第64話 毒に倒れたエレイン(1)
私は慌てて毒草をいくつかつかんで薬屋の兵舎の外に出た。
兵舎の外に出てみると、空気中に毒の匂いがさっきよりも濃くなったようだった。
皇室の猟場には、ベテルニー山脈の猛獣に襲われた負傷者でいっぱいだった。
「ううっ」
「しっかりしろ!!このまま絶対目をつぶってはいけないでしょう!!しくしく…」
人々の悲鳴と絶叫に、今、私が戦場のど真ん中に来ているのではないかという錯覚がした。
私の目にはべテルニー山脈の入り口で数人の騎士と共に無数の猛獣を処理しているハエリス公爵が見えた。
彼はたった今、自分の体より2倍の猛獣の首をたった一撃で打ち落としたばかりだった。
とても豪快な剣術だったけど、私は片方の唇をぎゅっと噛むしかなかった。
いつまでハエリス公爵が猛獣を追い払うのができるか分からなかったからだった。
その時、私の目に皇室の猟場の中で状況を指揮しているカルロス皇太子の姿が見えた。
「カルロス皇太子殿下! 殿下!」
私は慌ててカルロス皇太子を呼びながら彼のところに走った。
先頭で指揮していたカルロス皇太子が、びっくりした表情で私に向かってきた。
「エレイン!まだここに残っていたの?ここにいたらダメだよ!今からでも早く逃げて!」
カルロス皇太子は急いで私の手を取って他の場所に私を逃げさせようとした。
「いいえ!それは重要ではないんです。殿下、これ!これをお使いください!」
「これは何なの?」
彼は私の差し出した薬草の包みを怪しげな表情で入念に調べた。
「今解毒剤が作れなくて、麻痺成分がある毒草を縛っておきました。これを燃やすと猛獣が麻痺するはずです。しかし、麻痺は1時間しか持続しません。今、薬材倉庫の兵舎でバルカルン先生がもっと作っていらっしゃいます」
「そう?本当なの?ありがとう!エレイン!役に立ちそうだよ!!」
カルロス皇太子は私に「ありがとう」と言った後、私の手に持っていた薬草の束を取って騎士たちを呼び集めた。
私は、混乱した皇室の猟場の片隅で、焦った気持ちで緊迫した様子を見ていた。
しばらくして、皇室の猟場平野のあちこちには私が作った毒草の白い煙が霧のように広がった。
ベテルニー山脈のいくつかの峰からも白い煙が空高く舞い上がった。
理性を失って暴れていた猛獣たちが、次々と地面に倒れた。
声の大きい数名の騎士の雄たけびが四方から聞こえてきた。
「麻痺は1時間しか続かない!また目覚める前に早く殺せ!」
"はい!かしこまりました!!」
数多くの騎士と兵士は無防備な猛獣の首筋と心臓に剣を突きつけた。
(クェッ)
(プシュッ)
「ふぅ!やっとまとまったようです!!」
「猛獣がまた目覚めるかもしれない。緊張の紐を放してはいけない!」
「はい!」
ある程度状況がよくなったようで、私は心の中で安堵のため息をついて、薬屋へ向った。
薬材の兵舎倉庫にはたくさんの毒草やそのくずが散らばっていて片付けなければならなさそうだった。
遠くからでもハエリス公爵を見たかったけど、なぜか彼の姿は見えなかった。
どうやら残った人たちを救うためにベテルニー山脈に入ったようだった。
猛獣の突然の攻撃により酷く負傷した人や死亡した人が多くて心が良くなかった。
ベールの後ろに隠れている敵がかなり緻密に準備したことだったようだけど、より大きな犠牲を減らすことができて幸いだった。
ますます大胆になる敵の目標は、なぜかハエリス公爵とグレース公爵だけではないような気がした。
私は薬材の兵舎倉庫に戻り、薬草を整理しながら複雑にもつれた糸を解きほぐそうと深く考えた。
しかし残念ながら、私の頭の中にはっきりと浮かんだものは何もなかった。
***
カルロス皇太子は、状況が徐々に落ち着くと、安堵のため息をつくことができた。
彼の視界にベテルニー山脈の入り口で状況をまとめているハエリス公爵が見えた。
「ハエリス公爵!」
「はい、どうぞ。カルロス皇太子殿下」
全身に猛獣の血で覆われたハエリス公爵は、まるで死の使者のように見えた。
「ベテルニー山脈にまだお父様がいらっしゃるようだ。そっちを頼む」
ハエリス公爵は無心に頷いて、残った兵士を集めてベテルニー山脈に入った。
ある程度安定局面に入ると、カルロス皇太子は、ようやく息ができるようだ。
その時、ある騎士が急いでカルロス皇太子にやってきた。
「大変です!殿下!今グレース公爵閣下とダイニング皇子様が見えません!」
カルロス皇太子の顔がまた一瞬で硬くなった。
ゲリマン皇帝を救うためにベテルニー山脈に入ったハエリス公爵に残った毒草の包みをすべて渡した後で、毒草が一つもなかった。
カルロス皇太子は真っ白な顔で、皇室の医員局にある薬剤倉庫の兵舎に急いで走った。
彼はエレインがまだ薬剤倉庫の兵舎にいることを心から願った。
ありがたいことに、兵舎にはエレインが薬剤と薬草を忙しく片づけていた。
「エレイン!!」
「殿下!どうかなさいましたか?」
驚いた表情でエレインが自分を見つめると、カルロス皇太子の心臓が一瞬止まったようだった。
透き通った彼女の美しい茶色の2つの瞳がウサギのように可愛くみえた。
しかし、状況が状況なので、無駄な雑念を早く取り除き、急いでエレインに話した。
「エレイン!あの毒草は他にないの?急に必要になって!」
エレインはもどかしそうに首を横に振り、心配そうに話した。
「どうしましょう。もう麻痺させる毒草は使い切りました。一体どうしたんですか?」
彼女の言葉を聞いたカルロス皇太子の顔色が一瞬にして真っ黒に染まった。
何か深刻な状況であることに気づいたエレインが、カルロス皇太子に急いで尋ねた。
「殿下!一体何事ですか?」
「グレースとダルニングがベテルニー山脈の中にあるみたい!とりあえず、分かった。もうエレインも早く安全な場所に行ってね!薬材倉庫の整理は他の人に任せて。わかった?」
カルロス皇太子が急いで兵舎の外に出ようとした時だった。
突然エレインは兵舎から出ようとする彼を引き止めた。
「少々お待ちください!殿下」
エレインは手早く、テーブルに散らばっている色んな薬材を持ってきて、急いですり鉢で突いた。
速いスピードですり鉢をしたせいでくぼんだ彼女の汗がぽつぽつとたまっていた。
ある程度粉になった薬草を少しずつ味わってみながら慎重に色々な薬草を混ぜた。
すべての配合が終わると、10握りぐらいの粉薬が作られた。
エレインは、その粉薬を白い布袋に入れてカルロス皇太子に渡しながら言った。
「これをどうぞ。殿下」
「これは何?エレイン?」
カルロス皇太子は、彼女が渡した白い布を受け取って気になる目つきで尋ねた。
エレインは非常に慎重な表情で彼に話しかけた。
「さっきの毒草よりも成分が強い毒粉です。山に薬草を燃やすと花火が山に広がるか心配で粉にしてみました。さっきのは人の害にならなかったんですが、今は薬草が足りなくて仕方がなかったんです。これは人にも害になります。使う時は風に背を向けて使って、絶対にこの粉をかける時に息をしてはいけません。毒が強くて人が死ぬこともあります」
「わかった。ありがとう!エレイン」
カルロス皇太子が彼女に感謝の表情でそっと微笑んだ。
でも、なぜかエレインの手先が少し震えているように見え、カルロス皇太子がもう少し詳しく見ようとした。
しかし、まるで何事もなかったかのように彼女は自分の手を背後に隠して薄い笑みを浮かべた。
何んか気持ちがあまり良くなかったが、気が気でないカルロス皇太子はエレインにもう一度「ありがとう」と言った後、薬材倉庫の兵舎を離れた。
兵舎の路地の間を速く走りながらカルロス皇太子の心が何となく不安だった。
その時、馬に乗って皇室の猟場に入ってくるグレース公爵とダルニング皇子一行が目に見えた。
(パカラッ)
(ヒヒーン)
「カル兄様!!」
「カルロス皇太子殿下!」
二人は素早く馬から降りてカルロス皇太子に嬉しく飛び込んだ。
「無事だったんだね!よかった!」
「はい! 兄様!ところで何があったんですか?怪我をした人が多いようです!」
「猛獣に襲われた!君たちはどこにいたんだ?」
「はい...、実は狩りに行きたくなくて山に登らないでダルニングと近くで遊んでいたんです」
「よし!よくやった!俺は君たちも何かあったのかと思っていたよ!」
カルロス皇太子は、怪我もなく無事だった2人の弟の姿を確認して、ようやく安心した。
ふと彼の頭の中に心配そうなエレインの表情が浮かんだ。
彼女にグレース公爵とダルニング皇子が無事だということを早く伝えたかった。
「エレインがすごく心配してたけど、早く知らせに行かなきゃ!」
「はい!カル兄様!それでは僕も一緒に行きましょう。ダルニング、君は皇妃様が無事かどうかを確認して」
『はい、分かりました。兄様!僕もお母様の顔を見たら安心できると思います。僕、お先に失礼します」
「そうだな。我々も行こう。グレース!」
「はい!」
薬草倉庫の兵舎に到着したカルロス皇太子とグレース公爵は、床に倒れているエレインを発見し、驚いた。
「エレイン!」
「何かあったの、エレイン!」
エレインは冷や汗をだらだら流しながら全身がぶるぶる震えていた。
一見しても彼女の病状はあまりよくなかった。
カルロス皇太子は震える手で急いでエレインを抱いてできるだけ早い速度で治療所のある兵舎に走った。
「はあ、はあ」
フレッシュなエレインのピンクの唇は徐々に濃い紫色に変化しているようだった。
細やかに吐き出す彼女の息がすぐでも切れるかのように次第に弱まっていった。
カルロス皇太子は、まるで世界中の灯りが一瞬消えたように目の前が真っ暗になった。
(ドンドン)
⦅だめ、エレイン。どうか…!⦆
エレインに初めて出会った舞踏会の日から今までの思い出がパノラマのように浮かんだ。
いつからだろうか?自分の心の中に彼女が染み込んだのが。
可愛らしい彼女の鼻に白い小麦粉をまぶしたその日だったのだろうか。
それとも、自分のエスコートに照れていた彼女に手を差し伸べた日だったのか。
まさか魔手の森で憔悴しきった姿でほのかに笑う彼女が美しいと思われた日だっただろうか。
もしその日でもなければ、蒸し暑かったあの夏の花火大会の時だったのだろうか。
何気なく冗談で、いや、実は美味しそうな彼女の唇についたアイスクリームが美味しそうに見えて、ぺろぺろなめた。
生まれて初めて味わった甘いアイスクリームの味に一瞬、彼女の唇に口付け、その味が何なのか確かめたかった。
カルロス皇太子は自分の胸から、生命の炎が消えつつあるエレインをさらに強く抱きしめた。
「セレナ!セレナ!」
切羽詰ったカルロス皇太子の声に治療所の兵舎の中にいたセラナが急いで飛び出した。
エレインを抱いているカルロス皇太子と涙、鼻水を流しながら泣きじゃくるグレース公爵が、兵舎の外に立っていた。
「どうしたの?カル?エレインはなんでこうなったの?ちょっとこっちに横にしてみて」
あまりにも焦っているように見えたので、セレナは屋外にある簡易椅子をいくつかつけてエレインを横たえた。
彼女は気を失って倒れたエレインのあっちこっちを見回し、首を振った。
「なんと、猛毒に中毒されてるわ…」
瞬間、カルロス皇太子の脳裏をエレインの言葉がいなずまのように通り過ぎた。
⦅使う時は風に背を向けて使って、絶対にこの粉をかける時に息をしてはいけません。毒が強くて人が死ぬこともあります⦆
カルロス皇太子が息が詰まって到底出ない声を絞り出して言った。
「たすけてよ。セレナ…、お願い!!」
彼女をこのようにしたのは、なんだか自分のせいのようで、心臓が張り裂けそうになった。
セレナは、もどかしそうな表情で首を振りながら、口を開いた。
「ごめんね。カル….、見込みがないの。解毒剤を作るには時間が必要なの。まず、この毒の解毒剤が何かを知るためには、実力のある解毒師を連れてこなければならないけど、多分その時間がないと思う…。エレインはたぶん今夜を越すことができないと思うよ」
冷静な口調でセレナが話すと、カルロス皇太子の顔色が真っ青になった。
「セレナ、じゃあ今他の医員を呼んでくれ!」
「え?」
セレナは荒唐無稽な表情でカルロス皇太子に聞き返した。
「私を信じてないってこと?カル?」
「もしかしたら他の医員はこの毒を解約する方法を知っているかもしれないじゃん!」
切なるカルロス皇太子の叫びにセレナが渋い顔で席を立った。
「わ、 分かったわ。カル」
(スタスタ)
その時、セレナの視線に体中を猛獣の血で覆ったハエリス公爵が入ってきた。
ハエリス公爵の瞳が何だか暗黒に囲まれたように深く閉ざされたようだった。
彼女は嬉しそうな声でハエリス公爵のところに駆けつけ、あちこちを見渡しながら言った。
「ハリ…!よかった!怪我はしなかったみたいだね。本当に凄く心配したよ!」
セレナは喜んでハエリス公爵を迎えたが、彼は彼女を早く通りすぎてエレインに近づいた。
セレナはしばらく驚いた表情をそて、すぐに苦々しい声でハエリス公爵に言った。
「エレインは毒にかかったの。残念ながら、今夜を… 、渡せないと思うよ」
セレナの言葉を聞いたハエリス公爵の目には、言うに言われぬ大きな絶望に染まったようだった。
ハエリス公爵はエレインに近づき、横になっている彼女を注意深く抱き締めた。
彼は自分のよろいの内ポケットから何かを取り出して、エレインに口付けした。
セレナとカルロス皇太子、グレース公爵は慌てた表情でその場面をぼんやりと見守った。
「はぁ…」
しばらくすると、エレインは息が少しよくなったように浅い息を吐いた。
紫に変わっていた彼女の唇がだんだんピンク色になっていくのが見えた。
セレナは渋い表情でハエリスの公爵の胸に抱かれているエレインに近づき、再び確認した。
「ハリが持っている解毒剤を飲ませたんだね。よかった…。ひと峠越した。生きられそうだわ」
「はぁ…」
「ふぅ…」
セレナの言葉にカルロス皇太子とグレース公爵は深い安堵の息を吐いた。
カルロス皇太子は、これまで自分の目の前にいる2人が上手くいくことを心の中で切に願っていた。
しかし今は、ハエリス公爵に抱かれているエレインを自分のところに連れて行きたかった。
カルロス皇太子は、彼のこぶしを強く握りしめ、まだ送れないことを願った。
その時ハエリス公爵はエレインをさっと抱き上げて席を立った。
「ハリ!エレインをどこへ連れていくの?」
セレナが当惑した表情で制止するとハエリス公爵は重い口を開いた。
「暖かいところに行かなきゃ…。ここはエレインに寒すぎる」
「あ…」
やっと真冬に屋外にいるという事実に気付き、静かな兵舎を訪れてエレインを寝床に寝かせた。
いくつかの兵舎から火鉢を持ってきて、兵舎のテントの中を暖めた。
(メラメラ)
深い眠りに落ちたように横になっているエレインをハエリス公爵とグレース公爵が夜通しで見守った。
カルロス皇太子は、2人の姿をじっと見つめてから口を開いた。
「ハエリス公爵。もう交代してあげる。もう一日が過ぎたよ。グレースももう休まないと。セレナ、グレースを頼む」
カルロス皇太子の言葉にセレナは頷きながらグレース公爵に近づいた。
「グレース公爵閣下、私と一緒に出ましょう!」
「ううん…、僕はエレインといたいんだけど」
グレース公爵は疲れた顔でセレナに首を横に振った。
「すぐに目が覚めますから、あまり心配しないでください。ね?」
セレナが優しくなだめてグレース公爵の腕を引っ張ると仕方なく席を立った。
2人が兵舎から出ると、兵舎の中には深い静寂が訪れた。
カルロス皇太子が、ハエリス公爵と横になっているエレインを交互に見つめながら話を切り出した。
「ハエリス公爵、君もちょっと休んで。そろそろ顔を洗って、ちょっと寝て。格好悪いな!」
カルロス皇太子の言葉にもかかわらず、ハエリス公爵は何の微動もなくエレインのそばを守った。
カルロス皇太子は不満そうな表情でハエリス公爵に話した。
「他の人がこのような姿を見たら誤解するよ。ハエリス公爵。今、こういう姿はまるで、 あ、違う!私が失言するところだったな!さあ, 早く休んで。エレインは俺が守っているから…、何も心配しないで」
無理やり彼を立ち上げようとするとハエリス公爵が頭をもたげた。
彼はとても冷たくて涼しい声でカルロス皇太子に話した。
「私は自分の女を他の男に任したりしません。これでもうこの兵舎から出てください。カルロス皇太子殿下」
「は?」
ハエリス公爵の言葉にカルロス皇太子の両目から瞬間火花が飛び散った。




