第55話 ベイリオ皇国皇子たちの政略結婚
南側の魔手の森の問題がある程度収拾されると、ベイリオ皇国の皇居ではまた別の問題が騒がしくなった。
南側の魔手の森と国境を接しているギランス王国とグルマン王国の使者がベイリオ皇国に到着したからだった。
今日に限って、グレース皇子はとても凹んだ表情でカルロス皇太子を見つめながらため息を深くついた。
「ふぅ」
(カタッ)
最近とても肌寒くなったので、風邪予防のために温かいカリン茶と果物が入った皿を二人の前に置いた。
「カルロス皇太子殿下。グレース皇子様、お茶をどうぞ。カリンの香りが本当に良いですよ。 では、私はこれで」
「エレイン、行かないで。ちょっとだけ僕のそばにいてよ…」
応接室から出ようとする私をグレース皇子が掴みながら愚図った。
怪訝な表情でカルロス皇太子を眺めると、彼は首を振って応接室の空いた椅子を指差した。
私はうっかり2人につかまって、グレース皇子のそばにそっと座った。
「エレイン…、僕はどうすればいい?お父様がギランス王国に僕を売ってしまいそうだよ」
「え…?それはどういう意味ですか?グレース皇子様?」
私は意味がわからず、気になる表情でグレース皇子に問い返した。
しかし、しょんぼりしたグレース皇子は、私の質問に何も言わず、長いため息だけをついていた。
カルロス皇太子が傷心したグレース皇子の肩を軽く叩きながら代わりに答えた。
「今日皇居にギランス王国の使臣とグルマン王国の使臣が来たんだ」
「はい。私も聞いて知っています。しかし陛下がグレース皇子様をギランス王国にどうなさるのか良く理解できませんね」
「ふむ。今回、使臣たちが訪問した目的は、この前、魔手の森で魔手たちが群れで暴れたことに対する抗議だったんだ。南側の魔手の森から越えてきた魔手のせいで国境を守っていた騎士団が皆殺しにされたという」
「あ…」
私がカルロス皇太子の言葉に黙って耳を傾けると、彼はとても真剣な表情で自分の言葉を繋いだ。
「南、北側の魔手の森は国境地域だから、各国の軍隊が国境を接して駐屯しているんだ。歴史的にずいぶん前から南側と北側の魔手が暴動があった時は、我がベイリオ皇国に補償を要求してたんだ。しかし金銭的な補償よりは殆どの国は違う補償を望んでね。それがベイリオ皇国皇室との政略結婚だった。ふぅ、ベイリオ皇国の皇室の立場としても、国境守備のためにあまり悪い提案ではなくてね?それで我がベイリオ皇国には、とりわけ他国出身の皇后や皇妃が多いんだ。ところで今回の南側の魔手たちの乱闘のせいで被害が大きかったようでね。ただでさえ3週間後にはグレースも爵位と封土を受けるだろうし、ベイリオ皇子たちの中で結婚適齢期の人は俺、ハエリス公爵、グレースの3人だけなんだ…」
「ああ…、そうだったのですね」
カルロス皇太子は私に苦笑をして見せた。
各国の利害関係が絡んだ問題で何とも言えないので、私はただ残念な表情でカルロス皇太子とグレース皇子を見つめるしかなかった。
この問題は私が愛するハエリス公爵も含まれていて、心臓がギュッと締め付けられるような気分になった。
カルロス皇太子は憂鬱な表情のグレース皇子を慰め、席を立った。
「カル兄様。気をつけて帰ってね」
「うん。もう帰るね。エレイン、グレースをよろしく」
「はい、ご心配なく。気を付けて帰ってきてください。殿下」
私は苦々しい表情を隠せず、皇太子宮に帰るカルロス皇太子を見送った後、自分の宿舎に戻った。
「ハエリス公爵閣下が他の国の女性と結婚することになったら、私はどうすればいいんだろう…?」
いつかセレナが私に警告をしたように、ハエリス公爵の情夫にしかなれないのか、もどかしくなってきた。
今まで私はこの世界の私の身分が平民であることに何の不満もなかった。
前世で私の人生を蝕んでいた両親から脱したことだけでも、ただ感謝していたからだった。
しかし、今日カルロス皇太子の言葉を聞いてから、急激に憂鬱になった気がした。
一人で何度もじっくり考えてみたけど、やっぱり私はハエリス公爵の情夫にはなりたくなかった。
それなら、自ら私の人生を開拓しながら生きるのも悪くないという気がした。
実は、彼と交わした最初のキスの時から、ハエリス公爵と私の愛の果てを考えていた。
もしハエリス公爵と恋愛を始めることになったら、その終りは私が望むハッピーエンドではないと思った。
しかし、むしろそうだったため、どうせ始める愛なら後悔が残らないように彼を愛したかった。
でも、もしハエリス公爵が他の人と結婚することになったら、私の愛は始められないまま、心の奥に葬らなければならないようだった。
私は努めて落ち着かない気持ちを落ち着かせようと努力しながら、グレース皇子の成人式の準備で忙しい一日を過ごした。
成人式には男性も女性ほど用意しなければならない衣装、小物、アクセサリーが多かった。
そういうのを気にするのも仕事だったけど、それより大変なのはすべて面倒くさがるグレース皇子を慰めることだった。
「エレイン、僕、これ嫌だ。ダサすぎるよ」
「ふーん…。僕、この色と似合わないよ。 気に入らない」
「ひーん…、これは幼すぎるように見えるから嫌だ!」
アンナ夫人と私は脂汗を流しながらグレース皇子をなだめた。
しかし、すでに心が膨らんでしまったグレース皇子を慰めることはとても大変だった。
その時、まるで救世主のようにカルロス皇太子が私たちの前に現れた。
カルロス皇太子が明るく微笑んで私とグレース皇子に話を切り出した。
「グレース!何かもどかしいし、 一緒に散歩でも行こう!どう?」
「わぁ!本当に?カロ兄様大好き!」
「さぁ! エレインも一緒に行こう!」
「はい? 私もですか?」
「うん。もちろん!」
(パカラッパカラッ)
私たちはカルロス皇太子に連れられて彼の専用の皇室馬車に乗ってエレルマン市内のある道端で止まった。
「ピュー」
エレルマン市内の真ん中には、冷たい初冬の風が都市全体を冷ややかに漂わせていた。
グレース皇子の首がなんだか寒そうで、私は前もって準備しておいた羊毛スカーフをスカートのポケットから取り出して彼に近づいた。
「あの...、グレース様、ちょっと待ってください。私がスカーフを首に巻いてあげます。今日はとても肌寒いので風邪を引きそうです」
グレース皇子の首に暖かい羊毛スカーフを巻いてあげると、気持ちが良かったのか、満面の笑みを浮かべた。
「どうですか? すごく暖かくなりましたよね?」
「うん、スカーフがふわふわしてる。めちゃいい! エレイン! ありがとう!」
カルロス皇太子は穏やかな笑みを浮かべながら、私とグレース皇子とを交互に眺めた。
彼はまるで大きな決心をしたかのように背筋を伸ばし、我々に大声を出した。
「くっふむ、よく聞け!今日は特に誰にも知らせてない俺だけのグルメ店に連れて行ってあげよう! フフッ!どう?本当に楽しみじゃない?」
「はい! カル兄様! 楽しみですよ」
「私もです!」
「フフッ。さあ、俺にちゃんとついてきなさい。道に迷わないように気をつけて。分かった?」
カルロス皇太子が意気揚々とした表情で私とグレース皇子をエレルマン市内の裏通りに案内した。
複雑に曲がった狭い路地の先に、古ぼけたテント張りが食堂の外側に半分ほど下がっている、ある古い食堂が見えた。
テントの色がもし赤っぽい色だったら、前世の屋台のような感じに見える店だった。
カルロス皇太子は我々を連れてそのお店の中に入った。
食堂は内部と外部に分かれていて、店の規模は小さく、テーブルが十つもなかった。
カルロス皇太子とグレース皇子、そして私はテントが張られている食堂の外部テーブルに座ることになった。
カルロス皇太子の青緑色の二つの瞳がまるで特別なことを教えてあげる人のように輝いた。
「ここはあつあつの海鮮スープに太い麺がとても有名なところなんだ。「リドン」という麺料理なんだけど、本当にスープの味が最高だよ!一度食べたらまた食べたくなる中毒性があるっていうか。ここは俺が誰でも連れて来るような所じゃないから!!」
「本当ですか?カルロス様!味が楽しみですね!」
「うん!兄様!僕もすごく楽しみですよ」
「さあ、お客様。リドンが出てまいりました。おいしく召し上がってください」
その時、店の厨房で料理を作っていたシェフが直接私たちのところに食事を持ってやってきた。
私たち三人の前に湯気がゆらゆらと立つ、麺料理三杯が置かれた。
不透明な白いスープに各種の海鮮と太い麺が入っているユニークな料理だった。
まずスープをすくってみると、スープの味がまるで前世で食べた豚骨ラーメンのような味だった。
私とグレース皇子は、熱いスープを何度も喉に通しながら、カルロス皇太子に親指を立てた。
豚骨ラーメンの味がするスープの中に海鮮が入っていて、それがうまみを増してくれるようだった。
「リドン」という料理は、まるで前世の海鮮が入った豚骨ラーメンか海鮮うどんと味が非常に似ていた。
⦅まさかこの店の主人も憑依者じゃないよね?⦆
私は少し不審な目で厨房で調理をしている40代のシェフをじっと見つめた。
40代のシェフが汗を流しながら、他のお客さんに出る料理を用意していた。
わけもない無駄な考えのような気がしてにやにやと薄く笑ってしまった。
私たちはリドンをお腹いっぱい食べてからエレルマン市内を歩き回った。
久しぶりに楽しそうに鼻息に当たったグレース皇子は、馬車に入ってくるやいなや、私の膝を枕にして深い眠りに落ちた。
私は熟睡してしまったグレース皇子をじっと見つめた。
いつの間にかダルニング皇子より一寸も小さくなったと悔しがっていたグレース皇子だった。
しかし、何日か後には彼の成人式だなんて、なんだか実感がわかない気がした。
その時、ふとカルロス皇太子が馬車の窓の外の風景を見物しながら、私に口を開いた。
「エレイン、俺の夢って何か知ってる?」
「はい…?何ですか??殿下?」
「私はね…、ベイリオ皇国の皇太子としての人生よりは平凡だけど自由な人生を生きたかったんだ。他人から見ればこの身分はとてもよさそうに見えるかもしれないけど、愛する人と結婚する自由が私にはほとんどないんだ。他人のように平凡に愛する女性と結婚して、その女性に似た可愛らしい子供を生むとか。ふぅ、本当に俺にとっては夢のようなことだよ」
「あ…」
カルロス皇太子の顔にさびしい笑みが濃くかかっているようだった。
私は彼に何を言えばいいのか分からず、しばらく沈黙を守ってから、慎重に話しを切り出した。
「殿下…セレナ様のことをとてつもなく愛していらっしゃいますよね?この機会に告白してみたらどうですか…?セレナ様は高位貴族一族の令嬢ですし、周りの反対なしに結婚できると思いますし」
「うーん、エレイン…。それ知ってる?」
「はい?」
「俺は元々この皇太子にふさわしくなかったんだ。正直、皇帝の座に欲があまりないんだけどね?おそらく俺たち兄弟の中で皇帝の地位にふさわしい人を一人選ぶとしたら、ハエリス公爵だろうね…。しかし、俺がこの地位をあきらめない理由はただ一つ! セレナだった」
ガタガタしている馬車の中で、カルロス皇太子は自嘲的に微笑みながら私に言った。
「セレナは見た目とは違って、意外と欲張りなんだ。また、人に負けることをどんなに嫌っているのか…。絶対に自分が一番じゃなければならないというね。フフッ。それがとても愛おしかった。飾り気のない彼女の姿が率直だと思ったんだよね。それで、この皇太子という名の服でも着ていてこそ、彼女のそばにいられると思ったんだ…」
カルロス皇太子が、意味の分からない妙な笑みを私にして見せた。
「殿下…?セレナ様に殿下の真摯な気持ちをちゃんと伝えてみてはいかがでしょうか?セレナ様に心のこもった気持ちを伝えていただければ、殿下が着ている服はそれほど重要じゃないと思います。間違いなくカルロス皇太子殿下が夢見ている平凡な人生を生きる人のように幸せでいられるはずです」
私の話にカルロス皇太子がそっけない表情で口を開いた。
「ふーむ、さあ…?どうだろうね?」
「え…?」
カルロス皇太子の透明な青緑色の緑眼が私をとめどなくじっと見つめていた。
「ただ、もうだんだん合わない服を脱ぎたいなと思って。今日みたいにグレースとエレインと美味しいものを食べに行きながら自由に暮らしたい。フッ」
カルロス皇太子が軽く微笑みながら再び窓の外を眺めた。
***
高級感あふれるインテリアが人目を引く「ピエールサロン」に貴族の多くの淑女たちがお茶を飲みながら話に花を咲かせていた。
「その話聞いた?カルロス皇太子殿下とハエリス公爵が今度結婚するかもしれないんだって。だめ!私のカルロス皇太子殿下が結婚されるなんて…。しくしく」
「はぁ、私も今そのことで心が落ち着かないの。とても悲しいよ!私がどれだけ慕っているか、我々のハエリス公爵閣下が結婚するなんて。ありえないことだわ!」
「私たちにもチャンスは与えなきゃ!なぜ我々の皇太子殿下と公爵閣下を他国のお姫様に奪われなきゃいけないのよ!」
「そうでなくても、そのせいで色々話が出てるみたいで、今回グレース皇子様の成人式に開かれるパーティーに私たちにも機会を下さるんだって! その日他国のお姫様たちもパーティーに参加すると言ってたよ?」
一人の淑女の言葉に、他の令嬢らの目つきが、生気を帯びてきた。
「本当に?」
「みんな夢から覚めな!そんな事にはもう相手が決まっているんだって…。この純真なお嬢さんたちよー、ただ民心をなだめるためだよ」
「そうなの?じゃ、貴族家の令息の中でいい人いないかな?食べられないケーキを刺してみるより私が食べられるケーキを食べた方が良いもんね」
「その通りだよ。私が思うに。うーん、最近その令息が有名なんだ…。誰かと言うとー」
淑女たちの会話を隣のテーブルで黙って聞いていたブランストーン家の侯爵夫人ジェニファーが友達のセレナに言い出した。
「ね、大丈夫なの?このままだと二人とも他国の王女の方々に奪われちゃうよ?」
温かいお茶を一口飲んだセレナは全く気にしていないように話した。
「誤解しないでよ。私たちはみんないい友達だよ。世間が思っていることと違ってね…。カルロス皇太子殿下も、ハエリス公爵閣下も、どっちも結婚の時期はだいぶ過ぎているんでしょう?むしろ遅いと言えるよね…」
「じゃ、セレナは?セレナだって今年22歳じゃん。来年23歳になるのよ。セレナもそろそろ夫候補を探してみないと。私はもう子供が2人もいるのよ?」
ジェニファーは自分の¥大きくなったお腹を触りながら微笑んだ。
「あ、そうだ。ジェニファー、私は用事があってね、そろそろ帰らないといけないの。ごめんね…。また会おうね!」
「うん!分かった!気をつけて帰ってね。セレナ!」
セレナはかすかに微笑み、友達に別れの挨拶をしてから馬車に乗り込んだ。
馬車には長らくセレナの世話をした年配の乳母、ヘラが待っていた。
「セレナお嬢様、明日はヘリス領地に救護所を設置する日ですね。行かされますよね?救恤所の設置を推進するために、お嬢様は本当に大変だったじゃないですか。本当にいい知らせです」
「いいえ…、行かないです。乳母」
「えっ?」
「最近結構…、疲れているので。もうすぐグレース皇子様の成人式なんですから、肌のマッサージを受けなければなりませんね。色々気をつかってたら肌がカサカサになったみたいですわ。あ!そうだ!エレルマンにある最高級美容室と衣装室に予約してもらえますか?今予約をしなかったら予約できませんよ?ふーむ。じゃ屋敷に帰る途中に予約するのがいいと思いますわ。早く馬車を回してください」
「はい、かしこまりました。セレナのお嬢様」




