第52話 依頼費はペパーミントキャンディ
20歳になったばかりのハエリス公爵は、鋭い目つきでためらうことなく敵の首を切った。
冷たい目つきと無情な表情で敵を斬っているうちに、彼の体はいつも敵の血でびっしょり濡れていた。
ベル執事は国境で戦闘を終え公爵に戻ったハエリス公爵を丁重な態度で迎えた。
「お帰りになりましたか?ハエリス公爵閣下」
「そう。ただいま」
ハエリス公爵は血のついたよろいを脱ぎ、寝室内のシャワー室に入った。
ベル執事はシャワー室のドア前のハンガーに彼が着替えをきちんと陳列して寝室の外に出た。
ベル執事は夜遅い時間なので、他の女中たちを起こさずに直接簡単に腹をこしらえてみることにした。
遅い時間にハエリス公爵家の厨房に行ってみると、厨房の中にはあるメイドが何か悩ましい表情で何かを作っていた。
きらめく茶色の大きな瞳にきれいな目鼻立ちが印象的な「メイドのエレイン」だった。
メイドのエレインはハエリス公爵家の男性使用人の間で顔も綺麗で性格も良くて、最も人気のある少女だった。
おそらく数年後、通り過ぎる男性らが、再び後ろを振り返るほど、魅力的な女性へと成長することが一目で分かった。
ベイリオ皇国の成人の基準は18歳だったが、まだ3年ほど残っているようだった。
「エレイン?こんな遅い時間に寝ないで何を作っているの?」
「あ!ベル執事様!来ましたか?」
「これは卵とジャガイモをすりつぶして作ったサンドイッチなんだ」
ベルの執事の言葉に、メイドのエレインは明るい笑顔で頷いた。
「はい。さっき偶然ハエリス公爵の馬を引いていたサムおじさんを見かけたんですよ。今ハエリス公爵閣下が公爵家に来ていらっしゃいますよね?公爵閣下がお腹がすいたようなので簡単にサンドイッチを作ってみてました」
エレインの返事を聞いてベル執事は内心驚いた。
ただ顔だけきれいなのではなく、仕事の気遣いも早かったようだ。
ベル執事はとても嬉しそうにメイドのエレインを見ながら声をかけた。
「そうね。その通りだよ。今屋敷においでになっている。こんなに気を使ってくれてありがたいね。そうでなくても、公爵が召し上がる簡単な食べ物を作りにキッチンに下りてきたんだ。ところで今見たら何か悩みがあるように見えたけど?」
「いや…、他ではなく薄くキュウリを切ったほうが、もっと美味しいと思うんですけど。ふむ、ハエリス公爵閣下はキュウリがお嫌いなようでして。キュウリを入れますか?入れない方がいいんでしょうか?」
メイドのエレインは念入りに考えながらベル執事に尋ねた。
ベル執事は今日、メイドのエレインに再びびっくりした。
ぶっきらぼうなハエリス公爵があえてこの料理が美味しいとかまずいとかは言わない方だったが、料理にキュウリが入れば必ずそのキュウリだけを抜いて食べるということをベル執事は知っていた。
「うん…、キュウリは抜きにして作った方がいいな!」
「あ!はい!!分かりました。ベル執事様」
メイドのエレインがすぐに美味しいサンドイッチとお湯で淹れた香ばしいお茶を淹れてきた。
ベル執事はそのお茶とサンドイッチを持ってハエリス公爵の執務室に上った。
大量に積もった書類の中でハエリス公爵は今日も休むことができず仕事をしていた。
「ハエリス公爵閣下…、簡単にサンドイッチでも食べながら仕事してください」
「うん。分かった。その前に置こう」
「はい。かしこまりました」
切羽詰った仕事なのか、書類を読むのに頭も上がらず、ハエリス公爵が答えた。
ベル執事は、残念な目でハエリス公爵を眺め、テーブルの上に温かいお茶とサンドイッチを置いて、執務室のドアの外に出た。
2,3時間後にベル執事は注意深く執務室の中に入った。
サンドイッチとお茶を食べ終わったのか、テーブルの上の皿はきれいに空いていた。
ベル執事は内心良かったなと思い、皿とコップを片付けて外に出ようとした時だった。
ふとハエリス公爵が書類にサインするのをやめ、頭を上げてベル執事を見つめながら言った。
「さっきのそれはあのメイドが作ったものか。そのエレインという…?」
「あ!どうして分かったんですか?ハハ。はい、そのとおりです。感心なことにハエリス公爵閣下が入って来たことを知って前もって準備しておいたんですよ」
ベル執事は答えながらも不思議な表情でハエリス公爵を見つめた。
ハエリス公爵は見えるような見えないような微笑を浮かべながら、また書類を持って見せた。
「ただ、そのメイドさんが作ったペパーミントキャンディーをよく食べたからかな?そのメイドがよく作り出す料理の味を分かる気がして」
「ああ、はい。そうですね」
ハエリス公爵の言葉にベル執事は頷きながら執務室のドアの外に出た。
公爵家の屋敷には豪邸らしく使用人がとても多かったが、そのうち料理が上手なアヤンカ夫人を含む男性料理人だけでも5、6人はいた。
ベル執事は、ハエリス公爵が生まれつきの味覚を持っているのではないかと思った。
⦅珍しいな。味見だけして作った人を知るとは…⦆
数ヵ月経ったある日、ベル執事とハエリス公爵は、邸内の道を歩いていて偶然、みずみずしいぼうぼうとした髪の少年がメイドのエレインに愛を告白する現場を目撃した。
若々しい少年はハエリス公爵家の見習い騎士ヘロスだった。
「あの…エレイン。僕はあなたが大好きです。いや... あ、愛しています。私の心を受けてくれますか?」
赤面したヘロスはやっとの思いでエレインに自分の気持ちを告白した。
エレインはとてもうろたえた表情でどうしたらいいか分からずうじうじして答えられなかった。
透き通るような透き通った茶色い目が地震のように揺れていた。
「どうか僕の気持ちを断らないでください。エレイン」
「あのう、すみません…。私にはまだそういう風に考える余裕がないんです。本当にごめんなさい」
エレインは丁重にうつむいてヘロスの告白を断った。
しばらく立ち止まったハエリス公爵の足取りが、再び執務室に向かった。
その日の午後、書類にサインしていたハエリス公爵がベル執事に聞いた。
「あのメイドのエレインさ…」
「ああ、はい。公爵閣下」
「邸宅でよく告白されるようだね?前にも一、二度通りかかりに見たような気がするが…」
ベル執事は頷き、ハエリス公爵を見つめながら言った。
「はい、この公爵家の邸宅で一番綺麗な少女じゃないですか?仕事もよくできるし、優しい上にきれいなので公爵家の男性使用人たちの間で一番人気があります。はは!もう数年が過ぎたら、通り過ぎる男たちが後ろを振り返るほどの美人になりそうです。もちろんバルタン街のセレナ様の美貌には追いつけませんが」
「あ…、そうなんだ!」
(トントン、トントン)
ハエリス公爵は、報告書の内容が気に入らなかったのか、自分の人差し指でそっと机の上をトントンと叩いた。
しばらく後、自分が見ていた報告書をめちゃくちゃにしてゴミ箱に投げ出した。
彼は机の上に山のように積まれている書類のいくつかを選んで几帳面に読み、再びサインを始めた。
ベル執事はハエリス公爵が仕事に集中しているようで静かに執務室から抜け出した。
⦅ハエリス公爵閣下が邸宅の使用人についてなぜお聞きになるのか…?あまり気を使う方ではなかったのにな。珍しい⦆
1週間経ったある日、ハエリス公爵がベル執事が渡したティーカップのお茶を一口飲みながら口を開いた。
「収拾騎士のヘロスをフェルデン王国連絡所に送ってくれ。ペルデン王国連絡所に派遣されたジャスティンから人員補強してほしいと連絡があった」
「はい、かしこまりました。公爵閣下」
***
ベル執事は、ハエリス公爵のドレスルームに立ち寄り、曜日ごとに服をきれいにマッチングした。
ドレスルームに3枚のジャケットが別々とかかっていたが、ハンガーから一着ずつ取り出してしわを広げた。
そしてほこりをよくはたいた後、明るい笑顔で元の場所にかけておいた。
突然、昔のことが思い浮かんだベル執事の顔に笑いの花が咲いた。
考えてみたらハエリス公爵はずっと以前からエレインを見守っていたのではないだろうか?という気がした。
恐らくハエリス公爵本人も気づかなかった気持ちだったんだろうが。
そのことがあった後もメイドのイレインに告白した数人の男性はハエリス公爵邸内にいなくなっていた。
ハエリス公爵が彼らを全員別の場所に発令したからだった。
これまで理解できなかったことが、まるでパズルのピースを合わせるようにぱちぱちとぴったり合った。
しわだらけの彼の顔に久しぶりに明るい笑みが浮かんできた。
(コンコン、コンコン)
「今来たのか?アンドリュー…」
「はい、師匠」
「さて…、今日が最後の授業だろうな。別館の厨房に行こう」
人通りの少ないところにあるハエリス公爵家の別館の厨房に、ベル執事とアンドリュー男爵が一緒に何かを作った。
ベル執事はアンドリュー男爵に何かを作る方法を熱心に教えた。
「さあ!もう分かった?これは絶対に外部に流出してはならない。わかったか?」
「あの…、師匠。ハエリス公爵閣下が一、二ヶ月間は眠れずに徹底的に防いだのに、ここまでする必要はありますか?」
アンドリュー男爵が非常に悲しい表情でベル執事を見つめながら言った。
「この腹黒い奴。全部知ってるくせに聞くことは。ハエリス公爵が入念に隠しても、敵はすぐに見つけるだろう…。貴様もお前の父の時代から15年間そばで見て知っているじゃないか」
「…師匠、ハエリス公爵がこれを知ったらどうしますか?」
ベル執事はまるで孫に対する表情でアンドリュー男爵に話した。
「だからお前の助けが必要なんだ…。この事実を絶対に分からないようにしなければならない。お前の良い頭はお前のおやじから受け継いだんじゃないか?私は君だけを信じているよ。このハエリス公爵家にベイク家の家臣はいくらも残っていない。その中でもハエリス公爵を任せるに値するのは君しかいない。私がいなくても衷心を尽くしてハエリス公爵を祀ってほしい」
ベルの執事の言葉にアンドリュー男爵の目頭が赤く染まった。
いつの間にかエレインがくれたレシピ通りに作ったペパーミントキャンディーが完成した。
ベルの執事が、完成したペパーミントキャンディー一粒をアンドリュー男爵の手に渡しながら言った。
「フフッ、アンドリュー…、これは元々この味じゃなかったんだ」
急に何か面白いことを思い出したのか、にこにこしながら微咲みをした。
「いつからか公爵閣下の机にペパーミントキャンディーが載せられていたが、ハエリス公爵閣下と私は誰かが毒殺を試みると思ったんだ。今考えてもそれは…、言葉で表現できないひどい味だった」
ベル執事は完成した型から別のペパーミントキャンディーを1つ取り出して、彼の人差し指で取り上げた。
「それで私たちは犯人を捜すために調査を始めたの。ところが、とんでもないことに幼いメイド一人が毎晩一生懸命にこのペパーミントキャンディーを作っていたよ。最初は食べることもできないペパーミントキャンディーだったが、時間が経てば味はだんだんよくなったんだ」
「まさかハエリス公爵がそれを食べたんですか?どうしてそんなものを召し上がったんでしょうか。不味いペパーミントキャンディーを…私には、理解できません。師匠」
「ハエリス公爵閣下は表向きは冷静で無情に見えても実はとても優しい方だ…、そしてすごく寂しい方でもあるんだ。誰かが自分のために苦労して作ったものをおそらく捨てられなかったと思う。それに時間が経ってこのペパーミントキャンディーが自分の体を実験して作った解毒剤だということを知ったのだな…、幼い頃から重い責任感でグレース皇子様を最善を尽くして守ってくださったので、当の本人はとても寂しかっただろう…。しかし、何の代価もなく自分を守ってくれる存在があったということを知った時、その方はどんな気持ちだったと思うか?」
アンドリュー男爵はベル執事の言葉を注意深く聞きながら深く沈黙した。
「アンドリュー...、母を失って獣のように泣き叫ぶ子供を見たことがあるか?もし、エレインさんが彼らに命を失うことになれば、ハエリス公爵閣下は母親を失ったレインネ皇妃様の時より衝撃が大きいだろう。多分自責もたくさんされるだろう。公爵がすべてを放してしまうのでは、それが恐ろしい…」
「それでも師匠だ。これは時間をもっと増やすだけ…。師匠が犠牲になっても結局敵が訪れることになるでしょう。このまま逝くには、師匠の命がとても惜しいです」
鼻先まで赤くなったアンドリュー男爵の顔には何とも言えない沈痛な表情が浮かんだ。
「アンドリュー...、私がこれから生きてもどのくらいもっと生きれると思うか?今南側の魔手の森のことは、おそらく敵がハエリス公爵のそばにいる解毒師を引き出そうとしたことだろう。それをすでにご存知のハエリス公爵閣下が南の魔手の森にエレインさんを呼ばずに耐えているのだ…。でも私が思うにエレインさんがいなければ南の魔手の森は解決できそうにないな。ただ今私がしようとしている事が時間を少し稼ぐことだけだとしても…、私が稼いでいった時間がハエリス公爵閣下とエレインさんにとって貴重な時間になればと思う。さあ、アンドリュー。これからは敵に内緒で私の話を漏らすんだ…。北の魔手の森で私が直接解毒剤を作って解いたことがあるから、慎重な敵たちもその解毒師が私だと信じているだろう…」
結局アンドリュー男爵の目から熱い涙が流れ落ちた。
ふとベル執事の頭の中に南の魔手の森に発ったエレインの顔が浮かんだ。
答えにくい質問を受けたエレインは、ハエリス公爵に対する自分の気持ちを率直に話した。
⦅ハ、ハエリス公爵閣下のことを私がだ、大好きです。心から…⦆
ベル執事が思うにエレインは他の貴族家の淑女たちとは違った女性のようだった。
か弱い体で自分の命をかけて愛する男を助けに飛び込む彼女の姿は、世界のどの女性よりも美しかった。
彼が衷心より仕えるハエリス公爵の伴侶になるに十分だった。
「フフッ…、これが私の最後の依頼だな。依頼費はこのペパーミントキャンディーにしよう」
ベル執事はペパーミントキャンディーをつまんで彼の口に入れながら微咲みを浮かべた。




