第二章 暁の寒月
第二章の途中までです
「おはよう」一応一声かけてはみるけど、案の定誰からの返事もない。真紀だって薫達と共に無視を貫いてる。「ほらね」そうやって私は少し口の端を吊り上げてみた。真紀は目は怯えていた。ざまぁみろ私は心の中で呟いた。
グループから削除された時に既にわかってはいたが、これで私は完全にどこにも居場所がなくなってしまった。内側からどんどん空洞が広っがて行くような、そんな感覚に囚われる。虚無感。私は何のためにここにいて、何のために息を吸って、何のために生きているんだろう。どうしても考えずにはいられない。正解なんてない愚直で惨めな疑問。家と学校の往復を繰り返し続ける毎日に生きる希望や意義なんてものはなくて、ただひたすらになんとも言えない絶望が私を襲ってぐちゃぐちゃにする。あれ、生きるって何の意味があるんだろう。そんな思考を必死に遮ってはぐらかす。私はきっと死なないように惰性で日々を生きてるに過ぎない。バカみたい。こんなしょうもない日常に執着するしかないなんて。でもそんな日常だって辛くて苦しくて悔しいのはその時だけで、過ぎてしまえばそれはただの過去でしかない。どんなに相手に恨みを抱いたとしても、私の過去と心が結びつく事はなく、所詮過去は単に出来事がバラバラと連続しているだけの事実の時系列に過ぎない。私はそうやっていつも耐え忍んできた。こんなの昔から慣れっこ。それなのに、全てはなんでこんなに虚しいのだろう。私に存在価値をください。視界の何もかもが傾いて何が何だか分からなくなっていく。目の前の机の上に散らばったゴミだけが真っ直ぐとこちらを見据えていた。
「それでは最後に今日の振り返りを6組代表 藤城薫さんお願いします。」「はい。私は今回の学習でいじめはする側もされる側も癒えることない大きな傷を抱えてしまうとても恐ろしい行為だと改めて理解することができました。だからこそ、私達は絆を大切にし、互いに寄り添い合える学年にしていきたいです。」
四限目の終わりに手から弾ける騒音。私は次第に鼓膜が遠くなっていって、自分1人だけが別世界にいるかのような思考に陥る。
空いた口が塞がらない。頭が真っ白になった。膝の上に置かれた手をじっと見ていた。目の前がぐるぐる回りだす。「死ねばいいのに」飛び出そうになった言葉を必死に飲み込んだ。毎朝掃除が日課になってしまったゴミだらけの机、落書きの量に反比例して減っていく持ち物、学年中の女子に共有されたあらぬ噂と陰口。全ては目の前でマイクを持って話しているコイツのせいなのに。苦しくて苦しくてたまらないそんな私の現状を彼女は楽しんでる。薫を殺して私も死んでしまおう。本気でそう思った。私はきっとこの日の手の震えと噛んだ唇の痛みは一生忘れないんだろうと思った。
その後にクラス全員のプリントを集めて職員室に持って行っていたら、少ししてから同じクラスの男子が私の方に走ってきた。「見て見ぬふりして助けられなくてごめん」彼は小声でそう言った。「そんなこと言っていいの?私が薫達に告げ口するとか思わなかったの?」いじめ防止教育に感化されて私を自分の偽善の道具にでもしようとしてるのかと思ったら心底腹が立った。でも違った。「宮下さんはそんなことしないでしょ?」彼はさも当然かのように冷静に呟いた。私には生粋の屑に成り下がる覚悟がない。それを彼は見抜いてる。嬉しくもあり恐ろしくもあった。「結局みんなそんなもんだよね。許さないよ。君も、私自身も。所詮自業自得だから」私は後ろを振り返らずにそう答えた。わずかに涙がこぼれそうだったから出来るだけ走ったが、彼はもう追いかけては来なかった。涙で歪んだ視界のせいでつまずいて辺りに数枚プリントが散らばる。一枚一枚拾い拾い集めていると重力を纏った涙がプリントに引き寄せられて、小さな丸いシミに変わった。自分の惨めさが際立っているような気がして余計に悲しくなった。ひとしきり泣いたらお腹が減って今日は購買でパンを2つも買った。悲しくてもお腹はすくんだ、なんて言うけど、悲しいからお腹がすくんだ。悲しいってだけで疲れて、虚しくて、その虚しさを埋めるためにひたすらにいろんなものを詰めていく。寝ても食べても何か足りない。悲しいって際限のない空腹。2つのパンを持って購買から歩いて旧校舎へ向かう。廊下の一番奥の右側にある非常階段。そこが私の特等席。人通りが少なくて気兼ねなく食事ができる。クラスに居場所のない私にはここほどありがたい場所は他にない。私は階段に腰掛け買ったパンをひたすら胃に押し込んでいく。美味しいから食べるんじゃない。生きるために食べる。これもまた生存本能。私にはやっぱり人という存在が遠いように感じて自嘲的な笑みを浮かべた。昼下がりの曇天に鳥がちらほら飛んでいて、風もそよそよと流れている。そんな世界に私、独り。ワイヤレスイヤホンが私の耳に甘美な音の旋律を伝える。ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベン「ピアノソナタ第八番 ハ短調 作品13」やはりそういうことなんだ。私はまた少し笑った。
その次の日の朝はやけに騒がしかった。
「お前宮下に駆け寄って話しかけたんだろ?」「3組のもかちゃんが見たって言ってたよねぇ」「え、好きなんじゃね?」「何それまじウケるんだけど」そんな言葉が教室の中から廊下に漏れ聞こえる。廊下の木目としばらく睨めっこしていたら、後ろから足音が聞こえて慌てて教室へと足を踏み出す。「あ、宮下来たじゃん」「で?お前どうなの?」
うるさい。五月蝿い。
「昨日だろ?あれはちょっと冗談言ってからかってただけだって。あ…あんときの顔面白かったわ」そんな声が聞こえてきて数秒後頭に何かがあたる。小さくクシャクシャに丸められた紙屑。地面に落ちていた。「い、いい気味だよ」私は立ち止まって彼の方を見た。そしてまた目を伏せて机に向かった。彼の顔を見た。笑っていた。目は一本の曲線を描き、広角をこれでもかと引き上げて笑っていた。でも、私には同時に泣いているようにも見えた。閉ざされた瞼で必死に涙を隠しているように見えた。そんな彼を見ていたら、私は彼に怒りをぶつけられる立場なのだろうか、私が彼の立場なら同じ事をしたのではないか、そんな考えが頭に浮かんでは消えて、途端に分からなくなった。私はただ、口を固く結んだ。フタを開ければみんな自分が可愛くて仕方ない。自分を守るのに必死。私が一番分かってる。彼の顔をもう一度見た。加害者のくせに被害者みたいな顔しないでよ。心が荒波をたてる。私は思わず目を背けた。
***
木枯らしが頬を撫でる。非常階段でご飯を食べるには少し寒い季節だ。階段に座って、スカートを整えて、足を少し斜めに折り曲げる。慣れた手つきでケースからイヤホンを取り出す。一人の時間ばかりになってからイヤホンは私の日常に溶け込んで、当たり前の存在になっていた。現実の嫌なこと、ぐちゃぐちゃした頭、そんな全てがイヤホンから注がれるバリケードによって和らぐ。そうやって信じて、錯覚して、偽って、一日をやり過ごす。そんな毎日。
...ぇ。ねぇ。
ふと頭上で声が聞こえた。慌ててイヤホンを外して顔を上げる。「そんなとこで寒くないの?」パンを片手に不思議そうに笑って彼は首を傾げる。1組の佐野君。話したことは無かったけど、名を馳せている美男子の1人である彼の名前は、女子の会話に登場することはしばしばあった。「大丈夫、気にしないで。」そう言ってイヤホンを再び耳にかける。視線をパンに戻して音に浸る。狭い階段だから、少ししても彼が階段を離れずに壁にもたれかかっているのはすぐに分かった。
「どっか行かないの?」私からイヤホンを外して語りかける。
「最近委員会が忙しくて来れてなかったけどここ俺も気に入ってるんだよね。」
最悪。せっかく見つけたいい場所だったのに。
「そっか、じゃあ私がどっか別の場所を探すね。」
そう言って膝の上の荷物を持って立ち上がる。
「なんで?そんなに1人が好きなの?」彼は小首を傾げて私に視線を合わせる。彼だって私の根も葉もない悪い噂話を知らない訳では無いはずのに、なんでこんなに普通に関わろうとするんだろう。あまりにも自然な会話が不自然で、ほんのりと薄気味の悪さを感じる。
「私といたら貴方まで変な噂流されちゃうよ。」
「貴方まで...ってことはやっぱり宮下さんについての噂話は嘘なんだ」彼は私を横目にチラりと見て微笑んだ。
ドキリとした。
「なんで、やっぱりって...」思わず間髪入れずに聞き返す私に彼は呼応する。
「だって、俺、顔みて少し話したら相手がどんな人か何となく分かっちゃうから。宮下さんが噂通りの人じゃないことくらいすぐに分かったよ。」
もしかしたらこの人も私と同じなのかもしれない。少し彼のことを知りたいと思った。でも、それとと同時にこれ以上私を知られるのが怖いとも思った。
それからしばらく私と彼は言葉を交わすことなくパンを食べて、さようならの一言と軽くお辞儀をして教室に戻る。予鈴が鳴った。




