表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/4

アンナの思い出

雨は止む気配を見せず、ターナー伯爵家の館を重苦しい空気で包み込んでいた。アンナは自室のベッドに腰掛け、窓の外を叩く雨音に耳を傾けていた。胸の奥でざわめく不安と苛立ちが、彼女を落ち着かなくさせる。ウィリアムの冷たい態度、ジェーンの裏切り、そしてあの不気味な吟遊詩人レノーラの存在。すべてがアンナの心を締め付ける。彼女は両手で顔を覆い、深く息を吐いた。すると、ふと、過去の記憶が鮮やかに蘇ってきた。


アンナは物心ついた頃から、欲しいものはすべて手に入れてきた。ターナー伯爵家の次女として、病弱で愛らしい容姿の彼女は、家族の寵愛を一身に受けて育った。特に母、ターナー伯爵夫人は、アンナのわがままを何でも許し、どんな願いも叶えてくれた。一方、姉のジェーンはいつも穏やかで優しく、アンナのわがままに耐え、笑顔で譲ってくれた。それが当たり前の世界だった。


記憶の中でも特に鮮明なのは、ジェーンの16歳の誕生日だった。その日、ジェーンは父から贈られた美しいサファイアのイヤリングを手に、目を輝かせていた。繊細な銀の細工に嵌め込まれた青い宝石は、ジェーンの穏やかな瞳にぴったりだった。

アンナはそれを一目見て、胸がざわついた。


自分も欲しい。

いや、ジェーンが持っているものが欲しかった。


「ねぇジェーン、そのイヤリング、素敵ね。私にちょうだい。」

アンナは無邪気な笑顔で言った。


ジェーンは一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐにいつもの優しい笑みを浮かべた。

「アンナ、これは…父さんが私のために選んでくれたものだから…。」

ジェーンが言いかけたとき、母が割って入った。


「ジェーン、アンナが欲しいと言ってるのよ!あなたには他にもたくさんアクセサリーがあるでしょう? アンナは体が弱いんだから、気分を良くしてあげなさい。」

いつもの通り、母の声にはどこか有無を言わせない響きがあった。


ジェーンは唇を噛み、静かにイヤリングをアンナに手渡した。アンナは勝利の笑みを浮かべ、イヤリングを耳につけた。鏡に映る自分の姿に満足しながら、ジェーンの少し寂しげな表情には気づかないふりをした。


母はアンナの頭を撫で、

「いい子ね。」

と囁いた。

ジェーンはただ黙って微笑み、いつも通り何も言わなかった。


そんなことが何度あっただろう。ドレス、おもちゃ、部屋の装飾品。ジェーンが持つものは、いつもアンナのものになった。父は日和見な性格で、母の言うことに逆らわず、ジェーンもまた、妹のわがままを受け入れるのが当たり前になっていた。アンナにとって、それは愛されている証だった。

ジェーンは優しい姉だから、いつも許してくれる。そう信じていた。


やがて、ジェーンに縁談が持ち込まれた。

相手はウィリアム、侯爵家の跡取りだった。優しく、整った顔立ちで、家柄も申し分ない彼は、誰もが羨む素敵な男性だった。


ジェーンがウィリアムからの求婚を受けた日、アンナは広間でその話を耳にした。ジェーンが恥ずかしそうに頬を染め、父と母が満足そうに頷く中、アンナの胸に嫉妬の炎が燃え上がった。

なぜジェーンが? なぜ私じゃないの?


その夜、アンナは父の書斎に忍び込んだ。ターナー伯爵はいつものように優柔不断な笑みを浮かべ、娘の突然の訪問に驚いていた。アンナは涙を浮かべ、訴えた。


「父さん、ジェーンの縁談、私に譲ってほしいの。ジェーンには家の責任があるでしょ? 跡取りとして婿を取るべきだわ。私の方がウィリアムにふさわしいのよ。」

アンナの言葉に、父は困惑した表情を見せたが、翌朝には事情を知った母が後押しした。


「アンナの言う通りよ。ジェーンは長女として家を継ぐ責任があるわ。ウィリアムはアンナに任せなさい。」

アンナは母の言葉に、勝ち誇った笑顔を浮かべた。


父はいつものように母に従い、ジェーンの縁談をアンナに譲ることを決めた。

ジェーンはただ静かに頷き、いつものように何も言わなかった。


アンナは最高の気分だった。

彼の優しい笑顔、落ち着いた声、すべてがアンナを満たしてくれた。ウィリアムと庭を散歩し、広間でダンスを踊り、夜には星空の下で愛を囁き合った。

ジェーンはいつも通り穏やかに微笑み、アンナのわがままを許してくれた。少なくとも、アンナにはそう見えた。


「ジェーンは優しいから、今回も許してくれるよね。」

アンナはウィリアムの腕の中でそう呟いた。ウィリアムは笑って頷き、アンナの髪を撫でた。


あの頃、アンナは自分が世界の中心だと信じていた。


回想から戻ったアンナは、ベッドの上で身を起こした。

雨音が耳に刺さる。胸の奥のざわめきは収まらず、むしろ強くなっている気がした。


なぜこんなことを思い出したのだろう。

ジェーンの裏切り、ウィリアムの冷たい態度、アンナの心を締め付ける。


ふと、階下から聞き慣れない足音が聞こえてきた。軽やかな、しかしどこか不気味な響き。アンナの背筋に冷たいものが走る。レノーラだ。あの吟遊詩人がまた来たのだ。彼女の歌が館に響き始めると、いつも使用人たちが怯え、母やジェーンが顔を強張らせる。アンナはそれを面白がっていたが、今日はなぜか胸騒ぎがした。


「もう、うんざりよ。」

アンナは呟き、部屋を出て階段を下りかけた。だが、広間に近づく前に、父の書斎から漏れる声に足を止めた。ターナー伯爵の重々しい声と、レノーラの落ち着いた声が聞こえる。アンナは扉の隙間に耳を寄せ、息を潜めた。


「レノーラ殿、この館の異変はますますひどくなっている。アンナの霊が…。」

父の声は震えていた。


アンナの心臓が、もし動いていたなら、止まるような衝撃を受けた。霊? 私の霊?何を言っているの?


「伯爵様、アンナ様の霊は強い未練に縛られています。特にウィリアム様への執着が、彼女を悪霊に変えているのです。」

レノーラの声は静かだが、どこか冷たく響いた。


「雨の日は特に力が強まります。彼女自身、自分が死んでいることに気づいていないのです。」


アンナは凍りついた。死んでいる? 私が?

そんなわけない。彼女は自分の手を見下ろした。白く、透き通った肌は、いつにも増して儚かった。まるで、今にも消えてしまいそうなくらいに。


「いや…嫌ぁぁー!」

アンナが声にならない悲痛な叫びを上げると、それに呼応するかのように、母の叫び声が館の中をこだました。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ