36 好き、なんて言えないけど
夕暮れ。
オレンジ色の光が街を包み、遠くで電車の音が響いた。
駅前を出てすぐの分かれ道。
「ちょっと寄るとこあるから」と言って、白川咲が軽く手を振った。
「気をつけてな」
「うん、また月曜ね」
咲はそう言って、背を向ける。
その笑顔が、なぜだか少しだけ寂しそうに見えた。
残されたのは──蓮と黒瀬の二人。
「……行っちゃったな」
「うん」
並んで歩き出す。
商店街の明かりが少しずつ灯り始め、風がほんのり温かい。
けれど、さっきまでの賑やかさが嘘みたいに、会話が続かない。
どちらからも言葉が出ないまま、靴音だけが響いていた。
蓮は、横を歩く黒瀬の横顔をちらりと見た。
いつも通りに見えるのに、どこか違う。
頬をかすめる髪が、夕陽の光を透かして揺れている。
「……今日は、ありがと」
先に口を開いたのは、黒瀬だった。
「こっちこそ。なんか久々に遊んだ気がするな」
「うん」
その“うん”の響きが、やけに柔らかい。
それだけで、蓮の胸の鼓動が一拍遅れた。
沈黙。
信号の前で立ち止まる。
風が吹き、黒瀬のスカートの裾が揺れる。
蓮は、少し迷ってから口を開いた。
「なあ、黒瀬」
「なに」
「前に言ってた、“昔からそういう顔してた”ってやつ。あれ……どういう意味なんだ?」
黒瀬の肩が、わずかに強張った。
「……あれは」
「もしかして、俺……どっかで会ってた?」
「──忘れて」
その声は、小さく震えていた。
「気になるけど」
「忘れてって言ってるの!」
黒瀬は少しだけ強い声を出し、すぐに視線を落とした。
信号が青に変わる。
蓮が何かを言おうとしたが、黒瀬は先に歩き出した。
その背中が、どうしようもなく遠くに感じる。
(……たぶん、あの“昔”に俺は関わってる)
胸の奥で、そんな予感がした。
けれど、確かめるのが怖かった。
少し歩いたところで、黒瀬が立ち止まる。
振り返ると、夕陽が彼女の髪を金色に染めていた。
「でも……ありがと。今日、楽しかった」
「おう」
「また、遊ぼ」
「……ああ」
蓮の返事に、黒瀬はふっと笑った。
それは、どこか吹っ切れたような、優しい笑顔だった。
沈む夕陽。
影が長く伸びて、二人の足元で重なった。
「……ねえ、相沢」
「ん?」
「その……もし、またこうやってどこか行くとき……」
黒瀬は一度言葉を切り、ほんの少しだけ視線を上げた。
「そのときは、もうちょっと、ちゃんと笑って」
「俺、笑ってなかったか?」
「ううん。……照れてただけ」
「おい」
思わず苦笑する蓮を見て、黒瀬も小さく笑う。
(ああ、こういう時間が、ずっと続けばいいのに)
心のどこかで、そう思ってしまった。
だけど──それはきっと、叶わない願い。
胸の奥に“昔”の記憶がある限り、踏み込むことが怖い。
だから彼女は、ほんの少しだけ笑って言った。
「じゃあね、相沢」
「おう。また明日」
蓮が手を軽く振ると、黒瀬は背を向けて歩き出した。
赤く染まる空の下で、その背中が小さくなっていく。
風が吹き、黒瀬のカバンに揺れる“ぷりん太のキーホルダー”が、かすかに鳴った。
その赤いリボンを指でなぞりながら、彼女は心の中でつぶやく。
(──好き、なんて言えないけど)
(今なら、少しだけわかる気がする。あのとき泣いてた理由)
足元の影が、夕陽の中に溶けていく。
彼女の頬をかすめる風が、やさしく囁いた。
(次は……もう少し、素直に)
そう呟いた黒瀬の瞳には、確かな決意が宿っていた。
そして──
その夜、空には夏の星がひとつ、静かに瞬いていた。
ここまで読んでくれてありがとうございます!
ようやく二人の距離が近づいてきましたね。
続く4章では、さらに大きな変化が…!?
感想や「ここ好き!」って思ったところ、ぜひ聞かせてください!




