて思わなかった」
「黒瀬……」
「ごめん、帰る……」
「待てよ」
相沢は思わず手首を掴んだ。
黒瀬は振りほどこうとしながら――泣きそうな声で言う。
「……やだ。そんな怒った蓮……怖い……」
相沢の手が、すっと力を失う。
黒瀬は立ち上がり、そのまま駆け出した。
追いかけようとした足が動かない。
夕暮れの風が生温かく吹き抜ける。
公園のベンチにひとり取り残され、相沢は力なく座り込んだ。
(……俺、何やってんだ)
黒瀬が泣いた理由も、不安も、全部知っていたのに。
不器用な彼女の“怖さ”まで全部抱きしめたいと思ったのに――強く言いすぎた。
(明日……話す。ちゃんと)
夕陽が沈むころ、相沢はゆっくり立ち上がった。
胸の奥には、後悔と焦りと――それでもまだ消えない彼女への想いが残っていた。




