47 それでも、好きだから
翌週の月曜日。
教室に入ると、空気が少し違っていた。
咲はいつもどおり笑っていた。
けれど、その笑顔の“奥”がどこか遠く感じた。
声も、視線も、ちゃんと自分に届いているのに──まるでガラス越しのようだった。
「おはよ、葵」
「……おはよ」
「蓮くん、おはよー!」
咲の明るい声に、蓮が軽く手を上げる。
そのやりとりを見て、黒瀬は小さく息を吐いた。
(……普通、だ。
本当に、何もなかったみたいに)
でも、それが余計に胸に刺さる。
咲の「整理したいだけ」という言葉が、まだ耳に残っていた。
(咲は、ちゃんと自分の気持ちを整理してる。
でも、私は……)
机に突っ伏して、頬を腕に埋める。
目を閉じても、頭の中に浮かぶのは蓮の寝顔。
バスの中で、肩に感じたあの温もり。
(忘れられるわけ、ないじゃん)
誰にも聞こえない声で、心の中にそう呟いた。
放課後。
蓮と咲は、生徒会の手伝いで残るらしい。
黒瀬はひとりで帰るつもりだった。
カバンを手にして廊下を歩いていると、前方から咲が現れる。
手には書類を抱えて、笑顔を浮かべていた。
「葵」
「……咲」
「帰るの? 一緒に行こう」
意外な言葉に、黒瀬は思わず立ち止まった。
咲はいつもどおりの笑顔で続ける。
「ねえ、昨日のお土産、渡したかったの」
小さな紙袋を差し出され、黒瀬は戸惑いながら受け取る。
中には、ペアの小さなチャームが入っていた。
「それ、三人でお揃いなんだ。蓮くんの分も渡すね」
「……どうして」
「うーん、思い出? せっかくの校外学習だし」
咲の声は軽やかだった。
でも、その笑顔はやっぱり少しだけ無理をしているように見えた。
(気づいてないと思ってるの?
そんなわけ、ないのに)
黒瀬は何か言いたかった。
でも、言葉が出ない。
その沈黙の中で、咲がふっと微笑む。
「大丈夫。葵がどんな顔してても、私たち友達だよ」
優しい声が、まるで刃のように胸に刺さった。
咲の言葉が温かすぎて、逆に痛い。
「……ごめん」
「なんで謝るの?」
「わかんない。ただ……ごめん」
咲は一瞬だけ驚いたように目を瞬かせ、それから笑った。
「謝らないで。葵らしくない」
その笑顔を見て、黒瀬はもう何も言えなくなった。
(私、本当に……ずるい)
夜。
机の上に置いたチャームを見つめながら、黒瀬はため息をついた。
窓の外では、風がカーテンを揺らしている。
スマホの画面に「蓮」の名前が光った。
“明日、英語のプリントってどこまでだっけ?”
──ただのクラスメイトとしてのメッセージ。
なのに、胸が高鳴ってしまう。
(どうして、こんなに簡単に嬉しくなるんだろ)
指が震える。
“P27まで”とだけ返して、スマホを伏せた。
その後、何度も画面を見返しては、ため息をつく。
(もう、隠せないのに)
机の上のチャームが、街灯の光を反射してきらめく。
咲の笑顔と重なって、心が痛む。
(好き。
でも、咲を傷つけてまで“好き”って言いたくない)
それでも──
その想いはもう止められなかった。
黒瀬は小さく笑って、カーテンを閉めた。
「……ほんと、やっかいだな」
呟いた声は、夜の静けさに吸い込まれていった。
翌朝。
登校途中、角を曲がったところで蓮とばったり出会う。
「おはよ」
「……おはよ」
「黒瀬、目の下クマできてるぞ。寝た?」
「……ちょっとだけ」
「ちょっと、ね。まあ、がんばれ」
いつも通りの会話。
けれど、その“いつも通り”が嬉しくて、黒瀬は小さく笑った。
「……ありがと」
「ん?」
「なんでもない」
朝の光が、二人の間を照らす。
咲の言葉、蓮の笑顔、自分の想い。
全部を抱えたまま、黒瀬葵は歩き出した。
──それでも、好きだから。
たとえ、届かなくても。




