27 午後の決意
昼過ぎ。
体育祭の喧騒も少し落ち着いて、校庭の空気には昼下がりの陽射しが満ちていた。
午前中のリレーの熱気が嘘みたいに、みんな芝生の上でだらけている。
俺もその一人だった。
「お前、完全に燃え尽きた顔してるな」
佐伯がジュースを片手に笑ってくる。
「いや、リレーで全力出しすぎた。足が棒」
「でも、黒瀬さん、けっこう嬉しそうだったぞ? “悪くなかったわね”って」
「聞いてたのかよ」
「めちゃくちゃ聞こえてたし。あれ、もう半分告白みたいなもんだろ」
「どこがだよ」
「いやー、鈍感にもほどがあるなぁ」
そう言って佐伯は寝転び、空を仰いだ。
雲が風に流れていく。
騒がしかった午前とは違って、妙に穏やかな午後だった。
しばらくして、放送が流れる。
「午後の部、障害物競走の選手は集合してください」
「じゃ、俺そろそろ行くわ。お前、見に来いよ」
「うん、あとでな」
佐伯が走り去ったあと、ふと視線の先に見えた。
グラウンドの端、木陰に座ってる黒瀬葵。
膝の上で手を組んで、風に揺れる髪がきれいだった。
……行こうか、どうしようか。
少し迷ってから、結局足が勝手に動いていた。
「なあ」
声をかけると、黒瀬は小さく顔を上げた。
その目は、午前中よりもずっと静かで、少しだけ柔らかい。
「……さっきの、ありがと」
「え?」
「リレー。あんたがいて、よかったから」
一瞬、言葉が詰まった。
黒瀬が自分から感謝を口にするなんて、ほとんど初めてだ。
「どういたしまして、かな」
「別に、褒めてるわけじゃない」
「そういう言い方、もう慣れたけどな」
黒瀬は小さくため息をついて、それでもほんの少しだけ口元を緩めた。
「……ほんと、変な人」
「お互い様だろ」
短いやりとりなのに、不思議と心が温かい。
風が二人の間を抜けていく。
そのとき、黒瀬の手の中で、キーホルダーの金具が光った。
彼女はそっとそれを握りしめた。
「……大事なもの、だから」
その声は小さく、ほとんど風に溶けた。
「知ってる。誰にも見せたくないやつなんだろ?」
そう言うと、黒瀬は驚いたように目を瞬かせた。
けれど、すぐに「……そういうことにしといて」とだけ返した。
放課後。
体育祭が終わる頃には空が橙色に染まっていた。
グラウンドを見下ろす坂道で、俺は後ろを振り返る。
遠くで、黒瀬が一人、テントをたたむ手伝いをしている。
その背中は、どこかいつもより軽く見えた。
「……頑張ってんな」
小さくつぶやくと、風がまた吹いた。
あのキーホルダーの金属音が、耳の奥で鳴った気がした。
きっと、まだ知らないことがたくさんある。
けど、その全部を少しずつ知っていきたい。
そんな気持ちが、胸の奥でゆっくり膨らんでいった。
そのころ、黒瀬は誰もいないグラウンドの隅で立ち止まり、
夕陽を見上げながら、静かに呟いた。
「……やっぱり、ありがとう」
誰にも聞こえない声。
けれどそれは、たしかに風の中に溶けていった。




