Nowhere To Belong.
カリナはシャーロにこれまでのことをかいつまんで説明した。フェリおじいちゃまが二度と名乗らないように、と忠告していたから日本での本名は省いたうえで。
聖女の召喚。
隠蔽された陛下の魔症。
干上がっていた王宮の聖水。
王が倒れた、聖水が枯れ果てたなどと徒に国民の不安を煽るものではないが、それにしても。聖女は召喚されて聖水も戻ったことをなにを差し置いても発表すべきではないか。
それから大司教の横暴。
「俺ひとりでは受け止めきれないな……」
驚くのではなく、理解した上でシャーロは悩んでいる。
「異世界とか信じるんですか?」
あっさりとシャーロは信じる、と答えた。
「異世界からいらした聖女さまはカリナさまだけではないから。これまで何度も……直近では八十年前に召喚された歴史がある」
この世界でその聖女が亡くなったのが二十年前、それから緩やかに聖水は減り魔は猛威をふるいはじめた。
「そんな、常習犯?」
「そんな、教会を犯罪集団のように言ってくれるな。聖女さまの籍はその教会にあるぞ。身柄を保障するのは必ず教会となっている」
「ええっ……」
この世界では教会がカリナの実家らしい。いま出禁をくらっているけども。
「あのとき生意気を言いすぎたとは思いますけど……どうにもカワウソおじさんにカチンと来てしまって」
シャーロは一瞬ぽかん、としてフッと笑った。
「カエソベリウスさま? 大司教の」
「その人。何を話したかったのかわからないけど、フェリおじいちゃまに敬意も払わずお悔やみのひとつもなかったんですよ。すごく嫌でした」
いくら急ぎで重大な話があろうとも、故人を軽んじるのはいただけない。
「……そうだな、俺でもそう思う」
「大司教って、偉いんですか? 逆らわないほうがよかったですか?」
「位で言えば聖女さまのほうが段違いに偉い。唯一無二で、神さまと人間くらい違う。
教会での階級は上から教皇、教会枢機卿、大司教……あとは割愛するが、とにかくカエソベリウスさまに聖女さまをどうこうする力はないはずだ」
「腕力で来られたら、負けます」
「ええ。それで兵士があなたを逃がすために連れ出したんだろう」
「あれだけ怒らせたんだから、カワウソおじさんから悪い意味で狙われたり、するんでしょうね」
フェリシッシムスがいたときは、この世界でも生きていけそうだと思った。
自業自得とはいえ命を狙われるほど嫌われるなんて想像していなかった。
「カエソベリウスが無礼を働いたんだ。俺がそんなことはさせない」
この世界の安全な場所はどこだろう。ずっとここに匿われていられるとは思えない。
「ありがとうございます。
私、元の世界には戻れなさそう、ですよね」
シャーロが申し訳なさそうにする。
「失望させるけども、俺には召喚について知識がない。帰る手段を探してみてもいいが……。どの聖女もこの世界で生涯を終えたという。なによりカリナさまは洗礼を受けただろう」
「洗礼って、『神を信じて責務を果たす』って誓うやつですか?」
「いいや。教皇さまに額を触られたのでは? 三回、十字を切る儀式だ」
思い当たることがあったので、はい、と力のない声を出す。フェリシッシムスの木の枝のような親指が目に浮かぶ。
小皿に残った聖水はスポイトで数滴垂らしたぐらいの量しかなかった。もったいぶっていたのではなく、聖女召喚のために残せるぎりぎりを取っておいたのだと思う。あれだけ聖杯が干上がっていたのは、王の魔症を食い止めるために使っていたのが理由。
「一つ目の十字は、前世の繋がりを断ち切るため。
二つ目の十字は、これまでに得た穢れを払うため。
三つ目の十字は、この世界へ受け入れ歓迎するため。
この国では、生まれてすぐに教会で洗礼を受ける。親が名前を用意していればそれを名付け、そうでなければ儀式を行った司祭が名付ける」
シャーロも妹が生まれたときに家族として洗礼に参加したのでうっすらとだが儀式を覚えている。その意味は、大人となり助祭となったばかりの友人が教えてくれた。
この世界で生きるため、フェリシッシムス教皇が親代わりに名付けたのが『カリナ』だ。
「前世って。私は死んでこの世界にきたわけではないです」
「そうか。なら……前の世界との繋がりを無くした、ということになるんだろう」
なにか言おうとして開けた口を閉じる。
こんなところに一人でいても、前の世界を思い出したくなるホームシックにならないのはそのせいだったのだろう。どこか楽観的にいつかは帰れるかもしれないと期待していた居場所
ーー前の世界を完全になくした。
肩を落としたカリナに、シャーロは心を痛めた。恨みつらみは言わずとも、この少女は望んでこの世界にきたのではないのだ。別世界の住人が何を言っても慰められる気がしなかった。
「たくさん話して疲れただろう、湯を沸かして茶でも飲もう」
気分を変えよう、との提案にカリナも乗った。
「……あっ、火の使い方も知りたかったんです、教えてください」
厨房には火の気配も灰の残りもなかった。
「火の熾し方か? ……今までどうやって料理してたんだ」
「料理せずにいました」
数日置きに届く食糧があっても、なによりもまず食べようという気分にならなかった。
いつまでここにいるのかも不明。すぐかもしれない。待ってる間にカエソベリウスが見つけに来るかもしれないと思えば食欲も減る。そんな状況で皿を探すのも面倒だった。いや、武器にするために探しておく方が賢明だったかも。
「飯はどうやって食べてた?」
シャーロが持ってきたものは未調理未加工の野菜や塊の肉だった。少しの果物とパンもいくつか。これまでも似たような内容だったのか、台所には生で食べれないものが多く残されている。
「生野菜かじってました」
にんじんとか、セロリとか葉野菜、果物なんかも。それ以前に気分で食べたり食べなかったりした。
それで顔色の悪さも、意識を失ったように見えたことも説明がつく。
「じゃあさっきのアレ、貧血だろう」
「台所で足滑らせたとき? めまいがしてちょっと危なかったですね」
彼女を受け止めることができてよかった、と再度胸を撫で下ろす。
「食糧持ってきた奴に厨房の使い方をきかなかったのか?」
「気づいたら籠だけ置かれてました。声をかけてきてくれたの、シャーロさんが初めてです」
シャーロは歯軋りした。
「聖女さまにおかれましては、お辛い思いをさせてしまっており心苦しいばかりです。ご不便どころじゃない、生活もままならないとは」
「シャーロさん、口調戻してください?」
長いながいため息をついた。今日シャーロが運んできたクルミとレーズンを混ぜ込んだ丸パンを掴み、カリナの口に押し付ける。応急処置の栄養補給だ。もぐもぐ、と口が動く。
「あの、大変な不敬を……」
苛立ちのあまりものの数秒我を失ってとんでもない行動に出てしまった。
「なにがですか? 美味しいですよ」
聖女がいいなら都合よく忘れることにしよう。
Nowhere To Belong.
(帰る場所もない。)