34 白川咲の微笑み
翌朝。
まだ少し眠気の残る教室に、白川咲の明るい声が響いた。
「ねえ葵、今度さ──三人でどこか行かない?」
黒瀬は、教科書をめくる手を止めた。
「三人って……誰と?」
「もちろん、蓮くんも一緒に」
その名前が出た瞬間、黒瀬の指先がわずかに動く。
ページの端を押さえたまま、視線だけを咲に向けた。
「……なんで、あんたがそんなこと言うの」
「いいじゃん。私たち、もう変な距離置くのやめよ?」
咲はふわりと微笑んだ。
でも、その目の奥にはどこか影のような色が見えた。
黒瀬は言葉を探すように、少しだけ口を開いて──結局、何も言わなかった。
(“変な距離”って……やっぱり、気づいてるよね)
その沈黙を破るように、教室のドアが開く。
「おはよ」
入ってきたのは、相沢蓮だった。
彼が何気なく声をかけると、黒瀬は反射的に顔をそむけた。
「おはよー、蓮くん!」
咲の明るい声が響く。
その笑顔に、クラスの空気が少しだけ柔らかくなる。
一方で、黒瀬はなぜかノートに視線を落としたまま。
ページの上を鉛筆が行ったり来たりして、まったく進んでいなかった。
(……なんで、あんなふうに普通に話せるの)
咲と蓮の会話が耳に入るたび、胸の奥がざわつく。
蓮は、そんな二人の様子をちらりと見やって──心の中でため息をついた。
(あの二人、やっぱり何かあるよな)
咲の笑顔はいつも通りに見える。
でも、それがどこか“作られた”ようにも感じた。
「なあ、黒瀬」
不意に蓮が声をかけると、黒瀬はびくりと肩を揺らす。
「ん、な、なに」
「このプリント、回してくれ」
「……あ、うん」
受け取った指先が、ほんの少しだけ触れた。
それだけで、黒瀬の胸がまたドクンと鳴る。
それを見ていた咲が、少しだけ笑った。
(やっぱり、そうなんだ)
けれどその笑みは、どこか痛々しかった。
放課後。
三人で帰る話をしていたはずなのに、咲は途中で「ごめん、用事できちゃった」と言って笑って去っていった。
残されたのは、黒瀬と蓮の二人。
「……白川、なんかあったのか?」
「さあ。……でも、あの子、無理して笑うときあるから」
「黒瀬、気づいてるんだな」
「まあ、友達だからね」
そう言った黒瀬の声は、どこか遠くを見ていた。
(友達……か)
彼女はそう言いながら、どこか寂しそうに笑った。
──帰り道。
一人歩く咲は、携帯の画面を見つめていた。
そこには、撮りためた写真が並んでいる。
体育祭のとき、黒瀬と蓮が並んで笑っていた一枚。
あの瞬間の二人を見たとき、胸の奥に小さな痛みが走った。
「……やっぱり、私の出る幕じゃないか」
小さく呟き、携帯をポケットにしまう。
夕方の光が頬を照らして、笑顔の影を落とした。
(でも、葵には幸せになってほしい)
そう思うと、少しだけ胸が軽くなる。
風が髪を揺らし、遠くで放課後のチャイムが鳴った。
咲は顔を上げて、誰もいない空に向かって微笑んだ。
その笑みは、どこまでも優しくて──
だけど、ほんの少しだけ泣きそうだった。




