I’m So Lost.
フェリシッシムスはカリナの教師で、導き手で、おじいちゃまだった。
頭の中を整理するので余裕がなかったが、ふわふわのベッドに入ればそれなりに眠れた。
明くる日は朝から雰囲気が悪かった。使用人たちの態度が、ではなく城内の空気が、お通夜めいていた。お花も彩度を落とし、城内を彩っていた飾りが取り払われて物悲しい。
嫌な勘は的中する。
侍女にどうしたのか問えば疑問はすぐに解決した。
あまりにも唐突な訃報。
教皇が身罷ったと目を伏せて告げられ、カリナはぼんやりとする。
「フェリおじいちゃま、が」
願えば慰安室に通された。
教皇の全身がろうろくのような色だったが、死んだなんて信じたくなかった。
「苦しまずに逝かれたのは、よかったです。きっとあちらでも歓迎されているでしょうね。でも」
飾られていた献花用の花を顔の横に置いて、手を組む。
「まだ私この世界のことなにも知らないんです、置いていかれるのは困ります……フェリおじいちゃま」
組んだ手を棺にちょこんと載せていると、後ろから肩を掴まれた。
「フェリシッシムスさまが喚んだという聖女はあなたか」
片手に杖をついて、床までつきそうな肩衣には大きな十字架が刺繍されている。物々しい眉毛の下に、視界の悪そうな目があった。
「それは、私に違いありませんけど。こんなときになにか用ですか」
カリナがこの場でなにをしているか、わからないはずがない。『お悔やみ申し上げます』やら『残念でしたね』やら言えるはずなのに。
「話がある、来ていただきたい」
「フェリおじいちゃまにお別れを言わせてください。終わるまで待ってくださいませんか」
「後で墓の前で言わせてやる、来いと言うに」
それで頭が冷えたように思えたのに、逆に血が上った気もする。
「そんな言い方をする人について行く気にならないので、お断りします。用があるなら後日こちらからお伺いします。おじさんの名前は? 教えてもらってないですね」
フェリおじいちゃまの喪失に動揺していたのか、不愉快な男を八つ当たりとばかりに『名乗れ無礼者が』と挑発してしまった。相手も大人気なく舌打ちをしてきた。
「ご遺体の前です。お控えください、カエソベリウス大司教さま」
壮年の男性を止めたのは折々に姿を現す兵士だった。昨日も今日も見かけるな、という程度だったが彼の声をきくのはこれが初めてになる。
「かの方が弱って亡くなられたのも、力を召喚のために使い果たしたせいだろう。おかげで世界は大混乱だ。こんな急に亡くなるなど、毒でも盛ったのではないか」
この人品卑しからぬ男に魔症こそ見当たらないけれども、悪意は見て取れる。
「毒? あなたが盛ったんじゃないんですか? 私はこの世界の何が毒になるかも知らないです」
「お二人とも、めったなことを申されては」
仲介する兵士がおどおどとしている。
「もうよい。このような口汚い女が聖女であろうはずもない。地下牢にでも入れておけ」
「はい?」
大司教は司教杖を振って、その場にいた兵士に命じた。彼よりも隣にいるカリナのほうが混乱している。
「……それでは、お連れします」
周囲を曖昧な景色が通り過ぎていく。
驚く者不安げにする者顔を逸らす者、さまざまだった。
小刻みのカリナの歩幅に合わせて、兵士はゆっくり歩いた。周囲に見せつけるようでもあった。階段を降りて空気が湿っぽくなっていくなか、兵士から尋ねられたときびっくりした。
「どうして大人しくついてくるんですか」
手枷もなにもない自由な状態のカリナに、逃げろと言っているかのようだ。
「私も強く言いすぎたな、とか考えてたら……フェリおじいちゃまが亡くなったばかりで、ちょっと頭が追いついてないだけです。……というか、私が逃げ出したら、あなたに咎が行くんじゃないですか?」
「自己犠牲ですか」
「あなたが罰せられるのを見るのも嫌ですけど。なるようになる、と思ってますので」
なんとも肝が据わっている、と嘆息した。それとも諦念しているのか。
「運命を信じる、とは聖職者らしい」
「運命は知りません。私はこの世界に来て神さまに責務を果たすと誓いました。聖なる力もちゃんとありますし、それで通用しないのなら私はそれまで。本当に神さまが私を必要とするのならここでは終わらないでしょう」
少なくとも神を信じて仕えるフェリシッシムスは、カリナの信頼に値するおじいちゃまだった。
「私が死んだところで契約不履行で損をするのは神さまとこの世界のほうです」
失態はカリナのせいではない、と言ってのける。
階段を降り切った。ほとんど暗闇にいても聖女の姿がほの明るく見える。
地下牢には管理の兵がいて、受付でカリナを二度見した。
「どこでもいい、ひとつ牢を用意してくれ」
「ターフェル。その方、噂の召喚されたお人じゃ……」
「大司教カエソベリウスさまのお達しでな」
「ははぁ。いや、しかしなぁ」
「牢の扉を一度開閉してくれるだけでいい。鍵じゃなく」
ピンときた顔で、それなら、と牢の扉を開けてみせた。
カリナが入るのを見届けて、カチャンと音が出るまで閉めた。すぐにキィと開く。立てた親指をくいっと動かす。
「じゃ、出ましょう」
「えっ」
カリナが振り向くと、彼がにやりとする。
「ハンフリーズ、彼女が入られたのを見たな?」
「へい、しっかりこの両の目で」
「すみませんが、その被り物をお借りしても?」
言われるがまま白い頭巾を渡すと、牢番がそれを受け取ってカリナと入れ替わりに牢に入る。備え付けのタオルを丸め、ベッドのシーツやブランケットを変な形にこねはじめた。
「行きますよ」
声に引っ張られて、石の階段を登る。
意識がぼんやりしながらいつの間にか外に出て陽の光を浴びていた。そういえば、牢からここまでの道では人とすれ違うことがなかった。
石造りの古くさい建物に辿り着く。
「騎士団の旧寄宿舎です。誰も来ません。大司教が落ち着かれるまでどうかここに。食糧は届けます。外にはお出でになりませんよう」
と、外鍵もかけずに閉じ込められた。ここは長年放置されているのか埃臭い。咳をしながら、カリナはやることを一つ決めた。
それから掃除を生き甲斐にしながら、二週間以上騎士団旧寄宿舎に留まっている。
I’m So Lost.
(どうしたらいいのかわからない。)