31 意識しすぎだろ、俺。
体育祭が終わってから、一週間。
教室の空気は、どこかいつもと違っていた。
──というより、俺の中が、落ち着かない。
黒瀬葵のことを、つい目で追ってしまうのだ。
窓際の席で風に髪を揺らしている姿。
ノートにペンを走らせる音。
小さく息を吐く仕草。
その全部が、どうしようもなく気になってしまう。
(……いや、別に特別ってわけじゃない。ただ、最近よく一緒にいるから……)
そう言い訳してみるけど、全然説得力がない。
だって、気づけば何度も彼女を見ている。
そのたびに視線がぶつかって、慌てて逸らす──その繰り返し。
「……なに、見てんの?」
「いや、別に」
「嘘。さっきから視線が痛い」
「黒瀬が、妙に静かだから」
「勉強してるだけでしょ。いつもより真面目でしょ」
「それが逆に怖い」
思わず口をついて出た言葉に、黒瀬はぷっと吹き出した。
その笑い声が、いつもより柔らかい。
くすぐったいような音が、胸の奥に響いた。
(やばい。これ、完全に意識してる……)
慌ててプリントに目を落とすけど、文字が全然頭に入ってこない。
黒瀬がページをめくるたびに、紙の音がやけに大きく聞こえる。
意識するなってほうが無理だ。
「ねえ、これわかんない」
顔を上げると、黒瀬がペン先で問題を指していた。
近い。距離が近い。
机越しとはいえ、手を伸ばせば触れられるくらいの距離だ。
「あー、ここか。ここは──」
「いいよ、やっぱり」
「なんでだよ」
「近い。顔、近い」
「……え、あ、悪い」
慌てて距離を取ろうとした瞬間、手の甲がふわりと触れた。
ほんの一瞬。けれど、静電気みたいに心臓が跳ねた。
黒瀬の指先も小さく震えたのが見えた。
沈黙。
教室のざわめきが遠くなる。
心臓の音だけが、耳の奥で鳴っていた。
「……やっぱ、あんた変」
「は? なんだよ、急に」
「なんでもない」
黒瀬は小さく首を振って、髪を耳にかけた。
その仕草が、どうしようもなく綺麗で。
胸の奥で、また何かが跳ねる。
(なんだよ、これ……)
今までは“ムカつくクラスメイト”で済んでいたのに、
今はその言葉じゃ片づけられない。
笑うたびに、ちょっと焦って、ちょっと嬉しい。
ツンと言いながらも、ほんの少しデレる瞬間がある。
その全部を、見逃したくないと思ってしまう。
──体育祭のとき。
風の中で見た笑顔が、まだ頭に焼きついている。
あの時から、たぶん俺はずっと変なんだ。
「黒瀬」
「なに」
「……いや、なんでもない」
結局、言えなかった。
ただ名前を呼んだだけなのに、胸がうるさい。
黒瀬は不思議そうに俺を見て、すぐにまたノートへ視線を落とした。
その横顔を、俺は見ないようにして、でも見ていた。
(気づかないふりしてたけど……もう無理だな)
窓の外から吹き込む風が、カーテンを揺らした。
白い布がふわりと黒瀬の髪に触れて、それを指で払う彼女の仕草。
その一瞬さえ、やけに愛しく思えてしまう。
「……意識しすぎだろ、俺」
小さくつぶやく声は、自分でも驚くほど情けなかった。
それでも、止められない。
だって、もう気づいてしまったから。
彼女を見るたびに、胸の奥が熱くなることに。
──俺は、たぶん。
黒瀬葵のことが、気になって仕方ない。
風がまた吹いた。
ページの端がめくれる音が、心臓の鼓動と重なった。




