28 秘密の色
体育祭が終わって一週間。
季節は、少しずつ初夏に近づいていた。
昼休み。
教室の窓から風が入り、カーテンがふわりと揺れる。
相沢蓮はパンの袋を開けながら、向かいの席の黒瀬葵をちらっと見た。
最近の彼女は、どこか上の空だ。
「なあ、黒瀬」
「なに」
「この前から思ってたんだけどさ、なんか考えごと多くね?」
「別に。そういう顔に見えるだけ」
「ほーん。じゃ、今なに考えてるの?」
「……今日の数学、寝ようか起きようか」
「それは考えごとって言わねえだろ」
蓮が苦笑すると、黒瀬はふっと目を細めた。
その笑顔が、どこか前より柔らかい。
「……体育祭、楽しかった?」
不意に、黒瀬のほうから尋ねてきた。
「ん? まあな。走るの久しぶりだったけど」
「ふーん」
「なんだよ、その“ふーん”」
「別に。ただ、楽しそうだったなって」
黒瀬は机に肘をつき、頬杖をつく。
少しだけ、目線をそらした。
「……あんた、昔からそういう顔してた」
「昔?」
「……なんでもない」
その一言に、蓮は首を傾げた。
「おいおい、気になる言い方すんなって」
「しつこい男は嫌われるよ」
「ツンが戻ってきたな」
「……ツンじゃない」
黒瀬の耳が、わずかに赤い。
教室のざわめきの中で、
彼女の筆箱についた小さな“ぷりん太のキーホルダー”が揺れた。
金具の部分には、うっすら赤いリボンが結ばれている。
蓮は気づいたが、何も言わなかった。
代わりに、いつもより優しい声で言う。
「……大事にしてるんだな、それ」
「……当たり前でしょ」
「そっか。似合ってるよ」
「なっ……! な、なにそれ、急に」
「いや、素直な感想」
「うるさい。もう知らない」
ぷいっと顔をそむける黒瀬。
けれど、頬のあたりがほんのり赤い。
蓮はそれを見て、小さく笑った。
「……やっぱ、こういう黒瀬が一番好きだわ」
「な、なに言ってんの!?」
「冗談だって」
黒瀬が机を軽く叩いて「もう!」と小声で言う。
でも、その顔は怒ってるようで、どこか嬉しそうでもあった。
そのあと、ほんの一瞬だけ沈黙が落ちる。
黒瀬は小さくつぶやいた。
「……ありがと」
「え?」
「なんでもない」
そう言って彼女は席を立ち、パンを持って教室を出ていった。
その背中が、どこか少しだけ軽やかに見えた。
教室に残った蓮は、窓の外を見上げながらつぶやいた。
「……昔からそういう顔してた、か」
その言葉が、なぜか心に引っかかっていた。
まるで、黒瀬の中に“知らない時間”があるみたいに。
(俺、どっかで……あいつと会ってたのか?)
考えても答えは出ない。
けれど、胸の奥に残る違和感だけは、確かにそこにあった。
──そして、黒瀬もまた。
廊下を歩きながら、そっとキーホルダーを指でなぞっていた。
赤いリボンが、指先に触れる。
それは、母の形見であり、そして“あの日の記憶”と結びついたもの。
(……やっと、少しだけ前を向ける気がする)
黒瀬は、小さく笑ってつぶやいた。
「今度こそ、ちゃんと……伝えられたらいいな」
昼下がりの風が、彼女の髪をやさしく撫でていった。




