24 小さな約束
翌朝。
教室に入ると、黒瀬葵はいつもの席に静かに座っていた。
けれど、昨日までとは少し違う。
机の上には、小さな包み──例のパンが置かれている。
包装紙の端には、油性ペンで書き足された文字。
「ありがと」
たぶん、誰も知らない。
けど、彼女はそれを見た瞬間、
自然と口元がゆるんでしまった。
(……ほんと、バカ)
授業が始まっても、黒瀬の心はどこかふわふわしていた。
⸻
放課後。
窓の外は、初夏の光が少し傾き始めている。
黒瀬はカバンを肩にかけ、廊下に出た。
曲がり角で、偶然──
相沢蓮とぶつかる。
「おっと、ごめん。大丈夫?」
「……あ、うん」
ほんの一瞬、目が合う。
その瞬間、昨日までの沈黙が少しだけ解けた気がした。
蓮は、少し迷ってから口を開く。
「そういえば、こないだ……元気なかったよな。なんかあった?」
黒瀬は一瞬だけ視線を落としたが、
すぐに小さく笑ってみせた。
「別に。ちょっと、寝不足なだけ」
「そっか。でも、無理すんなよ」
「……あんたに言われたくないけど」
そう言いながらも、ほんの少しだけ優しい声。
蓮はその変化に気づいて、目を丸くする。
「お、今のちょっと優しくなかった?」
「気のせい」
黒瀬はぷいっと顔をそらした。
けど、耳まで赤くなっているのを、彼は見逃さなかった。
⸻
昇降口までの帰り道。
二人は、ぎこちなく並んで歩いた。
言葉が少ないのに、不思議と居心地が悪くない。
「……あのさ」
黒瀬が小さく切り出した。
「今度の体育祭、リレー出て」
「え? 俺?」
「ほかに誰がいるのよ。あんた、意外と足速いでしょ」
「そんなの、いつ──」
「体育のとき。……見てたの、ちょっとだけ」
「へえ。見てたんだ」
「調子に乗らないで」
「いや、なんか嬉しいなって」
「うるさい」
黒瀬は顔を背けたまま、早足で歩き出した。
その背中を見ながら、蓮は笑いをこらえきれなかった。
「じゃあ、ちゃんと走るよ。期待してていい?」
「別に期待なんかしてない。……応援くらいは、してあげてもいいけど」
「それ、応援してくれるってこと?」
「聞き返さないで。恥ずかしい」
頬をほんのり赤くしたまま、彼女は靴箱の前で立ち止まった。
「サボったら許さないから」
「はいはい、約束な」
蓮が指切りの形を作る。
黒瀬は呆れたように見ながらも、
その手を、ほんの一瞬だけ繋いだ。
──指先が触れた瞬間、胸の奥が静かに鳴った。
(……やっぱり、ずるい)
彼の隣は、どうしてこんなに暖かいんだろう。
「ほら、もう帰るわよ」
「はいはい」
いつもの口調。
けど、そこにあったのは、確かに“優しさ”だった。
昇降口のドアを開けると、
春の風が二人を包んだ。
夕陽の光の中、黒瀬の横顔が少しだけ笑っている。
(次は──ちゃんと伝えたい)
彼女はそう心の中でつぶやいた。
まだ遠い未来の約束みたいに、
その想いを胸にしまいながら──。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
黒瀬葵の“ツン”と“本音”が少しずつ近づいた第二章、
いかがだったでしょうか。
書きながら、相沢と黒瀬の不器用な距離に
何度も「もう素直になれよ!」って心の中でツッコんでました(笑)
次の第三章では、二人の関係に少し波乱と、大きな一歩が訪れます。
ぜひ、もう少しだけ見守ってください。
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