41 バレたかもしれない朝
翌朝。
宿舎の朝食会場は、まだ眠そうな生徒たちのざわめきでいっぱいだった。
相沢蓮は、いつもより少し落ち着かない様子でトレーを持って席に着いた。
目の前にはスクランブルエッグ、焼き魚、味噌汁。
なのに、味がまったく頭に入ってこない。
(……あれ、夢じゃなかったよな)
夜の廊下、風に舞う髪、支えた瞬間の重み。
そして、ほんの一瞬の──唇の感触。
思い出すだけで心臓が跳ねる。
「おはよ、蓮くん」
不意に声をかけられて、びくっと肩が跳ねた。
そこにいたのは、いつも通りの笑顔を浮かべた白川咲だった。
「ど、どうしたのその反応。寝不足?」
「いや、まあ……ちょっと」
「夜更かしはだめだよー。男子部屋でも盛り上がってたんでしょ?」
咲は冗談めかして笑ったが、蓮は苦笑いするしかなかった。
(いや、男子部屋どころじゃなかったんだよ……)
そんなこと、もちろん言えるわけもない。
そこへ──黒瀬葵が現れた。
「おはよう」
「あっ……お、おはよ」
蓮の声が裏返る。
黒瀬はちらりと彼を見るが、すぐに目をそらした。
頬がほんのり赤い。
「どうしたの、葵? 顔、ちょっと赤いよ?」
「えっ!? そ、そんなことないしっ」
咲が首を傾げる。
蓮は慌てて話題を変えようと、箸を持ちながら口を開いた。
「な、なぁ今日の班行動ってどこ行くんだっけ?」
「確か、海沿いの資料館見学と自由散策だったと思う」
「おー、海か」
「……そうね。波、強いかも」
黒瀬が小さく呟く。
その声を聞いて、蓮の脳裏に昨夜の波の音が蘇る。
沈黙。
咲が、二人の間に流れる微妙な空気に気づいたのか、箸を止めて二人を見比べた。
「……ねえ、なんかあった?」
「な、なにも!」
「な、なにもない!」
声が完全にハモった。
食堂の隅で、同時に慌てる二人。
咲はしばらく目を瞬かせたあと、ふっと笑った。
「ふーん、まあいいけど……なんか怪しい」
「怪しくない!」
「ないったらない!」
黒瀬がムキになって否定する。
その様子を見て、咲は何も言わずにパンを口に運んだ。
けれど──その笑顔の奥に、かすかな影が落ちていた。
***
午前の自由行動。
班ごとに分かれて浜辺を歩く。
潮風が心地よく吹く中、黒瀬は少し遅れて歩いていた。
隣を歩く咲が、ぽつりと口を開く。
「ねえ葵。……昨日、どこ行ってたの?」
「え?」
「夜、トイレ行こうとしたら廊下で足音したから。もしかして葵かなーって思って」
黒瀬の動きが止まる。
喉がきゅっと鳴った。
「べ、別に……ちょっと外見てただけ」
「ふうん」
咲はそれ以上何も言わない。
ただ、少し遠くを見て笑った。
「ね、葵。好きな人ってさ……いる?」
「っ!?」
「顔、真っ赤」
「い、いないしっ!」
「ふふ。そっか」
咲は微笑む。
でもその笑顔は、昨日までの明るさとは違っていた。
「……葵が誰を見てるのか、なんとなくわかるよ」
その言葉に、黒瀬は息を呑んだ。
けれど咲はすぐに、「冗談だよ」と言って歩き出す。
残された黒瀬は、潮風の中で立ち尽くした。
(咲……もしかして──)
胸がざわつく。
風が頬をかすめる。
昨夜の出来事が、また心の奥をかき乱していった。
***
その日の夜。
蓮は宿舎のベランダで一人、外を眺めていた。
波の音が、昨日よりも静かに響く。
「……あれ、夢じゃないよな」
口に出すと、急に現実味を帯びてくる。
そして同時に、どうしようもなく黒瀬の顔が浮かんで離れなかった。
(明日、どうすればいいんだよ……)
頭を抱える蓮の背中に、海風がやさしく吹き抜けた。




